葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

日本人は変わってしまった②

2010年06月25日 16時07分42秒 | 私の「時事評論」
日本人の変質(その二)
 伝統の古武道のジャンルにまで

 ちょっとした縁があって、由緒ある古武道グループと格別のお付き合いをさせていただき、その運営法人の役員をしている。鎌倉武士の伝統を引き継ぎ、その技を神社の神事や催しで披露する古武道術の一つで、小さいながらも由緒正しき正統のグループである。
 私自身はこの武道のたしなみもなく、日ごろその修練に励む門人たちとは直接関係も薄い。ただこの技を継承する司(つかさ)家の当主と以前から親しく、私が神道という日本伝統の信仰と密接なかかわりある祀職の家に生まれ、それにかかわる仕事を長くしてきた縁で、彼に推薦されたのでここの役員になっている。
 そんな日本古来の文化伝統を引き継ぐ組織、日本精神文化の核ともいうべきグループの中にまで、戦後の精神伝統無視の気風が入り込み、とんでもない混乱を生んでいる。私の関係するものだけではなく、我が国伝統の武道や華道、茶道、舞楽、芸能その他の団体の中の多くで、最近この類の混乱が日常的に起こっていると聞くが、甚だ困った傾向である。だがわが団体の名誉のために、ここでその具体的な名前は伏せさせていただこう。上に掲載された野馬追いの写真も、この団体の修練する武道とは全く何の関係もないことを先ずはお断りして話を進める。

 ここの団体の代表である司家の代表であった師範が先年、高齢で亡くなられた。そこでこれを機会に私も、個人的なご縁も切れたので、お役御免をこうむり、運営をしている会の理事を退任させていただこうかと思ったのだが、内部にとんでもない混乱が起こって、それを見捨てたままで辞職をしては、亡き司家師範への義理を欠くような具合になり、それどころではなくなってしまった。
 師範は存命中、武道技術の向上と習熟には大きな力をいれられ、先代の名を辱めぬため、大きな貢献を果たされたのだが、在任中、それら武道の門人への技術指導は厳しく当られたが、その背景となる精神的な基礎である武士道精神、さらには日本文明の底に流れる信念や社会意識などに関しての精神教育(それらの大部分は、かつては日本の社会自身の家庭、隣人社会、学校教育、社交などを通じて、特別に教えられなくとも身につくはずのものだったが)には、「俺は口下手だから」とあまり力を入れられなかった。お見かけするところ、司宗家内におけるご家族などへの精神教育などもいま一つで、時にはそれがもとで混乱も起こり、生前より当主を立てる家のまとまりも今一歩の状態にあるようであった。

 私がお会いして、そのことを師範に忠告しようとすると、
「君、それは日本人なら誰でもが昔から心に持っている武道以前の常識だよ。話さなくても日本人なら自然に自ら体得するものだ。ましてや神前に奉納する行事は神事である。単なる技を競い合うスポーツや勝負ではない。それは日ごろの修練の中で、各自が身につけるべきことなんだ」
と言われていた。
 私が重ねて「そうおっしゃるが、先生を取り巻く現状をみると・・・」と発言しようとすると、
「門人たちにも立派なものがいるさ。皆の心の中に日本人の心はある。武道修行を通じてそのうちに、間違いなく自らそれを感じて、武士道精神や日本的ものの考え方を求めるものが出てくるだろう。その時はよろしく手伝ってやってくれよ。私は武道は神々の見ておられる神聖なものだ、神事なのだといつも教えているつもりだ」
などと楽観的なことを語って笑っておられた。

 だが、その日本には色濃くあるはずだった伝統の精神風土、それを生みだす背景が、日本人の生活から消し去られたのが、戦後の空気の大きな変化であった。それは司家の先生をめぐるご家族たちにも、稽古に励む門人たちにも影響していた。戦後の伝統の心否定の教育は沁みわたり、いつしか日本人の心の面が欠けてしまっていたようで、そのたために、武道の団体そのものや、それを運営する私どもにまで、とんでもない影響が及び、思わぬ騒動に巻き込まれてしまうことになった。いま、日本では「世界遺産」に指定を受けようとの運動が各地に起こっているが、それらが皆、自国の生きた文化財と、廃絶された遺跡とを同等に見、生きている聖地、日光や熊野古道、地方神楽などを、ピラミッドやカンボジアの祭祀跡などと同等にみる空気、これが顕著にみられるのと同じ現象と言えなくはないのだが。


 溺れながら互いに相手の足を引っ張りあい

 剣道、弓道、乗馬術、武術の演武。訓練を日ごろ照覧される神々の収まる神棚の前で心を清めて精進を誓う。神前でひたすら技を練り、師範門人集って日々の努力の成果を磨き上げる。いまは武術を実技として実戦で試す機会はほとんどないが、それは命をかけた一瞬の過ちも許されないものである。いまではもっぱら、日ごろの修練の成果を、奉納神事などで披露することを目ざしているように見えるが、その努力の積み重ねは、精神修養で得たものは、門人たち個々人の毎日の生活の場においても大きな影響を発揮するし、円滑な社会生活を営む上でも糧になる。だからこそ、古武道は現代においてもサーカスの見世物のような単なる娯楽ではなく、貴重なものとして生き残る。
 訓練に当たっては、まず第一に、日頃より重ねる修練が大切で、その積み重ねがこんな行事の上に立つ者の大きな必要条件になるし、さらにこの武道は集団での儀式にのって披露される。集団で披露するもの故に、統制のとれた指揮系統、指導者を信頼しての一糸乱れぬ行動を常に心がけておくのが必要となる。そんな精神修行は、日々の生活における面にも大いに役に立つ。また、練習や演武は常に危険と隣り合わせ、たった一人の乱れでも、それは大きな事故も生む。
 練習は地味な努力の積み重ねである。それらは何年あるいは何十年の修練の裏付けがあって、初めて神々もよろこばれ、参観する拝観者の心を打つ技が実現される。
 司が逝去された後、後に残された者たちはどのようにして動いていけばよいか。その点では、たとい司家血縁の筋に恵まれた一族・子息や親族であっても、ともに修練を重ねてきた信頼感と実績を努力して培ったものでなくては指導者にはなれないのも当然となるだろう。集団をまとめ上げて統率し、成果を上げるのには、彼らに「彼こそはわれらの指導者だ」との信頼感が必要である。
 また反面、技を披露する連中には、技以外に、この種の武道の背景にある精神的なものへの信頼と理解が必要になる。この種の武道は伝統の儀式にのっとった上に積み重ねられ深められてきたものであり、それらの伝統に対する理解や信頼や信仰、深く掘り下げた精神的修養、神事にかかわる謙虚な信仰などがなければ技の継承は不可能である。、技を技術的側面だけは磨いたとしても、一匹狼の必殺殺人技術では、伝統に合っているとはいえない。

 そう思ってわが武道の将来を眺めていたのだが、わが関係する武道では、師匠がなくなり一年間の喪が明けてのち、新しい責任者のもとに、次の責任者を決めようとするとき、私がそこで見たものは、それまでは師範とともにひたすらそれを支える下積みの努力は放棄して、ただ師範を相続するのが当然と名乗り出た、門人たちとは無縁どころか、かつては彼らと対立して、生前の師範にも反抗的だった新司家当主と、これを否定して、いままでの師匠に対する恩義も伝統的な基礎姿勢忘れ、公然と対決独立を目指そうとする門人たちの対立が生じたのは、こんな背景があったからのようだ。
 
 この司家の、いまは亡き師範も必ずや嘆かすであろう司家の後継を名乗り出た方と、どんな時でも日本人ならたてるべき礼節の重みを弁えぬ門人たちとの対立は、目先のことのみに目を奪われて神殿に祀る神々も見ず、彼らを支えてきた多くの人々の心も見ず、このままではこの武道一門全体が、社会に多大な迷惑を残して崩壊しかねない時期にあるという現実も見ずに、ただ相手をつぶすことに狂奔しているような状況を呈し、溺れながらも相手の足をつかんで溺れさせようとするような、泥まみれの争いが果てしなく続けられるようになった。

 私はこのどちらの立場にもつながりはなく、ただ日本古来の伝統武術を愛し、それが全国各地で披露されることによって、日本の培ってきた芸術的な精神美風に人々が接し、日本人の培ってきたものを大事に思う気風を養うことを願って、何の得もないのに無料奉仕を引き受けてきた一人なのだが、日本の誇りであった武士道の集団の末路が、表面だけは憎しみ合いながらも何事もなかったようにふるまって、裏では自らの利益のためにもならないのに、そんなことさえ分からずに、どんな妨害工作もあえてするような連中ばかりになっている現実の中に立ち、何とかおさめようとしているのだが、腹の虫がおさまらない毎日である。

 日本人の伝統からの乖離がもたらすこの種の腹立たしい摩擦、それは日本中、陸続として起こっているようである。(つづく)

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