葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

天皇陛下は首相の部下ではない

2009年12月16日 14時36分54秒 | 私の「時事評論」
天皇陛下は首相の部下ではない

日本国始まって以来の暴言

 ついに日本の歴史を根本から覆そうという無法な集団が日本の政府としてのさばる時代となってしまった。

 宮内庁が陛下のご高齢と健康上の理由で,陛下に突然無理な日程を組み入れてほしくないと切望するのを強引に無視、来日した中国の要人に「ほかの日程を削れ」とばかりに、陛下の予定を変更させて会見させる事態が起こってしまったのだ。私は格別に、来日した中国の習近平副主席に格別の反感を持っているわけではない。ただ、陛下のご日常は、たとえそれが首相であっても、指示し命令する資格はないと思っている。
 
 陛下はそれでも副主席にお会いになって、この事件は一応、ここで収まる形になった。中国側から面会を頼まれた日本政府も、一応ことが終わって「うまくいった」と思っているのかもしれない。

 だがこれは小さな事件かもしれないが、日本の国の将来に大きな禍根を残す問題に発展する可能性を秘めていると私は思っている。なぜならば、それは天皇制度の認識にかかわってくるからだ。現在の日本では、日本の名目的にも実質的にも我が国のもっとも中心的な存在とされている天皇への理解が、こんな事件によって従来とは大きく変更されかねない事態が起こりかねない危機が感ぜられてならないからだ。

 来日する中国の首脳に天皇陛下を面会させろとの圧力は、鳩山首相の率いる政府の、宮内庁への押しつけの形で重ねられた。だが、後ろにいる黒幕は明らかに小沢民主党幹事長であった。

 小沢は選挙で民主党が圧勝した余勢を利用して、明瞭に自分のもとに権力を一手に掌握して、日本の国を自分の思うままに強引に持っていこうとしていま、躍起になっている。

 ダーティな影が災いして、これまでに何度か試みた政権掌握が、常に目前で挫折してきた小沢にとって、今回の鳩山内閣の成立は、生涯最後のチャンスと映っているだろう。

 金や癒着に関する黒いうわさが次々に発生して彼を押し包み、加えて小沢の失脚ののちにその地位を譲り受けて党首になり、首相の座に就いたいまの鳩山首相。今度は、その鳩山首相までが自らの不正経理の疑惑の中に巻き込まれている。

 小沢にとって最後のチャンス、これを逃したらもう、彼らが捲土重来に成功するチャンスはもう来ないだろう。それを計算し、機会は二度と来ないと思い込んでいる小沢には、黒い霧などで足踏みなどをしている余裕はない。

 小沢は自分が疑惑で失脚する数か月前まで、自らが野党民主党の党首だった。そして自らが党首だった時、国民には耳触りのよい空想的な独自の反日米安保宣伝を展開して、米国のアラブやアフガン戦略への軍事協力を拒否する方針を示して、すっかり米国の信用を無くしてしまった。

 そうなると、良かれ悪しかれ、アメリカから見放された半属国の立場になってしまう日本の、これからの道は独自外交を展開するかには、自らの前言を翻してふたたび米国のもとに屈するか、あるいは中国や朝鮮に対して、千年も前のような朝貢貿易に徹して彼らの手下になるしかなくなってくる。もちろんこのほかにも、日本が健全な独立国として発展していく道が残されているのだが、いまの民主党や鳩山小沢の頭の中にはそれはない。

 それを小沢は第三の道、中国を宗主国と仰ぎ、明治維新当時の朝鮮王国の末期のような道を進もうと決断、いま、なりふり構わず国を引っ張ろうとしている。こんな状況が背後にはある。

先祖がえりの朝貢貿易の夢を抱いて

 私は昨年、私の先祖の一人、関西財界に明治維新の当時、彗星のように躍り出てきて、政府とは一味違う日韓関係の構築を目指した大三輪長兵衛の伝記を書いた。

 その時に記した韓国王朝の最後の王になった李王朝の文帝と、その父である大院君、夫の国王を押しのけて、政治を私物化してその助成を中国に求めた閔妃らのもとにあった当時の韓国の歩み、それと最近の日本が重なってきたと感じている。

 当時、隣国日本は、明治維新に成功して懸命に世界の独立国を目指し、殖産興業に力を入れて躍進していた。旧態依然の朝鮮と日本との格差は広まるばかりだ。圧力も強まってくる。そんな中、朝鮮王国は日本の進出に抵抗しようと、朝貢制度の宗主国・中国に従属の姿勢を強め、さらにその後は新しく進出してきたロシアにまでへつらって、自国への対日圧力に利用しようと、なりふり構わぬ行動を繰り返す。

 だが、新しい時代への的確な知識と、努力を欠いた王国は、日清・日露の大戦の流れの中で、世界の潮流から浮き上がって国際的にも孤立して、ついには亡国の状態になり、日本国に組み込まれてしまった。

今度はその日本が、かつての韓国王朝の二の舞をやっている。小沢の民主党の歩む昨今の姿を、こんな歴史と重ね合わせてみるとよい。

 そこを中国が素早く読んで、今までは天皇を日本侵略政治の根源と批判していたのを口を拭い、利用しようとしているのが今回の天皇会見要請の背後には見える。

皇室と日本の文化のたどってきた歴史 

 日本があの明治維新の混乱を乗り切る最も大きな力になったのは、「尊王攘夷」のスローガンで、国内を一つにまとめる力があったことだった。

 日本は二千年以上の昔から、一貫して続く万世一系の天皇制度があり、全国民の中にその存在は国をまとめる力として定着していた。

 これは世界の中に他に例をみない現象である。なぜなのか、これに関してはこのブログの主催者・葦津事務所が発行する葦津珍彦の明快な判断、「日本の君主制」―-昭和を読もうシリーズ第一巻を読んでみてほしい(2100円)。

 それは日本の皇室と日本の国民が、長い独特の文明を経過する中で、国を物理的に力で支配する俗権である覇権と、国民を精神的文化的にまとめて発展を祈るまつりを総合する権威とを分割し、俗権は征夷大将軍などが掌握するが、雅に属する統合の地位はその上にある皇室にあるとの文化を固め、それを大切に守ってきたからだった。

 この聖なる存在と力ある俗権との分割、それが日本の中に定着していたので、天皇が任命する征夷代将軍にときの政治の実権は委任するが、政治の実権者は時に応じて代わっても、皇室は連綿として国民とともに歴史を重ね、国をまとめる精神的権威の立場を保ち続け、日本は一つの歴史を貫いてきた。

 この構造が、明治維新に際して「尊王攘夷」の旗印で国民がまとまって、日本が近代国へと発展することに成功した大きな原動力になったのだ。

 因みに、明治維新がなって憲法ができ、日本は今までとは変わった制度になったように思う人もいるかもしれないが、その本質は変更されなかった。依然として法制度では、政府は征夷代将軍の後任である地位を基礎としてに定められ、皇室はそれとは一段と違う異次元の存在という立場にはっきりと規定されていた。それが帝国憲法の精神であった。

 そのこと、皇室は世俗の俗務を扱う政務とは別の、一団と誇りは高いいまの象徴というような立場にあり、俗務の政府など、言葉を換えれば、国民として臣下である総理大臣などの指揮する範囲である俗務(国務)とは別のこと、俗権の介入できない宮務に属するとの日本人の生み出した知恵を、理解できない知識のない政治家や軍人などが出てきて、天皇の権威を、俗務のために利用したりする政治が続き、日本が敗戦という事態を招いてしまったのは、返す返すも残念なことであるが。

 新憲法は日本の歴史の美点を見ていない
 
 今回の宮内庁長官が、「天皇の政治的利用になりかねない恐れがある」との発言に、黒幕であるはずの小沢は烈火のごとく怒って表に出てきて、
「憲法は公務員(宮内庁長官)は政府の指揮下にある官僚にすぎない。天皇は内閣の助言と承認により動くことになっている。そんなことを言うのなら止てから言え」
と発言した。日本人なのに、よくも言い出しえたものだと呆れているが。

 小沢はこの発言で、自らも憲法を十分に理解していない誤った解釈を随所に連発しているが、彼のもっとも大きな誤りは、彼が日本という国の歴史の重みを知らず、この国に憲法などよりももっと深い次元でしみこんで日本の国をまとめ上げる作用をしている大原則に全く気付かないでいることである。

 私はこんな事態が近い将来に必ず起こることを憂慮して、「国務と宮務の使い分けさえも理解しない連中ばかりになった現状では、皇室を政府から切り離して、明治以前のように戻したほうが良いのではないか」とこのブログで提案した。
「http://ashizujimusyo.com/sub17.html」。
 この発言に関する限り、宮内庁長官の姿勢は当たっている。皇室の行動は、新憲法においても国民統合の象徴と規定されている天皇の政治を離れたより広い次元での判断にゆだねられるべきであって、しかも皇室は、皇室なりの一時一局の政治利害を離れた広い視野で行動されるのが当然である。

 宮内庁は組織の上では政府に属してはいるが、宮内庁の職員は、首相などよりはるかに高貴な国民統合の象徴の存在であられる天皇の臣下として奉仕する義務がある。宮内庁は、「政治」からは独立した広い国民の視野に立ち、日本の宝である皇室をひたすら守る義務がある。

 だが、こんな意識の履き違えが出てくる根源は、憲法そのものの持つ弱みにその基点があるのではないだろうか。いまの憲法は先の戦争に日本が負けて、米国に占領されていた時に、占領軍のスタッフがわずか二週間という短時間のうちに作成し、「これに憲法を変えろ」と日本に下げ渡したものである。
 彼らにどれほどの深い日本の美点・皇室の国民に果たしている効果に関する認識があったのか、それは私がここで言うまでもあるまい。

 文が長くなるのでここまでにするが、政情が混とんとして日本の進路がはっきり見えない今の時代である。それをしっかり見る座標軸に、ぜひ日本の歩んできた道をつぶさに振り返ってみることを勧めたい。