作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

曼珠沙華の秋

2009年09月22日 | 日記・紀行
九月二十二日(晴)

曼珠沙華の秋

今年の夏はあっけなく終わり、そしてまたふたたび秋がめぐりくる。折々に散策に出る秋の野辺の光景を、ブログ日記にデジカメで撮った写真ととともに記録をはじめてからもすでに四年以上も経過している。それぞれの秋にそれぞれの思いが残されている。

昨年の秋は、十一月に入った晩秋といってもいい時期に、法金剛院や嵐山を訪ねたときの記憶が印象深い。それは紀行文に残してある。今年の秋も、どこか思い出の地を訪れて、その鑑賞や印象を歴史探索や紀行文に残しておくことができるだろうか。

田圃の広がる人里を自転車などで巡っていると、そして、稲田が黄色く色づき、その畦などに彼岸花が咲き始めると、秋の到来を実感させられるのは毎秋のことである。それでもこの秋の彼岸花、サンスクリット語の音訳で天上の花を意味するという曼珠沙華が、ここ数年のうちの記憶のなかでも、黄金色の稲穂の波を背景として、とりわけ豊かで彩りも鮮やかに思われた。雨の少なかった今年の夏の気候のためなのか。

昼下がりの明るい穏やかな秋の日射しを受けて、真っ赤に燃え上がった花の上に、銀粉を散らしたようにちらちらと輝くその姿はあでやかで美しい。



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