葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

日韓関係と他の諸外国関係との異質性 第三篇

2013年06月23日 20時40分41秒 | 私の「時事評論」

 国際社会に最初に乗り出した日本

 

 寛容こそ大切。それが彼らより一早く近代化を成し遂げ、白人のみで世界を独占する状態だった世界に食い込もうとした先人たちの思いに通ずる対応なのだと思う。アジア・アフリカの国々もやがては大人となり、国際的にしてはならない非礼な行為は慎むようになるだろう。そうならなければいつまでたっても友好国同士にはなれない。日本は孤軍奮闘の結果、先の大戦により、自国の健全な独立さえも失って、苦しいその後の時代を送ってきた。だが前回の大戦は、白人の独占して支配する世界に対する有色人種国家日本の真正面からの挑戦であった。敗れはしたが、その後に多くの有色人の途上国が名乗りを上げる結果にもつながった。それは結果的には、明らかに西欧白人だけの時代が終わりを告げる時代の転換期になったと解釈できるのではないだろうか。

 

 日本の明治以来の世界舞台への進出が刺激剤になり、今回独立に成功した国々は多い。その中で最も日本と近接する数国が、少々我が国の誇りを傷つける暴挙に出たと言っても、彼らとてやがては国際社会の現実とルールを知り、やがて自ら何を守り何を慎まねばならないかの国際常識を身につけることになるだろう。その時までは、近隣に所在していて、少々目に余ることがあっても、目をつぶらなければならないのが先に世界に乗り出したアジアの先進国・日本の義務だろう。そんな見識ぐらいは私も持っているつもりである。

 だが限度はある。日本国民として、さすがに我慢ができない限度を越す状態になると、私にも日本人としての愛国心やプライドがある。誇りや尊厳をそこまで傷つけられては我慢が出来ぬとの思いにもなる。そんな品格の劣る国とは国交も切って、鎖国してしまえと顔ひきつらせて叫びたくもなる。

 

 靖国神社問題への中韓両国の「国の戦没者への慰霊顕彰への理解を失した内政干渉、どの国においても国のために自らの命を失った人々を検証するな」と言わんばかりの行動には許しがたい怒りを感ずる。国の戦いに従って殉じたという事実」は、どんな国でも最も尊いものと扱わなければならない。また歴史的根拠の薄い捏造に近い事件を取り上げ、ときには作り上げての執拗に繰り返す一方的な対日攻撃や中傷、わが日本文化の核心である皇室への皇室の何たるかも知らずに繰り返す批判などは、日本文化を大切にしてきた日本人の穏やかな生存を妨害するものに映る、祖先から積み重ねてきた文化に対する許しがたい侮辱だと腹が立つ。どの国でも、国内で外に害なく実施されているものは独立国の内政であり、外からの批判は非礼である。

 そんな事件ばかりが実に多い。そんな中で、去る五月に問題となった日本が「原爆を落とされたのは当然の報いだ」と言わんばかりの韓国を代表する有力紙の論調には、尖閣列島の非常識な侵略、韓国との竹島の所有問題などよりも、ただ侮辱を目的とした品格なき発言であったためにはるかに私の神経を逆なでした。発言の品格を疑わせる質の低さをみて、こんなレベルの低い連中が国の世論を代表するマスコミにいても、あの国は平然としていて良いのかという怒りを覚えた。「言論の自由」などという高いレベルで論争するより前に、書いた記者は筆をとる資格のある人間であるのかと品格を疑ったからである。

 

 やりたくない大戦であったが

 

 もう七十数年前にはなるが、日本は国際社会を支配する米国はじめ主要国の一端に食い込もうとしたのを締め出され、当時の国連までを脱退し、彼らを相手に戦争をせざるを得ない状況に追い込まれ戦争を始めた。

 国内には資源も燃料も殆どない小さな島国日本は、米国を中心とする諸国に締め付けられて、国家存亡の危機に直面した。活路を見出そうとする日本は、結果的には西欧のドイツとイタリアなどファッショ国家とまで連携して対応しようとしたのだが(イタリアは途中で寝返ってしまった)、その行為の合否について、(私は批判的だが)それを論ずる場所ではないと思う。こんな環境で世界の大半を相手に戦うのは、著しく日本に不利だということぐらいは当時の日本政府も知っていた。それも無視したのが日本の指導者だったというが、それは日本の置かれた状況をしっかり見て、米国などの狙いをまともに見た上で論ずべきものだと思う。当時の米国は既に日本をなきものにする方針を立てていた。それには日本側から攻撃したとの事実を作らせようとの外交を展開、日本を潰して、環太平洋経済の指導権を固める作戦に没頭していた。

 日本は妥協を求める交渉を懸命にしていたが、米国が聞くわけがない。追い詰められた結果として日本は米国の仕向けるままに戦争を選び、そして壊滅的に国土を破壊され、三百万人近い尊い国民の命を失った。

 

 繰り返すが、この戦争は日本が選択すべきものだったか、あるいはあらゆる屈辱に耐えても歯を食いしばって、一時的にせよ米国の言いなりになるべきであったかに関しては、様々な見方があるだろうが、私はここでそこまでは触れない。ただ、この日本が大きく躓いた事態の顛末、そしてその大戦への戦い方は、今後の日本が同様な立場に置かれたときの、また日本以外の新興国が、世界の中で孤立させられる事態になった時に、どんな方策をとるのが望ましいかの大きな検討材料となると思う。外交交渉は相手がおり、ときには国の存亡にまで及ぶ残酷な副作用も残しかねないものだ。華やかな舞踏会や洒落た形容詞を連発するのが外交などと思う人がいるかもしれぬが、それどころではない。言葉で言うほどにきれいなものではないのだ。

 

 戦いは米国の戦略に乗って進んだ。日本がはじめは奇襲作戦で有利な状態に立ったが、やがて事態は逆転して、日が経つにつれ日本の敗色は濃厚になっていった。ただその戦いを見ると、日本側は終戦ののち、再び日本の勝利か、少なくとも和戦に持ち込むことができれば、再び国際社会に復帰することも目的としていて、当時定められていた国際法の禁止原則などはどの国よりも順守して、戦後の摩擦は起こらないように行動した。だが反対に、相手の米国の姿勢はそうではなかった。

 戦いで、戦時国際法その他の定めや道義など全く無視した猛烈な攻撃は、日本にとって予想外に厳しさであった。法が特に厳しく戒めた敵方でも非戦闘員への犠牲を最低限度にする大原則は完全に無視され、老人や婦女子などの皆殺しを目的にしているとしか思えないような凄まじい攻撃に曝された。戦争中の軍事攻撃目標は、直接軍事行動をとっている正規軍など、戦争を遂行する能力を持った施設に限られる。だが爆撃は軍需生産施設もなく、戦闘を続ける上でも物理的にその援助になり得る所というよりも、木造の家が密集して大火災が起こるだろう住宅密集地、日本国内のあらゆる都市に向けられた。また、病院船、引揚者や避難する学童たちを運ぶ引き揚げ選、これらは旗や照明・標識で明らかに攻撃してはならない船であることを明示しているのだが、そんな船舶を狙っての潜水艦攻撃、空襲時の機銃掃射で逃げまどう婦女子を追いかけ、まるで残酷な人間狩りでも楽しむような行為、南方諸島における火炎放射機による人間役尽くし作戦などが公然と行われた。

 私もその時は既に小学生だったので、東京周辺での空襲などはこの目ではっきり目にしていて、熱でも出して寝込んだりすると、夢の中にいまでもそんな米国の攻撃が出てくるが、それは現代の人間社会では、あってはならない不法行為の連続であった。不法な攻撃をあえて採ったアメリカ兵は、日本人は我々白人ではない黄色人で、そのほとんどがキリスト教徒でもない。彼らの身につけている文明意識にとっては同じ人間とはみなさなかったのだろうと思っている。

 

 原子爆弾の投下

 

 加えて終戦直前の昭和二十年の夏、広島と長崎に原子爆弾が落とされて両市に住む殆どすべての人が焼き殺された。話はそれるがこの原爆投下を、米国の大統領以下は、戦争を早期に終結する正当な攻撃だと明言続けたし、現在の米国でも、日本への原爆投下は正当な行為だったと評価する世論が大半だという。人間たちの社会が文明化した、人権が尊敬される時代になったなどといわれるが、果たして人間は、そして文明意識はどこまで発展したのだろうか。

 

 ここで原爆に話を戻す。残酷な人道的に決して許されない「悪魔の兵器」の使用は、一瞬にして日本の浮上氏や老人など数十万人を焼き殺し、その放射能の害は、原爆投下以来六十年以上経過した現在までも被爆者たちの上にのしかかり、善良な日本人を原爆病で苦しめている。「悪魔の兵器}と言わずして、何と表現したら良いのだろうか。

 

 直ちに降伏してもこんな凶器の使用はさせるなとの陛下のお勅語。

 

 「神の罰」との発言への反論である。原爆投下を見られて昭和天皇は、それまではどんなに厳しい時でも、政府の政治決断には関与されず、立憲君主としての立場を守られ、憲法に従って国の姿勢をとられてきたのだが、内閣が決断力を失って混乱すると、初めて即時終戦を御決断、指示された。

 「原子爆弾などの使用を放置すれば、我が国民ばかりではなく、将来は人類そのものが    破滅する。これは誰が使っても、神々も先祖たちも決してお許しにはあらない」。

 陛下の御決断は詔書で国民に知らされ、我々にとって「耐えがたきを耐えねばならぬ」必謹すべき大原則となった。この天皇陛下の『終戦のご詔勅』は、人類最初の反核宣言として明記されるものだろう。

 これは未確認の事実であるが、この戦時下に、日本の軍部にも「原子爆弾」製造への動きはあったという。だが実験と中の大爆発によって、そのことが天皇陛下のお耳にも達した。陛下は「どんな条件下であってもそれはならぬ」と厳しく戒めのご命令を出され、日本は製造を中止したのだと私は先輩から教えられている。

 

 その人間が人間としてのあるべき限度を超えた残虐な原爆投下の行為、これを昭和天皇は厳しく受け止められ、日本国の運命そのものの重さをゆがめても、使ってはならぬと仰せ出された。私はこの決断を神道=まつり主の日本国民に示された大原則だと受け取っている。今次の日本の戦争は我が国だけの利益のための戦いではない、一億玉砕してでも、日本国の意思表示はやむを得ぬ、それを貫かねばならないと御決断された陛下が、原爆の使用は神々のお認めにならない行為だとされてその使用禁止を世界に訴えになられた。そんな重々しい凶器が原爆であることを我々は忘れない。

 

 日本に原爆が落とされたのは「神罰だ」といった韓国通信社

 

 そんな原爆に関して韓国の代表的な「中央日報」が、どこにそんな愚かな神がおられるのか知らないが、日本に落とされたのは「神罰」として当然だと肯定するような論を書き、それでも足りないと思ったのか、あれだけでは日本には落とし足りないというような表現までを書き加えた。おそらく彼は、そんな深刻な日本人の受け取り方は知るまい。

 常識のない一人の人間が巷間で無責任に喚いたというのならともかく、国民の声を代表する立場である有力言論機関が、こんな品格も情もない発言をして許されるのだろうか。私はこれに激怒した。腹を立てついでにあえて言わせてもらう。「韓国ジャーナリストはついに悪魔に心を売ったのか」、「それも言論の自由と履き違えるジャーナリズムの尊大さと質の低さは、うっかりすると自国の品格を貶めるものではないか」。「あの原爆では、当時日本人として戦っていた多くの韓国人までも犠牲になった。それも一緒に神罰などというのだろうか」。

「韓国も世界諸国と連携して核兵器廃絶の呼びかけを行っている。その主張とこの発言とはどんな関係にあるのだろうか」。

 

 

 韓国は国や通信社の公式見解でないと説明したが

 

 外国とお互いに信頼し合う関係を続けていくためには、このような日本人を怒らせて、ただじこくの品格のなさを表に出すような非常識な発言をしない相手を知る国にならなければならない。韓国と日本の間には韓国がまだ米国の占領地から一つの国として活動を開始し、南北朝鮮の激しい戦闘を経験している時代に、米国から指導者として認められた李承晩大統領が勝手に日本との間に李承晩ラインという国境線を引き、島根県の竹島を腕力で領土化しようとした。この竹島紛争などが解決のめどが立たずに両国間の領土問題として続いている。

 日本と韓国は別に戦争をしたのではない。それどころか先の大戦では韓国は日本領。多くの韓国人は日本人として米国など国連に対してたたかった。日本が戦争に敗れ、朝鮮半島が国連の支配する占領地になってから、三年ほどして現在の韓国の国土は米国から独立国として活動する許可を得て李承晩(大統領と称していた)の専制の下に置かれ、彼のあまりの横暴ぶりに、国を挙げての批判が起こり、対外的にも独立国としての体が保てるようになったのは1963年の朴正煕が軍を率いてクーデターを起こし、第三共和政を宣言した1963年ころからのことである。日本はこの朴正煕の韓国と日韓基本条約を締結、以来韓国とはこの条約を基本に国交を行っている。

 

 生かされていない両国の締結した条約の精神

 

 李承晩の時代に日本と韓国とは、米国の支配が三年間続いたのちに、米国の抜擢した李承、多くの親日派や良識派が李承晩の狂気の反共・半日独裁政治で粛清された韓国である。それでも韓国は米国の占領地から三年後に米国から独立を与えられ、朝鮮動乱などの厳しい時代を経て、二十年近い混乱の末に一応国際的にも発言できる国に成長した。そんな国に韓国を持っていったのは朴正煕だった。彼は日本との間に日韓基本条約をまとめ、これにより、日本の持っていた同半島の全財産を譲りうけ、①日本との先の大戦終了までの問題は、韓国政府がすべて引き受けて解決する、②日本は韓国経済発展のために多くの資金を提供し、また復興のための借款も行うなどの条件を締結し、お互いに協力し合う国と国との国交を開始した。

 この、当時の韓国にとっては、数年分の全予算上回るような日本の資金で韓国はそれ以来、急速に経済を発展させ、現在の地位の足場ができた。

 条約は日本にとって簡単には受け入れがたい厳しい負担を伴うものであったが、これを基本にして韓国が、一躍世界の市場にまで進出し、部門によっては日本を追い越す力を発揮できるようになったのだから、日本としては喜ぶべき事態だったともいえると思う。

 だが、基本条約の柱であった「昭和20年までの問題の解決」に関しての韓国政府の義務事項がなかなか守られず、もう決着がすんでいる問題が繰り返し蒸し返され、それが両国の国民の友好に大きなマイナスになっているのは残念至極な問題である。基本条約を結んだ両国の代表が存命していたら、何と言って現状を見ることだろうか。

 先にあげたように、政権を安定させる力を持たない政権は、えてして不満の矛先を外国に振り向けようとして、ときには政権自身がそんな国民を煽り、自らに課せられた義務までを逃れようとする。

 日本と韓国の問題で話題になるのは、ほとんどが韓国政府が責任をもって行動し、韓国の国民が理性を持った紳士として行動すれば、それで片のつく問題ばかりである。その他の竹島の問題も、外交的に誠意を持って譲り合えば、李承晩の国際法無視の狂気の行動を死守しなくとも、円満に解決しうる問題だと思う。問題は、両国間の真の友好関係を深くしていこうとする決意の不足である。

 それが韓国側に国民を指導しうる立派な政治家がいない、日本側にもしっかりした指導力のある政治家がいなくて、おかしな場当たりの発言をしては両国関係がいよいよおかしくなる事態ばかりが目に付いている。

 だがここにきて、日本側にもはっきりしたことを発言できる安倍首相が出現した。韓国側も、はじめてまともな国であるとの地位を固めた朴正煕の娘である朴槿恵が大統領に就任した。これを機会に少しは新しい友好の風が吹くことを望んでやまない。

 

(了)


日韓関係と他の諸外国関係との異質性 第二編  

2013年06月22日 10時54分10秒 | 私の「時事評論」

  

 これに加わる厄介な条件=中華思想 

 

 日本と韓国の両国が仲が悪いのは、多くの夫婦や兄弟がいつの間にか反目しあうように、ある程度は俗に言う歴史的「近親憎悪」の一時的結果でやむをえぬと思って半ば諦めた境地で眺めることもある。韓国は日本の明治時代末期に日本に併合されるまで、中国とは朝貢貿易関係をとり続けた国で、陸続きである強大国中国に、従わねばいつ潰されるかわからない主従関係の歴史を歩んできた。中国文明を支えてきた思想は中国を最新文明を誇る宗主国とする「中華思想」。簡単にいえば中国がすべてにおいて朝鮮に対して指導的立場に立つ。だがそんな朝鮮には、その宗主国には従わねばならない関係だが、中国からより遠い辺境の地にある日本には、中華文明の恩恵を教えてやったくにだという序列意識が強い。

 文明の最も遅れている辺境の野蛮国・日本は、朝鮮が中国に接するように、恭しくひれ伏すのが当然だと思ってきた。それなのに日本は、明治維新を勝手に実施して西欧技術でにわかに力をつけ、格下の国である礼儀を無視して、まるで対等かそれ以上の国であるような尊大な姿勢で接してくる。しかも日本は中国や朝鮮の文明も分からず許可も得ず、勝手に自らの抱く君主に「天皇」などという朝鮮が称すれば中国に厳しく戒められる敬称を作り上げ、その名において要求をしてくる無礼な国だ。こんな停滞的な序列意識は明治時代までの韓国・李王朝や、その宗主国である中国などに強く、自国が中国やロシアに頼り、日本の申し入れた要求を聞かずに動くと、常に結果は裏目に出て、世界の国々に反対されて、ついには国際交渉の能力がないと認知され、日本領に組み入れられて、国そのものが消滅させられた。

 いまの韓国はもう、李王朝の君主国ではないが、こんな屈辱の思いは韓国に強い。韓国ばかりではなく、かつてはその宗主国である中国にも、この種の反発心がたまっていて、自らの歴史を別の視点から検証するよりも日本に反感を持つ情況にある。

 

 政権に欠ける統治能力

 

 加えて、韓国や中国が、国際常識や歴史を無視して日本に、竹島や尖閣列島の領土権を主張し、あるいは我々にはねつ造としか受け取れない日本による残虐な行為などをを持ち出し、また平然と内政干渉をする背景には、国民の中に育っている自国への不満の爆発を抑えるために、自国の政権へ向くべき国民の不満を、日本への憎悪にすり替えようとする意図が濃厚だと推測される。不満が自分に向けられれば、政権自体が不安定で、明日への権力の維持ができない脆さを両国とも孕んでいる。そこで事実でないこと、主張に無理があることまでを持ち出して反日の意識をあおるという要素がある。私ら日本人からみると、韓国政府や共産中国政府は伝統的に、国民に正しく歴史や日本との拘わりを教えるよりも、国民に日本への敵意で団結させようとする非友好的姿勢があると思えてならない。

 

 こんな両国政権に踊らされ犬のように尻尾を振って、すすんで自国の悪口をねつ造し、隣国への接近を図る非常識で反日的なグループが日本にもいる。反国家的言論機関や国民は、世界のどこにでも必ず出てくるグループだが、歴史を検証すると、どこの国の歴史においても、最終的には怒った自国民につるしあげられ、悲惨な結果に陥ることは必然である。第二次大戦の際のナチスドイツに協力した連中とフランスはじめ西欧諸国の自国の独立回復のために働いたレジスタンスとの騒動の顛末、いまも多発している世界中の激しい闘争の裏面史などには、そんな悲劇的な結末を迎えた例は枚挙にいとまがないのに。

 

 もちろん中国にも韓国にも、懸命に生きてきた歴史は豊富だろう。だがその歴史の読みかたは、我々の持つ歴史観とは決定的に違っている例も多い。これは両国の身を責めるわけにはいくまい。日本にだっておかしな歴史教科書が敗戦以来作られてきたし、国自身が占領軍の命令を基に国民をおかしな方向に走らせる教育に力を果たしてきた歴史がある。こんな日本の教育がゆがめられ、国がおかしな方向に引きずられていく傾向は、最近ようやく国を文化を伝統を大切にしようと活動する日本国民の熱意によって徐々に正されていく傾向が見られ始めたが。そうして前記したような我が国に巣くったグループが、自国文化を蔑み、日本国を周辺国に売り渡そうとするようなグループが国民の反感を買い、「教育の正常化」を求める声が徐々に高まってきたのだが。

 

 中国や韓国、歴史はそれぞれに、立派な文化も持っていて、日本文化の発展にも彼らの知恵が大いに力となったことは否定しない。おかげで日本人は文字を使用することを知ったし、古い時代には制度や文明そのものや技術が、日本文化の発展に役立った。そんな面では我々は両国に、国民として敬意を示さねばなるまい。だが、両国と日本の文化には決定的な違いがあり、日本人はそれを中・韓流に変えようとはしなかった。日本の国民のことをひたすら神々に祈る天皇の下に独自の文化を発展させるという特質を変更させず、輸入した外国技術も、その原則によって変質させることにして受け入れてきたのだ。

 すなわち「敬神崇祖」の文化の本質はどんな場合も変更しなかった。これに比べて中国も韓国も貴重なものを生み出した文化ではあったが、いずれも文化の継続性を欠いていた。次の政権を狙うものは、いずれも前の政権担当者を根絶やしに打ち滅ぼし駆逐して、そのあとに新しい自らの歴史を一から築くという連続性のない文明の積み重ねであった。そんな結果、韓国や中国から日本に逃れ、立派な技術を日本に伝えた両国の政治家や僧侶、学者や各種技術者などはきわめて多い。日本の文化はこんな優秀な外来人の援助の下にいよいよ発展してきた。

 日本では何千年の間、己を捨てて国民の安定と繁栄のために祈るお役目の天皇が一貫してまつり主であり続け、国内に政変があったとしても、次に行政の権に立つ者は、祭祀王の天皇より俗務である行政執行権を認められ、はじめて国を指揮するという連続性の理論が一環として続いた。この点で日本と両国とは決定的に違っていた。両国には文明が永続してきた連続性がないのだ。それは日本が外国と陸続きではなく、異民族から侵略されずに「浦安の国」を保ってこられた立地条件に恵まれたからだろう。これが日本文明が、韓国や中国と違っていた最も大きな条件だったと思う。

 

 こんな数千年の文化継続を保ってきた日本人として、現代の韓国にも中国にも望みたいことは、両国が国内に乱のない平和な国になってくれることである。我々はどんな政権が望ましいなどと内政干渉をすることはしないが良いと思っている。それは両国の政権が独自に決めることである。韓国も共産中国も、新政権で国を立ててから両国はまだ歴史が浅い。両国が日本を敵視しないでも長期ビジョンが描けるような新しい環境の安定した国になり、「過去の歴史を公的に清算したら、もう際限もなく繰り返さない」という世界共通のセンスで生きる国に成長する時が来るまでは、これらの国々に囲まれてしまっている日本は、地理的環境にある不運だと半ば諦めなくてはなるまいのかも知れない。

 

 西欧に対して同じ対応をしたらどうなるか

 

 だがつぶさに見ると、進んでそうしているのか、そうしなければ生きて行けないことを悟ったのか、それは不明というほかにないが、韓国や中国など日本の周辺の国々でも、文明そのものが異質だと彼らが認める西欧諸国が相手にする時は、「一時不再理」の意識や「契約は守らなければならない」との原則などがどこかに育ってきているようにもみえる。それがなければ現在の世界の環境が、基本的には急速に世界に躍進し、その収奪のとからにより世界の大半を支配した西欧諸国の中心である現状には食い込めない。日本に対するようなことを繰り返していたら、途上国は、帝国主義や植民地政策で現在の大国に育った西欧諸国に対してなどは、永久に友好関係には入れないことになる。

 いま日本に向かって行っているような結局は、解決するには威嚇か軍事衝突以外にはないということになってしまう。私は冷静な日本人のつもりだし、現代の我が国の一般人の世論のように「このままでは相手を武力で屈伏させる時代になるだろう」などと軽々しく言うつもりはない。これは難しいことだが、日本は、万一の場合を想定して軍備を固めるのは良いが、最後の最後までこの地域で韓国日本中国が仲良く共存することを理想に粘り強く接しなければならないと思っている。

 現代の世界知識の認識は、この両国にも育ちつつある。いったん定めた条約などは、両国ともに、西欧に対しては少しずつではあっても守るようにもなってきた。これを守らずに日本を相手にするように、際限もなく過去の収奪や不法を追求続けたら、その解決は全面戦争でも起こしてどちらかが滅びて消滅するまで戦う以外に方法はない。その前に、両国がその無理に気付いてくれればよいと思っている。現在の日本に対する執拗な感情的な攻撃は、彼らにとって、同じ東洋の精神文化があるから例外だとどこかで思ってきている節があるが、限度があることを知ってもらいたいものだ。

 (続く)


日韓関係と他の諸外国関係との異質性  第一編

2013年06月21日 11時05分55秒 | 私の「時事評論」

  

 近くて遠いが気になる国 

 

 時を逸した随想は無用のものになる。先月以来、何度も書き始めては中絶。そんな事情ではもう時効、わが記録としてだけでも残さんと思い記した文のなれの果てである。書かんとしたのは、簡単には親しくなれそうもない永遠の課題である日本と韓国(そして中国)との関係についてである。

 日本は韓国や周辺の国々に対しては、明治以来、大急ぎで身に付けた西欧理論や契約概念だけでは通用しない関係にあると覚悟せねばなるまい。とくにこれらの国とは、論争して理屈で言い争って勝ってみたところで、理屈とは別次元の感情対立の問題がその底にあるということを覚悟せねばなるまい。夫婦喧嘩をした二人に、仲裁をしてくれた人があって、不承不承に対立の根が取れた場合にどうなるかを想定する。また、円満で相思相愛の夫婦に戻れるか、そんな場合とよく似た関係を思い浮かべればよいだろう。

 

 現代の我が国民の思考は浅い。論で勝敗が決まれば心地よく友好関係が回復するような安易な誤解を持っている。国防論議などで話し合えば紛糾もが解決するとのマスコミや社民党などが常用する理屈がまかり通っているが、それは人間に感情がなく、機械のように方程式だけで動くと思いこんでいる空想論としか言いようがない。大切なのは、言い争った結果の決着よりも、むしろ両当事者が、親しくしなければならぬと思う感情が持てるかどうかの方が大きい。戦後の日本と韓国や中国の間には、日本から見れば、いままで何度も約束をして踏みにじられた思いが募っているが、それは条約や契約が彼らにとって日本と今後は親しく協力していこうとの思いを生みださなかったからに他ならない。どうやればそんな気分になるか、その方が大切なのだ。

 契約はどんな時でも守る。日本がその思いを相手にしっかり理解させないと、理屈で何度契約を重ねても意味がない。論理が決定的な武器になるとあまり評価してはいけない。教科書や書物だけで知識を得た人間には、気力と論理の重さを比較できない弱さがある。

 論理は人間の文明が生み出した道具にすぎない。精神や感情の基準にはなかなかならないものだ。隣接した異集団の共存関係や縄張り、そんなものは条約の概念もない動物集団の間にだってある。用は共存していかなければならないと思う環境なのだ。

 

 加えて、日本人には生来、穏やかな共存を望む文化的意識があるが、明治以来の日本が教科書で丸覚えしたようにして身に付けた論理には、上辺だけの輸入品である弱さがある。よその花を摘んできても、木に竹を接ぐようなことをしただけでは身について育たない。文明は人が生み出した作物であるなら、摘んできた花や実の姿だけを見ずに、その根も茎も、土のにおいまでも含めたものにしなければ力のこもった本物にはならない。

 

 日本が明治以来、取得した西欧文化には、とくに心や体臭がないことも忘れてはならない。それでも明治の時代には、日本は「和魂洋才」とのスローガンを立て、西欧から移入した異国文明を日本土壌に根付かせようと努力してきた。だから維新の創始者たちは、日本がいくら西欧技術を取り入れたとしても、その心の基本の土壌から西欧文化思想になる必要は感じていなかった。日本には独自に数千年かけて培ってきた大切な文明土壌があることを維新の先覚者たちは知っていて、その土壌を生き残らせるために欧米技術を道具として導入し、固有の日本文化の武装を試みたのだ。

 だが残念なことに、これは後に続く者、教えられて育ったには充分に理解されなかった。維新ののちに日本の大量に派遣した西欧文明摂取者及びその教えを受けた者たちは、ただ摘み取った花や実の華やかな姿のみに目を奪われ、それが西欧という土壌に咲いていることも理解せず、持ち帰っても日本の気質に合わせて育てるのを見落としてしまった。

 書籍などで覚えるだけで、香りも味もない表面だけの知識を習うだけ、文明の底の深さを無視した知識で、上辺だけを習っただけで現代科学技術を完全に吸収したと思った連中ばかりになった日本。西欧の本などをいくら読んでも、西欧の文化が、苦しみを乗り越えて西欧の共通の土壌を作ってきた背景などには触れていない。しかもその文化が、共通の価値観や思想・宗教を抱く者たちの間にだけは寛容で、その他の者には厳しく接する土壌に育っていることにも触れていない。日本は学ぼうとする西欧にとって、むしろ西欧が発展するために、従来利用してきた仲間たちが住む文化ではなく異郷なのだ。

 それをわきまえず彼らと接し、何度か契約を無視され煮え湯を飲まされたのが明治以来の日本の歴史だ。しかもその上に戦って敗れて、大人しく西欧文明に従って、そのために奉仕していればよいといわんばかりの憲法までを押し付けられ、半世紀以上その教えに従ってきたことも忘れてはならない。

 

 こんな環境自体を理解して、明治以来、在野の者と政府(知識人と思っているもの)の作り上げた文明をこれからでも、日本文化の土壌の上に移植して元気に育てるのが我々のやるべきことだと私は思っている。

 しかも、明治いらい、国を挙げて将来の道を模索したのは、当時残念ながら日本だけだった。それは日本という国が、様々な条件に恵まれて継続的に天皇のまつりを精神的柱として、独特の文化を中断させずに育てたからだろう。日本には失ってはならない文化があった。だがそんな時流には関係なく、アジアの韓国や中国の政府・そしてそこに生きる国民意識は、旧態依然の周りを読まない文化の中にいた。

 いまの日韓、あるいは日中関係には、そんな文化の違いも存在している。中国にとっても韓国にとっても、日本は昔ながらの中国が中心でその出先の国が韓国で、そのまた先が日本だとの潜在的中華思想が生きている。

 

 そんな前提の上に、根底に共通の文明の原則がないのに、日本は西欧国際常識に基づく条約などを結び、日本は条約を結べばこれで事態は解決するだろうと周辺国にも対応してきたが、ここは西欧ではなく中華思想や朝貢貿易で生きてきた東洋だということを見落としてしまった。ここにはキリスト教文明の土壌もなければ、西欧諸国のように、契約ではあっても、一度した条約は守ることに互いが努力しなければ、決定的に国は潰れるとの認識もない。

 

 (以下次号)