野田内閣の提出した消費税の増税に関する提案類がようやく衆議院を通過した。与党内で、この提案に反対票を投じた小沢一郎率いる造反分子がこれからどう動くか、今週早々に行動を開始すると宣言している。どう展開するかは不透明だが、はっきり言えることは、この分裂した民主党の騒動により振り回されて、政府や国会が、国民の行政に専念する状況は当分まだやってこないということだろうか。
だいいち、この増税案は直ちに実施するのではなく、再来年度から実施するという先の長いもの。しかも上げる率は当初は3%で、一年半してさらに2%、ここでようやく10%にしようという提案である。「赤字国債の累積が国家財政を救い難い破綻に追い込む前に対応しなければならないという緊急の要請に対応するために」と野田内閣が提出した法案だとされている。だがこの説明も釈然とはしない。増税を何に使うか、与党の民主党と修正をした自民・公明党とは言っていることが違っている。もし我が国が増税により、これで幾分でも福祉負担が圧迫する財政状況を改善させるのが目的なら、老人人口が増えてやがて若者一人が一人の老人を世話しなければならなくなるという現実を解消しない限り、それは焼け石に水のように思えるが、たとえ焼け石に水であっても、せめて赤字国債を抑えるために欧米並みの20%程度に直ぐ上げなければ意味がない。このままでは、赤字国債は減少するよりも、逆にどんどん増え続けるのは自明だからだ。しかもその増税の内容は、野党である自民・公明との修正協議によって、当初野田内閣の期待したものとは似ても似つかぬものに姿を代えての成立だった。
数の上では圧倒的多数の衆議院の議席を占めている民主党だが、党内には共通の政治目標など無く完全に分裂していて、掲げる政策に関してまとまりがない。投票自体が党の指示通りにはならない政党である。国民生活は少しも改善されないので税収は下がる一方。民主党が公約した無駄な財政支出の圧迫だって官僚組織が言うこときかず、ほとんど手がつかないありさまだ。そのため野田内閣は増税もやむなしとしているが、これが政府の税収増に結び付くという保証もない。さらに党内の小沢一派、鳩山一派などは断固増税反対で、民主党自体が統一見解を出す能力の無い集団になっている。
民主党の党内政策不一致は結党以来の伝統で、衆議院選での大勝による政権奪取の直後には、もう鳩山・小沢・菅の組んだ指導部の能力の欠如がだれの目にも明らかになり、次の参議院選では過半数を割る結果になるなど、とんでもない与党・民主党の姿である。
今回の増税案も、参議院での議案通過が無理で、このままでは参議院で否決されるのは明白。やむなく野党の自民・公明の要求に全面屈服、法案を呑んでの修正になったが、この法案のどこに野田民主党らしさが残っているかは疑問の残るところ。議案は提出が野田民主党内閣である、将来消費税を上げるということのほかは、殆ど内容は骨抜きにされたものになっている。
事態はとんでもないことになっている。日本国には、今でも国政を議する国会もあり、行政を担う政府もある。だが政治の現実を見ると、まともな国会審議は行われず、政府は次々に起こる政治課題に振り回されるだけで、利益団体の強引な要求だけは認めて、おかしな決断だけは踏襲するが、自分の力で意思発動の政治はできない。野田内閣としては、せめて形式だけでも自分が何らかの決議を行って、内閣指導で行政を実施しているという実績がほしかった。それがこの消費税関連法案の衆議院決議になったのだろうか。
これがこのまま衆議院を通過しても、結果として何が残るのというだろうか。私はただ、野田内閣でも、政府でも法案を通過させることができたという実績だけが示されたにすぎないのだろうと評価をしているのだが。
二大政党を夢見たのだが
日本の政治はこの方、二大政党を目指して進んできたと言える。健全な二つの政党が並立し、保守的な党と進歩的な党が選挙によって交代して政権を掌握する。そんな物語が政治家やマスコミなどで夢見られていた。民主党はそれを唯一のスローガンにして、我こそは自民党の後釜を引き受ける政党だと主張し続けて、ようやく政権を握ったが、あまりにも行政能力が拙劣で、日本をとんでもないところに追いこんでしまった。これは主として小沢一郎氏などの画策で、選挙制度などを大きく変更して実現したものだったが、現実は無残な結果に終わってしまった。今の日本に二大政党制などはありうることなのだろうかとの疑問が残る。
それまでの日本は名称こそ日本自由党、日本進歩党、日本共同等、自由民主党などと時々変更され、集合離散も繰り返してきたが、戦後体制の総合体であるいまの自民党という巨大政党があって、残る半数以下を少数政党が議席数を分け合うという変わらぬ構造で進んできた。自民党は占領後、追放されずに米国の占領政治に従った政治家や戦後派親米勢力の集合体だった。日本人は民族的に対決闘争を得意としない。できることなら一つになって集団をつくり、その中で様々な立場のものと調整を図り、それで共同社会をつくっていく癖がある。それが占領以来の自民党という集団なのだ。西欧の51%が49%を支配するという支配権を奪い合う発想が馴染まない国なのだ。これは日本という国に住む者の民族性なのだから仕方がない。
そんな日本が戦争に負けた。日本を占領した戦勝国アメリカは、日本の政治制度を根本から変えた。日本国民の意思でではない。米占領軍の命令で制度を代えた。その体制を継承しているのが自民党だ。その後日本に戦勝した米国とソ連圏が対立し、日本にもソ連の影響を受ける社会党や労働党、共産党なども生まれるには生まれた。そして米ソ対立が米国の有利に展開、ソ連と中国が対立し、ソ連が崩壊し、種々の変化も世界には起きた。それらのいわゆる左翼政党は、選挙においては常に少数派、国政には殆ど影響力がなかったが、日本が自民党の独裁政権であることを隠蔽する隠れ蓑の役割を果たしてきたと言えるだろう。占領体制は国内に網の目を張り巡らせた官僚や財界、業界、その他と結びついて組織が固まって現在まで続いてきた。
この絡み合った戦後体制が生き残り、官界はじめ政界、財界、学界、マスコミなどに大きな力を果たしている。それらは生き残るために根をほつれ合わせて生きている。それを分断する以外には、日本はいつまでたっても一党独裁の国であり、二大政党の構想などは生まれる余地のないものなのではないか。自民党の長期政権はそんな日本の戦後体制がもつれ合いながらも一つになって日本の政治を取り仕切ってきた姿であった。
確かに自民党の独裁的な支配体制は、長く続きすぎて飽きられて力を失い、そのたびに様々な連立工作を繰り返しながら伸ばせるだけ寿命を延ばし、反米で対決していたかつての共産政権の追随者なども自民グループと交わるようになって、表面だけは姿が変わり、ついに崩れて今回の民主党への政権交代になった。
だが次に政権を担った民主党は、新しい思想を担った新勢力ではなく、戦後体制という枠組みの中で、自民党という我が国を支配してきた戦後体制から時々の争いで脱落した落ちこぼれが集まって、自民党が政権の座を取り落としたときに、それを拾おうとの思惑だけで有象無象が集団をつくっただけの組織であった。二大政党に立候補しても、受け皿になれるだけの力がなかったのだろう。そう思うと、今の民主党政権がひ弱であるのも当然と思えるようになってくる。
健全な二大政党制になるためには
建前通りに議会が国政の立法機関の中心となり、議会が政府を選出するという制度をとって運営されるためには、健全な受け皿が日本にもできて、機能しなければならない。
私はそれは日本を戦後65年間独占する形で政治を担ってきた戦後体制を支持する者と、占領政治をうち払って、日本がそれまで求めようとして求めきれず、軍国主義や西欧礼賛主義などのために夢を果たしきれなかった日本の本来の伝統保守主義者との二大政党に求めるべきだと考えている。それは私の頭が古く、まださらに新しい未来に生きる政治理想を掲げる勢力があるというのならそれを加えて三党対立ででもよい。そんな中から国民の選択により、未来が決せられるのでなくては、今のように、辛うじて既得占領政策にしがみついているものと、その落ちこぼれとの間で、どちらが良いかと争うような状態では、ろくなことになるとは思えない。
どんどん国にとって大切な課題が積み残されて、何も解決されずに大騒ぎのみが繰り返され、国民の政治はどんどん放置されて腐っていく。そんな政治はそろそろ国民の知恵で追放すべき時期なのではないか。
少しまだ消化不良の論ではあるが、私はそんな感想を持って今回の騒動を眺めている。