葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

和魂洋才はどこへ行った④

2011年06月30日 18時31分01秒 | 私の「時事評論」


伝統的日本人の災害観

 三回にわたって、私は日本において、政治や社会の問題を論ずる際に、日本における政治と皇室の包括される全文化との概念をしっかり使い分け、日本の伝統的国体にあわせた論をすべきだと主張してきた。読まれた方はもう、気付かれたかもしれないが、これは日本国の在り方を国体に基づいて捉え、日本の憲法の条文解釈も、まずこれを基礎にして眺め、皇室を頭にした日本文化全体の中で政治の位置づけを見るべきだという主張だ。

 通常、どの国でも、憲法はその国に積み重ねられているこの種の不文の憲法よりはるかに広いもの(国体)を基礎として解釈して運用する。欧米諸国の憲法解釈は千年以上の歴史に培われたそれぞれの国の新旧キリスト教などが積み上げた国体意識によって行うべきだし、日本にも独特の生活観・社会観に基づく国体意識がある。

 憲法そのものを比較すれば、帝国憲法は20世紀初めのかなり現在の政治の運用に向いたものを基礎に日本に合うように充分検討したものであり、戦後我が国に米軍が押し付けた18世紀流の自由主義革命時代のコピーである現憲法よりも新しい性格を持つものであった。私は個人的には、帝国憲法を条文の変更ではなく、形はそれを真似ながらも実質的には廃棄して、国体も無視して新憲法を押し付けた占領政治が、独立後に否定もされずに生き残ったことに、いまの日本の政治混乱の元凶があると思っている。

 だが、かといって私は戦前の日本の政治を良かったとは思わない。帝国憲法は、憲法自体は現代型の、日本の伝統ともマッチしうるもので、かなり慎重に審議作成されたものであったのだが、明治以来の日本の政治が、なぜ日本が明治維新をしなければならなかったのかの本質を忘れ、官僚も教育界も政治家も軍人も、そろってキラキラ光る欧米文化に盲目的に追随して、「和魂洋才」の原則を忘れ、日本独自の国体を無視した空気の中で運用されたので、まるで国に独特の個性もない状況になって、欧米を盲目的に追い、政治を歪めてしまった。


 帝国憲法は充分に生かされなかった。

 日本の土壌に根付いている精神風土、健全な日本の国体意識を基に、政治を行うのは絶対に必要だと私は思っている。それを互いに認識したうえで、いまの我が国をどう運営していったらよいかの政治的・経済的なものの見方を公表しあって、どの政策をとるか、どんな政策を選択すべきかを論じあうのが大切な問題である。
 


 「付録」神道と天災

 神道における天災の捉え方

 以上で私の和魂洋才論を終わるが、未曽有の大地震がやってきた直後である。唐突になるが時期が時期なので、いま、大きな国民的関心事になっている私の地震や津波、はたまた原子力に関しての考え方を最後に述べておこう。

 今回の東北大地震は、日本に立ち直るのには挙国一致の大きな努力がなければ容易に回復できないほどの大きな爪痕を国土に残して去って行った。

 歴史を調べると日本は地層の複雑に入り組む地震多発地域に当たり、過去にも何回となく地震によって大きな被害をもたらした記録をもっている。津波の被害も度々だ。日本という国土に住めば、地震の襲来から完全に逃れるすべは現在のところ、ないといったほうがよいだろう。

 我が国では天候も干ばつや豪雨、台風などの気象もこの種の災害も、すべては天然の事象をつかさどる神々の掌られる事態であり、特に我々に大きな被害を及ぼされる災害は、それらの神々がお怒りになられている現れと受け取られてきた。

 先祖たちはそう感じて、雨や太陽、雲や風、海などこれらの事象をつかさどると信ぜられた神に、毎年の豊作であることを祈願し、異常気象による災禍が及ばないことをひたすら祭りしてきた。

 現在の信仰形態を表面から見ると、それらは神々が恵みをもたらせてくれるというただプラスのみをもたらす神への信仰であると捉えがちだが、神々はただ我々の願いを聞き入れて我々に恩恵をお与えになるだけではない。時によっては、我々の暮らし方に御不満であると、神罰ともいうべき厳しい試練もお与えになると信ぜられていた。従って神々への祈りも真剣なものであった。

 そんな日本にはまた、すべての祭りは天皇の祭りにまとめられ、天皇はこんな全国的なまつりのすべてをまとめて神々にまつり主としての祭りをなさると信ぜられていた。前項で触れたので、ここで詳しく再録はしないが天皇は高天原の神さまの集う世界の代表である天照皇大神から、地上の国を治めるように命ぜられ、それ以来代々のみかどが常に、全国民のために祭りをしておられる。

 古記録にある東北大震災

 古い記録を調べてみると、いまから1200年以上前の貞観11年(869)、東北地方には今回の地震に匹敵するほどの大地震が襲い、宮城、福島、岩手の沿岸地方はことごとく巨大な津波に襲われ、1000人を超す住民が倒れた家につぶされ津波に浚われ、家も畑もすべてなくなってしまったといわれている。人口密度の比べ物のないほど低い時代だったから、この惨状は今回の地震の規模に達するものと推測されるし、そんな研究の成果もあるようだ。

 縁起元年(901)に著わされた公式文書『三代実録』には、この報告を受けられた清和天皇は「百姓何のつみありてか、この禍毒にあう。憮然として愧じ懼れ、責め深くわれにあり」と、まつり主である天皇自らがこの責を負うと天照皇大神を天皇御自らが直接お祭りをされる伊勢の神宮にお供えをして国家の平安を祈念され、それを百官が見習ったと記されている。

 特別に地震を起こす神が、どんなお名前の神様であるかということが意識されていたようではないが、この国に起こるすべてのことを「まつりごと」として統べるように命ぜられ、一身にその責任を自覚されて民の身を案ぜられ、救済にも力を入れられた天皇のお姿は、このほかの天災などの記述にもよく出てくる。

 また、関東大震災に際しての当時摂政宮であられた昭和天皇、今回の東北大地震や、先の上越地震、阪神大震災の天皇陛下の御対応には、この天皇に代々継がれてきた大御心は少しも変わることがなく続いていることが見える。

 この天皇のお務めのうち、俗政治の執行の部分を代わって執行しているのが、征夷代将軍であり、いまの総理大臣、そしてからが組織する政府である。日本の理想的姿から見ると、そんな政府はその大本のまつり主である天皇、政権の執行をゆだねられた天皇と密着して同じような心をもって接するのが理想の姿だと思う。

 天皇は政治の執行の権を征夷代将軍や首相に譲られる時代になったが、ここにあげたように、天皇が国民を代表して、災難はおのが罪であるとそれが起こらぬように祭りをされ、それを百官が見習って、一日も早い回復をと努める姿はいまも変わってはならないと思う。政府も自治体も企業も国民も、みな天皇のお気持ちを察し、すべてに先駆けてその復興に努力する。また災害が起こらぬように配慮する。そうあらねばならないと思う。


 陛下のお気持ちを柱とすべき政府の姿勢

 地震、津波にかかわらず、諸々の我が国に襲い来る天災に対しては、具体的な対応策を打つべきは天皇から政治を任された首相以下の政府の責任である。防災対策や復旧策には最新の知識が必要とされる。西欧科学知識なども充分に取り入れて、万全を期さねばならないと思う。なるほど政治というものを部分的なところだけを取り出して、それがすべてだとみる見方も存在するだろう。だがそんな姿勢で政治に当たれば、日本の伝統的な国体には合わなくなる。

 今回の大震災で、津波を最大5メートルほどまでと勝手に想定し、それ以上のものは来るはずがないと云わんばかりの想定をしたことが、政府の大きな欠陥であると厳しく非難されている。まさにその通りである。過去の記録によってでも、その種の災害は当然に起こりうるものであった。もちろんそれに、津波への防御堤防を強固にすることでの対応一本で行くことは物理的にはできない話だ。そんな無理なことを要求しようとは思っていない。

 だが、津波への対応は、堤防を高くするばかりではない。万一、精いっぱいの対応措置をもってしても防ぎきれない事態が来たら、どうそれに応じたらよいのだろうか。その方法を「想定外」という言葉で考えないことにして、そのためしっかり考えておけば防げた天災の被害を、人災として大きくしてしまったことは痛切に反省すべき問題である。

 現在の西欧的確率論などに基づいたものの考え方は、起こり得るが「可能性は低い」ということと、「起こり得ない」とを勘違いさせる落とし穴を持っている。過ぎた話になってしまうが、この危険意識を持っている政府であり自治体であったなら、命を落とさずに済んだ人が多数出てきただろうし、避難の方法、災害から逃れる方法などはいくらでも出てきたはずである。かってに「これ以上は来ない」などという概念を導入して、対応策をおろそかにした責任まで、天皇に、「おのが罪」として代わりに神々にお詫びさせて平然としていられると思っているのだろうか。

 俗務である政治をつかさどる政府の任務は、祭りではない。天皇が国民が穏やかに明るく睦みやすく暮らせることをひたすら祈っておられるのであるから、そのお気持ちを安んずるためにも、あらゆる知識や技術を使って、浦安の国づくりをすることにある。


 原子力発電について

 日本人の伝統的意識、神道の概念から見れば、原子力エネルギーは、いまだ人類がみだりに利用するのにはふさわしくない未完成の技術である。したがって信仰的にはこれはわが国としては取り入れるべき手段とは言えないという私の見解はすでにこのブログにおいても発表している。

 ただ原子力の利用に関しては、私は日本人として注意をしなければならない大原則があると思う。

 日本人の発想は神道的意識からスタートしている。神道は我々を取り囲むすべてのものは神々が作り出された大切なもの、それを我々(我々人間だって神々のおつくりになったものである)が、神さまにお許しを受けて利用させて生きていくとの発想である。人間は生きるために様々な知識を身につけ、薪や石炭や石油を燃やし、電気を作り出し、木や石やその他あらゆるものを使って豊かな生活を楽しんでいる。だがそれは利用させていただいているもので、一度利用してもそのものはまわりまわってまた元のものに戻っていくサイクルの中にある。薪を焚いて炭酸ガスが出ても、それは一定の範囲の中なら、植物の作用によってまた木に戻る。石油だって石炭だって長期的に見ればやはりつかさどられる神のもとに戻っていく。まだまだ西欧で発達した物理や化学などの知識を祖先が身につける時代ではなかったが、自然環境のサイクルは壊さぬ文明を我々は繰り返してきた。

 ところが原子力利用はこのサイクルに当てはまらないのではないか。孫子の代まで人間はじめ動植物に害を与え続ける核燃料の燃えカスは、どう始末して良いのかその手段や方法さえもわかっていない。こんなものをどんどん作り出すのは、神道的リサイクルにならないとしか言いようがない。核燃料廃棄物はそのものがある限り大祓いして消し去ることができない罪・穢れというべきものだと思う。せめて安全にリサイクルができるまで、しばらくは手をつけるべきではないと私は思っている。

 そのような説をもちだすと、瀬戸物やセメント、プラスチックはどうなるかなどと様々な意見を上げるものもいるだろう。それらのリサイクル技術にも、新しい技術が見つかりつつあるというが、私はそんなことを言っているのではない。昭和天皇が人類を滅亡させると激しく批判された核技術は、我々の信仰から見ても、いまの段階で安易に使ってはならないものだと思う。

 なお、この問題に関しては、私は自分のブログですでにかいている。その詳細はhttp://ashizujimusyo.com/newpage129.htmlを参考にしていただきたい。


 原発の問題、政治論議と信仰論議

 いま、福島の原発が、これから長期にわたって我が国を汚染し続ける見通しが濃厚になったことを受けて、政治的な意味からの核廃絶の動きが激しくなっている。私はこの種の動きにもろ手を挙げて賛成し、共同行為をとるのには躊躇している。なぜなのか。それはこの種の運動が原発廃棄を道具として、実は他の目的をもっているからである。私は日本の政治は日本の国体である天皇陛下の祭りをされるという大きな日本文化の枠組みの中に、政治はそれをこの分野において補佐するように行われなければならないと思うからである。

 日本の国が育んできた自然を素直の肯定し、その動きを大切なものとして、その動きに人間の社会も一体化しながら、協力していき、明日を担うべき我々の子孫のためにも、いまより暮らしやすい環境を作る。

 菅首相の延命工作のように、自分が首相であり続けることが絶対条件で、そのためには政府の責任者としての任務や責任などには頬かむりして、自分の無策には触れようとせずに原発廃棄を利用する。こんなものと混同しないでいただきたい。

和魂洋才はどこへ行った③

2011年06月28日 08時01分05秒 | 私の「時事評論」
日本の文明のすべては天皇の統べるものだが

我々の日々の生活は、必ずしも世界の人々の生活態度と大きく変わっているとは言えないのかもしれない。明日のため、愛すべき家族、隣人や知人、自分自身のために日々働き、余暇があればそれを楽しみながら暮らしている。

だが、そんな生活を意識の面で眺めると、かなり違っているのではないか。個人の生活より共同体や家族を重んじて生きる生き方は、一時はずいぶん批判されたが、それなりに日本的な暮らし方だ。おかげで日本は秩序正しい国としていまでも世界の賞賛の的だ。先の地震の外国報道などを見るがよい。また、日本人は日本独自の神々に囲まれて暮らしている。祖先たちも神と意識され、山川草木、様々な生き物や自然物、時や時間、めぐってくる縁や運、お天気などがみな、神さまと縁がある。様々なやおよろずの神々がいらっしゃり、我々は日常において、何かがあるとちょっと神様に「うまくいきますように」などとお願いし、神社や神棚を拝し、生活儀礼や年中行事などに加わったりの中で暮らしている。そんな我々はまた、神社のまつり、様々の年中行事、いろんなところで神さまを拝するが、あまりにそれが多いので、神々に接していること自体に気づいていない程だ。そしてそんな神々と接することの総元締めは、天皇さまにあるといわれているが、そんな日本人特有の精神的認識などに関しては、学校などで一度だって教えられたこともないが、みな体感している。
天皇はどんな機能をこの社会に持っているのか。外見は外国の王と似たところもあるように見えるが、国王と天皇とは同じものかといわれると、ちょっと違うように思われる。天皇には、必ずしも自ら領土を所有する支配者という、権力者の雰囲気がないように見える。だが、知識としては漠然としているが、大切な信頼し、尊敬すべきものだとの意識は、いつの間にか身についていて、ほとんどの国民にしみ込んでいる。
政治の実権を振り回す人ではないようだ

 歴史を見ても多くの時代、日本を政治的に支配をしていたのは天下を力で制した武家であった。天皇は直接権力を振り回さず、日本の万物に宿る神々へのまつりをする祭祀王として国を眺める色彩が強く、庶民のために、祈りをささげるまつり主であった。国民のために立派なまつりをなさる方だと意識されていた。御自分の利益さえお考えにならない無私の方である天皇は、時にはそんな天皇そのものも、神に近い現人神と意識される状態にあり、日本におけるたったお一人の特別な方と意識されてきた。

天皇は、日本に住む人々をまとめて、しろしめ(知るから生じた敬語で、お知りになる→まとめて統べられるの意味にも通ずる)され、人々が睦みあい、平和に豊かに暮らすことができるように、個人の本能や欲望までを捨て去って、国土を統べる任務を与えられ、天照大神をはじめ天神地祇の神々の命令を受けて地上に降りてこられたとされている。そして初代の神武天皇以来、日々の祭りを通して、高天原といわれる神さまの住まれる世界にいらっしゃる神々への報告や祈願の祭りを続けておられる。
 こんなところが一般国民の認識だろうか。


独特の日本に生きる古くからの感覚

考古学的に見て、これは現代の西欧文明を基礎に発達した人間を中心とする歴史研究や自然科学とはつながらないという説はもちろんある。何が古くて何が新しいのか知らないが、日本のように自然崇拝の他神教は古く、排他的な一神教が新しいなどと西欧の学者は言っているという。だが私はそこまで自分の心の中を唯物的に切り替え、西欧学問を追いかけようとは思わない。いいじゃないか、こんな思いで我々は祖先から、神さまに見守られていると信じて暮らしてきているのだから。

神の存在なんて証明できる方程式がないと、いろいろ批判する連中もいる。いわゆる神話の時代の記述は、いまの史実に裏付けられたもの以外は信じないという西欧的なものの考え方で単純に否定しようとする者もいる。だが、これは西欧の宗教も否定する無神論に通じていく。無神論だって神がいないということをことさら信ずる信仰かもしれない。神話の時代は歴史になかっただって?。合理的論理が発達していなかった時代には、人々が伝え残そうという考え方を歴史記述の方法に準拠して語る以外になかったので、こんな記述になったもので、いまの時代なら別の表現方法をとったかもしれない。古跡や古墳をひっくり返して、虫眼鏡で見る考古学だって、どこまで事実を正確に見ているのか、似たようなものだと私は思う。

 この日本古伝承や庶民の伝統的生活感の立場からすれば、いまでは政治の分野とされていることを含めて、日本中のすべてのことは、すべて天皇の統べられる大切な御任務の含まれるというのは当然のこととなる。今でも天皇は、高天原の天照皇大神からの命令に従ってこの日本に降臨されたとされる時そのままに、国民が穏やかに安心して暮らせるように、この世のすべてをつかさどる神々のお心に従って人々をまとめ、人々のために祭りをしておられる。もちろんこれは西欧的唯物的な考古学やそれに基づく歴史学的な物証があるものではない。日本の先祖たちが文字などの伝わる前からそう信じ、それに基づいて暮らすことがこの日本という国の人々の精神的な姿勢であるべきだと伝えてきた日本の精神的なコアである。実存である。

 しかし日本人の文化はその後複雑化し、仕事も全員が集団で農作業や共同作業に従事する形から、専門の仕事に打ち込む人を生み出し、いろいろの面に分化して広がっていき、それぞれそれを専門に担当する人々も出てくるようになってきた。農業漁業から様々な専門的職種が生まれ、その中から、特に武家階層の中から、何せ戦うという物理的力を持っている階層だけに、日本全国をまとめて、物理的に命令するようなものが源氏と平家の時代頃から鎌倉時代にあらわれてくるようになる。
 

 天皇の祭祀権に手を出さなかったのが日本の特徴

しかし力によって天下の権をわが手に実力で抑えた武士は、そのまま絶対的権力を行使する支配者にはならなかった。ここが諸外国の独裁者と違うところであるが、その心にある日本人としての共通の認識、我々は力を以てこの国をまとめそこに住む人々を物理的強制的に統御する権限を固めたが、もともと日本という国は神々から、そこをまとめることを命ぜられた天皇が命ぜられた国であるとの思いは武士も共通して持っていた。ここは本来、天神地祇から一系の天皇が民をまとめて統治して、まつりをせよと命ぜられた国だということを忘れていなかった。政治を神の分野にまで広げることをしなかったのだ。

そこで神々とつながる天皇に対し、代わりにこの国を政治的に支配したいとの許可を求めた。その結果、民の生活を維持し、通商を発展させ、外国の侵略からわが国の領土を守る政治的俗務の側面を、征夷代将軍(名称を見ればよくその任務がわかる)などの名前を付けて、天皇がお持ちになっている権限の一部を、行使することをお認めになった。それが征夷代将軍であり、時代が移っていまの総理大臣だ。

 これが西欧的用語を当てはめれば、日本的な「政教分離」といえる概念の本質だと私は解釈している。用語は同じ「政教分離」だが、いま使われている「政教分離」とは全く別のものだ。朝廷が皇室の伝統的信仰と国民の個人的信仰の違いを認めているのには、いくつもの例がある。

 天皇は依然として民をまとめて統治される信仰的権限をお持ちになっていらっしゃる。それは天皇が神から与えられ命ぜられたもので普遍のものと私は思っている。天皇は神々に対して、ひたすら「祭り」をされて奉告され、より豊かな国へと我が国を発展させることができるように日々祈り続けていらっしゃる。

 だがその権限の中の、民から税を集めてそれを以て国土を整備し、民の健全な生活が維持できるように対策をし、社会を乱すような治安や警備の混乱を招いたり、日本の国がほかの国から脅かされたりしないようにするいわゆる政治に関する機能は、御奉告(=神へ報告すること)の対象には含まれるが俗権を扱う征夷代将軍や、明治以降の制度では総理大臣に、代わっての権限行使を委ねお認めになっていらっしゃる。

神代の記述は歴史の方式をとり、神々はまるで昔存在されたように記述されているが、それは記述方法が発見されていなかったからにすぎない。神さまは普遍に存在し続けるし、いまだってこの概念方式は変わっていない。その証拠に歴史において、権限をゆだねられたものが、真に国民の信頼にこたえる政治を行わないために、数回天皇がこれを返上させ、自ら統治の実権を行使されたこともあったが(明治維新など)、そんなことがあっても、天皇国日本はいつも絶えることなく歴史をつないでいて断絶はない。

 日本の天皇がこのようなお立場を堅持され、政権を自ら奪ったり奪われたりする世俗の争いの犠牲になって皇統を断たれるような歴史をおつくりにならなかった。国民も、そんな日本の国柄を守り続けることの大切さを知っていた。

だから今でも、日本は昔のままの神国でいられるのだ。それが様々な論をたてるその基礎に私の持ち続けている信念である。


 国体という概念。

どんな時であっても、日本という国は天皇のご祖先である瓊瓊杵命(ににぎのみこと)が、高天原の主・天照皇大神(伊勢神宮の主祭神)から皇位の御印である三種の神器を授けられ、三つの神勅を受けてそこを統べるように命ぜられ、瓊瓊杵命の御子孫・神武天皇が国土をまとめて初代天皇に即位されて以降、万世一系の天皇が統べられる国なのだ。

 そう日本人は信ずる文化を続けてきた。それが唯物的に証明できるか否かという疑問が投げかけられるかもしれないが、少なくとも私は人間が類人猿から発展したと信ずること以上に、日本の文化に影響を与えた「信じてきた歴史」の果たしてきた重みは大きい。

世界史を見渡すと、歴史上はこんな日本とよく似た神話や民俗信仰をもち、それを基に国がまとまっていた例はかなり広範に見つけ出すことができる。それは古い時代において、人々が本能的に肌で感じた共通の意識なのだろう。だが、いま世界を見回して、日本以外にこんな神話が民族共通の信仰となり、それでいまもまとまっている国は見当たらない。すべての地域で、こんな独自の信仰で存続してきた国は断絶してしまった。断絶してしまった原因はいくつか考えられるが、私はそれが、まず日本という国が地理的な立地条件に恵まれていて、日本の国の侵略されないままに連続できたという地理的要件、さらに日本の国をまとめていた天皇が、断絶させ難い強固な結合力を持っていたという特殊な条件によると思っている。

それは今回、説明が煩雑になるので触れないが、こんな古代国家の典型と見られるような信仰によってまとまる国が延々と続き、歴史によって磨きあげられて、日本民族の、日本という国の基本理念になっている。

 このように国民が共通して意識して、それによりその国の文化が出来上がっている状態を指して「国体」という。国体とはどこの国にもある。それぞれの国が出来上がっている基礎にあるその国の「国柄」を指すことばだ。実はこれが人々の暮らしに大いに影響を及ぼす。


国体の果たす役割と重み

日本人には世界中どの国も国の気風は同じようなもので、ただ憲法や法律によって少しずつ国には個性があるだけと思う人も多いかもしれない。だがそうではない。どの国にも国が生まれて以来、あるいは国が独立するその前から、そこの人々が育み培ってきた歴史があり、それを基礎にした文明のその国共通の土壌がある。その国に共通するようなものの考えかた、価値観、社会意識、宗教観、生活の独特な方式、そんなものもここに含まれる。

それは大事なものだが、日本人からは欠落している認識だ。戦後の教育環境は世の中が、まるで六法全集で運営されているかのように教え、法の基礎にある日本の国体とはどんなものであるかは(戦後の教育が日本の伝統的なものを拒否しようとの目標を持っていたから当然なのかもしれないが)全く教えなかった。おかげで日本での教育だけを受けて外国に出て行って、諸外国民から「社会常識のない低級な人間だ」とみなされて、多くの摩擦を生んでいる例が極めて多い。

脱線をした。話をもどそう。戦後の教育により、国旗国歌さえも軽蔑し、親孝行や先輩後輩の序列、敬神の観念さえも否定するような教育に慣れ親しみ、そんな考え方しかできない我々日本人がいま、私が書いただけの短い文章を急に読まされると、かびが生えた窮屈な古典にのみ書いてあることのように思うかもしれない。
だが、それは我々の頭が、西欧文明とそれとは異質の日本文明がどんな意識により構成されているかを理解せず、そんなものからは切り離されてでも、まともに生きられるとの誤った思想に汚染されている結果にすぎない。

日本には前述したように、統べる任務はあくまで天皇が高天原から授けられてきたものだとの基本認識がずっと定着していて、それをもとに文化が営まれてきていた。政治だって本来はその中に入る。しかし天皇が権限の一部である政治の権限の行使を征夷代将軍にお任せになっている。政治だって、誰が俗権を行使しようと、本来は、彼ら政治実行者のものではないのだ。その証拠に、天皇はいつの時代も政治を含めて、あらゆる日本人の営みの責任は我にありとのお立場で、皇祖神霊はじめ八百万の神々に祭祀王としての祭りを続けておられる。政治の責任に帰すべきことであっても、天皇はそれをおのが罪として神々に御奉告になっておられる。

こんな国体概念は新憲法下であっても変わらない。政治家は、たとい占領軍の作った憲法だと批判を受けているいまの憲法下でも、首相や大臣になったものは、必ず陛下から代わって政治を行う者として認証を受ける。司法や行政など、主だった仕事の長は、直接天皇から認証をいただく。このことを、伝統を重んじ、神代からの歴史を重んずる我々神道人は、なにもおかしな所で無用な論争などする必要はないが、忘れてはならないと私は思っている。


 政治はあらゆる生活から見るとほんの一部なのだ

 整理してみようと思う。
 私は、まつりはすべて天皇のまつりに最終的にはつながると思っている。日本には政治のことを「まつりごと」という古語がある。解釈に関してはいろいろの説があるが、私は自分自身の認識においては「まつりごとというのは、天皇が天神地祇への「おまつりでのご報告に含まれるすべて」と解釈している。この世の中に起こるすべての事象が、天皇のまつりの対象になっているのだ。

 「それでは政教分離にはならないではないか」などという人もいるかもしれない。だがこれは論ずる場所を間違っている。天皇が政権の執行を任せたのは、あくまで委任者に、政治という分野での権限の執行であり、いまは政治というものが西欧型で行われているのなら、西欧的ものの見方は、その狭い限られた俗務である政治の中でのみ論ずるものであるべきなのだ。政治の代将軍や首相の免許は、天皇が執行権を授けられた権限なので、本来は天皇にあるものだという考え方なのだ。逆に権限を与えられた政治の執行者は天皇の他の権限、文化、信仰、祭儀、精神生活、学芸、芸術、道徳、武道、慈善などには及ばない、純粋な政治のみを行う制限を受けている。そしてその世界では、政教分離という日本においては未消化なものが、私から見ても消化不良の解釈がされているけれど主張されている。

 今の首相は昔の征夷代将軍と似たような権限を持っている。法律を作ってそれに基づき政治制度を作り、政治を執行する。しかし天皇に委ねられ代わって執行を認められているのは政治の俗権だけであり、それは憲法の枠内に規定された部分に限られ、その他はすべて天皇のもとにある。


 そう考えるとおかしな制度も存在するが

 今の憲法は帝国憲法という憲法が存在していたのに、敗戦という日本人の総意が発揮できないときに占領外国権力によって無理やり変更して押し付けられたものである。そのため天皇の条項や権利条項などに、日本の歴史的実情とは合わない規定も見られる。せめて日本人の伝統的相違を基に解釈していかなければならない。天皇がまるで政治を行う行政機関の内部に置かれ、しかも皇室が国の予算で縛られ宮内庁という一局がお世話をしている。政府は政教分離の原則によって縛られているので、結果的には天皇の祭りにまで制約が及んでいるということなどは、天皇と政府の立場が逆立ちした典型的な例だと思うが、いずれ私は制度を変更し、天皇の府は独立すべきだと考えるが、それがなるまでは、条文や制度は大きく変わらないでも、国民の伝統意識によって解釈していかなければならないと思っている。(つづく)


「和魂洋才」はどこへ行った ②

2011年06月25日 22時34分52秒 | 私の「時事評論」
私の歩んできた道

私は全国の神社をまとめる組織の広報部門で長く仕事をしてきた。日本独特の信仰である神道(西欧の宗教との概念がひどく違うので、あえて宗教とは言わない)には特徴があり教義や神学もある。だが私はそんな神道の深みを語る部門ではなく、対外的に現代の我が国が、天皇の存在を中心に、国民の繁栄や安定を祈り続ける文化(それこそ神道文化であるが)全体を、西欧文化に劣る時代遅れの遺物として、充分に検証もせずに捨て去ろうとする一般的風潮の中で、先祖たちの積み重ねてきた民族伝統のもつ大切さを主張し、それを否定せず、むしろもう少し冷静に考えて大事なところだけでも復活させよと主張するのが仕事の中心であった。そのため、神道そのものを論ずるのには、知識において、まったく不足する自分を痛感している。

だが、そんな私でも、心の中は燃える神道への情熱が満ちている。しかも、日本がこれから進む基礎となる精神姿勢は、従来の無思想・唯物的西欧的ばかりに偏ったものではなく、西欧の知識は十分活用しながらも、我々の先祖以来、育み伝えてきた神道の文明認識を基礎にして道を求めていく以外にはありえないと確信している。


行き詰まりを招いた乱開発の文明

世界全体の流れを大きな視野で眺めると、人類文明は各地で花開き、それぞれ独特の文化を開いてきたのだが、やがてそれらがお互いに接触し衝突し、強い力を手に入れた側が相手を征服して、だんだん支配する国、される民族が定まってくる。それが15世紀ごろの新大陸の発見や大航海の時代になると、一部の西欧諸国が大きな力を発揮、やがて西欧に起った産業革命で得た膨大な技術的成果や力を強めるや、独占的、支配的地位を固めることになった。それ以来、世界は西欧諸国がリードする形で進んできた。

 日本などはその中で、立地条件的に海に隔てられていてた民族や国家に侵略されにくい立地にあり、比較的に侵略の的にされずに独立を維持して穏やかな文明を続けてきたが、ついには西欧の圧力に抗しきれなくなり、19世紀の明治維新で、自らも文化と制度を西欧化して、対等に独立を維持することを目指して「和魂洋才」などと言いながらも、和魂を忘れてなりふり構わぬ欧化政策をとってきた。

しかし時代が21世紀の現代になると、文明そのものが資源の浪費で行き詰まりの傾向を見せ始め、またその支配下に搾取されていた途上国が、だんだん西欧を追いかけて力を蓄えてきて、西欧の常勝体制が危うくなってきた。

 そんな流れと見ることができよう。そしていま、世界は大きな曲がり角に来ている。日本も、本来ならば傷つかずに進む道もあったのかも知らぬが、なりふり構わず英米仏をドイツをと追いかけた結果、西欧文明と同じ悩みに見舞われることになった、と私は見ている。


人間と自然の位置づけの修正が人類生き残りのカギ

これからは、世界的な人口増大と中国やインドなどの途上国の躍進によって、自然環境のバランスは急速に崩れ、埋蔵資源は掘り尽くされ、空気は汚染する。人類発生以前からの自然環境が大きく変わるので、生活環境も変わり、いまのままでの人類文化発展の維持は不可能な状態になってくる。

これは自然とは未開拓のもの、神にその支配を許された人間はこれに挑み、征服することによって発展するのだという旧約聖書辺りのものの考え方を中心とする西欧型の思想に基づく乱開発の時代から、人間自体も世界の調和の中に、その構成員として生きている。他のものとのバランスを考え、地球を大切に扱って生きるべきだとの生きかたに方針を変えなければ、人類が、そろって自滅を招く時代へと足を踏み入れたことを意味している。

いやな前例を上げるが、恐竜が絶滅し、マンモスがいなくなった時のような地球の主役が代わりかねない現象が目の前に来ているのだ。我々人類の文明に、この危機を乗り越える知恵がなければ、人類は地球の主役を奪われかねない時代に来たというべきだろう。


我々の育んできた神道の思想

私はその難題解決のカギをもっているのは、自然とのサイクルを重んじてきた神道にあると思っている。それは地球上の万物は調和して共生していくべきだとの思想の上に立っているからだ。万物に霊性を認め、それを神として受け止め、自然に敬意を表して共生を目指してきた日本神話を基にする我々の思考法なら、人間の生きる環境も破壊してしまう現代人類の傍若無人の暴走を食い止めて、将来も人類が自然の循環の中で穏やかに発展していける道があるのではないかと思っているのだ。

そんな気もするので、一つの参考に、私の思う私の神道的ものの見方を、お示しすることにした。まわりくどいが、隠居すべき年齢に達している私が、急に政治や経済を論ずる西欧論理の主役を占める場所に、神さまを柱として生きてきた日本民族の伝統などを述べようとするのが、そう唐突で非常識だと思うべきではないとの理屈を並べた。私はここで、できるだけわかりやすい言葉で、これからの文化の継続のためにも、神道思想の回復が大事であると主張を少し続けたいと思う。


神道はカビの生えた古道具ではない

この文で私は神道をあえて宗教であるとは書かないと言った。それは私が神道には、宗教教義の枠を超えて、共通に取り入れてほしい内容があると思っているからだ。また帝国憲法時代の神道非宗教とみなした政策に、ずいぶん無理なところも中には感ぜられるが、説明の仕方では合理的な視点もあったと思う点があることも付け加えておこう。私のように神道の信者の立場から見ると、神道は、一般に宗教では最も大切な要素とされる個人の人生観などよりも、集団として生きる人々を集合的にとらえ、自然とのかかわり、人々同士のかかわり、家族のかかわりなどを個人とは少し異なった異質の面からみる視点を重点とする傾向がある。神道はその大部分が国民道徳のようなものだという人もあるそれもこの論に近い面がある。あるいは日本という国が、神道を民族の基本的な信仰として持つその特殊性のために、重層信仰ともいえる、子供が生まれたらお宮にお参りし、七五三でもお宮に行くが、仏教で葬儀や法事をし、キリスト教で結婚式もする。また、神社の氏子で祭りに加わると同時に他教の信者でもあり、他の信仰に対しても寛容であるのは、ここから来るという人もある。いま、憲法が神道を宗教の縛りの中に入れたものであるので、世間では、理屈は庶民の感情には合わないが、そう書かれているのなら、迷惑な法律だが我慢しようという気分になって、誰のためにもならない法律のために生活の方を歪めて不自由に甘んじているのもある意味で神道的といえるのだろう。

だが、だからといって、私のように神道を人生観の柱にして、ここに生きる人生の生きがいを求めようとしている者もいる。神道にも様々な広がりがあり、それがどんな範囲で括られるかには厄介な問題が山積している。今回は問題が違うのでそれらには触れないでいくが・・。


神道から見る日本の文化といまの政治との不連続

私の立場を少し交えて説明をした。私は神道(多くの神々が見守られる我国の文化)と、いま日本に広く普及している西欧を手本とする政治の概念との関係を、単純な思い込みと見過ごしを外して冷静に眺め、そこから眺めることが必要だと痛感している。

立派な建物を建てるのには、その基礎にしっかりした地盤が固まっていなければならない。「砂上の楼閣」という言葉は言い古されているように見過ごしがちだが、今回の地震を例に挙げるまでもなく、最も気をつけるべきことである。文化構造が液状化現象のような土台の上に、まともな建物など立つはずがない。


私は日本の社会構造を社会基盤の不安定な液状化と見ている。

 現代のものの認識は、西欧思想と日本伝統思想の対立の中にあって、明治維新で日本が西欧帝国主義文明にのみこまれないように急きょ対応せざるを得なかったために、存分にその両立の在り方を検討することなしに急いでしまった仮建築の歪みを、文明の基礎に残したまま、その上に物を積み重ねた構造になっていて、それが砂上にたっていることに気づかぬために、多くの珍妙な歴史解釈や文明論が人々の生活を混乱させていることを痛感するからだ。日本の社会は不安定な液状化しやすい土壌の上に立っている。


 舶来のものに憧れる日本人意識

私は日本という国が、交流する外来の文化を良いものだと思えば進んで取り入れ、それを迷わず導入してきた従来の姿勢を一定の評価をしている。日本の文化には数千年の昔から、「まろうど=客人信仰」というのだろうか、よそから来る人々を大切な客人として、家庭で、集落で、大切にもてなす風習があった。また海を渡って入ってくるものを「舶来品」といって、素晴らしいものだと扱う海の外の文化に対するあこがれの情も深い一面もあった。

無防備にも見える外に対する憧れ、これは日本が地形上大陸とは隔てられた島国で、船で運べる侵略軍の人数などに制約があり、大量に大陸から異民族が日本を占領するために攻めてくる大きな障害になっていたことから生じた国民性にも影響しよう。おかげで穏やかに、文化も断絶させられず、独立を維持して生きてくることが可能であった。しかしその海は、少人数のものならば、珍しいものや文化、技術などをもって、我が国と往復することができた。まことに恵まれた防波堤でもあり交通路でもあった。

そんな環境の中にあって、日本では新しい文化交流の窓口は常に皇室であった。様々な文化は、ここで日本文化に合うものに工夫され、日本仕様に調整されて一般に流布するという、特別のルートも出来上がっていた。皇室の果たした日本の新技術導入の役割は、想像以上に大きいものであった。

ただ、我々はそんな日本人の気質が、日本の文化の向上には貢献したが、反面、危ないものも含んでいたことにも気がつかなければならない。慎重な日本仕様への変更がなかったならば、外来文化には毒物だって混ざっているのだ。日本の育んできた先祖伝来の文化を尊重し継承していく気風を継承し、その後の文化、外来の西欧思想を基礎にした文化を築いていく前提で新しいものは取り入れるべきだと思うのだ。

 日本には日本の文化の基礎が必要だ。それを無視して日本土着の文化という木に、異質の竹を接ぐような、やがて枯死するずさんな方法でその場限りの移入策を近年積み重ねたから、日本人自身が変質し、日本の美点が抹消されて、二流三流の西欧のサルまねばかりが横行する国になってしまったのだと思っている。いまの政治構造などはそのよい例である。

新しい文化を取り入れる努力は素晴らしい。だがそれを日本に根付かすためには、接ぎ木をする基礎にある日本の土壌と、新しく接続しようとする文化の違いを十分に知り、慎重な「和魂洋才」を心がけなければいけないと思う。

その一例として政治を見よう
日本においては国民生活における政治(もちろんこれには経済政策や時事問題への対応なども含まれるが)の範囲は、文化全体から見るとその一部分にすぎない。

 政治はすべてをまとめる文化そのものの部分にすぎないという認識が日本には伝統的に存在する。これが諸外国と日本との大きく異なる側面だと私は認識している。それというのも、日本の政治は行政のその部分だけ、天皇から征夷代将軍が委任され、天皇に代わって実施しているという意識が文化にしみ込んでいる。詳しくは私の父・父葦津珍彦の遺作である「日本の君主制」http://ashizujimusyo.com/sub1.htmlなどを参考にされたい。

 日本では政治とは世俗の法律を定めて、我々の生活のごく限られた部分のみを拘束するものであり、それよりもむしろ、いまの一般の認識をひっくり返して、政治の概念を狭め、しっかりした枠の中でのみ見ることに力を注がねば全体が見えなくなると思っている。

次回はこのことを解説する。(つづく)


「和魂洋才」はどこへ行った ①

2011年06月25日 16時18分41秒 | 私の「時事評論」
はじめに
神道と地震のこと、神道と原子力発電のことなどについて、最近、神社の世界でも俄かに関心がもたれるようになり、若い神社関係の人々を中心に、様々と活発な論議がなされ、それはインターネットの上などにも散見されるようになってきた。

あれだけの大きな地震が東日本に発生したのに・・。被害のあまりの大きさに、そしてたまたま、我が国の安全な発展を管理する国家機能が年々低下して来ているので、この問題では、将来に向かっての、まともな震災からの復興方針さえも国は打ち出し得ず、原発などは事故の後始末一つまともに進まないで、ワアワアと、まとまりもないうろたえの中に、何カ月もがむなしく経過している。だが事態は、少しも回復の方向へと向かっていない。最近の政治や社会の混乱を見て、日本はそんな事態になってきたのではないかと、国民はうすうす国家の機能低下を恐れてはいたのだが、直接その欠陥を眼のあたりにさせられて、「これは酷い」と大きな衝撃を受けることになった。

さらにこの地震の津波によって、「安全である」と国が度々胸を張って、国家発展のエネルギー政策供給の基本に据えてきた原子力発電所の一つ、福島の原発が津波で破壊された。
 充分な万一の事態への対策は打たれているものと国民は考えていた。とくに国の政治にかかわる全責任をもつ政府は、北朝鮮のミサイル発射問題などで、天災以外での緊急事態があることも、想定して対応策を完了していなければ無責任といえる。

 ところが政府や関係機関からは「想定外の事態が起こった」などと、信じられない呆れた言葉ばかりが口に出て、事故が起こってしまったあとから大騒ぎを始める始末。「安全なはずだから」と不測の事態が起こることさえ考えず、予防対策ひとつ、まともに打っていなかったことが表に出てきた。
聞くと国や原発の関係者は、絶対に安全だとの想定がなされているのに、その前提が崩れる場合のことなど考えるのは、考えることそのものが原子力利用という国の方針に弓引くものだとして、こんな方針で進んできたらしい。

 これはまるであの大東亜戦争時の日本が、作戦が負けると云う場合の研究をすることは、「愛国心が欠如している」として内部で牽制し合い、「想定外」は考えないようになり、だんだん作戦がおかしくなって戦局自体がまともに見えなくなり、冷静さのない無謀な作戦ばかりを展開して滅びて敗戦に至った、あの愚かなときと同じではないか。

 国の国民に向けての情報宣伝は、かつての戦時中の大本営発表と全く同質のものだった。政府は愚かにも同じ過ちを繰り返している。そしてこれは蛇足にずれるかもしれないが、こんな政府の動きをチェックしながら伝え続ける任務を負ったマスコミも、何の疑問も感ぜずに、そんな愚かな情報のみを国民に流し、国民に真実を知らせないようにする政府のスピーカーか宣伝マンに甘んじていることが証明される結果となった。
だが、事実は宣伝にかかわらず厳然と存在する。こんなバカな連中の思惑にかかわって、それに合わせて事態は進展してくれないのだ。想定しなかったことが重要な責任であるのも忘れて、想定外の事態が起きたなどと口々に叫んでうろたえ、国は放射能漏れに対する制御対応さえもできずに右往左往するばかり。恐ろしい事態を前に、事故をただ、小さなものだと自分らが思い込みたいばかりに「大した事故ではない」などとと希望的観測に基づくおかしな発表ばかりに終始して、対応は次々に手遅れになる。全貌さえもつかめずにどの段階でも対応が後手後手に回り、被害の拡大防止のために動いているのか、被害を大きくしようとしているのかもわからぬ騒ぎに終始している。現状は明らかに天災が起爆剤にはなったが、そのあと、無定見な政治によって、人知をもって防止できるべき人災が拡大している結果であると言わざるを得ない。

地震とは何か、天災とは一体何なのか。天災といわれるもの、我々が自分らの力では、どう踏ん張っても対抗できない自然の威力は当然あるだろう。だが天災は制御できないものであっても、どう取り組んだら被害を食い止められるのか。あるいは起こった後にどう対応すれば二次被害を減らして行くことができるのか。この方法はあるものなのだ。愚かしく「想定外」などといって双手を上げて逃げようとするより、「想定外」を極力減らす努力もできる。これは国の運営をするものにとっては、特別な姿勢が必要な基本的任務だと思う。それができていないと今回のように、天災が人災を誘発させて、国民の被害を莫大なものに広げてしまう。

 そんなものに我々はどう対応したら良いのか。我々の祖先たちは天災をどう受け止めてきたのか。天災や万一の事態をどう考え、それに対応しようとしてきたのか。政治とはいったい何なのか。政府は我が国にとってどんな機能と責任を持っているのか。様々と起こる混乱の背景には、そんなところから我々が、既存のおかしげな概念にとらわれず、基礎からもう一度考え直さなくてはならないことを示していると言えるのだろう。


予想し指摘していた問題点ばかりだ

日本国自体の構造が、最近、国家や国民というものへの意識が弱まり、軽薄なものになるにつれて、国を背負っている関係者の間でも弱くなり、責任感など浮き上がってしまっているのではないか。そんな思いはいま、人々の中に、はっきりと、認識されるようになってきた。責任ある国家の理想と、軽薄ないまの日本の体制とはどこが違うのか、それは一般の人には簡単に指摘できないところはあっても、あきらかにある。それをこの辺で再び明確にしないと漠然とした不安ばかりが大きくなり、いつ国が滅ぶかもわからない。そんな意識も強くなってきている。

 日本の国が生まれて以来、いや国の生まれる混とんとした時代から、数千年にわたって日本人の心をまとめる核であった日本の独特の信仰施設である神社。私はそこにかかわる活動に従事してきた。そんな立場の私から見ると、いまの日本は精神的に根なし草に見える。国の文化には、その国に生活する人々が、長年にわたって実感し、それを感じながら積み重ねた気風なり実績が基礎になっているのが理想である。それが、従来はしっかり存在していたのだが、どこかに消えてしまったのが最近は希薄になってしまった。それがここまで日本が緩んでしまった原因にも見える。

日本には、二千年を越す切れ目のない歴史がある。その歴史の上に現代の我国の国家や社会がつながっていれば、もう少し国がはっきりと見える状態になっているのではないか。何億何十億の祖先たちが築いた文化の様々な試行錯誤の経験の上に、その後の発展や改良を加えながら我が国が続いていれば、こんな無責任に見える国にならなかったのではないかとの声がある。

 いまの日本は伝統的な日本の文化、我々が生きる土壌であり根である部分とその上の出来上がった国などの組織との間に血が通っていない。血がつながっていないから接ぎ木した輸入の文化が生き続けることができないとの指摘だ。私も、その日本文化の近代化への接ぎ木の部分に、文化を継承していくのには、あまりにも無理な接続不良が存在し、それが結果としてこんな日本を作ってしまっているのだと思っている。


外国文化や技術を進んで受け入れてきた日本だが

日本はいま、欧米型の政治・経済機構を取り入れている。日本の歴史には、諸外国のすぐれた制度を移入して、それを我が国にも定着させようとしたことが何度かあった。古くは飛鳥から奈良朝時代の中国・朝鮮から漢字や仏教をはじめ様々な制度やものなどをとりいれた時代から、律令制度の取り入れの時代、武家政治の時代、維新の時代、明治開国の時代、昭和の敗戦の時代など、私は歴史の専門家ではないが、数え上げれば外来文化の取り入れは枚挙のいとまのないほどに多い。

だがそんな改良策をとりいれるに際しても、過去には失わずに貫き通す基本の姿勢が存在していた。それは俗的には「和魂洋才」というような用語で説明されてきたが、日本文化の建国以前から保持してきた独特の日本の個性は大事に継承しながら、海の外から我々の持っていなかった技術や知識も取り入れていくという方針だった。漢字という文字をとりいれても日本の従来のことばを考慮して改良する。あるいはかな文字などを付け加える。仏教を入れても日本伝統の信仰・神道との調和ができるように改良する。孔孟の教えを入れても、その天の意を天皇と読み替えて日本に合わす、皆そうである。

 日本という国には日本文化の全体を流れる血液のようなものがある。精神風土といったもの、日本独自の独立の意識、国や国民を守るやり方、言葉、住む人たちのお互いの交わり、共同作業のやり方、いろいろのものがある。それらを決して損なわないように外国から導入する技術などには工夫が施され、日本になじむようにして取り入れられてきた。

それがだんだんそんな配慮がなされずに、安易に直輸入される時代になってきて、日本が日本である個性が無くなり、国家の基礎に栄養が補充されず、枯れ死ぬ危機をはらむようになってきた。私はそう思っている。
しかし日本が急速に欧米化の道を進み始めた明治以降、それらの輸入するものが急激に多くなってきたのにつれて、危ないものが多くなり始め、とくに現代は野放図になった。

日本の歴史とともに生き、その心の支えになってきた思想、すなわち日本文化の血液に携わる人は、それを正常化させて、木に竹をつなぐ外科手術で、日本文化を枯れ死にさせる危機を救う義務があると考える。私は、日本の伝統信仰である神道を尊重する立場に立って、一生を今の日本に伝統的な神道意識を復活させ、政治にもそれを反映させたいと広報活動などをやってきた神道の関係者だ。私の成果はなかなかあがらず、そのうち私の方がだんだん年齢を重ねて、後輩たちにその座をバトンタッチせざるを得ないことになってしまったのだが、こんな時代にもなっているので、ちょっと私が言い残していると思われるところを、私論としてでもお示ししておく義務があるのではないか。

(つづく)



選挙制度の見直しなくしては

2011年06月10日 14時28分42秒 | 私の「時事評論」




 政治のレベルを引き下げる小選挙区制度

 鳩山・菅と歴代首相が行き詰って、政界は大騒ぎになっている。

 震災対策ひとつまともに進まないので、国民のためにてきぱきと政治をする政治指導者を選びださなければいけないということには国民世論はほぼ一致をし、
一般の空気は党派の壁を外した連立内閣構想まで浮かんで注目されているのだが、その指導に当たる責任のある的確な人物が永田町に集う政治家たちの中に見
当たらないのだ。

 私はそんな日本にしてしまった元凶は目先のことのみ考えて、選挙制度をいじってしまった小選挙区制に問題があるとみている。そこを改良しなければ、い
つになっても政治のダッチロールは収まらないと観測しているのだが、みなさんの思いはどうだろうか。

 いまやっている小選挙区制度は「二大政党の安定的な政権維持」を目標にするとの宣伝のもとに、選挙区を細かく切り刻んで、中選挙区をとっていた日本の
状況を一人区を中心に細分化し、全国からその選挙区の過半の支持者を得たものだけで国会を作り出す制度に変更した。政治家たちがマスコミの応援を得て制
度を変更した結果である。
 ところがこれがその後の情勢をみる限り大間違いであった。小選挙区は定員一名の選出なので、どの地区からも、地区の既成の独占的利権を露骨に代表する
もの、あるいは浮動票の多い地域では、マスコミなどの宣伝に乗って、将来などは考えずにその時々の揺れ動く人気をつかんだものばかりが選出され、いまの
議員構造ができてしまった。



 目先の人気取りなどのみに流されず、国の在り方を考えてまじめに努力を積み重ねるようなタイプの実務経験者は、できないことなどを素人のように公約に
はしない。ヒステリックな手段を使って自分を訴える行動も取りにくいし選挙に弱い弱点もある。そんな候補者は締め出されてしまった。



 小選挙区制にはまだほかにも欠点はある。国政をどうするかを決める選挙なのに、選挙区はいよいよ小さな地域内の争いに絞られ、小さな地元のことのみに
絞った候補者しか勝てなくなったからだ。



 市会議員並みの議員ばかりが雁首並べ

 「選挙に金がかかりすぎる」のが、小選挙区にした一つの理由とされた。これだっておかしな話だ。確かに占拠に欠ける国費は若干増えるのかもしれないが、
選挙に金をかけるかかけないかは候補者の勝手だ。狭い地域のみで主張すれば、国会議員の資格があるというのなら、そんな議員は市会議員か村会議員となん
ら変わらない。隣の選挙区、遠い選挙区など関係ない争いで過ごした連中には、必然的に国よりも、自分の選挙区だけが大切になる。

扱う対象は国全体の政治なのだ。全国的な視野で、しかも目先だけではなく国の将来を考えて動くのが国会議員の任務である。小さな選挙区で選出されたのだ
から、国のことなど考えもしないし知識もないなどという者は、いくら金がかからなくとも、国会議員に選んでも、国を混乱させることはあっても、国のプラ
スなどにはなりえない。だが現実には、そんな連中ばかりしか当選しないのが小選挙区というものだ。



そんな面では私などは、国会議員選挙は全国区一本であっても、市会議員や区会議員のような議員のみ生み出すいまの小選挙区よりましだと思う。だいいち、
なぜ国会議員が生まれたのかを考えてみたらよい。直接投票で全国民の声をいちいち聞くことができないから、やむなく議員制度をとって議会を作り、それを
国民の声だとみとめることにしたのが始まりのはずだ。

国民の声を忠実に聞き政治をしたいのなら、なるべくそのようにするのが民主的だし、選挙で全国民の支持が高いものから順に議員を選ぶのが正しいと思う。
ただ、それでは票がある限られた個人に集まりすぎる。当選した議員が、どんなに得票しても、それぞれ一人一票しか行使できなくなると、国民の支持する声
が、国会の投票では結果的に小さくなり、逆に不平等も生じることになる。その難問をどう解決するか。得票数に応じて一人一人の議員の投票権を一人一票で
同じとはせず、得票数に応じて調整するか、いまのような政党を認める議会制度をとる状況の下なら、補助的に当選に必要だった以上の余剰投票を用いた比例
代表のダミー議員でも入れて投票すればよいだろう。国会に要する費用だってそのほうが安くなる。



それを選挙区をみじん切りの玉ねぎのように小さく切って、そこで国の議員を選ぼうとするから、チルドレンなどといわれる、誰も知らなく実績もない者が議
員の大半を占める。若いということは未熟さの証明なのに、それが何かの期待をされるような雰囲気で評価される空気が生まれる。

みんな、厳しく民意を中心に見ればおかしいのだ。こんな状況を放置していては、まともな政治などはできっこない。



  議員を作り出す畑は崩壊して

 いまのおかしな政治状況は、国民の真剣な政治意識などをなめ切って、低俗な宣伝ばかりを臆面なく展開したマスコミと、そんな空気を利用して人気投票のよ
うな空気に乗って政党政治を展開しようとする政治家が作り上げた民主主義とは関係ないものだ。

自民党の首相が一年交代で歳男のようにくるくる変わり、行き詰った挙句に政策さえも党内でまとまらず、何を主張しているのかわからないような鳩山内閣がで
き、それが最初はマスコミあげての礼賛の中に発足したのに、何をやるのか支離滅裂になって自爆して、今度は形容詞だけは連発するが、何もやらない、いや何
もやれない菅首相が出現した。

菅首相は総理の任務は、ただ自分が総理であり続けることが第一だとの信念を持ち、大地震や原発事故などという政治判断を必要とすることへの対応は、初めか
ら無理だったのだ。もういまや、首相が自分の意思で政治をするなどという、古い時代ではなくなっていた。

 小選挙区で政界は、昔の中選挙区時代、参議院の全国区の大選挙区時代とはすっかり変わって、国会議員はみな市会議員や町会議員のようなものばかりになって
いる。大連立をして国難を乗り切ろうとしても、いったい何ができるというのだろうか。



 いまの政情、菅首相に「やめろ」という声だけは一致していて強いが、ではだれを次に選ぶかに関しては切り札もない。国会議員を生み出す畑が荒れ放題で、人
物が生まれてくる土壌でなくなってしまっている。ないものねだりなどしてみたところで、そんなことのできる状況ではない。



 すごく遠いこと言っているように見えるかもしれないが、いま望まれるのは、日本の政治を破壊し尽くした小選挙区制を一日も早くやめることではないだろう
か。



 

お断り

 当面の政治環境だってうまくいっていないのに、それを根本から変えなければ意味無いなんて、また政治を遅滞させることになるのではないかとの反論は当然出て
くることだろう。

 それは私の意図するところではない。目先の政治の停滞は、全国民が政治家に対し、怒りの感情で尻をたたき、睨みつけてデモなんとか動かしていかなければなら
ない。

 ただ、いまの日本での政治はもう、一つ一つの政策を、すべて一億の国民が集まって協議するわけにはいかないだろう。民意をできるだけそのままに代表できる政
治家を選びだし、彼らが誠意と工夫と経験を重ね、まともな政治ができる環境を、一時も早く作り出さなければならない。

 そのことを主張しているのだと理解されたい。 (6月10日追記)


津波に子どもを失わないために

2011年06月05日 11時21分42秒 | 私の「時事評論」


 避難したのに流された

 たびたびニュースでも扱われて皆が知っている事件だと思うが、今回の地震が起こったときに、地震の想定マニュアルに従って、小学校の校庭に整列して待機させ、そこに大きな津波が襲って子供隊が一瞬のうちに浚われるという悲しい事故がいくつか見られた。ほとんどの流された子供たちが、未来ある貴重な命の芽を摘まれてしまった。
 津波に流された人たちは運よく浮かんでいたり、流木などにつかまっていた人は大半が救助できる。だが今回、救助の携わった人たちから聞く言葉だ。
 「津波に流された人はなぜか家具やごみの下、水中などにもぐってしまう。犬猫や家畜など、動物類は浮かぶのにね。たまたま浮いているこどもなども、頭だけが水中にもぐっていて溺死しているものが多かった」との話を聞いた。
 東北沿岸は日本有数の漁港の街、そこの救助活動に当たった人、被害者たちから何人もからこの話を聞いた。
 漁師は言った。
 「せめて俺たちが海に出る時みたいに、簡単なライフジャケットでも配ってあったら、何千人の人の命が助かったのではないか。こんな子供たちの姿を見ることが、何よりつらいことだった」と。
 ライフジャケットとは、船や飛行機に乗るときに乗客に配られる黄色いチョッキのようなもの。水に触れると自動的にガスが内部で気化して着ている人は流されても頭を水中に出して浮かんでいる。ジャケットの生地も強くて、船や飛行機に常備してあるそれは、衣服に位置を知らせる無線やライトが点滅して、何日間か飛行機や船から見つけやすい機器もつけられている。
 それが装置にもよるが、一着2000円台から数千円市販されているのだ。水産庁のデータを見ると、これを装着していれば70%の人は救助されるという。

 これを学校に配ろうではないか

 青森県の八戸などでは、事前に海に近い小学校にはライフジャケットを配り、地震に流されない対応をしていた。幸い津波で市街は被害を受けたが、学校や幼稚園ぐるみで全員が海に浚われたような事態はなかったが、万一襲われても、岩手や宮城、福島などのような惨状にはならなかったろう。
 所かわってわが住む鎌倉、孫が小学校の一年生であの時、やはり校庭に整列してしゃがんで地震の収まるのを待っていたという。聞いて私は驚いた。小学校の敷地は関東大震災の時の津波は何とか逃れたが、歴史を調べると過去の何度も津波に洗われている。地震がずれていてよかったが、直撃されれば、東北地震の小学校の二の舞を演じ、孫も戻ってこなかっただろう。このほかに、幼稚園や小学校など、付近の施設はみな同様の対応だった。

 「東北の津波に浚われた犠牲者はもう戻らない。だが彼らの悲しみを、いま生きている人の安全に生かし、同じような悲しみを減らすのが、彼らにとっての供養にもなるのではないか。彼らの死を無駄にしてはいけない」

鎌倉は東北地方に親近感が強い地域だ。源頼朝が、今回地震の起こった地域の武士たちに応援をされここ鎌倉に幕府をたてた。その後も親睦を続けてきたとの強いので、震災以降、なんとか応援に努力したいとの意識は強かった。鎌倉からは東北災害者支援のために、海岸でサーフボートなどで楽しむもの、街の活性化を語り合うものなどから声が起こり、相次いで支援の道具や物品を積んで親近感のある東北にグループを作り次々に応援に出かけていた。東北には以前から私と連絡し合っている人たちが、東北支援にために活動している。その両者が偶然現地で親しくなった。
鎌倉のグループは鎌倉市長の肝いりで、鎌倉の地震対策の研究も兼ねてきていた。また鎌倉には震災の復興を神々に祈り、鎌倉時代の神事流鏑馬を実施して頼朝も崇敬した八幡宮に祈念、東北に神の応援を祈るとともに支援金を集めて現地に送ろうという、私どもがやり、鎌倉市や多くの団体がやる行事なども大成功した後であり、雰囲気はだんだんと盛り上がってきていた。

 そんな活動に加わったものが声を掛け合い運動の切り口がまとまった。
「鎌倉で率先して小中学校や幼稚園養護施設などにライフジャケットを備える活動をしよう」

 こんな動きは急速に具体化した。市長も積極的に賛同し、応援の市議なども口を添え、それを湘南海岸の全市にも伝えて、来るべき東海地震などの大津波にも備えることにしようということになり、子供を守る防災対策が充実する見通しが立ってきた。

 我々は菅内閣ではないのだから

 みていると政府の震災対策はなかなか進まない。東北大地震が襲うその前に、政治の世界に東北並みの大地震が襲い、機能マヒしているのだとしか言いようがない。菅さんが続けるかやめるかしか注目されず、東北の復興などは二の次だ。しからば民の力で次々に復興をしていく以外にないだろう。
 日本人の生き方、武士道や天皇制度に関心を持つ国々は多い。そんな国々は日本がどう復興するかを注目している。そんな中、アラブの王国・オマーンの国がこの話を聞き、日本の震災よりの回復に大きな効果があると、鎌倉市長にライフジャケットを五百着、寄贈してくれることになった。オマーンはこのほかに、東北地方で作成する汚水から飲料水を作る装置を大量に発注し、東北の被災地で使用したのちに砂漠の時刻に送ればよいとの発注もしてくれたし、アラブの国々を集めて復興支援のバザーを開き、巨額の復興への寄付などもしてくれて、我々に温かい目を注ぎ続けている。

 世界の友情に支えられ、できるところから震災復興に力を入れ、また今まで以上に住みよい国に我が国をしていく。やりがいのあることである。

菅首相を見損なってはいけない

2011年06月03日 09時29分53秒 | 私の「時事評論」


 不信任を乗り越えて
 昨日は菅首相の不信任騒ぎで一日が過ぎた。
 私は、以前から言っている。
 「菅首相は自分自身が首相であり続けることが、何よりの首相としての務めであると固く信じている男なのだ」と。
 一昨日、彼に対して国会に不信任決議が提出されたときから、私は彼の各発言と表情をそんな思いでじっくり見ていた。不信任案は昨日、鳩山前首相が菅氏と会談、菅さんが早急に首相の座を明け渡すと言っていると約束しているからと民主党の議員総会で発言したのをきっかけとして、与党が分裂、与党内から野党の出した不信任案に同調して菅引き下ろしに出る予定の議員がここは菅を延命させてもよいのではないか、どうせ一、二カ月の間なのだからと態度を変更することによって否決された。
 私は一部始終を穴のあくほどテレビの画面で眺め、いままでの菅首相の表情と行動歴で得た彼に対しての私の人物観と比較して確信した。
 「これは菅の勝ちだ。この男はやめないよ」。

 踊らされた鳩山の詰めの甘さ
 狩りをするとき、あるいは命をかけて一騎打ちする時を思い出してみてほしい。こんな場合に最も気をつけなければならないのは、止めをさすまで油断をするなということである。命懸けで対決をするときなどで、勝負が確実になる前に、ある大きな山場を越した時、ホット一瞬「勝った」気を抜くことはよくあるものだ。そしてその時、油断をしてそれで逆転命を失うことも。死んだ振りをして相手を油断させるやり方だ。これは決定的に大勢を逆転する。これでやられたものは数知れない。熊狩りで猟師が鉄砲で仕留めたつもりで死んだ振りをしている熊に近づいて、命を落とすことが多いと聞いた。
 菅首相のいままでの行動を緻密に検証してみるがよい。応答でどんなことを発言したとしても、あとから追及されても決してそんなことを発言した覚えはないと逃げる道は必ず作って対応することを。鳩山は文章で合意させたと公表し、「嘘つきやろう」と騒いでいる。だがどこに六月いっぱいで辞任するとはっきり書いてあっただろうか。よしんば六月とはっきり書いてあったとしても、菅は「今年とはどこにも書いてないではないか」と一年間は逃げ通そうとする男である。彼がスピーチで形容詞ばかりを並べ、具体的にいつ何をやると言わないことをあれほど繰り返しているのに、そんな手ぬるいことで「恐れ入りやした」などと手を引く相手ではないのである。

 一段階を逃げ切った
 全野党から嫌われても、さらに与党の大半から嫌われても、首相であり続けることを最大の目標にしている菅首相は首相の地位にとどまり続けようとすることだろう。鳩山の首相時代に、自分は民主党のナンバー二の立場にいながら、鳩山首相のピエロのような振る舞いに巻き込まれないようにじっとしていて彼が政権をあきらめるとその座について、以来鳩山と彼と手を組む小沢に対し、党内主導権争いに明け暮れて、維持し抜いた首相の座は死守しようとの菅首相。
 彼のやり方がすごいのか、あるいは今の菅氏以外の政治家が、少しも戦い方を知らないのか、どうも私は後者のような気がするが、政治の迷走はこれからも続くだろうと予想する。
 国民はそんな菅さんの政治、国会議員の活動などに淡い期待を抱かぬことだ。政治家の機能が全く発揮されない世の中だとしても、どっこい日本は生きている。政治決断などを当てにせず、国民の総意で日本を良くすること、東北地方の復興を成し遂げること、それを主力にやる以外にない。
 日本はいまから六五年ほど前に戦争に負け、政治は米軍の独裁のもとにおかれた。いま菅さんの独裁のもとにおかれ、国会もあの時のように活動ができなくなっていると思えば、臥薪嘗胆、民間の力を発揮するよりないのだと思う。
 今後の新たな見通しのためには、その覚悟が必要だろう。
 

原発はすぐには無くならないが,ー神社本庁伝統文化セミナー

2011年06月02日 20時14分14秒 | 私の「時事評論」
  
 自然と原子力発電は本来なじまないが
 5月31日の火曜日、神社本庁の講堂で第17回、伝統文化セミナーが開かれた。
 「自然災害と復興――先人の叡智に学ぶ――というテーマに開かれたこのセミナー、いま国民の大きな関心事となっている東日本大震災とこれに伴う福島の原発事故という日本が経験した戦後最大級の事故に対して、国土の穏やかな安定を祈る全国神社はどのような姿勢で今後の復興に臨むのかという関心の中に開かれたものだった。全国の神社をまとめる神社本庁広報部が一般に公開して参加者を募ったもので、200名を上回る希望者が集まり、報道関係者が70名、神社関係者ばかりではなく、大学や民間団体関係者、官公庁・宗教界などからの参加者も多く、会場には女性や若い人たちも多く、外国人の姿も散見された。
 全員で震災の犠牲者に黙とうを捧げ、神社本庁の田中恒清総長、国学院大学教授で神社本庁の教学委員である岡田荘司氏が発題し、二人が神社本庁教学委員の国学院大学教授茂木貞純氏の司会で対談。次いで質疑応答という形で進められたが、発言した本庁関係者に信仰者らしい誠意が感じられ、短い時間ではあったが、参加していてかなり疲れた。私が久しぶりにこの種の会に出席した結果なのか。各各発言の骨子を紹介する。

田中総長 災害の報に私も見舞いに駆けつけた。震災のエネルギーは阪神淡路の際の360倍にも達するというし、被害は神社だけでも3000社を超えた。だが、被災地で活躍する宮司さん、被害を受けた農・漁業関係者の表情には復興への情熱を感じた。それが言霊として私には強く響いてきた。
 日本人は200年ほど前まで、自然というものが人間の外にあるという概念の用語を使わずに、人間を含むあらゆる事象を含む用語として自然(じねん)と表現し、すべてのものに神々が宿り、見守っていると感じて生きてきた。そして自然の減少を畏れかしこみ、暮らしてきた。天災が起こると、それを神々の怒りと受け取り、みかどが謹んで神々の前に奉幣され、みなが見習って祈りをささげ復興に努めた。私は石清水八幡宮に奉仕しているが、允恭(いんぎょう)天皇以来、そんな記録がたくさんある。
 復興の柱は祭祀祭礼の復活にあると信ずるので、神社本庁は総力を挙げていきたい。

岡田教学委員 古代において、自然災害は神の怒り・たたりと考えられた。神は地域を守護するとともに、時には祟る神としての両面を持っと信じられてきた。神と自然と人間とは、相互に結びついた関係を保ち、自然と神とは一体になり、人間はそれにつながると考えられてきた。自然災害に対しては、祭りと奉幣が大切とされ、特に天皇の祈りとお慎み、奉幣が重要な要素とされてきた。その例はここに紹介するように古典などに多く示されているが、今回のような災害を前にして、もう一度神への畏れ、慎みの大切さを思い起こしたい。我々は災害をも組み込んだ神道観をもう一度しっかり眺めてみる必要がある。
 
 両講師の話ののち、司会に茂木教学委員を交えての対談では、東北地方の神社の特性、地震に関する信仰、大地震のあるときとその時の国情の荒廃、荒みたまと和みたま、東北地震の跡を見ての印象、神社本庁の震災神社復興の重点はどこに置くかなどの話があり、質疑応答があって散会した。
 質疑では、神社界の原子力発電そのものに対する評価についての質問が注目された。大地震や津波などの天災が起こると、古くから日本では自然を統べる神々の気持ちに逆らうようなことがあったのではないかと朝廷では慎んで神々にお供え物をして怒りを鎮めようと努められた。そして国民に対して復興の努力を訴えられたという伝統が現在の天皇陛下にまで連綿と続いているという話を受けての質問への答え。震災によって生じた原発の事故だが、そうなると、この発電所が神々のお怒りにふれたひとつなのではないかとの発想は当然起こる。
 これに対して岡田講師からは、発電所で発生する使用済み核燃料や、中途で発生する放射能が、人の生命に多大な危害を及ぼす神でなく人為に発生させた新物質であり、いまだにその無害化の技術も開発されず、ただ人に悪い影響を生じないようしっかり封印して地中に蓄積放置される点に注目し、いまはそのような技術は使用しないほうがよい。しかしそれはすでに我が国でも開発されて、我が国も大きく原発に依存しているという現状を見て、そのような手段に依存しなくても、国の電力需給が補えるまで、中期的には致し方ない手段として存続は認めながら、長期的にはこれ以上、類似のものを増やさないようにしていくべきではないか。

 このような対応に中長期の二段階を示したのは、過去において、既存の原発に対して、神社界が明確にそれを否定する動きをしてこなかったことを考慮しての上だろう。そのため既存のものまで直ちに廃止すべきだとの見解を示せば、電力エネルギーの三分の一を原発に依存している現状が大きく混乱し、さらに特定の政治イデオロギーに基づく反核運動などの発想と混同される危険性もある点を配慮した、神道神学よりも、現状との接点を求める神社本庁の行政との妥協も盛り込んだものであるとみられるのではないだろうか。
 この問題に関しては、福島での事故が大きな影響を出し、今後は注意しなければならないという認識も出てきている現在、より明確な神道の理論づけが求められるだろうが、注目したい動きであった。