中国の首脳会談ドタキャン
ベトナムのハノイで開かれたASIAN+3会議、当該地域の各国首脳が集まって開かれたが、この会議の合間に、かねてよりギクシャクしている日中間の問題を話し合おうと日本がお膳立てした日中首脳会談、土壇場になって中国側が拒否を宣言、待機していた日本側を置いてきぼりにするという事態が生じた。
中国側の言い分によると、午前中の前原外相と中国外相の日本側の発表が事実と相違したからなどが理由にされているが、この根拠は日本ではなく、中国側のマスコミが事実を捻じ曲げて伝えたものが基本で、根拠の全くないものだとされている。
これに対して日本側は、遺憾だとしながらも、日中間は大切な連携すべき隣国同士であり、今後も誤解を解いて両首脳実現を考えたい旨の発表をしている。さらに会談が一方的に破棄された翌日、ASEANの会議場でたまたま中国の温家宝首相に会った菅首相は彼と十分間ほど会談し、日中関係の友好が変わらぬことを確認したなどとの報道をわざわざ行い、日中関係の修復に心がけている姿勢を示している。
追い詰められている中国の内政
菅首相が温家宝首相と会議の合間に話し合うというスタイルは、先の尖閣列島での中国側の日本国境侵犯、海上保安庁と巡視船への衝突事件の際も行われた菅首相流の作戦なのかもしれない。中国は国内での温家宝政府に対する不満のデモや騒動が、中国政府の尖閣列島領有主張の手ぬるさを批判する声と結びつき、政権そのものの存続にも大きな影が差していると国際的には観測されている。そのために日本に対しては非常識ともいえる無礼な対応をとって国内大衆の怒り(その背後には反政府の目的をもった政府の敵が潜んでいる)を鎮める行動を取らねばならぬ。しかしそのやりかたが、外交的には甚だ無礼であり非常識で、中国外交に関して世界の信用を失墜するものになりかねない。そこで、すぐ中国の非常識を責め、外交的に強硬策に走ることがない日本に強硬な姿勢をとり、この種の「ちょっと会い対談」で御機嫌を取り、事態を決定的対立にならないようにする作戦をとらざるを得なくなっているのかもしれないとも考えられる。
尖閣列島への領有権の主張に関しては、現場の実務を担当している中国政府から見ると、予想以上に日本側の国民からの怒りの声が上がり、日本と友好関係がある米国も、クリントン国務長官らが、ここは日本の領土であることを認め、今回の会談の直前にもクリントン氏は日本の前原外相に対し、この列島の領土防備は日米安保条約による米国側の日米安保に定める日本領土に含まれていることを重ねて認める形になっている。
これに対しても中国は、日本との首脳会談をキャンセルした直後、外相がクリントン氏と面会し、来るべき米中首脳会談を前にして、過激な発言をしないように申し入れ、政府系の新聞などを通じて、断固この列島の領土権を主張するとする前原外相に批判を集中する報道をさせている。明らかにこれは中国国内向けのポーズである。
三流外交にならざるを得ない中国
しかし、こんな作戦をとる中国外交は、明らかに外交的に見て三流国のそれだと言わざるを得ない。中国はじめアジア諸国には、国内の政権批判をかわすために日本を悪玉であると必要以上に宣伝し、国民の目を政権批判から日本批判に向けさせることによって、政権の安泰を図る国がいくらもある。本来はそんな政策をとれば、相手国からの決定的なしっぺ返しを食い、政権自体が苦境に追い込まれるのが普通だが、日本という国は特殊な国だ。日本の国が悪い、あるいは悪かったということが自分の新知識人ででもあるかの風潮が一部の日本の自分がインテリだと思っている層の中にある。島国根性と舶来趣味が奇妙な形でミックスされて、それが占領軍に支配された時代の中でのさばる形になったのだが、そんな連中が近隣諸国からの日本批判があると、必ず「日本の側にも非があるのだ」という声を国内であげることになるので都合が良い。
そんな可笑しな声に遠慮してか、日本政府はしり込みを続け、圧力をかける相手国に対する強硬な反応に出られない。そのためにいつしか日本は、不安定な近隣諸国の政権批判をかわすために利用する絶好の国としての評価を得るところにまでなってしまっている。
だが、こんな非常識にも限界がある。際限なくいじめられていては日本という国が成り立たなくなるところも出てくる。最近の対中国意識がそんな国民の声に押されて、徐々に変わってきたのは注視すべきだろう。
それに媚びれば四流国の運命
日本の外交は世界の水準からみて昔からあまり上手とは言えない。明治維新からの日本の歴史をみると、維新当初には独自のプライドと理想をもつ人が外交を握り、副島外務卿のような人が、「日本外交ここにあり」と胸を張る対外外交を展開してきた。しかし外交が西欧模倣の日本の誇りをわきまえない者中心に移るにつれて、段々水準が低下して、それが満州事件から大東亜戦争の敗戦につながり、そして戦後の卑屈な外交に変化した軌跡は、今さら説明するまでもないところだ。世界の一流水準にあるとは思えない。
だがいまは二流水準だとしても、今回の中国のような三流水準よりはまだましである。日本はまだ、世界外交常識に盾ついて、三流外交を展開するところにまでは落ちていない。二流水準のままでいる。
だがここで、三流水準の国中国などに接して、それに媚びるために自らのプライドを捨て手玉にされる様な事をすると、三流に媚び屈した四流国になってしまうことを知らねばならぬ。国際法の常識さえも忘れて、押されればどこまでも後退し、強い無法な連中についていく。そんなことをすれば亡国である。
日本よ四流国になって亡国の道をたどるな、私がここで主張する意味はそこにある。
ベトナムのハノイで開かれたASIAN+3会議、当該地域の各国首脳が集まって開かれたが、この会議の合間に、かねてよりギクシャクしている日中間の問題を話し合おうと日本がお膳立てした日中首脳会談、土壇場になって中国側が拒否を宣言、待機していた日本側を置いてきぼりにするという事態が生じた。
中国側の言い分によると、午前中の前原外相と中国外相の日本側の発表が事実と相違したからなどが理由にされているが、この根拠は日本ではなく、中国側のマスコミが事実を捻じ曲げて伝えたものが基本で、根拠の全くないものだとされている。
これに対して日本側は、遺憾だとしながらも、日中間は大切な連携すべき隣国同士であり、今後も誤解を解いて両首脳実現を考えたい旨の発表をしている。さらに会談が一方的に破棄された翌日、ASEANの会議場でたまたま中国の温家宝首相に会った菅首相は彼と十分間ほど会談し、日中関係の友好が変わらぬことを確認したなどとの報道をわざわざ行い、日中関係の修復に心がけている姿勢を示している。
追い詰められている中国の内政
菅首相が温家宝首相と会議の合間に話し合うというスタイルは、先の尖閣列島での中国側の日本国境侵犯、海上保安庁と巡視船への衝突事件の際も行われた菅首相流の作戦なのかもしれない。中国は国内での温家宝政府に対する不満のデモや騒動が、中国政府の尖閣列島領有主張の手ぬるさを批判する声と結びつき、政権そのものの存続にも大きな影が差していると国際的には観測されている。そのために日本に対しては非常識ともいえる無礼な対応をとって国内大衆の怒り(その背後には反政府の目的をもった政府の敵が潜んでいる)を鎮める行動を取らねばならぬ。しかしそのやりかたが、外交的には甚だ無礼であり非常識で、中国外交に関して世界の信用を失墜するものになりかねない。そこで、すぐ中国の非常識を責め、外交的に強硬策に走ることがない日本に強硬な姿勢をとり、この種の「ちょっと会い対談」で御機嫌を取り、事態を決定的対立にならないようにする作戦をとらざるを得なくなっているのかもしれないとも考えられる。
尖閣列島への領有権の主張に関しては、現場の実務を担当している中国政府から見ると、予想以上に日本側の国民からの怒りの声が上がり、日本と友好関係がある米国も、クリントン国務長官らが、ここは日本の領土であることを認め、今回の会談の直前にもクリントン氏は日本の前原外相に対し、この列島の領土防備は日米安保条約による米国側の日米安保に定める日本領土に含まれていることを重ねて認める形になっている。
これに対しても中国は、日本との首脳会談をキャンセルした直後、外相がクリントン氏と面会し、来るべき米中首脳会談を前にして、過激な発言をしないように申し入れ、政府系の新聞などを通じて、断固この列島の領土権を主張するとする前原外相に批判を集中する報道をさせている。明らかにこれは中国国内向けのポーズである。
三流外交にならざるを得ない中国
しかし、こんな作戦をとる中国外交は、明らかに外交的に見て三流国のそれだと言わざるを得ない。中国はじめアジア諸国には、国内の政権批判をかわすために日本を悪玉であると必要以上に宣伝し、国民の目を政権批判から日本批判に向けさせることによって、政権の安泰を図る国がいくらもある。本来はそんな政策をとれば、相手国からの決定的なしっぺ返しを食い、政権自体が苦境に追い込まれるのが普通だが、日本という国は特殊な国だ。日本の国が悪い、あるいは悪かったということが自分の新知識人ででもあるかの風潮が一部の日本の自分がインテリだと思っている層の中にある。島国根性と舶来趣味が奇妙な形でミックスされて、それが占領軍に支配された時代の中でのさばる形になったのだが、そんな連中が近隣諸国からの日本批判があると、必ず「日本の側にも非があるのだ」という声を国内であげることになるので都合が良い。
そんな可笑しな声に遠慮してか、日本政府はしり込みを続け、圧力をかける相手国に対する強硬な反応に出られない。そのためにいつしか日本は、不安定な近隣諸国の政権批判をかわすために利用する絶好の国としての評価を得るところにまでなってしまっている。
だが、こんな非常識にも限界がある。際限なくいじめられていては日本という国が成り立たなくなるところも出てくる。最近の対中国意識がそんな国民の声に押されて、徐々に変わってきたのは注視すべきだろう。
それに媚びれば四流国の運命
日本の外交は世界の水準からみて昔からあまり上手とは言えない。明治維新からの日本の歴史をみると、維新当初には独自のプライドと理想をもつ人が外交を握り、副島外務卿のような人が、「日本外交ここにあり」と胸を張る対外外交を展開してきた。しかし外交が西欧模倣の日本の誇りをわきまえない者中心に移るにつれて、段々水準が低下して、それが満州事件から大東亜戦争の敗戦につながり、そして戦後の卑屈な外交に変化した軌跡は、今さら説明するまでもないところだ。世界の一流水準にあるとは思えない。
だがいまは二流水準だとしても、今回の中国のような三流水準よりはまだましである。日本はまだ、世界外交常識に盾ついて、三流外交を展開するところにまでは落ちていない。二流水準のままでいる。
だがここで、三流水準の国中国などに接して、それに媚びるために自らのプライドを捨て手玉にされる様な事をすると、三流に媚び屈した四流国になってしまうことを知らねばならぬ。国際法の常識さえも忘れて、押されればどこまでも後退し、強い無法な連中についていく。そんなことをすれば亡国である。
日本よ四流国になって亡国の道をたどるな、私がここで主張する意味はそこにある。