葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

日韓関係と他の諸外国関係との異質性 第二編  

2013年06月22日 10時54分10秒 | 私の「時事評論」

  

 これに加わる厄介な条件=中華思想 

 

 日本と韓国の両国が仲が悪いのは、多くの夫婦や兄弟がいつの間にか反目しあうように、ある程度は俗に言う歴史的「近親憎悪」の一時的結果でやむをえぬと思って半ば諦めた境地で眺めることもある。韓国は日本の明治時代末期に日本に併合されるまで、中国とは朝貢貿易関係をとり続けた国で、陸続きである強大国中国に、従わねばいつ潰されるかわからない主従関係の歴史を歩んできた。中国文明を支えてきた思想は中国を最新文明を誇る宗主国とする「中華思想」。簡単にいえば中国がすべてにおいて朝鮮に対して指導的立場に立つ。だがそんな朝鮮には、その宗主国には従わねばならない関係だが、中国からより遠い辺境の地にある日本には、中華文明の恩恵を教えてやったくにだという序列意識が強い。

 文明の最も遅れている辺境の野蛮国・日本は、朝鮮が中国に接するように、恭しくひれ伏すのが当然だと思ってきた。それなのに日本は、明治維新を勝手に実施して西欧技術でにわかに力をつけ、格下の国である礼儀を無視して、まるで対等かそれ以上の国であるような尊大な姿勢で接してくる。しかも日本は中国や朝鮮の文明も分からず許可も得ず、勝手に自らの抱く君主に「天皇」などという朝鮮が称すれば中国に厳しく戒められる敬称を作り上げ、その名において要求をしてくる無礼な国だ。こんな停滞的な序列意識は明治時代までの韓国・李王朝や、その宗主国である中国などに強く、自国が中国やロシアに頼り、日本の申し入れた要求を聞かずに動くと、常に結果は裏目に出て、世界の国々に反対されて、ついには国際交渉の能力がないと認知され、日本領に組み入れられて、国そのものが消滅させられた。

 いまの韓国はもう、李王朝の君主国ではないが、こんな屈辱の思いは韓国に強い。韓国ばかりではなく、かつてはその宗主国である中国にも、この種の反発心がたまっていて、自らの歴史を別の視点から検証するよりも日本に反感を持つ情況にある。

 

 政権に欠ける統治能力

 

 加えて、韓国や中国が、国際常識や歴史を無視して日本に、竹島や尖閣列島の領土権を主張し、あるいは我々にはねつ造としか受け取れない日本による残虐な行為などをを持ち出し、また平然と内政干渉をする背景には、国民の中に育っている自国への不満の爆発を抑えるために、自国の政権へ向くべき国民の不満を、日本への憎悪にすり替えようとする意図が濃厚だと推測される。不満が自分に向けられれば、政権自体が不安定で、明日への権力の維持ができない脆さを両国とも孕んでいる。そこで事実でないこと、主張に無理があることまでを持ち出して反日の意識をあおるという要素がある。私ら日本人からみると、韓国政府や共産中国政府は伝統的に、国民に正しく歴史や日本との拘わりを教えるよりも、国民に日本への敵意で団結させようとする非友好的姿勢があると思えてならない。

 

 こんな両国政権に踊らされ犬のように尻尾を振って、すすんで自国の悪口をねつ造し、隣国への接近を図る非常識で反日的なグループが日本にもいる。反国家的言論機関や国民は、世界のどこにでも必ず出てくるグループだが、歴史を検証すると、どこの国の歴史においても、最終的には怒った自国民につるしあげられ、悲惨な結果に陥ることは必然である。第二次大戦の際のナチスドイツに協力した連中とフランスはじめ西欧諸国の自国の独立回復のために働いたレジスタンスとの騒動の顛末、いまも多発している世界中の激しい闘争の裏面史などには、そんな悲劇的な結末を迎えた例は枚挙にいとまがないのに。

 

 もちろん中国にも韓国にも、懸命に生きてきた歴史は豊富だろう。だがその歴史の読みかたは、我々の持つ歴史観とは決定的に違っている例も多い。これは両国の身を責めるわけにはいくまい。日本にだっておかしな歴史教科書が敗戦以来作られてきたし、国自身が占領軍の命令を基に国民をおかしな方向に走らせる教育に力を果たしてきた歴史がある。こんな日本の教育がゆがめられ、国がおかしな方向に引きずられていく傾向は、最近ようやく国を文化を伝統を大切にしようと活動する日本国民の熱意によって徐々に正されていく傾向が見られ始めたが。そうして前記したような我が国に巣くったグループが、自国文化を蔑み、日本国を周辺国に売り渡そうとするようなグループが国民の反感を買い、「教育の正常化」を求める声が徐々に高まってきたのだが。

 

 中国や韓国、歴史はそれぞれに、立派な文化も持っていて、日本文化の発展にも彼らの知恵が大いに力となったことは否定しない。おかげで日本人は文字を使用することを知ったし、古い時代には制度や文明そのものや技術が、日本文化の発展に役立った。そんな面では我々は両国に、国民として敬意を示さねばなるまい。だが、両国と日本の文化には決定的な違いがあり、日本人はそれを中・韓流に変えようとはしなかった。日本の国民のことをひたすら神々に祈る天皇の下に独自の文化を発展させるという特質を変更させず、輸入した外国技術も、その原則によって変質させることにして受け入れてきたのだ。

 すなわち「敬神崇祖」の文化の本質はどんな場合も変更しなかった。これに比べて中国も韓国も貴重なものを生み出した文化ではあったが、いずれも文化の継続性を欠いていた。次の政権を狙うものは、いずれも前の政権担当者を根絶やしに打ち滅ぼし駆逐して、そのあとに新しい自らの歴史を一から築くという連続性のない文明の積み重ねであった。そんな結果、韓国や中国から日本に逃れ、立派な技術を日本に伝えた両国の政治家や僧侶、学者や各種技術者などはきわめて多い。日本の文化はこんな優秀な外来人の援助の下にいよいよ発展してきた。

 日本では何千年の間、己を捨てて国民の安定と繁栄のために祈るお役目の天皇が一貫してまつり主であり続け、国内に政変があったとしても、次に行政の権に立つ者は、祭祀王の天皇より俗務である行政執行権を認められ、はじめて国を指揮するという連続性の理論が一環として続いた。この点で日本と両国とは決定的に違っていた。両国には文明が永続してきた連続性がないのだ。それは日本が外国と陸続きではなく、異民族から侵略されずに「浦安の国」を保ってこられた立地条件に恵まれたからだろう。これが日本文明が、韓国や中国と違っていた最も大きな条件だったと思う。

 

 こんな数千年の文化継続を保ってきた日本人として、現代の韓国にも中国にも望みたいことは、両国が国内に乱のない平和な国になってくれることである。我々はどんな政権が望ましいなどと内政干渉をすることはしないが良いと思っている。それは両国の政権が独自に決めることである。韓国も共産中国も、新政権で国を立ててから両国はまだ歴史が浅い。両国が日本を敵視しないでも長期ビジョンが描けるような新しい環境の安定した国になり、「過去の歴史を公的に清算したら、もう際限もなく繰り返さない」という世界共通のセンスで生きる国に成長する時が来るまでは、これらの国々に囲まれてしまっている日本は、地理的環境にある不運だと半ば諦めなくてはなるまいのかも知れない。

 

 西欧に対して同じ対応をしたらどうなるか

 

 だがつぶさに見ると、進んでそうしているのか、そうしなければ生きて行けないことを悟ったのか、それは不明というほかにないが、韓国や中国など日本の周辺の国々でも、文明そのものが異質だと彼らが認める西欧諸国が相手にする時は、「一時不再理」の意識や「契約は守らなければならない」との原則などがどこかに育ってきているようにもみえる。それがなければ現在の世界の環境が、基本的には急速に世界に躍進し、その収奪のとからにより世界の大半を支配した西欧諸国の中心である現状には食い込めない。日本に対するようなことを繰り返していたら、途上国は、帝国主義や植民地政策で現在の大国に育った西欧諸国に対してなどは、永久に友好関係には入れないことになる。

 いま日本に向かって行っているような結局は、解決するには威嚇か軍事衝突以外にはないということになってしまう。私は冷静な日本人のつもりだし、現代の我が国の一般人の世論のように「このままでは相手を武力で屈伏させる時代になるだろう」などと軽々しく言うつもりはない。これは難しいことだが、日本は、万一の場合を想定して軍備を固めるのは良いが、最後の最後までこの地域で韓国日本中国が仲良く共存することを理想に粘り強く接しなければならないと思っている。

 現代の世界知識の認識は、この両国にも育ちつつある。いったん定めた条約などは、両国ともに、西欧に対しては少しずつではあっても守るようにもなってきた。これを守らずに日本を相手にするように、際限もなく過去の収奪や不法を追求続けたら、その解決は全面戦争でも起こしてどちらかが滅びて消滅するまで戦う以外に方法はない。その前に、両国がその無理に気付いてくれればよいと思っている。現在の日本に対する執拗な感情的な攻撃は、彼らにとって、同じ東洋の精神文化があるから例外だとどこかで思ってきている節があるが、限度があることを知ってもらいたいものだ。

 (続く)


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