ネットによる政権奪取は新兵器か
いま中近東などを中心に、ネットの呼びかけによって政権が転覆したり混乱に陥る事例が相次いでいる。これはネットで政治が変わる新しい時代に世界が入った証拠だとして、マスコミなどが大騒ぎをする現象となっている。
デモによって意思表示をし、独裁政権を倒そうというのは、独裁暴力には暴力革命で対抗するのが闘争とする従来の闘争スタイルから見れば穏やかな方式。基本の方式は、圧倒的力を持つ英国の植民地支配から独立を勝ち取ったインドのガンジーにも通ずるものもあるようだが、非暴力抵抗は相手の非暴力を保証するものではない。時にはかなりの犠牲もまたやむを得ない。今回の中東の紛争でも、若干の犠牲は抗議活動参加者にでているが、それでも暴力同士の対立より犠牲は少ない。だが、ネットの呼びかけ人は自分の呼びかけで命を落とす者も出る重さを、どこまで分かっているのだろうか。ネットはいままで、冷酷無責任なメディアと言われてきただけに、私はちょっと気にしないでもないのだが。
チュニジアにおいてネットの呼びかけに応じたデモ騒ぎがついに独裁大統領を失脚させたのが励みとなって、それは1月末からエジプトに波及し、大規模なデモは30年以上も続いてきたムバラク独裁政権を倒す結果につながった。そしてこれが中近東諸国やアフリカ諸国に飛び火、いま、40年以上続いてきたリビアの独裁者カダフィー大佐に対する退任を求めるデモが盛り上がり、大統領は軍隊を出動させて火砲による鎮圧に出て、犠牲を出しながら戦われている。このほか同様なデモはバーレーンやイエメン、イランなどの諸国に燎原の火のごとく燃え広がっている。
ネットを通して呼びかけるデモは、もともとは我が隣国の中国で注目されていた手段であった。膨大な国民を擁する中国は、経済発展の裏側で、貧窮格差の急速な拡大、独裁政権による人権の抑圧や少数民族弾圧などでも有名な国。そのため国民の鬱積した不満は高く、不満の声はネットなどを媒体にして拡大される傾向が強く、中国政府はこれを諸外国との摩擦を重ねながらもネット管理、ネット検閲などにより懸命に抑えつける政策をとり続けてきていた。
だが今回の相次ぐ中東諸国での独裁政権への、ネットにより呼びかけられた抗議デモによる成功ニュースは、中東ばかりではなく、中国政府に大きな恐怖を与えたようである。中国の故錦涛国家主席は先日、共産党中央党学校でネット上の管理強化が国にとって重要であると演説、いま起こっているこの種ニュースを国民が見ることができないようにしたり、ネットを利用しての中国国内での反政府デモの呼びかけの書き込みを消したり、関係者を追及したり、厳しい規制をとり始めている。
ネットは新し時代の新兵器なのか
日本の新聞やテレビなどを見ると、ネットによる反政府行動の呼びかけを、現代生活の中から初めて新しく生まれた世直し道具であるとして、新しい手段が生まれてきたように高く評価する解説がほとんどである。NHKなどの報道がその典型である。
「いままで政治に対して関心の薄かった若者層が、新しい技術の産物であるインタネットやTwitter、FaceBook、YouTubeなどを使って抗議の行動参加を呼びかけ、見知らぬ人も仲間に入れる大きな政治成果を収め、自らの求める政権を作るようになった。若者の開発した新しい意思表示の発見だ」
などとベタほめのニュース解説などをして礼賛している。何だか極めて表面的で、私にはピッタリ来ないものの見方だが。
私はその見方は現代日本の堕落した状況という特殊な環境だけを見て、それが普遍的真理と勘違いした軽薄な解説にしか見えない。ニュースのプロとして冷静に眺めるようにすれば、決してそんな暴言は吐けるものではないと思っている。
だいいち、若者たちが政治に関して一般的に無関心であるなどという前提は、古今東西における若者の特徴を捉えた正当なものではない。世界の歴史を広く検証するまでもなく、我が国の歴史においても最近の数年間を除いては、国の政治が国民各層の生活や心を満たさないとの社会正義による怒りに燃え、改革をひたすら望んで活動したのは常に若者であった。日本の歴史上の政治的改革のほとんどは、若者たちの情熱があったから実現した。命をかけても社会の改革に打ち込もうとする情熱は若者の特権であった。これは世界に共通する若者の特徴だ。
ただ現代の飽食で全てに意欲もなくした現代日本の文明では、国や社会に夢が描けなくなり、理想を持たない若者ばかりの国になったかに見える。歴史の中でも、いまの日本は特別な退廃的な時期にある。そんな現代日本の風潮が無気力な若者を生みだしている状態を、これが普通であり、こんな特殊な若者気質が一般的な世界の若者像であると勘違いしての論は、まともな論と言えないものである。こんな若者がネットによって自覚して、急速に呼びかけるようになってきたというような論は、いやしくも常識あるマスコミの立てるべき論ではない。
若者とは本来、そんなものではない。日本だって20世紀までは、空想的ではあるが夢を持って国内で暴れまわっていたのは、全学連の学生や若者たちが中心だったのも忘れてはならない。若者を急に無気力にし、国民に生きがいをなくさせるようにしたのは、社会の柱を65年前に根本から捨ててしまった日本という国だけの特殊現象と思ったほうが、まだ時局認識の傷は浅いと考える。
ネットはあくまでネット、通信手段の一つにすぎない。しかもこのネットには手軽で誰もがどこででも簡単に使え、規制がしにくい特徴がある。人が連絡し合うには便利な道具だ。だがネットは道具にすぎないのだ。しかも自分は出かけて行って危険に加わらず、そのくせ相手の危険を無視してまでも人をあおるような面も持つ。私はどうも、古い人間だからかもしれないが、ネットで呼びかける声に対しては、今回は利用されたかもしれないが、自分は安全なところに隠れて人をそそのかす無責任の影を感ずる。
ネットは世論の爆薬ではなく点火機だ
もうひとつ考えてみたいことをあげておこう。集団を興奮させて大きな力に育て上げた事例は、過去にその例がなかったわけでは決してない。日本中に多発した過去の百姓一揆だって、もう生きていけないという追い詰められた意識が爆発寸前にまで高まった環境があり、些細な事件が発端となって大騒動に発展したものがほとんどだ。大衆心理とは、ときによって発火寸前にまでガスがたまり、ちょっとしたことで爆発するものなのだ。だが、なぜ爆発したのかを考えると、それはそんな状況ができていたからだと言うほうが正しい。マッチがあったから爆発したのではなく、やはり、危ないガスがたまっていたから爆発したと見るほうが正常だろう。
大衆心理を見る一例として、江戸時代の歴史を見ると、ある時突然、「ええじゃないか」という掛け声をみんなが掛け合い、歌い踊りながら、農作業中のものは鍬や鎌を放り出し、炊事や洗濯中の女はそれを放り出したまま「お伊勢参り」に出かけてしまい、村が空になるような事態が度々起こったと記録されている。何がその発火点になったのか。あるところには突然ビラが天から降ってきたという。またあるところでは一人の男が踊りながら伊勢参りに行きはじめ、それに付いていくものが道々どんどん増えていったという。いろいろの形のマッチはあった。だが、こんな現象が度々起こったのは、爆発せざるを得ないところにまで人々のストレスがたまっていたからだと見るべきではないか。
大衆心理が突然動く背後には、独特の要素がいくつかあり、それが重なると集団がどんどん膨れて想像もつかない大きなエネルギーの塊になる。私は現代のインターネットは、偶々百姓一揆寸前のようなたまった国民の不満の濃縮ガスに、火をつける着火剤の効果があったのだと思っている。火の付く環境までネットが作ったのではない。
ネットがなければこの大衆デモの流行がなかったとはいえないと思う。ネットがなくとも、いずれほかの要素で火は燃え広がる状態にあったのではないか。今回の相次ぐ騒動の背景として、挙げられるのは抗議行動が盛り上がるその背景の問題があると思う。
相次いで起こるデモ騒ぎを見て
多発するデモは、中東各国の政治体制が、もはや現代の国際化や各国内の知識や技術の発展に追いつけない古いままの体制であり、矛盾が崩壊を招きかねない状態にまで高まっていたこと、政治が賞味期限を越していたことがあげられるだろう。
それに加えて各国での騒動の大きな力になったのは宗教面からの不満であった。どこの国でも国民には、それぞれ培ってきた個性ある生活観念や行動方程式がある。それらを形作っている基本には住民の中に生きている宗教的な情操である。それをいくら時代が変わったからとて、全く無視し圧迫して無思想な合理主義ばかりを押し付けて強引な政治を続けると、国民の中にイライラが高まる。その力に火がついたとき、政治が制度疲労を起こしている体制のもとでは、結局崩壊せざるを得なくなる。私はそんな現象なのだといまの中東情勢を眺めている。
そんな視点から世界を見回すと、長年続いてきた精神風土を無理に変え、新しい制度として木に竹を接いだようなものを取り入れたり、広大な領土に全く共通性のない宗教的環境をもったいくつかの国民を抱え込んだ国などは、同じような不発弾の爆発待ちのような情勢にあるということなのではないか。単一民族が比較的狭い国土に寄り添って生きる日本。そんな面では安心できるが、長年なじんできた伝統型の精神気風や宗教姿勢を、封建的だと捨て去って無思想で進んできた国である。そんな面から眺めると、必ずしもいつまでも安全だとは言い難い。
デモは新しい体制を作るものではない
中東のデモ騒動による相次ぐ政権転覆劇を目の前にして、私は目先ではなく、その背後をもう少し深く眺めようとも考えている。各国それぞれ考えさせられるが、エジプトのムバラク政権を例にあげよう。
チュニジアでの独裁体制を、デモ騒動によって大統領の失脚に追い込んだのに力を得て、エジプトでも、同じような政権打倒のデモが起こり、それがどんどん大きくなっていった。中東諸国同士には言葉上の障害も少なく、情報は周りの国にもそれこそネットなどでどんどん伝わる。「エジプトでも政権転覆を」との呼びかけにこたえて参加した連中は、それまでムバラク大統領に全く虐げられていたかに見えて、政党結社さえも許可されなかった回教原理主義派の大衆が中心であった。
彼らはムバラク大統領の長期政権が、土着宗教に圧迫を重ね、自分らの宗教的領土的敵・イスラエルにこの地域で最も寛大で、親米政権でイギリスや欧州などのキリスト教諸国と回教国との橋渡し役をしていることにも反抗し、自らのエジプトでの基本的な回教的人権主張ばかりではなく、反米反イスラエルを旗印にして戦った。
だが、ムバラク大統領の権勢は日に日に弱まっていて意外に弱かった。強硬派であったムバラクが譲歩して、自分の代わりに腹心のスレイマンを副大統領にして九月には引退してほかの大統領に代わるからとの譲歩を出したのだが、デモは合意せず、最後は自分の最も信頼していた国軍に権力を譲って引退をした。
そこでデモに加わった国民たちは、自分らの40年間の願いが通り、ムバラク体制が崩壊したと喜んだ。だがこの軍事政権が、果してデモ隊の希望した通りの政権になるのだろうか。
新しい大統領はまだまだ先にならなければ出てこない。いまは軍事政権に守られて、スレイマン副大統領が表に立っているが、彼はムバラク時代の情報相、親イスラエルの男である。エジプト国軍ももとをただせばムバラクの弟子どもだ。ムバラクの独裁権力は40年間で賞味期限が切れた。しかしデモに加わった人々が口口に言っていた反米反イスラエルの大原則は守られるのか。
ムバラク大統領が引退したとき、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツなどはそろって新軍事政権歓迎の声明を発表し、イスラエルも新政権にあれだけ反イスラエルといっていたデモが勝ったと騒いでいるのに、反対はしなかった。
私はその間に何があったのかを私なりに予想している。
いずれはっきりすることだろうが、これははっきり言って、デモを起こしたイスラム原理主義者たちの望むものではなさそうである。
ネットとこれに答えた行動は、賞味期限の切れた政権を切ることはできた。だがこれは特別に思うものを作り出す力は持っていないようである。
写真はWEBより