葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

陛下ご入院の陰に――日本の皇室の特徴

2011年11月18日 21時20分05秒 | 私の「時事評論」


 天皇陛下の御入院が思わぬ長期化をしている。御高齢をおしてひたすら激務をこなされてお疲れ気味の陛下は、御入院前に、すでにお具合が良くなかったのに、ご無理をされていたからか症状は殊のほか重く、さる6日に御入院をされたあともなかなか好転されない。お咳も止まず、お熱も39度近くまでたびたび上がり、御退院にはなかなかいかない御様子である。体力が弱くなっておられるのだろう。御退院になられても、通常の状態に戻られるには、かなりの期間の御静養が必要だと見られる。宮内庁からは陛下の御入院の直後には、早期御退院の見通しが発表されたのだが、その後、御予定が再三延期されて現在にいたっている。

 11月の陛下の行事には、ことのほか重要なものが重なっている。宮中祭祀では、最も重いおまつりである新嘗祭があり、御公務でも秋の叙勲の関係行事やブータン国王夫妻の来日やその他外国よりの国賓の御接受などなど。秋恒例の行事も多い。重なる日程を眺められて、陛下も入院までにできるだけのものをこなし、早くお仕事に復帰したいとお思いでいらっしゃったのだろう。

 だが国民として、ここでの御無理は極力避けられて、ぜひとも今後にしこりを残さぬように確りと療養に御専心いただき、何よりも健康を回復されて今後も御活躍いただきたいと願う気持ちでいっぱいである。



 皇族方の御活躍

 幸いにして陛下の御不例のもたらしている穴は、皇族方のご協力によって埋められている。皇太子殿下が陛下の国事行為臨時代行というお立場で、憲法に基づく政府の行事を代行してお忙しく飛び回っておられる。それでも埋めきれない部分は、弟殿下の秋篠宮さまが補っておつとめいただいている。皇后さまも陛下のお気持ちをくんで行事に参加され、また御子息である両殿下の背後でお支えになっていらっしゃる。去る15日も、山梨・長野県とお出かけになられた皇太子殿下のご不在の折には、秋篠宮が叙勲された方々を皇居に集めての会合で、陛下のお言葉を伝えられた。また御所にて、南アフリカの国民議会議長府債との懇談もおつとめになった。国賓として我が国に来られたブータン国王夫妻の歓迎式典には皇太子殿下、秋篠宮殿下ご夫妻などがお揃いで出席され、式典ののち皇后陛下が国王夫妻の宿舎を訪ねられ、歓迎宮中晩さん会などの行事も、皇太子殿下が陛下に代わって御招待役を務められ、秋篠宮殿下ご夫妻や同妃眞子さまも御出席になった。

 陛下の御不例は一時的なものではあっても国民均しく心配する出来事である。できることならばそんなことはあってほしくない性格のことである。だが、こんな事態が御世継のお立場にある皇族方のそれを埋めての御活躍につながり、皇室国家日本の土台を固める効果があることも注目しなければならないと思っている。ただ、宮中には天皇陛下お一人の斎主をされる専権事項である宮中祭祀がある。これは皇族方でも簡単に代行できる性格のものではない。だが、陛下の御意志によって陛下を代行する役を担う掌典長などが祭典の諸役を実施することも、このような場合には止むを得まい。

 天皇陛下の御まつりは人間関係の俗務ばかりではない。古い言葉だが「皇祖皇宗」よりの神勅を受けられ、それを受けられた「祀り主」である陛下がただご一人のお立場において行われる天皇としての祭りがある。たとえ皇族であっても、陛下の臣下である我々や役人などが干渉して良い性格のものでないのは勿論であるが、御不例時の進め方は、陛下のご指示を得て、陛下が臨時的に神々にお許しを頂けると思われる方法により進める以外にはないだろう。



これを機会に日本の皇室の本質を見よう

 よく「天皇は無私である」などという言葉を耳にする。国のため、国民のために、己の私利私欲、御家族のことまでを忘れて、すべてを国民のためにと神々に祈り、日々をその国のためにと進退される天皇陛下を指しての言葉だ。それを背後でしっかり支えられる皇后陛下。両陛下のお仕事をひたすら支えようと協力される皇太子殿下、秋篠宮殿下をはじめ皇族方。これが日本における天皇制度の姿である。二千数百年という比類のない長い伝統に支えられ、時の流れ、時代の変遷を超越する日本の皇室、天皇のお心は初代の天皇から今上陛下まで、歴代の天皇御自身のお身体は替ってもお心は一貫して変わらない。そんな陛下のお心を「大御心=おおみこころ」と申し上げるが、こんなふうに代々身体は変わってもその精神性は変わらずに、代替わりのたびに再び精神力が強まるという考え方は、日本文化の特徴である。話は少しずれるが、日本の精神生活の中心になる神社、天皇が自ら直接お祭りをされる神社である伊勢の神宮では、式年遷宮と言って20年に一度ご社殿から神社の装備、御神宝などをすべて新しく20年前と同様に新しく作り直し、そこに御神体をお遷しする。これも考えてみれば「大御心」と同じ発想である。天皇さまはお題が変わるたびに、初代の天皇から受け継いだ同じお心で天皇としてのお努めをなさるが、伊勢の神さまも20年ごとに、同じ神さまが新しいご社殿に住まいを移されて、いよいよお力を強めて御神威を発揮される。

「蘇り威力を高める」という発想が我が国文化にはあり、天皇制度もそのようなものと信じられている。世界の国々には日本のほかにも国王制度を存続している国はあるが、それらと比べて歴史が違う。このような思いを基にして連続して続いてきた日本の皇室は、このように時代を越えた連続性を持っている。

 皇室が一度も中絶されたことが無い一系の王朝のもとに継承され、ひたすら神々の天皇に託された神勅に基づいて国民(おおみたから)のことを考え、己の私的な感情を捨てて統治に務められてきたと信ずる歴史は日本国の誇りである。余談にずれるが、最近、御世継の問題などを巡って、女系(女帝ではない)継承など、王朝が代わる変更を軽薄に皇室に導入しようとする論などが生じている。だが、数千年の間かかって先祖たちが築き上げてきた皇室の制度を、ほんの目先の思いつきのような軽薄さで簡単に変更してしまう軽々しさを認めて良いものだろうか。

 少なくとも皇室が生まれた時代から現代まで、皇室護持にかかわってきた人々の思いをしっかり受け止め、彼らのすべてが、2000有余年の歴史でいままで例が無いやむを得ない時代になったと得心し、それにより、日本人の心に生きてきた皇統というものの変更以外に存続の道が無いと同意するだけの努力のあとで無ければ、安易に変更してはならないのは当然である。存続してきた一系の伝統は、一度切断してしまったら、もう戻すことができない。そして皇室に対する国民の崇敬心は理屈や論理で決まるものではない。「変更したのだから、従来の思いを捨ててこう思うようにせよ」などと言われて、皇室への崇敬の心が切り替えられるものでないことも知るべきである。

 日本の皇室制度は日本の代々の天皇がたが、万世一系の天皇が民のために祀り主として神々の前に、己を捨てて祭祀を続けられる「大御心」を不断に継承されてきたことを中心にして歴史を重ねてきた。それが国民の精神生活にも、生活の軸であった祭りとともに、しっかり刻みこまれてきた。天皇さまとまつり、そして鎮守と日本人の精神生活における祭り。その結びつきがいつの間にか、国民の精神生活を含む日常のあらゆる面が皇室と溶け合ってしまう独特の日本型社会を作り上げ、その上に日本の文化が成り立つようになっている。そんな日本文化の核となっている皇室と、諸外国の王制との性格の違い、そして国民の持つ意識を軽率に見落としてはならないと私は思っている。



外国の王制の事情などと安易な比較はすべきでない

 そんな日本の皇室を、起源をたどれば数百年前に、その国を征服などにより支配する覇王になった他の国の王およびその王族方と比較しようとしても無理がある。歴史においても成り立ちにおいても決定的な違いがあるからである。それを見落として軽々しく動くことは、たとえ皇室を存続させたいとの善意から発したことであっても皇室にとっては有害になる。日本の皇室がどのような歩みをしてきたのか。皇室と日本人との間にはどんな感情が交錯しているか。それを深く知ることなしに、軽々しく皇室を旧来の形と変えてはならぬ。私はそう確信している。

 現代においては、それまでの歴史の歩みの違いはともかくとして、政治の形態はどこの国、どんな王制を残しているどの国においても、世俗実務の政治は、民意を反映した議会制度的な制度ができて、政治の行政、経済、軍事、治安などの実務は王室をいただきながらも民選の代表が実際には担当するような時代になり、王制の形は通常ではかなりに儀式的なものに代わってきた。それは国の政治を世俗に限定したものと捉え、国民を権利と義務の二次元でとらえ、どうすれば国民の世俗の権利が最大化するかという欧米型の政治学に基づくものであるが、それはそれで一見合理主義で分かりやすいように見えるが、世の中にそんな俗権の政治実務など以外の神聖なるものもまたあること、広がりがあることなども見落としがちな欠点がある。とくに日本の皇室には諸外国の王室に比べて、はるかにみやびやかな特徴があり、世俗の実権以外のものを持っている。

 日本の皇室制度、これは日本独自の世界に類例のない存在である。より言葉を足せば、西欧型の世俗政治の概念は、表面だけを眺めれば日本にもそのまま適用できそうに見えるけれども、皇室制度が日本人の生活にどれほどの影響力を持っているか。それは我々の生活にとって、どんな価値があるものなのか。そんな角度から皇室を眺めると、そのままあてはめてしまうのは無理があるといわざるを得まい。その点だけは充分に知ってもらいたいのだが、それは、単に両陛下やそれを支える皇族方のいまの動きだけを眺めているだけではわかるものではない。皇室が国民たちすべてにどのような影響力を持ち、国民に支持されてきたものであるかの側面も、政治制度の脱精神の機構図以外に合わせ見なければならないとおもっている。



憲法に含みきれない皇室の存在の大きさ

 政治の組織図を憲法などから見ると、日本の国の政治や行政、司法などの基本であるとされる憲法には、権力機構である国家組織においては、どこにも天皇制度が特別の力を持ち、時の国政を左右する権限を行使する実力者であるというような規定はないように見える。ただ天皇は国の象徴であり、国民統合のシンボルであると規定され、いくつかの法の定める国事行為を、内閣の助言と承認に基づいて行うと規定されているのみである。これを見て、憲法がいまから65年ほど前に日本が戦争に負け、日本に進駐した占領軍によって書き換えられたものだからそうなっている。憲法を改正しなければどうにもならないと熱心にいう人は多い。

 それはある意味ではその通りなのだが、しかしそれだけ主張していたのでは満足な説明にはならないだろう。日本にはその以前から、明治維新で日本が開国した後に設けた大日本国憲法という憲法があった。それは明治の日本人がこれからの日本の進路を定めようと英知を集めて作成した憲法であったが、その憲法も決して天皇の俗権としての国民支配を規定したものではなかった。表現の文面に用いられた用語の国語的内容にとらわれてはいけない。政治制度としての組織の構成と、その憲法とともに、解釈として定まっていた不文の慣習を相互比較して見ていただきたい。すると、むしろ政治の制度としては、どちらも立憲君主制の憲法であり、旧憲法も新憲法もかなり共通の具体的内容のもの、ただ、旧憲法が当地の大権という天皇への礼儀を条文に明記している点において、常識的なものであったともいうことができる点が大きな違いと言えるのかもしれない。

 いまの憲法上で見ると、天皇の権能は決して大きくないものに縮小したいと心がけているといった「国語的な」表現方式は取っている。それは憲法そのものが、日本の伝統や文化の精神性を否定して、日本を西欧より古いものと見下そうとする占領軍の意図の下に作文されたのだからやむを得ないものだろう。なにしろこの憲法はまず、占領軍によって英文で書かれたものを日本政府が英訳したものだった。


 だが、新憲法を定めた後の我が国の実際の生活を見ると、皇室の国民生活への影響は、憲法などよりも限りなく広く重い影響力を現実に及ぼすものになっていることが分かる。憲法をみれば、国の最高の権限を持つことになっている首相や国会議員などの行動には、何の関心も示さない国民は、両陛下ばかりではなく、それを取り巻く皇族方にまで、深い関心を隠さない。国の責任者が失脚しても、なんに関心も示さない国民が、陛下がお風邪を召されただけでも重大な関心を持つ。震災のあとを首相が視察に行っても、ヤジで追い返すような被災者が、両陛下のお見舞いを受けると感激して涙する。これは、それほどまでに皇室は国民にとって大きな影響力を持っている証拠である。

 日本の皇室制度というものは、学校などで教えられたような、ただ通り一遍の政治的な無力で必要の無い存在では決してない。政治などの及ばない国民の生活の隅々に至るまで、それと深く結び付いている存在である。また、日本が政治的機能がマヒして本当に困ったときは、天皇が直接憲法上に実務をおふるいにならないでも、国民を行き詰らせないように声をかけてくださる存在としてまで、期待しているように見えるほど、均しく尊崇している存在なのだ。

 そんなことを言い出すと、天皇制の過大評価だとの反論が起こることだろう。だが我々は憲法だけで生活をしているわけではない。広い国民生活の中で、政治にかかわる面では憲法の定めを用いて生きている。だが、日常の人間関係、社交、精神生活、愛情、信仰、忠誠、好き嫌いなどの情操面、信頼関係不信関係、趣味の関係など、憲法が規制をしない政治以外のものはきわめて多い。それらの中に、長い歴史が天皇制をしみ込ませている。天皇は政治的な権能を有さないと国民と政治との権利義務を規定する憲法にはそう書いてあるのかもしれない。だが、日本の歴史を振り返って見ると、日本の国が混乱し、将来どのような時になるかが分からなく、大混乱になった時には、いつもこの日本の再生に期待されたのが皇室であった。皇室は国民を独裁的に支配などはしない。ただ、日本を正そうとする者に権威づけの役割を果たされる可能性を持つ。国民が強くそれを望む時は。今でも、日本の国民気質はそうなっているのかもしれない。あるいは混乱のまま行き詰るのかもしれない。

 ただ、ここは日本だ。混乱の世の中を賢く生きるために、もうすこし天皇制度のことを深く知ってもらいたいと思う。それが必ず将来に役立つ時が来るだろう。



 註 天皇制理解の入門書としては、やはり戦後の長い時代を天皇批判の厳しい風潮に抗して、一貫して皇室の重要性を第一に掲げ奮闘した葦津珍彦(私の父・あしづうずひこ)の皇室論がよいと思う。あまり宣伝臭くしたくないが、

 http://ashizujimusyo.com/sub1.htmlの「日本の君主制」などが手始めで、それをとっかかりにして深く知識を深めてもらいたい。書籍はこのコラムからばかりではなく、アマゾンなどでも自由に購入できる。これは天皇制を支持するものばかりではなく、それに批判的なものにまで、評価された我が国天皇制の解説書と言える。


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2 コメント

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先が心配です (三四郎)
2011-11-28 17:56:02
ご無沙汰しております。
この時点では天皇陛下は退院されてますので、まずは一安心と言ったところでしょうか。
天皇陛下が入院されてる間、皇太子殿下が臨時に代行されたようですが、ここで疑問に思うことが一つあります。それは雅子さんです。
娘の愛子さまの登下校には付き添ってるのに、何故か天皇陛下の入院中も一度もお見舞いに行かれてないようです。叉、国賓としてお迎えしたブータンの国王夫婦の晩饗会にも出席されてないご様子。統合失調症が原因してるのかどうかよく分かりませんが、最近の雅子さんの行動は理解し難いところです。
我々市井の民から垣間見れば、彼女の態度は皇室軽視としか見られません。国民の理解あっての皇室である以上、彼女が今の態度を続けるとしたなら、皇室に対する国民の目も違って来るような気がしてなりません。
所長さんはどのように感じられているのでしょうか。
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三四郎さんへのお答 (yasuashizu)
2011-11-30 20:59:06
おっしゃることは理解できます。
私もいろいろ考えているのですが、精神的な問題もあるでしょうが、皇太子妃殿下並びにそれを支える人たちは、皇室というものが一体どんな存在なのか。その本質を歴史に照らして深く考えていただきたいなと私は考えています。
日本の皇室の原点は「無私」にあります。全国民のことをひたすら思い、己を捨てて祈念するお立場であるのだから、そのお立場を全うされようとすれば個人的には家庭もない。それも己の私に通ずるからです。
そんな己を捨ててのひたすらのお勤めに先進されているのだから、国民のほうが皇室の方々のことを逆に心をこめて考える。言葉はえげつないが、そんなお方だから、皇族の費用のすべて国費であって、我々がそれを負担する。そうじゃないかと思います。9048
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