葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

日本人は変わってしまった①

2010年06月25日 15時34分51秒 | 私の「時事評論」
日本人の変質(その一) 
 往年の時代のリーダー、ルイセンコ

 近頃、長い間に培われてきた日本人の気風がすっかり崩壊し、これでも先祖の血をひく同じ日本人の集団なのだろうかと天を仰ぎたくなることの連続である。

 遺伝因子は先祖たちとほとんど変わらぬ同じものを持って生まれてきても、育つ環境がすっかり変わり、環境が変わると、これほど大きく人間は変わってしまうものなのか。私はそんな思いの中に暮らしている。

 いまの人たちは、もう記憶にないかもしれないが、昭和30年に入ろうとするころ、共産主義国のソ連や中国では、ダーウィンの遺伝子論を否定するルイセンコの理論というのが大流行であった。マルクス・レーニン主義の弁証法的唯物論にのっとった生物進化論で、動物の進化はダーウィンの言うように遺伝子に基づくよりも、環境によって大きく変わる。極端な話だが、彼によると、ジャガイモも夏に植えればやがてサツマイモになるというような理論である。スターリンや毛沢東が実際にその影響を受けて、反対する遺伝子学者などを次々に処刑し、この理論に基づき大規模農業改革などに取り組んでいたし、彼の理論は日の出の勢いで、共産主義思想が急に力を得てきた日本でもこの説は流行で、信奉するグループもでき、大きな力を得て、当時高校生であった私なども、「本当なのかなあ」などと疑いながらも、新しい学問だから学べと言われて傾聴させられたものである。

 結局はこの理論、ソ連や中国などに大きな犠牲と被害を生んだだけで消えていってしまい、いまでは情熱的に推奨していた連中も沈黙して、だれも見向きもしなくなってしまったのだが、ジャガイモはサツマイモにならないが、誇り高き日本人も、環境によっては、道義も人情も思いやりもない野獣の集団になる。ヤマト男も草食系の男子になるし、ヤマトナデシコも恥も外聞も無き甘ぞネスになる、極論を避けてそういう部門に限ってみれば、いまの日本に適応するように私には思えてならない。



 環境がもたらした日本人の退廃

 こんな風に思ってため息をつくほど、いまの日本の社会はたった5,60年前の日本に比べると、そこに住む人々の気風が全く変わってしまっているように思えてならないのだ。

 人の成長には確かにその人の持つ遺伝因子は大きく影響をするのだろう。だが、どんな優秀な遺伝因子に恵まれた人でも、それを伸ばす環境がしっかりしていて、また立派な人に成長しようという努力をしなければどうにもならない連中に育つ。

 しかし65年の敗戦ののち、日本を占領した米国は、明治以来100年足らずではあったが、西欧人の独占支配してきた世界の秩序に、後から割りこもうとしてきた有色人の日本に脅威を感じ、これを機会に日本人の割り込む力を破壊しようと、その目的のために日本文化を根本から否定する宣伝教育を徹底し、努力する力をはぐくむ教育制度を破壊させた。その教育が明治以来、いやそのまだ昔から、舶来思想や文化を尊重し、憧れてきた日本人の意識と奇妙に溶け合うことになり、先祖を大事にすることは悪いこと、親や家族を大事にすることは封建的なこと、協力して我慢することは個人の自由を失うことというような空気を育て、日本人の文化を育て、向上する心を大きく蝕んでしまった。

 ここでちょっと振り返ってみよう。人間が自然界の中で他の動物よりも大きな力を持つようになり、文化を発展させることができたのは、人間にどんな特徴があったからだろうか。それは、生み出した技術や蓄積を子孫に継承し、子孫はその蓄積の上にまた新たな知識や財産を積み重ねてきた。その基礎となったのが家族であり社会であった。ところがそれを否定してしまったのだから、日本文化が発展する道理がない。日本社会はさるほどもお互いに協力をしない野獣の集団になってしまったのである。

 そんな事態がもう60年以上も続いている。最近、各方面で大きな混乱を生み、このままではどうにもならないように見える日本の社会であるが、その現状は追い追いこの欄に発表するが、何とかしないと日本は猿山以下の状態になってしまうのではないだろうか。

 そんな憂いが離れない最近の私である(続く)。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿