葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

日本人は変わってしまった④

2010年06月29日 18時00分51秒 | 私の「時事評論」
民主党のばらまき政策の行方

 国民の急速な高齢化とそれを加速させるような少子化の現象。これに対して切り札になるかのように宣伝して民主党が子供のいる家庭に対して子供手当の支給を始めた。民主党が国民に公約したのは月七万円、予算がないというので初年度にあたる今年は半額支給ということになったが、それでも政府の負担は飛躍的に膨らみ、税収では総国家予算の三分の一しか補いがつかないという結果になってしまった。
 政府は消費税を増して、これを補うようなことを言っているが、どう計算してもそれで財政バランスを回復するのは数字的に無理な話で、これにより、今後、日本国の経済がいよいよ立ち直りのきかない危機に陥ることだけは間違いないことのようである。
 おまけに、この子供手当は、支給しても子供の養育にすべて回るという保証はない単なるばらまき行政。新に子供のためだけに使うのなら、直接子育てに必要な社会費用を補わなくては、流用される可能性は高い。すでに子供の養育などにはさほど関心のない現代の母親たちが、「これによって仲間同士の社交や夫のいないときの主婦同士の昼食パーティが豊かになる」、「この資金でエステに行こう」などと子供以外に流用する話し合いをして歓迎しているなどとの風潮は一般的になっているし、この費用捻出のためには、急増している老人への年金支給は圧迫され、一般の人に対する所得税の控除などは圧迫されてきた。
 この種の、選挙目当てにばらまき行政を展開し、国を崩壊させた例は世界に枚挙がない。そのため多くの国では、年金問題などは政党同士のばら撒き競争の種には利用しないという国家健全のための暗黙の協定が成立しているほどだが、日本が、ばら撒きによる国家破滅の第一の候補者になるのは、もはや間違いのないところ。国家は疲弊し年金の支給は減り、社会保障も減り税金は上がる。国民にはつらい将来が押し寄せることだろう。

 出生率を高めるためには

 こんな日本の現状から脱出するには、我が国の人口構成をどうやって高めていくかの誤りなき政策を早急に見つける必要があろう。ばら撒き政治はむしろこれに逆行する政策である。
 話題は飛ぶようだが、最近近所の寺などに行くと、驚かされるのが水子地蔵の急速な増加である。水子とは本来ならこの世の中に生まれ出てくるべき赤ちゃんが「中絶その他の要因で、この世に生れ出る前に命を絶った人々のこと。それを悔やんでその子らの霊を慰めるために設けるものだ。こんな地蔵が増えるのは、単に寺の営業政策ばかりとは言い切れまい。これは子供ができたが生みたくないという親の意思が流行していることの反映だろう。そんな水子がなぜ増えるのか。それはこれからの将来が、この子が生まれ出でても決して良くないだろうと思う、両親の思いの結果だということができよう。水子の増加、それは日本の将来が、生まれてくる若い命にとって、決して明るいものではないという状況を示している。
 人口統計を見ていくと、どんな条件により出生率が低下して、どんな条件でそれは増加するかの大きな要因がそこにあるのがわかる。国民が将来に希望のある時代が来ると予測すると、子供の出生率は急増し、将来が暗いと判断するとそれは低下する。考えればすぐにわかる。子供の将来に、良い時代が来ると思えば国民の子供をつくる意欲は高まり、明日をも知れぬ状態だと思うと、人々は結婚して新しい子孫を設ける設計図をあきらめて、明日をも知れぬ現状の中で、せつな的に今だけ楽しめばよいという気分になる。
 いまの日本はまさににこの悪いほうの条件のもとにある。出生率は少々の補助金などでは上がらない。それよりも現在の、明日をも考えられない社会の空気、人口増加のブレーキを取り去ることが大切なのだ。
 第一次世界大戦ののち、国土が荒廃し国民の士気も下がり、将来への夢を失ったフランスは、出生率が低下して意気喪失、「国などには関心もない」という意識がファッシズムのドイツの占領下におかれる結果となった。フランス文化もここまでで衰退かと言われていたのだが、ドゴールが英国に亡命政権を樹立、「名誉ある独立回復」への抵抗を訴え、ようやくにしてのりきった。また第二次大戦ののちに祖国が気力を取り戻し、戦後の危機も再びドゴールが立って「栄誉あるフランスの回復」を訴えると、低下傾向にあった出生率も回復し、フランスは息を吹き返した。
 このように、将来の祖国への希望を国民が信用するようになり明日の祖国のために自分も参加しようとの機運がみなぎると、出生率はおのずから向上して、国民の目の色にも輝きが出てくる。出生率は国民意識と密接に結びついている。
 日本の戦後直後の時代の出生率の急増は団塊の世代を生みだしたが、これだってただ、戦争から若者が帰還してきただけの理由で起こったものではない。明日の日本を再生しようという機運が、天皇陛下の終戦の証書や多くのお言葉、積極的に全国を行幸して率先訴えられたお力により国民に明日への前進を訴える力となったことを忘れてはならない。歴史はそれをしっかりと証明している。
 そんな戦後の日本復興の精神的原動力になった機運は、その後の日本回復への大きな力となってきたが、やがて日本経済も一応の水準にまで回復したころから、戦後日本で徹底的に行ってきた占領政治を起点とする国民の結束刊、工場間を否定する教育の力が徐々に国民意識をむしばんできて、それとともに日本という国自体の将来への夢や希望が描けないようになり、無責任なその場限りの政治の連続が国内の将来への期待を失わせ、努力の代わりに退廃の機運をもたらし、現在のような国となってしまった。そこを見落としてはいけない。

 明日の日本のために必要なこと

 将来に夢を持たないで目先のことのみ追いかける気風が国にみなぎると、国民意識は退廃し文化は退化する。明日の希望の見えない国にはその場限りのデカダンスの気風がみなぎり、犯罪は増加し社会秩序は乱れ国民の目から輝きが薄れ、当然出生率も低下する。これは歴史が繰り返し証明しているところである。
 日本もいま、そんな事態を迎えている。この気風を打破して将来の発展を望むためには、 戦後の我が国に居座ってしまっている社会としての結束意識、その基礎となる家族を大事にする心、目先の困難に立ち向かってそれを乗り越える向上心、日本の国は、文化は延々と続いてきたし、これからも続けなければならないという向上心を回復させることである。
 日本の未来の伸び伸びとした発展は、居間の政治のま反対の方向にあることを強調してこの連続を締めくくりたい。

日本人は変わってしまった③

2010年06月26日 22時15分54秒 | 私の「時事評論」
日本人の変質(その三)
 大家族になってみて

 結婚十数年ぶりに息子一家が我が家に越してきて、老夫婦二人で暮らしていた家も急ににぎやかになった。
 息子は結婚以来、東京近郊のマンションに所帯を営んでいたが、長男坊の下に弟である男の子が生まれた。この子の世話が大変だし、子供二人が必ずしも健康に恵まれてはいないため、まだ子供たちの世話くらいはできる私どもと一緒に暮らそうと、長男が小学校に進学する機会を選んで鎌倉の我が家に越してきたのだ。いまどきは親と同居をするなんて「まっぴら御免」という世間の潮流の中にあって、一緒に暮らそうと言ってくれるなんて、それだけで素晴らしいことだという周辺の声が強い。こんな面では確かに恵まれていると思う。息子の一家、特に息子の嫁の勇気ある決断には感謝する。三カ月だが暮らしてみて、大家族はやはり好いものだとしみじみ思う。にぎやかで将来の夢が無限にあるような若い命に囲まれて、私どもの日々の生活はガラッと変わった。
 だが一緒に住むようになって、いまさらながらに驚くことも多かった。その一つは、核家族というものがどんなものなのか、理屈では知っていたつもりだが、実際に核家族生活を長く経験してきた子供や孫と一緒に暮らすことになって、初めて実感させられたことが多かったことだ。
 我が家はここに住むようになった当初から、息子や娘たち一家がいつでもそろって泊まりがけで遊びに来られるように準備をしていた。そのため孫息子や娘たちはほとんど毎月のように遊びに来て、私らと家族団欒の時を過ごしている。そんな環境にあるのだが、それでも新たな発見が多く、驚くことの連続である。

 核家族はもう家族と言えないのでは

 一番驚いたのは、核家族では一家の働き主としての夫の立場が確立されていないことだった。夫は毎朝、子供たちが起きだす前に会社に出かけて行く。近年は仕事が厳しくなっているので、帰宅するのは毎晩深夜に。しかも息子はサービス業に連なる仕事をしているので、毎週の休みが土曜日曜ではなく、平日になっている。加えて息子は中間管理職、仕事に役立つ特殊な国家資格を取ろうと、そのうち一日は受験のための学校に通い、もう一日の休日も関連の独習に追われている。毎晩、女房子供の寝静まった後に帰宅して、もくもくと食事をしてはまた早朝に出かけていく。子供らと顔を合わせる時間もほとんどない。
 一家の中心であり、軸であるべき夫がこのような形となると、家族をまとめる中心がなくなってしまう。我が家の未来を担うべく期待される長男は、家族生活における長が誰であるかの認識もなく、家庭における長幼の序列も意識せず、ただ生まれた本能のままに暮らす結果となってしまっている。
 家庭における食事、片付け、風呂、生活リズム、社会人としての礼儀、、人との付き合い方、人のため我慢することの重要さ、年長者への接し方、親子のけじめ、家族の一員としての責任感、これらかつて私らが家庭で学んだことを、みな教えられないままに育っている。教えを聞かずに反抗しているのではなく、知らないままに大きくなっている。
 我が家では、そんな状況をこれから少しずつでも時間をかけて教えることができるからそれでもよい。だが、核家族で、夫や妻の両親とも同居せず、ポツンと暮らす核家族はどうなるというのだろう。妻がよほどの社会の常識を持っていて、父親の代わりに懸命にしつけ、育てていかないかぎり、どんな子供たちが育っていくことだろうか。だが核家族の奥さん方を見れば、そんな期待は抱かないほうがましにも見える。
 巷には家庭教育の不徹底が遠因だと断定できるような人間社会の基礎知識を欠いた社会生活が満足に遅れない連中が激増しつつある。ニュースなどでも、そんな連中の引き起こす事件が連日報道されている。また、いまの子供たちの社会に対する積極的な精神姿勢や意欲の欠如が、大きな問題として提起されている。
 戦後60年を超した「戦後民主主義」と言われる社会制度が、いかに大きな被害を人類文化に生む元凶になっているかを、いまさらのように思い知らされる結果となっている。
 核家族は日本の社会に、何のメリットも生みださないことが証明された。
 統計的に眺めてみよう。核家族化の現象は、孤独な老人の一人暮らしと破壊された家族関係の結果、心の紐帯と社会性を失った膨大な人々を生みだし、日本社会の活性化を失わせただけではない。ゆったりした多くの家を細分化し、ウサギ小屋のような狭苦しい家ばかりを増大させた。皆が離れ離れになることにより、世帯数が増えて構成員が減った分だけ、日本全国の見回すと、家族の交流の場であった広い居間が減り、まともなくつろげる部屋が減り、普段はそこで生活しない便所と風呂場と台所の数が増えただけの効果しかなかった。

 こんなばかげた何の取り柄もなく有害な兆候、日本文化をむしばむがんは、早く一掃したいものである。(つづく)

 

 




日本人は変わってしまった②

2010年06月25日 16時07分42秒 | 私の「時事評論」
日本人の変質(その二)
 伝統の古武道のジャンルにまで

 ちょっとした縁があって、由緒ある古武道グループと格別のお付き合いをさせていただき、その運営法人の役員をしている。鎌倉武士の伝統を引き継ぎ、その技を神社の神事や催しで披露する古武道術の一つで、小さいながらも由緒正しき正統のグループである。
 私自身はこの武道のたしなみもなく、日ごろその修練に励む門人たちとは直接関係も薄い。ただこの技を継承する司(つかさ)家の当主と以前から親しく、私が神道という日本伝統の信仰と密接なかかわりある祀職の家に生まれ、それにかかわる仕事を長くしてきた縁で、彼に推薦されたのでここの役員になっている。
 そんな日本古来の文化伝統を引き継ぐ組織、日本精神文化の核ともいうべきグループの中にまで、戦後の精神伝統無視の気風が入り込み、とんでもない混乱を生んでいる。私の関係するものだけではなく、我が国伝統の武道や華道、茶道、舞楽、芸能その他の団体の中の多くで、最近この類の混乱が日常的に起こっていると聞くが、甚だ困った傾向である。だがわが団体の名誉のために、ここでその具体的な名前は伏せさせていただこう。上に掲載された野馬追いの写真も、この団体の修練する武道とは全く何の関係もないことを先ずはお断りして話を進める。

 ここの団体の代表である司家の代表であった師範が先年、高齢で亡くなられた。そこでこれを機会に私も、個人的なご縁も切れたので、お役御免をこうむり、運営をしている会の理事を退任させていただこうかと思ったのだが、内部にとんでもない混乱が起こって、それを見捨てたままで辞職をしては、亡き司家師範への義理を欠くような具合になり、それどころではなくなってしまった。
 師範は存命中、武道技術の向上と習熟には大きな力をいれられ、先代の名を辱めぬため、大きな貢献を果たされたのだが、在任中、それら武道の門人への技術指導は厳しく当られたが、その背景となる精神的な基礎である武士道精神、さらには日本文明の底に流れる信念や社会意識などに関しての精神教育(それらの大部分は、かつては日本の社会自身の家庭、隣人社会、学校教育、社交などを通じて、特別に教えられなくとも身につくはずのものだったが)には、「俺は口下手だから」とあまり力を入れられなかった。お見かけするところ、司宗家内におけるご家族などへの精神教育などもいま一つで、時にはそれがもとで混乱も起こり、生前より当主を立てる家のまとまりも今一歩の状態にあるようであった。

 私がお会いして、そのことを師範に忠告しようとすると、
「君、それは日本人なら誰でもが昔から心に持っている武道以前の常識だよ。話さなくても日本人なら自然に自ら体得するものだ。ましてや神前に奉納する行事は神事である。単なる技を競い合うスポーツや勝負ではない。それは日ごろの修練の中で、各自が身につけるべきことなんだ」
と言われていた。
 私が重ねて「そうおっしゃるが、先生を取り巻く現状をみると・・・」と発言しようとすると、
「門人たちにも立派なものがいるさ。皆の心の中に日本人の心はある。武道修行を通じてそのうちに、間違いなく自らそれを感じて、武士道精神や日本的ものの考え方を求めるものが出てくるだろう。その時はよろしく手伝ってやってくれよ。私は武道は神々の見ておられる神聖なものだ、神事なのだといつも教えているつもりだ」
などと楽観的なことを語って笑っておられた。

 だが、その日本には色濃くあるはずだった伝統の精神風土、それを生みだす背景が、日本人の生活から消し去られたのが、戦後の空気の大きな変化であった。それは司家の先生をめぐるご家族たちにも、稽古に励む門人たちにも影響していた。戦後の伝統の心否定の教育は沁みわたり、いつしか日本人の心の面が欠けてしまっていたようで、そのたために、武道の団体そのものや、それを運営する私どもにまで、とんでもない影響が及び、思わぬ騒動に巻き込まれてしまうことになった。いま、日本では「世界遺産」に指定を受けようとの運動が各地に起こっているが、それらが皆、自国の生きた文化財と、廃絶された遺跡とを同等に見、生きている聖地、日光や熊野古道、地方神楽などを、ピラミッドやカンボジアの祭祀跡などと同等にみる空気、これが顕著にみられるのと同じ現象と言えなくはないのだが。


 溺れながら互いに相手の足を引っ張りあい

 剣道、弓道、乗馬術、武術の演武。訓練を日ごろ照覧される神々の収まる神棚の前で心を清めて精進を誓う。神前でひたすら技を練り、師範門人集って日々の努力の成果を磨き上げる。いまは武術を実技として実戦で試す機会はほとんどないが、それは命をかけた一瞬の過ちも許されないものである。いまではもっぱら、日ごろの修練の成果を、奉納神事などで披露することを目ざしているように見えるが、その努力の積み重ねは、精神修養で得たものは、門人たち個々人の毎日の生活の場においても大きな影響を発揮するし、円滑な社会生活を営む上でも糧になる。だからこそ、古武道は現代においてもサーカスの見世物のような単なる娯楽ではなく、貴重なものとして生き残る。
 訓練に当たっては、まず第一に、日頃より重ねる修練が大切で、その積み重ねがこんな行事の上に立つ者の大きな必要条件になるし、さらにこの武道は集団での儀式にのって披露される。集団で披露するもの故に、統制のとれた指揮系統、指導者を信頼しての一糸乱れぬ行動を常に心がけておくのが必要となる。そんな精神修行は、日々の生活における面にも大いに役に立つ。また、練習や演武は常に危険と隣り合わせ、たった一人の乱れでも、それは大きな事故も生む。
 練習は地味な努力の積み重ねである。それらは何年あるいは何十年の修練の裏付けがあって、初めて神々もよろこばれ、参観する拝観者の心を打つ技が実現される。
 司が逝去された後、後に残された者たちはどのようにして動いていけばよいか。その点では、たとい司家血縁の筋に恵まれた一族・子息や親族であっても、ともに修練を重ねてきた信頼感と実績を努力して培ったものでなくては指導者にはなれないのも当然となるだろう。集団をまとめ上げて統率し、成果を上げるのには、彼らに「彼こそはわれらの指導者だ」との信頼感が必要である。
 また反面、技を披露する連中には、技以外に、この種の武道の背景にある精神的なものへの信頼と理解が必要になる。この種の武道は伝統の儀式にのっとった上に積み重ねられ深められてきたものであり、それらの伝統に対する理解や信頼や信仰、深く掘り下げた精神的修養、神事にかかわる謙虚な信仰などがなければ技の継承は不可能である。、技を技術的側面だけは磨いたとしても、一匹狼の必殺殺人技術では、伝統に合っているとはいえない。

 そう思ってわが武道の将来を眺めていたのだが、わが関係する武道では、師匠がなくなり一年間の喪が明けてのち、新しい責任者のもとに、次の責任者を決めようとするとき、私がそこで見たものは、それまでは師範とともにひたすらそれを支える下積みの努力は放棄して、ただ師範を相続するのが当然と名乗り出た、門人たちとは無縁どころか、かつては彼らと対立して、生前の師範にも反抗的だった新司家当主と、これを否定して、いままでの師匠に対する恩義も伝統的な基礎姿勢忘れ、公然と対決独立を目指そうとする門人たちの対立が生じたのは、こんな背景があったからのようだ。
 
 この司家の、いまは亡き師範も必ずや嘆かすであろう司家の後継を名乗り出た方と、どんな時でも日本人ならたてるべき礼節の重みを弁えぬ門人たちとの対立は、目先のことのみに目を奪われて神殿に祀る神々も見ず、彼らを支えてきた多くの人々の心も見ず、このままではこの武道一門全体が、社会に多大な迷惑を残して崩壊しかねない時期にあるという現実も見ずに、ただ相手をつぶすことに狂奔しているような状況を呈し、溺れながらも相手の足をつかんで溺れさせようとするような、泥まみれの争いが果てしなく続けられるようになった。

 私はこのどちらの立場にもつながりはなく、ただ日本古来の伝統武術を愛し、それが全国各地で披露されることによって、日本の培ってきた芸術的な精神美風に人々が接し、日本人の培ってきたものを大事に思う気風を養うことを願って、何の得もないのに無料奉仕を引き受けてきた一人なのだが、日本の誇りであった武士道の集団の末路が、表面だけは憎しみ合いながらも何事もなかったようにふるまって、裏では自らの利益のためにもならないのに、そんなことさえ分からずに、どんな妨害工作もあえてするような連中ばかりになっている現実の中に立ち、何とかおさめようとしているのだが、腹の虫がおさまらない毎日である。

 日本人の伝統からの乖離がもたらすこの種の腹立たしい摩擦、それは日本中、陸続として起こっているようである。(つづく)

日本人は変わってしまった①

2010年06月25日 15時34分51秒 | 私の「時事評論」
日本人の変質(その一) 
 往年の時代のリーダー、ルイセンコ

 近頃、長い間に培われてきた日本人の気風がすっかり崩壊し、これでも先祖の血をひく同じ日本人の集団なのだろうかと天を仰ぎたくなることの連続である。

 遺伝因子は先祖たちとほとんど変わらぬ同じものを持って生まれてきても、育つ環境がすっかり変わり、環境が変わると、これほど大きく人間は変わってしまうものなのか。私はそんな思いの中に暮らしている。

 いまの人たちは、もう記憶にないかもしれないが、昭和30年に入ろうとするころ、共産主義国のソ連や中国では、ダーウィンの遺伝子論を否定するルイセンコの理論というのが大流行であった。マルクス・レーニン主義の弁証法的唯物論にのっとった生物進化論で、動物の進化はダーウィンの言うように遺伝子に基づくよりも、環境によって大きく変わる。極端な話だが、彼によると、ジャガイモも夏に植えればやがてサツマイモになるというような理論である。スターリンや毛沢東が実際にその影響を受けて、反対する遺伝子学者などを次々に処刑し、この理論に基づき大規模農業改革などに取り組んでいたし、彼の理論は日の出の勢いで、共産主義思想が急に力を得てきた日本でもこの説は流行で、信奉するグループもでき、大きな力を得て、当時高校生であった私なども、「本当なのかなあ」などと疑いながらも、新しい学問だから学べと言われて傾聴させられたものである。

 結局はこの理論、ソ連や中国などに大きな犠牲と被害を生んだだけで消えていってしまい、いまでは情熱的に推奨していた連中も沈黙して、だれも見向きもしなくなってしまったのだが、ジャガイモはサツマイモにならないが、誇り高き日本人も、環境によっては、道義も人情も思いやりもない野獣の集団になる。ヤマト男も草食系の男子になるし、ヤマトナデシコも恥も外聞も無き甘ぞネスになる、極論を避けてそういう部門に限ってみれば、いまの日本に適応するように私には思えてならない。



 環境がもたらした日本人の退廃

 こんな風に思ってため息をつくほど、いまの日本の社会はたった5,60年前の日本に比べると、そこに住む人々の気風が全く変わってしまっているように思えてならないのだ。

 人の成長には確かにその人の持つ遺伝因子は大きく影響をするのだろう。だが、どんな優秀な遺伝因子に恵まれた人でも、それを伸ばす環境がしっかりしていて、また立派な人に成長しようという努力をしなければどうにもならない連中に育つ。

 しかし65年の敗戦ののち、日本を占領した米国は、明治以来100年足らずではあったが、西欧人の独占支配してきた世界の秩序に、後から割りこもうとしてきた有色人の日本に脅威を感じ、これを機会に日本人の割り込む力を破壊しようと、その目的のために日本文化を根本から否定する宣伝教育を徹底し、努力する力をはぐくむ教育制度を破壊させた。その教育が明治以来、いやそのまだ昔から、舶来思想や文化を尊重し、憧れてきた日本人の意識と奇妙に溶け合うことになり、先祖を大事にすることは悪いこと、親や家族を大事にすることは封建的なこと、協力して我慢することは個人の自由を失うことというような空気を育て、日本人の文化を育て、向上する心を大きく蝕んでしまった。

 ここでちょっと振り返ってみよう。人間が自然界の中で他の動物よりも大きな力を持つようになり、文化を発展させることができたのは、人間にどんな特徴があったからだろうか。それは、生み出した技術や蓄積を子孫に継承し、子孫はその蓄積の上にまた新たな知識や財産を積み重ねてきた。その基礎となったのが家族であり社会であった。ところがそれを否定してしまったのだから、日本文化が発展する道理がない。日本社会はさるほどもお互いに協力をしない野獣の集団になってしまったのである。

 そんな事態がもう60年以上も続いている。最近、各方面で大きな混乱を生み、このままではどうにもならないように見える日本の社会であるが、その現状は追い追いこの欄に発表するが、何とかしないと日本は猿山以下の状態になってしまうのではないだろうか。

 そんな憂いが離れない最近の私である(続く)。


参議院選挙で感じたこと--自民・民主の舌戦の勝敗

2010年06月23日 05時00分41秒 | 私の「時事評論」

 谷垣さんは判定負け。

 鳩山政権が倒れた後、菅内閣がそれを引き継いで、あらゆる面で行き詰ったとみられていた鳩山政権が、ただ無くなっただけのほっとした空気を民主党への人気回復であったかのように利用しようと菅内閣は何をするよりもまず選挙だと参議院選挙に突入した。明らかにやり方は邪道だ。
 このやり方に対して、政策を国会で審議もせずに、人気だけを利用して選挙するのは汚いと、自民党は叫んでいるが、谷垣陣営はそれをつぶすに足る策は打てない。
 そんな中で自民党は、税収もないのに民主党のばらまき政策で、傷ついた国家財政を国家破産の危機から救うには、消費税の増税しかないと10%への引き上げを党の公約に盛り込んで対抗しようとした。
 すると対する菅首相は、民主党のばら撒き税制の国政に及ぼした重大なミスには論究せず、これは(自民党時代から続いた)政治の招いたミスだとして、たとえ野党であっても、まともな立て直し政策は私らも賛成すると、自分らも自民党の政策を参考に同じように消費税を増税すると発表し、これを聞いた自民党は、自分らの党が発表した政策を、勝手に与党が真似をするとはけしからんと大憤慨、こんな騒ぎの中に参議院選挙は行われようとしている。
 正直言って、こんな形だけを見れば、自民党のトップ谷垣氏は、完全に民主党の菅氏に負けているとしか言いようがない。谷垣氏は国会での国民の見る前で議論もせずに、わが党の掲げた公約を横取りするのはけしからんといって怒っている。
 だが、政治はだれのためにあるものなのか。国民のためなのか政党のためなのか。そんなことははっきりしていると言わねばならない。自民党の提唱する政策が、良いものだと評価されて反対党に横取りされたとしても、自民党は国民のために政治をしようとする党ならば、主張が採択されたと喜ばなければ国民のための党としての立場がなくなる。そんなところで、「民主党がわが党の主張を採用してけしからん」と騒ぐのでは、自民党自体が、国民のための党ではなくて、自党及び、それを支持するグループの私欲のためだけの政党だと宣言しているような結果になる。これは明らかに谷垣氏の菅氏に対する戦術上の負けである。
 一方、こんな空気を作りだした民主党の菅氏のほうは、「どんな理由があっても、これ以上の税金を払いたくない」と、税金値上げには理屈抜きで反対する、自らが悪玉にされて孤立することなしに、増税のチャンスを訴えかけ、それに反対する国民には、「自民党だって同じことを言ってるではないか」と逃げを打つ機会をつかんでしまった。

 問題はこの背後にあるのだが
 こんなことを書いたからといって、私は決して民主党を支持しているのではない。自民党も民主党も、どちらも日本の将来のことを考えず、金もないのに国民にばらまき行政を繰り返し、日本の財政を危機におとしいれ、日本経済を危機に追い込めた点に関しては同罪と思っているだけである。これはこの両政党が、決して日本の将来のために国政を運用しようとはせず、ただ、金もないのに人気取りのために、国の資金を無駄遣いして招いた重大な危機であると思っている。
 そんな愚かな政党に政権を託したのは、国民が愚かであったことに他ならない。
 補充する方策のめども立たず、人気だけを維持するためにばらまきを繰り返す日本の政党、それが存在し続ける背景は日本国民大衆の、まじめに事態を考えようとせず、結局はばら撒き資金は自分らの税金か、あるいは将来の自分らの負債として残ることにも気付かない安易な受け止め方にあることに気づかなければならない。
 みなさん、こんな無責任な政党や、同じく将来への配慮もなく、そんな空気をよしとする無責任なマスコミなどに惑わされずに、一人ひとりがもう少し、頭を使って我が国の将来を眺めることの必要性に気づこうではありませんか。、

大祓いのお勧め

2010年06月17日 08時29分47秒 | 私の「時事評論」
今日はちょっと気分転換に大祓いの行事を紹介してみます。穢れ多き現生は、定期的な心の中の大掃除が必要だと思うので。
 なんでも過ぎた失点を捨て去って、すっきり行こうという「生きる知恵」を、菅内閣ばかりに独占されることはありません。

 さて、6月になり全国の神社を参拝すると、多くの神社の境内には、写真のような人が潜り抜けられるような大きな青草や藁などの丸い輪が設けられているのに気が付かれると思います。
 戦後しばらくは、時代が慌しい中だったので、こんな風習も途絶えていたところも多かったのですが、最近は各地で見られるようになりました。これは茅の輪(ちのわ)といって、神社をお参りをする人たちが、半年に一回、人々の身体に付着した様々な生活上の汚れや憂いなどを祓い清めて、爽やかな気分で来るべき後半年を迎えようという日本人の生み出した社会の知恵の産物なのです。
 6月末と12月末は、日本人は年を二つに切るそれぞれの晦日(みそか)といって、家ばかりではなく、心の大掃除をして新しい気持ちでその後の半年を迎える習慣を持って暮らしてきました。
 私たち日本人は、一緒に暮らす人たちはみんな心のきれいな善人ばかりだと信じて、仲良く協力し合って暮らしてきました。「みんな本来は好い人なんだ」。そう信ずる私らは、この日本を見守られる鎮守の神様や天候、自然、気象などをつかさどる多くの神々や先祖たちのもとで和やかに生活しているが、どうしても日々の暮らしの中では気付かないうちに、けがれた心を持つことも時にはあるし、病気や不運、不幸などに見舞われることもあります。だがそれは、私たち本来の醜さではなく、世の中に漂っている汚れたものが付着して、明るく楽しく暮らせなくなってしまっているのだと考えてきました。そこでそんな不幸は、人々の心をはらう神様に折に触れて清めてもらって、また純粋でフレッシュな心に戻って、身辺をきれいに大掃除して過ごしていこう。そんな思いで先祖が作り出したのがこの大祓いの行事です。
 大祓いはこの神社にある茅の輪くぐりや、やはり半年に一回、自分の形に模した和紙で作った人形に、家族全員がそれぞれ名前を書いて、自分の身体に付着した「けがれ」などを神社に持参して、神主さんに晦日の日に纏めて祓ってもらう風習などとして残っていますが、日々の暮らしを皆が心楽しく生きていくための、いかにも平和で豊かで楽しい日々を皆で協力し合って生きていこうと務めてきた日本人ならではの飾らない風習です。

 少し難しくなりますが、この「大祓い」は、神話のイザナギ命(みこと)の禊(みそぎ)祓いの故事より生まれ、それが伝統化して、神社の制度が固まった最初の文献・平安時代初期の「延喜式」にはよって正式に制度化され、明治時代に入ると、国の大祓式として制度とされて、昭和21年まで続けられていました。
 
 世の中には様々な困った問題が渦巻いている昨今の時代です。それらの「けがれ」とされることの大半は、日本人の慣れ親しんできた従来のものから離れて、日常の生活姿勢や考え方が、最近、極端に日本の歴史から浮き上がってしまっていること、日本の文化をはぐくんできた日本人のDNPからは浮き上がった文化土壌が支配的になり、それに今の日本人の生活をつなごうにも、まるで木に竹をつなぐような形になってしまっていることなどがあげられると思います。こんな基礎構造の不安定な環境の上に私たちは暮らしているから、日常の暮らしで生ずる「罪やけがれ」はどんどん累積してしまいます。
 大祓いの儀式などをきっかけに、もっと私らの生活に、先祖たちが残してくれた日本人らしい生活がどんなものだったかに関心を持ち、私たちに生活をもっと私たちの身体や体質、精神安定に合うものに矯正していきたいと思います。

政治を評価される前に選挙を急げ!

2010年06月12日 19時29分21秒 | 私の「時事評論」
  民主党菅内閣の参議院選挙対策
 鳩山内閣で日本の政治はどう変わったのか。
 鳩山首相・小沢幹事長の民主党コンビが、マスコミなどの祝福の中、まるで日本に新しい時代が来るかのように騒がれて、鳴り物入りで発足した新政権が、期待と現実が次々に食い違い、僅かて八ヵ月で政権を投げ出してしまった。彼らが政権を担当したのは僅かの間にすぎなかったが、この内閣が日本国の権威を引き下げてしまった効果だけは、実に大きなものだったと言わねばなるまい。

 私はいま、一般にマスコミなどがこぞって称賛、その後一転して批判しているように、鳩山・小沢の民主党コンビを、日本の政治家として格別にダーティな男、金権にまみれて日本の政治を私物化しようとした悪人だから日本の政治担当者として相応しくないと断罪する声に同調しているのではない。政治の世界だけは、ほかの分野と違って人格者が集まるべきところなどとは思ってもいないし、一般の人が思うように、善人ならば専門知識がなくとも立派な政治家であるなどと考えるのは、国にとって最も危険で警戒すべきことだとさえ思っている。古くは英国のクロムウェル、近年ではイランのホメイニなど、私はそんな政治家を評価したくはない。私は鳩山・小沢政治のもっとも大きな欠陥は、そんな事とは次元の違う、彼らが国政のプロとしての基礎的常識が欠けていたのが大きな欠陥だったと思っている。

 国は単なる無力な仲良しクラブではない。それは所属する国民の生命、財産、領土、生活を守るために、時には個人生活を一部は奪い去るほどの強権を発動してでも国中をまとめて引っ張っていく力と権威を必要とする。それだけの力ががなければ、結局は国民を不安に陥れ、国政は成り立たない。厳しい国の機能を充分に知り、しかも権威をしっかり持ちながらも、国民の精いっぱいの自由な生活を保障するのが、立派な政治家としての力量である。とてもマスコミなどが無責任に言うように、お人好しの指導者ならば、理想の政治ができるというようなものではないのだ。そしてそんな政治指導者としての力量、認識が鳩山さんには欠けていたのが大きな彼の欠点であった。

 お人好しの素人にすぎなかった鳩山首相ー基地移転
 前々回のこの欄での「虹と光」の項でもふれたが、鳩山さんはそんな政治の厳しい側面に関しての知識が欠けていた。我が国の周囲には、日本などは強引に武力や経済力でつぶしてしまってでも、自国の生き残りを図ろうとして厳しくすきをうかがっている国がいくつももある。そんな国に占領されて日本人が主権を奪われ、国民の生命財産を奪われかねない危機は現実に存在している。そんな危機から国を守るのも、政治の大切な任務である。外交だってただの仲良しクラブではない。
 鳩山・小沢ラインの国防や外交路線はひどかった。近隣諸国に媚を売って歩き、それを国際親善と勘違いしたような朝貢貿易のような外交までをここで取り上げる余裕はないが、国防政策の混乱などには、全くあきれ果てさせられた。
 確かに今の我が国の国防体制は危険極まりない状態にある。戦後独立国として自国の国防に力を入れず、いざというとき、守ってくれるかどうかさえ分からぬ米国に自国の安全保障を託している始末だから危ないこと危険千番だ。そして日本が一方的に頼りにしている米国は、日本の防衛に協力するとの安保条約を切り札にして、日本のための防衛よりも、西太平洋やアジア諸国への米国の覇権の維持に重点を置いているとしか思えないように、基地を日本よりも、アジアへにらみを利かせやすい沖縄中心に配備している。決して日本のためとは言い切れない布陣である。
 鳩山さんがこんな米国の防衛体制が、日本国にとっては理想のものでないと感じたのは常識だし理解ができる。だが、そんな状態を日本にとって正常なものにしたいのだったら、その前に、日本の防衛は日本自身の力でやる方針に転換し、日本軍を中心とした独自の防衛網を構築するのが先にするべき仕事だった。戦後の占領ボケで、わが国内には国防などに力を入れるべきでないと反対する者もまだいるが、日本の南方や北方、領海内の島々が周辺諸国に脅かされ、北朝鮮からはミサイルが飛んでくる。不法占有された領土は帰ってこない。次はどうなるかを考えれば、これはすぐに手をつけなければならない問題である。だがそれもせずに、不安ばかりの安保体制をそのままにしてそれに我が国の防衛を託したままで米国の沖縄基地を動かそうとした。そして米国の反対を受けて挫折したのだが、これではつまずくほうが当たり前である。なんでまともな手を打たねばならないことに気がつかなかったのか。これはもう国の政治に無知としか言いようがない。
 基地問題に限らない。すべての民主党の公約は、この種の「どこから手をつっけるべきか」の視点を必要としなければならないものだった。それを順番も定めずに片片たる歪みだけを見て解消しようとして、相手につぶされるのではなく、自分のほうから自滅してしまった。これが鳩山内閣の行き詰まりの原因だった。

 
 鳩山氏の政権放棄を待っていたように素早く動いて、後任の座に就いたのが、それまで民主党の要職に就きながら、鳩山政治には、失敗せぬようにとの助言もほとんどせず、沈黙をして彼の失脚の時期を待っていた同じ民主党の副総裁役の菅直人首相だった。
 今までのんびり眺めていたのに、ここにきて急に動いた菅氏の素早い対応には、明らかに鳩山首相がすっかり国民に呆れられ、人気も最低限にまで落ち込んだのを待っていて、次の座を狙って、かねて準備を固めていたさまがうかがわれた。

 鳩山首相は退任のあいさつで、自らが躓いた原因として、国際権力機構の現実を見ずに、普天間の基地の移設問題で沖縄の住民たちに聞いて回るなどをして、身動きが出来なくなったことと、自らと小沢幹事長がそろって政治資金の問題で国民の大きな批判を浴びて、民主党の権威に傷をつけたことを挙げた。どちらも格好良くなかったが、そのほかにも自ら首相を退かねばならなくなった理由はいくらもあった。

 鳩山内閣は、国会での多数を得たのだが、それまで野党の時代に公式に公約したことを何一つ実現することができなかった。
 自民党の政権を批判して、自民党の予算には6,7兆円以上の無駄使いがあり、民主党が政権をとれば、それらの無駄を洗い出し、簡単に増税なき財政再建ができるとした鳩山民主党の一番の政治主張の柱は、全くの思い違いであったのか、実際に政権をとってみると、実現に少しも近づかず、それとは全く逆に、経済常識を無視したばら撒きで、自民党でもそこまでは踏み込めなかったほどの未曾有の大赤字の予算を組み、国家財政は待ったなしの危機的情勢になってしまった。
 私が最初から、これこそは意味のないばらまき行政の最たるものになると眺めてきた子供手当だってひどいものだ。公約の中で、唯一これだけは新内閣の公約の切り札であるとして実現させてみたが、その子供手当も、本年度だけは無理を承知で子供のないものへの増税を担保に予算化したが、予算が通り、まだ国民にはそれがほとんど支給をされない前に、その継続並びに増額に赤信号がともり、明年以降は、よほどの増税をせぬ限り、維持すら不能との情報が流れ、彼らが絶対しないと公表していた消費税の大幅徴収も避けられない見通しになってしまった。
 その他の彼らが掲げていた公約をみると、大宣伝で取り組んだ高速道路の無料化は、いざ検討を始めてみると、なんと自民党時代よりはるかに厳しい料金聴取体系に変更せざるを得なくなり、医療費や社会保障制度にも前進は見られず、官僚機構の縮小もならず、特殊法人などへの天下りも減らせず、そこからの予算引き上げで当てにした経費の節減もならず、道路や箱モノの縮小は地方経済に致命的なショックを与え、小さな政府構想などは絵にかいたモチになってしまっている。
 国の政治のもっとも基礎となるものは、国民の生命、財産、領土の保持と円滑な国民生活の確保とされる。その側面から現状を見れば、問題ばかりが山積していて、とてもこのコラムには収まりきれぬ。

 菅新体制はどう動くのか   
 後を引き継ぐ菅内閣は、施政方針演説だけは行ったが、鳩山時代に出された数々の公約などは、責任とって引き継ぐ気配も見られなかった。菅首相の演説は、これからの政治には、与党ばかりではなく、野党を含む各党のあげての協力を呼び掛けたところに特徴はあったが、目の前の選挙を意識して、具体的な政策はほとんど示されなかった。どうやら国民は、先の選挙で民主党にだまされた結果には、菅内閣に責任を取ってもらえそうにない。
 報道されている今度の参議院選挙への新内閣と民主党の取り組みを見るがよい。選挙で実現を公約する菅内閣独自の政策などは何一つ見えず、政府も与党も、ただ、鳩山・小沢時代の行き詰まりへの不満が、民主党への人気を下げた状況を前にして、その主犯の首相や幹事長が引退したことにより、政権担当者が代わって、今度は何かやってくれるかもしれないとの淡い期待でもう一度民主党へ人気が自動的に回復して、再度民主党に投票してもらうのが頼みの綱といったところである。そのためには、菅政治の独自のカラーを見せることなしに国会も休み、とにかく政治はこれから、当面は時に触れてのパフォーマンスに終始して、全力で選挙に取り組もうという方針だというのだから、呆れてしまう。国民の生活に対しての配慮などはどこにも見えない。
 新しい首相に交代して、「何か新しいことをやるかもしれない」との期待を国民がし始めているのに、何もやらないうちに選挙をしたほうが有利と判断する新内閣に何が期待できるのだろうか。

 この「何もやらないうちに、選挙をしよう」と決めた政府の姿勢は忘れないでしっかり眺めていきたい。これこそ、菅内閣の本心というべきだと思うからだ。