葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

日本人は変わってしまった③

2010年06月26日 22時15分54秒 | 私の「時事評論」
日本人の変質(その三)
 大家族になってみて

 結婚十数年ぶりに息子一家が我が家に越してきて、老夫婦二人で暮らしていた家も急ににぎやかになった。
 息子は結婚以来、東京近郊のマンションに所帯を営んでいたが、長男坊の下に弟である男の子が生まれた。この子の世話が大変だし、子供二人が必ずしも健康に恵まれてはいないため、まだ子供たちの世話くらいはできる私どもと一緒に暮らそうと、長男が小学校に進学する機会を選んで鎌倉の我が家に越してきたのだ。いまどきは親と同居をするなんて「まっぴら御免」という世間の潮流の中にあって、一緒に暮らそうと言ってくれるなんて、それだけで素晴らしいことだという周辺の声が強い。こんな面では確かに恵まれていると思う。息子の一家、特に息子の嫁の勇気ある決断には感謝する。三カ月だが暮らしてみて、大家族はやはり好いものだとしみじみ思う。にぎやかで将来の夢が無限にあるような若い命に囲まれて、私どもの日々の生活はガラッと変わった。
 だが一緒に住むようになって、いまさらながらに驚くことも多かった。その一つは、核家族というものがどんなものなのか、理屈では知っていたつもりだが、実際に核家族生活を長く経験してきた子供や孫と一緒に暮らすことになって、初めて実感させられたことが多かったことだ。
 我が家はここに住むようになった当初から、息子や娘たち一家がいつでもそろって泊まりがけで遊びに来られるように準備をしていた。そのため孫息子や娘たちはほとんど毎月のように遊びに来て、私らと家族団欒の時を過ごしている。そんな環境にあるのだが、それでも新たな発見が多く、驚くことの連続である。

 核家族はもう家族と言えないのでは

 一番驚いたのは、核家族では一家の働き主としての夫の立場が確立されていないことだった。夫は毎朝、子供たちが起きだす前に会社に出かけて行く。近年は仕事が厳しくなっているので、帰宅するのは毎晩深夜に。しかも息子はサービス業に連なる仕事をしているので、毎週の休みが土曜日曜ではなく、平日になっている。加えて息子は中間管理職、仕事に役立つ特殊な国家資格を取ろうと、そのうち一日は受験のための学校に通い、もう一日の休日も関連の独習に追われている。毎晩、女房子供の寝静まった後に帰宅して、もくもくと食事をしてはまた早朝に出かけていく。子供らと顔を合わせる時間もほとんどない。
 一家の中心であり、軸であるべき夫がこのような形となると、家族をまとめる中心がなくなってしまう。我が家の未来を担うべく期待される長男は、家族生活における長が誰であるかの認識もなく、家庭における長幼の序列も意識せず、ただ生まれた本能のままに暮らす結果となってしまっている。
 家庭における食事、片付け、風呂、生活リズム、社会人としての礼儀、、人との付き合い方、人のため我慢することの重要さ、年長者への接し方、親子のけじめ、家族の一員としての責任感、これらかつて私らが家庭で学んだことを、みな教えられないままに育っている。教えを聞かずに反抗しているのではなく、知らないままに大きくなっている。
 我が家では、そんな状況をこれから少しずつでも時間をかけて教えることができるからそれでもよい。だが、核家族で、夫や妻の両親とも同居せず、ポツンと暮らす核家族はどうなるというのだろう。妻がよほどの社会の常識を持っていて、父親の代わりに懸命にしつけ、育てていかないかぎり、どんな子供たちが育っていくことだろうか。だが核家族の奥さん方を見れば、そんな期待は抱かないほうがましにも見える。
 巷には家庭教育の不徹底が遠因だと断定できるような人間社会の基礎知識を欠いた社会生活が満足に遅れない連中が激増しつつある。ニュースなどでも、そんな連中の引き起こす事件が連日報道されている。また、いまの子供たちの社会に対する積極的な精神姿勢や意欲の欠如が、大きな問題として提起されている。
 戦後60年を超した「戦後民主主義」と言われる社会制度が、いかに大きな被害を人類文化に生む元凶になっているかを、いまさらのように思い知らされる結果となっている。
 核家族は日本の社会に、何のメリットも生みださないことが証明された。
 統計的に眺めてみよう。核家族化の現象は、孤独な老人の一人暮らしと破壊された家族関係の結果、心の紐帯と社会性を失った膨大な人々を生みだし、日本社会の活性化を失わせただけではない。ゆったりした多くの家を細分化し、ウサギ小屋のような狭苦しい家ばかりを増大させた。皆が離れ離れになることにより、世帯数が増えて構成員が減った分だけ、日本全国の見回すと、家族の交流の場であった広い居間が減り、まともなくつろげる部屋が減り、普段はそこで生活しない便所と風呂場と台所の数が増えただけの効果しかなかった。

 こんなばかげた何の取り柄もなく有害な兆候、日本文化をむしばむがんは、早く一掃したいものである。(つづく)

 

 




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