葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

さあ40日後に総選挙

2009年07月21日 17時32分54秒 | 私の「時事評論」

解散権だけは行使できた
麻生首相はようやく衆議院を解散、総選挙に突入することができた。
「いま解散してみても任期終了まであと一月を残すのみ、ほとんど大勢に影響ない」という人がいるかもしれない。しかし手をもがれ、足を切られ、独自の政策を実施しようとすると党内から口々に修正を求められる。何か政策を決めようとすると悉く「選挙対策にすぎない」とマスコミや野党から揃って反対される。党内の意見で方針を修正すると、今度は「麻生らしい軽薄な変更」とマスコミに叩かれる。だが彼は、党内の圧力を無視して進む力がないのだ。こんな環境の麻生首相だったから、この解散は「意味がない」などというなかれ、「自らの意思で解散を決断する」としてきた彼の総理就任以来の解散権の行使だけを、守り抜きたいとの男としての最後の意地でもあったのだ。
 不運な境遇の中に誕生した政権であった。小泉独裁政治の反動で、急転直下に下落始めた自民党の権威。それは小泉時代のチルドレンや刺客をたてての衆議院三分の二の圧倒的勝利から急転、その反動ですでに一年後の参議院の過半数割れを生み、小泉に続く阿倍、福田の政権が一年ももたない形で失脚、どうしようもない状況下に政権を引き受けたものだった。大方には彼の政治能力に対する期待は乏しく、低落を続ける自民党人気の下で、残任任期一年を残す衆議院を、時を見てうまく解散できれば上々だという、先の見えない「解散のための暫定内閣」と見られての発足であった。
 麻生首相はこんなじり貧の空気を払拭するには、従来通りの消極的行動では低落自滅への歯止めにはならぬと判断、折から国内外の大問題になってきた世界を包む景気後退に強硬なインフレ策を打ち立てて対応、緊急時に国民の事情を見ずに参議院の数を頼りに審議ストップで行政を停止させようとする野党に対し、挑戦する姿勢を明らかにして対応を試みてきた。「窮鼠猫を食む」と表現したくなる作戦である。
 しかし自民党内は昔の夢を空想する負け犬の世界だった。驕る平家の末路ではないが、党としての体制立て直しも忘れて右往左往するばかり、加えてマスコミは、首相に対していつ政権交代の解散をするかのみを迫る質問続け、日本中が麻生首相に期待せず、ポスト麻生のみを見ているのだとして彼を責め続け、彼の政治の手腕を一切認めようとしなかった。

 「いつ解散するのか」ばかり
 麻生氏は急速に深刻化した世界不況を前に、有効需要を喚起すべく全国民に定額給付金をばら撒いたり、新製品購入に大幅な減税、高速道路の料金を切り下げ、大量に解雇された大企業臨時職員に緊急援助、育児手当、エコ減税特典など相次ぐ需要喚起策を実施し、「私こそ、苦しい日本の中でそこかあら脱出しようと懸命に努力する首相なのだ」と主張した。
 だが、彼に耳を貸すものがいなかった。マスコミは彼に政治能力があることなどは見ようとせず、ただ彼が若い政治に無関心の国民層に呼びかけるために、マンガを読む庶民性を宣伝しようとすると、マンガしか読まない無教養な首相であると報道し、スピーチの漢字を読み間違えることが度々あると、漢字も読めない程度に無教養な男との宣伝に力を入れた。さらに彼の景気回復行政を妨げたのは野党であった。経済環境、国際環境は国民生活に密接する死活問題、政治家なら与野党協力して臨時休戦してでもともに協力して国民のために知恵を出し合わねばならない。野党はこんな事態に審議を拒否して対決し、国民生活より、自らが政権を握ること、与党になることが先決であるとの態度を露骨にした。マスコミも、そんな野党の行動を国民無視と攻める代わりに、あろうことか正当化し、首相には「いつ解散をするのですか」という質問ばかりを連続し、挙句には「国民は自民党を見捨てている」と麻生内閣の引きずりおろしに狂奔した。
 加えて、最後に首相が麻生政権に対して向かい風である社会の動向の中、マスコミ野党挙げての麻生おろしの逆風の中で、自民党の中からまで、対案もなく首相に反発の空気が出てきて党の結束が乱れ、その混乱により地方選挙で、いよいよ自民党に不利に流れる中で、最後に残された大権である解散総選挙に踏み切ろうと決断すると、今度は自民党内から「麻生政権では選挙は戦えない」と、麻生おろしの抵抗がおこり、それを抑えて、ようやく衆議院の解散にこぎつけたのが今回の総選挙である。
 投票日まではまだ40日あるが、現時点での麻生内閣の評価は、党内不満派、野党勢力、マスコミのよってたかっての攻撃で必要以上に不利なものになっている。いじめはまだ続くだろう。残された日々で、この現状を見て国民の意識の現状がどう出るか。一人相撲で転んでいく纏りを欠いた自民党の現状までを眺めながら、前途多難を予想する総選挙の開始である。麻生ううさんはよくよく月のない男に見える。

 終わりに
 私は麻生内閣の政策には基本的に反対のところが多い。経済政策以外の日本の戦後歪んでしまった国情の是正に、彼がどんなヴィジョンを持っているのか全く見えない点が第一である。彼は数千年の歴史を持ち、その文化の中から育んできた日本文化の美点が、危機に至っている現代の世界文明のの「抗生物質」とも言える特効薬になりうることを全く気付かず、ただ払底しつつある我が国の外貨を、手当たりしだいに振り撒いて、米国追随の枠から逃れられない小さな視野しか持っていないと疑われるからである。
 また、景気の回復は緊急の課題だが、それはただ、将来への莫大な負債を生みだす財政膨張のみで対応すべきものではない。加えて政治とは自国の文化に密着した国の個性を大事にするものでなければならない。背景には日本人としてのオリジナリティーがなければならないと思う。古来有能な政治家と言われた人は、歴史や哲学に深い造詣がある人が多い。
 麻生さんは漫画が好きな俗人で漢字の読み間違いがあるからではなく、性急に目先のことを追いかけるのみで造詣や深みが感じられない素人だから不満なのだ。今の日本の政治が、戦後の教育の乱れ、歴史に関する教養の浅さから社会自体の機能をマヒさせる状況にあり、その正常化なしには国の文化が破壊される危機に立っていると見る私には、そんな意味での不満が大きい。
 だが、そんな視点から見れば、今の野党の指導者も自民党のほかの議員たちも、小泉さんもみな失格であった。生涯かけて政治を考えてきた重みがない。マスコミも偉そうなことを言うが、彼らの視点も歴史をまともに眺め、日本の現実を見ていないと思う。国民は、将来のわが国のために、しっかりした思いを持ち、その思いを、目先のドタバタ騒ぎに目を奪われるのではなく、自分が政治家になったつもりで見なければいけない。この次の選挙では意思表示をしてもらいたいと思う。

衆愚政治の極

2009年07月13日 22時47分05秒 | 私の「時事評論」

 最近の政治動向、いらいらするような事件ばかりだが、ここにきて大衆の暴走が、いよいよ我が国を大混乱に貶めるような現象が相次いで起こっている。
 兼ねて地方議会で、自民党の苦戦が続いていたが、今回東京都議会議員選挙で、自民党が見るも無残に惨敗し、民主党が圧勝した。
 その結果は国民の投票が示された結果なのだから否定はしない。だがこれは、都民の都政に対しての不満の声だったのだろうか。オリンピックを辞めようではないか、築地の魚市場は不便でも今のままが良い、結果がいまの石原都政に対する厳しい批判が、ここまで急に盛り上がった結果であるというのなら、それはそれでよい。だが、投票が終わって、石原都知事は「とんだとばっちりだ」といって、眼をぱちぱちさせる癖を丸出しにして怒っているし、勝利した民主党にも新聞マスコミにも、東京都政に関する批判の声が集中したとの意見はまるで見当たらない。そうなのだ。これは国政における麻生政府と自民党に対する不信が、麻生政権への批判の代わりに、石原都政にぶつけられたのに過ぎない。石原都知事は都民から、攻められているわけでもないのに殴られてしまった。お気の毒に、いい迷惑を受けるのは東京都だ。
 ここにきて、東国原宮崎県知事や橋下大阪府知事などを中心に中央集権の政府の体質が地方の声を圧殺している。地方自治は地方自治体と住民の声をもっと大切に生かして行われるべきだとの声があげられてマスコミの注目を浴び、世論調査でも強い関心が示されていた。だが、この都議会議員選挙で都民の選択は、そんな意識を完全に否定して、結果として、あらゆる東京という自治体の政治は、国の主導のもとにある。そこに区別なんぞ認めないという意思表示をした。どうしたことか、マスコミもこの点を全く取り上げようとはしていないが。
 「国政と地方自治とは違った概念のものとして分けて考えるべきだ」との発想法は我が国では通用しないことだと都民は思っているのだろうか。都民は中央集権が好きなのだ。
 もうひとつ、見当違いのところ、この場合都議選で国政へのガス抜きをしてしまうと、いざ本番というときには、案外力が入らないものである。もう済んだとばかりに、総選挙のときには国民は情熱を示さないこともある。果して、この都議選の結果を見て麻生首相は、衆議院の総選挙を急いで実施することを決断した。ここで選挙をしたら、国民の強い自民党政権に関しての不満はいくらか低調にならざるを得ないだろうという観測が一つ、あと、今の自民党の混乱は麻生首相の責任というより、党内が不一致で、ごたごた騒ぐ混乱の状況が国民にうんざりされ、不満を持たれている要素がはるかに大きい。都議会選挙の結果を見て、これら自民党の不満分子が自らが都民に自民党不信を招く元凶であるとの冷静な知識もなく、「俺たちが騒ぐのは親分が悪いからだ」と下剋上の運動を起こし、いよいよの混乱を招くとの判断をしたというのが動機だろう。
 日本の今後の動向を決める総選挙がおこなわれるというのに、この惨状はどこから見てもまともではない。選挙は国民操作の技術合戦の様相を呈してきた。
 私は選挙というものが政治において素晴らしい手段と思いこむにはいささか懐疑的な男である。小泉首相の郵政民営化にはわけもわからずに同意して、あのめちゃくちゃな総選挙での三分の二の自民党議員を生みだした同じ国民が、つい先月は鳩山郵政相に大喝采をした。大衆はうまく踊らされるものに対して免疫性を持たないところにその特徴がある。
 それがもっとも如実に示される例が、今度の都議会選と衆議院の総選挙なのかもしれない。