葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

夏も終わりに 閑話休題 

2012年08月27日 16時02分00秒 | 私の「時事評論」
 暑さも峠か

 振り返っても暑い夏だった。毎日の猛暑に、生きたまま蒸し焼きか干物にでもされるのではないかと思っていた今年の夏、だがそろそろ峠を越えたのだろう。朝夕には涼しい風が吹き抜ける時候になってきた。
 
 最近気になるのは、穏やかな温帯地方の時候がどこかおかしくなって、激しい気象が当り前になってきたこと。明治時代からの東京近辺の避暑地兼避寒地・鎌倉という都市圏と比較すると確実に2~3度以上、冬は暖かく夏は涼しい海と山に囲まれた隠居最適の街に暮らしているのだが、それでも暑さ寒さに愚痴のため息も出るようになってきた。
 
 昨年は6月に一緒に暮らす孫の幼児が何万人に一人という急病に倒れ、横浜の大学病院に長期入院の夏であった。息子夫婦と日程表を組んで、毎日この子の見舞い・付き添いに日を過ごした。暑い夏だったのかもしれない。病院への往復、昼前に家を出て夜8時を過ぎて家に戻った。まだ2歳にもならない孫息子が懸命に治療している。それを思うとわが身が暑い環境にいることなど考える余裕もなかった。孫は懸命に治療に耐え、病院は最新の技術で対応してくれ、年末には無事に退院をすることができた。私は生涯を神道の国・日本のため、浦安の日本を築くためと神社の世界で筆をとって来て、引退の後もその余韻を引いて暮らしている男だ。だがそんな私だが、この幼い命が無事健康を回復して我が家に戻ってきたことが、天下国家よりも貴重な神々よりの宝物に思えた。
 
 この子はすっかり「爺ちゃん子」になりきって、私の溺愛の中に我が書斎に入り浸り、退院後の経過も良好で日々明るく暮らしている。
 
 この夏は、私どもが住むマンションに付属するテラスの庭で、子供プールでの水遊びに興じている。木が多く藪蚊が多いので蚊取り線香を何本も焚き、傍らのロッキングチェアーでたばこを吸いながら孫に水をかけられるのが日中の楽しみである。昼寝をすると書斎に戻って好きな文章などをパソコンに打ち込んでいるが、すぐに孫がやって来て、私の膝によじ登り机に上がって、パソコンのスイッチやキーボードなどを押しまくり、ネットで童謡などの動画をせがむ。私のパソコンにはこの子好みの歌の動画や電車やバスのショートカットが100曲以上並んでいる。
 

 朝起きると、陽が高くならない早朝に妻を伴いお宮参りに行く。私が幼児のころから通いなれた神明宮と御霊神社だ。両社には以前からよく散歩に通ったが、孫の入院以来、毎朝欠かさず散歩を兼ねて病気平癒の参拝に行き、昨年6月からまだ1日も欠かしていない。

 こうなると、やむを得ぬ所用があっても、お参りしないと御祭神に誠意が欠けると判断されそうで、ありがたいとともにちょっと迷うことがある。孫の入院中、父の従兄弟にあたる伯父と同じく父の従兄弟の夫になる方がなくなった。我が家は江戸時代以前からの九州の代々神明に奉仕していた神道の社家、血の繋がりは濃い。特に私の曽祖父以来、その類縁の方々とは、いまでも緊密な連絡を取り合って生きている。だが葬儀となると方や長野でもう一つは福岡、通夜と葬儀は一泊二日はかかり、遠隔地のため参拝は無理だ。私は葬儀の日だけ妻に代参を頼み、やむなく計二日は代参で過ごした。今年は九月に九州で同様の法事ごとがあり日程は4日。
 
 今度は私ら夫婦もいつまで九州に直ちに駆けつけることができるか分からぬので、妻も誘っていく予定でいる。今度は妻に代参は頼めない。ちょっと悩みにしているので付け加えた。

 
 今年は暑いが、孫に無理は禁物と鎌倉で過ごした。息子一家がこの子の健康回復のお祝いにと一泊で軽井沢に出かけたが、我々夫婦はその二日間を休養するために我が家でのんびり。

 
 
  さるすべり咲く

 以前は北に山を背負い、広い庭のある近くの家に住んでいた。父が死んで10年して、程近いマンションに転居した。北側に山を背負い、南が開けた広い敷地、そこの3階建で10世帯が入っているのだからまあ贅沢な家。一階なので専用の庭があり、我が家専用の外から直接庭に入る通用門もある。
 
 そこの今まで住んでいた庭から持ってきた思い出の木々を植えた。その一つ、一尺にも満たない百日紅の小枝の挿木が花をつけた。六月に台風が来て塩害で新芽がすべてダメになった。懸命に手当てをして新たな芽が育ったのだが、遅ればせながら思い出の花の色だ。

 
 高さがもう二階にまで及び、すっかり成長した百日紅はかつて住んでいた昔の頃を思い出させてくれる。
 テラスにおかれたロッキングチェアー、これは二十年ほど前に娘が部品を刈って来て組み立てて私の誕生日プレゼントに贈ってくれたものだ。

 
 ギッコンギッコン、椅子を揺らせてもう60年近く、止められずに続いているたばこを吸う。目の前でキャッキャとはしゃいで私に水をかける行水中の孫、まあこんなところが私の行きつく至福の限界なのか。
 

 時々サッと涼風が吹く。

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