葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

なぜ私が靖国神社を書いたのか

2009年11月21日 05時17分01秒 | 私の「時事評論」
なぜここで靖国神社の問題を書いたのか
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1,国に対しての再認識が必要だ
 「靖国神社とそのあるべき姿」という連載のシリーズを書き始めたのは、今夏の終戦記念日が契機したが、最終回を書き終えてから、もう一か月近くがたちました。
 発表はインターネットの、私が所有する小さな出版事務所のお知らせ用に設けた出版案内を兼ねたブログ「http://ashizujimusyo.con 」と、私がフリーのブログとして時評を目的に随時掲載する「GOO 」の「http://blog.goo.ne.jp.ashizujimusyo 」の二つに掲載しただけで、これに関しては、あまり宣伝もしなかったのですが、それでも、どこからか聞きつけた人たちが読んでくださって、多くの貴重な感想を述べてくださいました。
 私は今の日本の実情を見て、これからの日本がどう進んでいけばよいかの問題を前にして、もう少し日本人がばらばらの烏合の衆の勝手な集団であることだけに満足せず、国としてのまとまりをもった日本国の国民として、秩序正しく行動することの重要さをもう一度取り戻さなければ、まともな将来像は描くことができないと思っています。
 60年以上続いた国民教育の中で、不幸にして、立派な国民として生きる最低限度の常識も教えられることなく、ただただ各人が勝手に好き放題に振る舞い、周りにいる人のことも考えず、この社会、小さいものでは家庭から、地域、集団、会社、組合、国家、そして世界という横の広がり、さらに縦の面では先祖と自分、親子の関係、先輩と後輩、歴史的な人々の生き方と自分の生き方など、自分と周りに存在する社会のことを少しも考慮せずに生きるいまの日本の社会では、やがて訪れるかもしれない日本という国が大きな問題を前にして、力を合わせてそこにある難題を解決して前進しようという力は出てきません。
 こんな国民のバラバラですき放題に生きることしか求めることのできない国民性は、いまから六十数年前の1945年(昭和20年)に、日本が先の大戦(大東亜戦争)に敗戦し、連合国(中心は米国)の支配のもとに置かれた時代に始まりました。
占領国の目的は明らかに日本の弱体化です。先の大戦で苦戦を強いられ、二度と日本が自分らの脅威に育つことのないように、日本の将来脅威を再び持つ国に育たないようにその芽を刈り取ることが第一でした。
 そこで米国では戦争中から国務省などを中心に占領の暁には日本が再び米国の脅威になることのないように、徹底的に日本の弱体化をはかる「管理政策」を決定、日本に進駐後、それに従って占領政策を実施したのですが、それは日本が資源も戦力もないのに米国に苦戦をさせた原因は、日本人の国家に対する忠誠心、天皇に対する崇敬心、戦って死んだ後は神にまつられるという意識にあるとし、民主主義という言葉を道具として日本人の精神性を根底から覆す洗脳をすることにありました。

 効き過ぎた米国の洗脳政策
 日本に進駐した米国は、日本の武装解除が終わると、練り上げてきた計画に基づいて、着々と工作を進めました。まず、国際法や法律の大原則を無視して従来の日本の指導者であった人々を逮捕、処刑。次いで軍人、役人、学者、民間指導者、言論人、教職者などを、片端政治や社会に発言する公職から追放しました。そして指令下に入った学校教育やマスコミ、言論界などを通じて、徹底的な洗脳工作を始めました。
占領軍は、従来の日本が大切にしてきた愛国心、忠誠心、協調性、協力心などを、片端民主主義、自由主義に反する封建的思考だと否定、これからの国民は、やりたいように各人がほしいままな欲望を追求し、封建的な家庭や親や社会などに従う心、明日のために努力するよりも、今の自分を大事にせよ、日本の神話や信仰などは国に国民を隷属させようとする意図をもったものだから、科学的な現代人には無用、いやきわめて有害なものだ。過去の日本人は世界で最も悪い侵略者だったなどと、徹底的に教育宣伝に努めさせました。国に忠誠をつくした戦没英霊をまつる靖国神社も、日本が国として再びまとまる上での核になり得る。そこで国が維持管理することも禁じ、この政策を今後の占領後にも定着させるために、国際法も無視して、占領国の憲法までを変更させました。
占領政策はこのようにして、日本の国の精神的な柱であった天皇制を破壊させることだけはできませんでしたが、占領目的をほぼ満足させる結果となりました。その日本人の洗脳工作はあまりにうまくいきすぎて、逆にそれから時が進み、今度は米国が日本の宗主国として、日本の力を利用しようとした際に、日本人への洗脳工作が成功しすぎて、今度は米国自身が日本を自らの軍事同盟に引き込んで、軍事負担をさせようとしたときに、日本が米国の残した憲法の条文によって充分な働きをしてくれず、その徹底ぶりに並行するような結果までもたらすほどでした。
アメリカにとって、これは予想外に副作用でしたが、アメリカの日本における占領政策の成功は、思わぬ副作用も生みました。アメリカも在来はモンロー主義を掲げる国で、戦争経験もあまりありません。その国が日本で、思わぬ成功をしてしまった結果が、米国の占領政策に関する甘さを生み、それがベトナムや中近東、イラクなどでの相次ぐ失敗の原因になっているようです。日本に天皇の制度があり、国民を統一する力があったから、米国の占領政治も、日本で成功することになったのでしょう。

だが、日本にとって、この米国の占領政治は、日本が国としてのまとまりを失い、社会が満足に機能しなくなった大きな原因であるのは事実です。内外ともに多難な課題を抱えて進まねばならない日本が、占領時代の空気を引きずったままでいるのでは、日本の将来は国論が混乱し、破滅を迎えるだけでしょう。
戦後体制のあだ花ともいえる自民党の政治が破局を迎えるいま、日本の政治をどこから立て直していくべきか。その対象に私は靖国神社を選びました。


2,靖国神社は占領政治の播いた混迷の種なのだ

 靖国神社の問題は、日本が健全な国家として、今までの卑屈なまでの自己否定の撞着から脱皮して、再び世界に羽ばたく独立国としての活動をするために、何としてでも乗り越えなければならない問題の一つだと私は思っています。
 国はその国の領土、財産、そして国民の人権を守るため、やむなく外国と衝突しなければならない時があります。もちろん、武力による衝突はどんな場合でも精一杯に避けなければなりません。しかし、時と場合によっては、自国が巻き込まれたくないと精一杯に思い、全力を傾けていても、それでもなお、攻撃を受ける場合だってあり得るのです。その場合、国民の主権を守り通すには、国の主権を維持する防衛が必要になります。
 いくら時代が進歩したとしても、国は国民に国の生き残るため、生き残って国民の主権を守るために、国民の団結した抵抗を求めることはあり得るのです。そんな時のために、国は国に身を捧げて戦没した国民に対して、命までをささげてくれたのですから、最高の儀礼を尽くして戦歿英霊を顕彰し、その遺徳をしのぶ義務があります。
 それは国の決断が冷静に眺めて、正しいものあったかなかったかの価値観を論ずることとは全く次元の違う話です。戦後のわが国では、良い戦争と悪い戦争を論ずることが流行し、先の戦争がはたしてどちらであったのかなどがいつも論議されています。
 私は個人的には、あの戦争は日本としては戦わなければならなかった自衛のための戦争であり、開戦もやむを得なかったとする説に同情的です。東京裁判での日本の弁護人であったインドのパール博士が漏らしたように、あそこまで米国はじめ連合国に追い詰められたならば、ルクセンブルグのような小さな都市国家であっても、大国相手に戦わざるを得なかっただろうという心境には同情します。しかし、開戦ののちの日本の戦さ全体が称賛さるべき正義の戦いぶりであったかどうかに関しては、現実にひどい負け方をしたことを含めて、いろいろの説も立つでしょう。また、屈辱的ではあるが、明日の日本のために、ここで挑発に乗って開戦すべきではないと、身をもって反対し続けたわが父の思いも十分に理解をしているつもりです。
 この種の論は、今後の日本の決断の糧として大いに論争するべきだと思いますが、それがどのような結論になるにせよ、その主権行為としての戦争で日本国のために戦って散っていった英霊たちを、国がそして国民が、もっとも尊い国のための犠牲者であったとして永久に追慕することは当然だと思いますし、「靖国神社で会おう」と口々に言って散っていった英霊への追悼の儀式は、最も重い儀式でなければならないと思っています。
 靖国神社の英霊への追慕・顕彰は、これが再び日本国の精神的核になる恐れがあると、戦勝国米国が強権を持って廃止させたものでした。だがこれは、独立国として日本が再び主権を回復した暁には、まず一番に回復させるべきものでもありました。
 靖国神社の再び敗戦前の状態への復活には、米占領軍がこれも日本に命令した神道指令で、独立ののちにも米軍に洗脳された人々の反対もあって、一筋縄ではいかない面もあったようです。
 だがこれも、私が先の連載の第二回で書いたように、必ずしも障害になるものではないのです。しっかりした国の決断があれば、何ら支障のあるものでもありません。
 しかしそんなことでもたもたしている間に、様々な課題が起こり、また国が姿勢をはっきりさせて、過去の戦争に対する公的な見解も固めないでやり過ごしているもので、新たにこれも国際法違反で米軍などが行った東京裁判での殉難者の郷士問題が起こり、自体がいよいよ複雑になってきました。前にあげた先の戦争の善し悪しという全く靖国神社にとっては迷惑千万の別次元の論争が連立方程式のようにのしかかってきたのです。


 そんな事態に、靖国神社の国家護持を強く望むものも、あるいは日本は占領軍の洗脳のままで行くべきだとする戦後の主張の人も巻き込まれてしまって、この問題には何の前進も招かない不毛の言い合いが続いています。
 そこで私は、この問題の解決には、それぞれの問題の考え方を整理して、一刻も早い論の整理をすべく、この問題を別々に決着させる提案をさせてもらったわけです。
 日本の政治は一体何をやってきたのか、終戦から60有余年を経た現在、嘆息するのは私だけではないと思います。大切な問題、基本的な問題には冷静な判断をもとにまず大原則を定め、それが定まったのちに個々の問題を一つ一つ整理していく。そんな形で日本という国を再生させ、しっかりした意見の言える国、国の姿勢が決まったら、それをみんなで支えていく国にする。それが今、最も大事なことなのではないか。
 その手始めがこの靖国神社の問題なのだ。
 私の日頃思うことを述べさせていただきました。