日本の神社の神さま(私の私説)
さてこんな西欧科学の分野で論争している神さま論議から離れて、それでは日本の神さまはどんなものだと私が考えているのかに触れていきたい。
日本の神話をみると、神様が失敗をしたり、間違ったり騙し合ったり、いろんなシーンが出てくる。そこに出てくる神々はみな、我々と同じように、ひどく人間的な存在として描かれている。もっとも尊いとされる太陽神だとされる天照皇大神だって、弟素盞嗚の神に、騙されかかったり、疑ったり、物事を読み違えたりして親しみやすい。
日本の神々は自然崇拝や祖先崇拝から出てきたものと言われる。祖先たちがいろいろの時点で自然の威力に接し、とても自分ら人間だけの手には負えない大きな働きを持っているのを畏れかしこみ、それら偉大な働きを神の司られるものとしてまつりをした。そんな神々にかけてきた畏怖の思いの集積が、そのまま神話として伝えられて現代に来た。日本人のこんな完成には、人間だけがこの世の支配者だといった思い上がりやおごりはなく、自然や環境と調和していこうとする世界がこれから目指そうとする最も大切な基本姿勢が込められている。
日本人はこの日本列島という四海を海に遮られた島国で、独自の努力で知恵を育み、さらにそれらの知識を先祖から子孫へと積み重ねながら長い間生活をしてきた。縄文時代に何があったとか弥生時代はどうだったというような厄介な分類は引き出さない。狭い地域でたくさんの人々が暮らすのには、集約され、研ぎ澄まされた生きる知恵が大切である。農耕をするにせよ狩猟漁労をするにせよ、これからどんな時期が来るのか、その未来を精いっぱいに知り、襲ってくる大雨や旱魃、天災などにどう対応するかを懸命に知ろうとし、その対応の中で、自分らで改良できるものはないかを探ろうとしてきたのは当然のことだった。
先祖たちは自然の持つ習性をとことん調べ、それでも自分らの力ではどうにもならない大きな自然の力を知り、その働きを神の働きにたとえて、何とか穏やかにして貰おうと、自然を司る神々を招いて、皆で集まってまつりの儀式を行ってきた。さらに先祖たちは、単純に自然を畏れて逃げ惑うのではなく、そんな中でも、一緒にまつりをする仲間たちが力を合わせてその災害をまぬかれるために、まつりの場において神々の見ておられると信ずる前で誓いを固め、共同作業で治山治水に力を入れ、日常的に皆で協力して、よりよい生活を目指してきた。
そんな中の謙虚で勤勉な生き方の中に日本の神々が生まれ、神を中心に人々は生活する事になった。そんな皆で祭りを行った跡が、いまでも全国に残っている神社となっている。
日本の神話は、それがある特定の教義を広めた布教者がいて、その人間が作り出し布教したのではなく、日本という地で、その中の各地で自然に起こった自然や先祖たちを神として敬う共通に近い信仰が、だんだん纏められて、今の形にまとまったものだと私は思っている。そしてこの信仰は世界遺産の大半のように、過去における遺跡ではない。今も人々の心の中に生き続けて、我々の生きる指針になっている信仰なのだ。
神話の記述は時系列に従って記述されているが、それは昔の日本に、知識を伝える方法として、哲学や論理学などの概念が未整備だったので、以前から信じられてきたことの表示=「昔々あるところに」と語り伝えるような時系列による表現という方法以外がなかったこと、さらに歴史物語に近い表示形式をとることによって、一般の人にも、物語のように伝えやすいという事情があってこんな形にまとまったのではないだろうか。よく見ると、神話に書かれていることは単純に過去にあった既に終わったことではなく、今でも通ずるし、今でも大事な指針とされるべきことが、ただ、時系列方式を利用して記されていることにも気が付く。たとえば、神話に出てくる神さまは、古い過去のものではなく、今も立派に生きている。
古いとされたことが大過去なのではない
ちょっと話はずれるが、日本の神話をみると、はじめに何もない混とんとした空間が最初にあり、そこに結びの神が出現して世界ができる環境が整い、やがて国土の自然をつかさどる神々が生じ、稲作、植林その他の技術を教える神が生じ、人が生まれ、人が神々の指導のもとに、一体になっていまの社会が出来上がって行く様が描かれている。驚くべきことに、その日本の天地人創造の神話は、最も新しい近年の自然科学による地球誕生、そして人類発生の研究と軌道を一にするように酷似している。なんと素晴らしい世界観を日本人は描き、作り上げたのかと驚嘆させられる。一度ゆっくり、そんな観点から日本の神話を読み直していただきたい。日本の先祖たちがそのようにしてこの国が生まれたと、言い伝え、語り残すものが、体系的に示されている。
我々の先祖たちは、そのように経験を積み重ねて知り得たこと、人間の生活は、自然の大きな力に常に影響されることを知って、自然の威力にあいたいするまつりを通して、精いっぱいに穏やかな日々の来ることを自然をつかさどる神々に祈り、治山や治水、農耕作業など、自らが協力してなし得ることには共同してこれに当たる決意を神々に誓って実行してきた。
日本には古代から現代まで、こんな文化が断絶することなく続いてきた。古代が現代まで継続的につながっている。そしてこんな文化を精神的にまとめる権威として二千年以上前から天皇制度があり、それは祭祀社会と密接につながっている。
一つ一つの小さな共同社会では、その長が中心にまつりを行い、それを大きくまとめるのが、大まつり主としての天皇だったのだ。日本語では今でも政治のことをまつりごとという。そんなセンスは昔から変わらずに伝わっているのだ。
そんな神に祈り、また共同して作業に当たる誓いの場として神社があった。また日本は祖先崇拝が生活の大きな比重を占めているが、祖先はみなが一つにまとまる基本としての家族を作った人であり、自分らに積み重ねてきた知識や技術の集積を伝えてくれた大切な存在であった。
このような神を、日本人が意識してきた神を、簡単に現代の方程式などの論理で、「存在しない」と断定することができるだろうか。
日本の神は単なる布教者が概念上で生み出した、「あがらうことが許されない絶対的、宿命的な我々を統治し服従させる超能力者」と概念づけられない存在だと私は受け取っている。
人間はこの地上において日夜努力して多くのことを知ろうと努力を重ね、そんな知識を時代に時代にと積み重ねて、かなりの知識を得ることに成功した。だが、そんな現代においても、われわれにとっていまだに未知なるもの、あるいはわかっていてもそれを動かす力には程遠いものがいかに多いことか。そんな我々ではどうしても動かすことのできない働きに敬意を表し、それに従いながら、精いっぱいの努力でよい生活を求めようと誓い努力する。それが日本の神さまへの信仰の中心なのだと思うのだが。
さてこんな西欧科学の分野で論争している神さま論議から離れて、それでは日本の神さまはどんなものだと私が考えているのかに触れていきたい。
日本の神話をみると、神様が失敗をしたり、間違ったり騙し合ったり、いろんなシーンが出てくる。そこに出てくる神々はみな、我々と同じように、ひどく人間的な存在として描かれている。もっとも尊いとされる太陽神だとされる天照皇大神だって、弟素盞嗚の神に、騙されかかったり、疑ったり、物事を読み違えたりして親しみやすい。
日本の神々は自然崇拝や祖先崇拝から出てきたものと言われる。祖先たちがいろいろの時点で自然の威力に接し、とても自分ら人間だけの手には負えない大きな働きを持っているのを畏れかしこみ、それら偉大な働きを神の司られるものとしてまつりをした。そんな神々にかけてきた畏怖の思いの集積が、そのまま神話として伝えられて現代に来た。日本人のこんな完成には、人間だけがこの世の支配者だといった思い上がりやおごりはなく、自然や環境と調和していこうとする世界がこれから目指そうとする最も大切な基本姿勢が込められている。
日本人はこの日本列島という四海を海に遮られた島国で、独自の努力で知恵を育み、さらにそれらの知識を先祖から子孫へと積み重ねながら長い間生活をしてきた。縄文時代に何があったとか弥生時代はどうだったというような厄介な分類は引き出さない。狭い地域でたくさんの人々が暮らすのには、集約され、研ぎ澄まされた生きる知恵が大切である。農耕をするにせよ狩猟漁労をするにせよ、これからどんな時期が来るのか、その未来を精いっぱいに知り、襲ってくる大雨や旱魃、天災などにどう対応するかを懸命に知ろうとし、その対応の中で、自分らで改良できるものはないかを探ろうとしてきたのは当然のことだった。
先祖たちは自然の持つ習性をとことん調べ、それでも自分らの力ではどうにもならない大きな自然の力を知り、その働きを神の働きにたとえて、何とか穏やかにして貰おうと、自然を司る神々を招いて、皆で集まってまつりの儀式を行ってきた。さらに先祖たちは、単純に自然を畏れて逃げ惑うのではなく、そんな中でも、一緒にまつりをする仲間たちが力を合わせてその災害をまぬかれるために、まつりの場において神々の見ておられると信ずる前で誓いを固め、共同作業で治山治水に力を入れ、日常的に皆で協力して、よりよい生活を目指してきた。
そんな中の謙虚で勤勉な生き方の中に日本の神々が生まれ、神を中心に人々は生活する事になった。そんな皆で祭りを行った跡が、いまでも全国に残っている神社となっている。
日本の神話は、それがある特定の教義を広めた布教者がいて、その人間が作り出し布教したのではなく、日本という地で、その中の各地で自然に起こった自然や先祖たちを神として敬う共通に近い信仰が、だんだん纏められて、今の形にまとまったものだと私は思っている。そしてこの信仰は世界遺産の大半のように、過去における遺跡ではない。今も人々の心の中に生き続けて、我々の生きる指針になっている信仰なのだ。
神話の記述は時系列に従って記述されているが、それは昔の日本に、知識を伝える方法として、哲学や論理学などの概念が未整備だったので、以前から信じられてきたことの表示=「昔々あるところに」と語り伝えるような時系列による表現という方法以外がなかったこと、さらに歴史物語に近い表示形式をとることによって、一般の人にも、物語のように伝えやすいという事情があってこんな形にまとまったのではないだろうか。よく見ると、神話に書かれていることは単純に過去にあった既に終わったことではなく、今でも通ずるし、今でも大事な指針とされるべきことが、ただ、時系列方式を利用して記されていることにも気が付く。たとえば、神話に出てくる神さまは、古い過去のものではなく、今も立派に生きている。
古いとされたことが大過去なのではない
ちょっと話はずれるが、日本の神話をみると、はじめに何もない混とんとした空間が最初にあり、そこに結びの神が出現して世界ができる環境が整い、やがて国土の自然をつかさどる神々が生じ、稲作、植林その他の技術を教える神が生じ、人が生まれ、人が神々の指導のもとに、一体になっていまの社会が出来上がって行く様が描かれている。驚くべきことに、その日本の天地人創造の神話は、最も新しい近年の自然科学による地球誕生、そして人類発生の研究と軌道を一にするように酷似している。なんと素晴らしい世界観を日本人は描き、作り上げたのかと驚嘆させられる。一度ゆっくり、そんな観点から日本の神話を読み直していただきたい。日本の先祖たちがそのようにしてこの国が生まれたと、言い伝え、語り残すものが、体系的に示されている。
我々の先祖たちは、そのように経験を積み重ねて知り得たこと、人間の生活は、自然の大きな力に常に影響されることを知って、自然の威力にあいたいするまつりを通して、精いっぱいに穏やかな日々の来ることを自然をつかさどる神々に祈り、治山や治水、農耕作業など、自らが協力してなし得ることには共同してこれに当たる決意を神々に誓って実行してきた。
日本には古代から現代まで、こんな文化が断絶することなく続いてきた。古代が現代まで継続的につながっている。そしてこんな文化を精神的にまとめる権威として二千年以上前から天皇制度があり、それは祭祀社会と密接につながっている。
一つ一つの小さな共同社会では、その長が中心にまつりを行い、それを大きくまとめるのが、大まつり主としての天皇だったのだ。日本語では今でも政治のことをまつりごとという。そんなセンスは昔から変わらずに伝わっているのだ。
そんな神に祈り、また共同して作業に当たる誓いの場として神社があった。また日本は祖先崇拝が生活の大きな比重を占めているが、祖先はみなが一つにまとまる基本としての家族を作った人であり、自分らに積み重ねてきた知識や技術の集積を伝えてくれた大切な存在であった。
このような神を、日本人が意識してきた神を、簡単に現代の方程式などの論理で、「存在しない」と断定することができるだろうか。
日本の神は単なる布教者が概念上で生み出した、「あがらうことが許されない絶対的、宿命的な我々を統治し服従させる超能力者」と概念づけられない存在だと私は受け取っている。
人間はこの地上において日夜努力して多くのことを知ろうと努力を重ね、そんな知識を時代に時代にと積み重ねて、かなりの知識を得ることに成功した。だが、そんな現代においても、われわれにとっていまだに未知なるもの、あるいはわかっていてもそれを動かす力には程遠いものがいかに多いことか。そんな我々ではどうしても動かすことのできない働きに敬意を表し、それに従いながら、精いっぱいの努力でよい生活を求めようと誓い努力する。それが日本の神さまへの信仰の中心なのだと思うのだが。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます