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No ba鎌倉・御霊神社
面掛け行列
おなかが膨れて今にも生まれそうな妊婦を中心に天狗や七福神のような奇怪な人々が続く―――。秋晴れの今日、午後から鎌倉では県の文化財にも指定されている御霊神社の面掛け行列が行われます。
場所は鎌倉駅より江ノ電で三つ目の長谷駅下車、徒歩5分の極楽寺へ向かう江ノ電の沿線にある御霊神社から2時40分出発して同神社の氏子区である鎌倉市の坂の下町内。日ごろは平日でもあり天候も優れぬときが多いので、必ずしも多くの見物人によく知られているということではないが、今年は台風一過の素晴らしい好天日、さまざまと鎌倉の地を愛して話題にする人は多いが、その一点の清涼剤的なエピソードとして、この話も組み入れておいたら面白いのではないか。
なおこの日は御霊神社の例祭にあたり、この前一時からはこれも鎌倉・藤沢に伝わる地域伝統の神事・湯立て神楽が境内ではにぎやかに開かれる(午後一時より)。
御霊神社の面掛け行列を地元の人は、「行列」、「孕み人(はらみっと)行列」、「乞食行列」などと呼ぶ。差別用語を含み、あまり表では派手には使いたくないが、地元の人々に親しみを込めて眺められている証拠でもある。衣装などは昔から同じものが長年使われているもので、屈強な男たちの数十年の汗で、とても息苦しいものになっているのだそうだ。
話はここに幕府を開いた鎌倉時代に戻る。俗説にはさまざまな伝承があるが、鎌倉幕府を開いた源頼朝の手をつけてみごもらせてしまった女性及びその集団の行列だと伝えっる俗説が楽しい。
頼朝は武威をもって鎌倉に天下を支配する幕府を設けたが、終始彼にしたがって動き、彼の妻であり、また彼を支えてきた北条氏の娘・正子に目が上がらなかった。もちろん、男の甲斐性・浮気などをしようものならどんな仕打ちを受けるかもわからない。
そんな頼朝が鎌倉を支配する地元の部族の娘にひそかに手をつけて子供を身ごもらせてしまった。さあ大変!。頼朝の家来たちは大慌てをしてその娘の部族と交渉、娘及びその一族の鎌倉における自由な行動を幕府が保証することで決着した。その故事を引き継いだ御霊神社の氏子たちはこうやって毎年妊婦とそれに従う天狗や七福神の行列を演じ続けて現代にいたっているという。
ものすごく雑駁な記述だ。もう少しましなものが御霊神社の境内にも掲げられている。またこれに関する考証や研究もある。だがここでは、鎌倉での伝統的漁師たちの住む区域、坂の下の代々口から口に語り伝えて残されている伝承をおおざっぱに上げるだけにとどめたい。この神社には浜辺の漁業の守護神らしいこの種の話がほかにもいくつか残されている。
ごちごちの鎌倉幕府さえもこの種の笑いの中に包んでしまう。これが日本の庶民の姿、新党はこんな要素も多分に持っている。
午後の行事、行ってがっかりするものになるかもしれないかとは恐れるが、私個人としては一見の価値ありと思う。東京から鎌倉までは一時間、鎌倉から長谷までは12分おきの江ノ電で6分の至近距離である。
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