葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

原発問題、大体見えたのではないだろうか

2012年04月26日 11時43分02秒 | 私の「時事評論」


国民支持を失った原発利用の再開


 福島原発の大事故、放射能漏れがきっかけになり、日本中の原発が点検のために稼働を停止。国民の反対で再運転ができなくなり、一般国民の原発に対する恐怖や危険感と、政府、その周辺にいままで巣くってきた原発関連族、それを後押しする財界などの思惑が、はっきり対立する雰囲気になってきた。いまではまだ、その趨勢は決定的な形になったとは言えないように見えるが、大勢は原発廃止に向かわざるを得ないと私は観測している。国民の言い知れぬ恐怖は強まることはあっても減ることはない。ここはそんな心理面の動向も、数字のデータ以上に国民生活に密接に響くことを知るべきであろう。

 政府をはじめ、原子力発電を、何としても存続させたい連中は、放射能漏れということの及ぼした深刻な影響を、一部は国民にひた隠しにまでしながら、
「原発は安全だ。コストも安い。それに日本に原発が無くなれば、国民の電力需要にどう対決すればよいのだ。経済成長にブレーキがかかるではないか」
と国民の原発への素朴な疑念に証拠となりうる懇切なデータも出さず、問題意識を持たせぬように現状にふたをして目隠ししたりすり替えて、原発を維持していくことに必死だ。

 だが福島で、放射能というものの恐ろしさ、それがこれから何千年もそれ以上も人間の生活を蝕み続けることに気づいた国民は、今までのように簡単に学者や偉い人の発言だから聞いて従っていればよいと納得はせず、本能的に背後に隠れた放射能の恐ろしさに気付いたようだ。放射能の被害、それは今から65年ほど前、昭和天皇がと広島・長崎の惨状に接し、「全人類破滅の凶器」と終戦の詔勅を出されて、害がこれ以上に広がらぬためにと戦争停止を宣言され、全国民がそのための敗戦の御命令に従った悪魔の科学の生みだしたものであった。

この連休から全国の原発は、定期点検のために運転を停止の状態になるが、継続にはいずれも目に見えない大衆、サイレントマジョリティーの「待った!」がかかり、見動きができなくなってしまうのではないか。

 原発の構造は原爆と同じ核爆発を力に代えて発電する。通常は格納容器の中だから安全だといわれているが、炉の中などには、原爆とおなじ放射物質が残ってただ容器で密閉されているだけだ。万一原発の事故が起こってまき散らされる放射能は、私たちは勿論、将来の子供たちに永遠の被害を及ぼし続け、それこそ昭和天皇のお言葉のように人類破滅の凶器としていつまでも存続する。何千年もの半減期を持った放射能が原発からは出てくるのだ。だが、それはどんな被害だか、誰も安心できる説明などはできていない。放射能被害を瞬時に無害化する技術があればよいのだが、まだ人間の現在の知識では、放射能の無害化技術は発見できていないのだ。


 福島では、事故に伴う放射能除染の除去作業が大騒ぎで進められている。だが、放射能を無害化する方法そのものがないのだ。水で洗い流して広い地域に薄めてばらまき、海に流して一部の地域の放射能を薄めて世界中にばらまき、汚染された土を削って除去してコンクリートの厚い容器に閉じ込めてどこかに保管する方法が試みられているが、水で流すということは、問題の場所から放射能を余所に持っていって拡散するだけの作業。地球規模で見れば、何の解決にもならないことなのだが、これ以外に方法が無いし、保管するにしても、土中にせよ山中にせよ、そこは将来にわたって、人の近づけない恐怖のスポットになる。

 しかも、どんなに汚染除去の作業をしても、事故を起こした福島原発周辺には、当分は人がとても安心して暮らすことのできない地域がかなり残るだろうことも、政府自身が発表せざるを得ないことになった。
 放射能の閉じ込め対策だって、たかが百年か数百年しかもたないコンクリートや金属の素材で包んで処理しても、保存容器の寿命の何十倍もの間、恐ろしい放射能を出し続ける汚染物質を、容器の寿命が来たらもう一度取り出して処理をし直さねばならないのだが、それを取り出してどうやって処理するのか。それは未解決のまま、将来の子孫たちに厄介な負の遺産として託すほかに方法が無いのが現実なのだ。

 さらに情報を見ていくと、今回の福島の事故は、まだその後の完全な事故処理が終わっていなくて、今でも近寄ることもできず、危険な状態が放置されているという。危険な状態にあるところがあるが、公表されないのだという情報も多い。このままでは、いつまた重なる危険な状態になるかわからない状況だという。

昨年の地震と津波は、日本の豊かな国土の大きな部分を、原発があったために人が住めない土地にしてしまったといえるだろう。津波や地震の被害は痛ましいが、人々の知恵と努力で再び美しい国土に復元できる。だが、偶々我が国が悪魔の技術のような原子力発電に手を出したばっかりに起こした放射能の被害は、数千年先の我々の子孫まで、厄介で大きな負担を残すことになったという責任を我々は忘れてはならないと思う。

加えて、日本中に散在する原発が、これから危ない目に遭う可能性は、地震や津波ばかりではないことを知るべきだ。テロやゲリラの攻撃目標にされたらどうする。ミサイルが誤って飛んできたり、流星などが偶然落ちてきたら、それだけで想像もできない状態になる。そればかりではない。スイッチ一つ入れ間違えたら、原子炉の一部などで何らかのミスで傷がついたりしたら、福島と同様か、それ以上の事態になりかねないのだ。福島の原発事故では、技術者や監督者の「想定外」の事故だったという無責任な言語が繰り返された。だが、何でそんな愚かな「想定」をしたのかという、肝心のかかわり合った者たちの知恵の限界を指摘する声は不幸にして起きなかった。そんな安易な頭のままの責任者に安全だなどといわれてみても、信ずる方がおかしいと思う。

 しかし、そんな事情がだんだん国民の知るところとなってきた。大衆は残念ながら特定の問題に関して専門家ではない。だが本能的に受け取る感受性は存外鋭いものを持っている。日々の生活をしっかり生きているからだ。そんな不安が重なって徐々に国内の意識も変わって来た。いくら、原子力を飯の種にしている連中が、この事故が起こったらどうにもならない原発を「想定外のことが起こらぬ限り安全だ」と叫んでも、自分の命、我が子や孫、その遠い子孫たちのことを大切に思う国民が、薄々ながら「これはおかしい」と気付いてしまった気配が見える。それは、今の人間の知識では「絶対に安心だ」と胸を張ることのできない不安なのだ。事故が起こったら回復できない現代の頭脳。それを国民は知ることになった。おそらく不安は徐々に高まっても、消えることはないだろう。再び「原子力発電は安全だし不可欠だ」と思う時代はもう来ないだろう。それに、いま、全国にある原発は、一体どうやって稼働中止の後に、安全な状態に戻せるのだろう。中止した旧原発が、全国の「穢れの租界」になり続けないのだろうか。人間はまだその無害化の技術を身につけていないのだ。考えれば考えるほど、原発の採用は軽率な文明破壊の危険をはらんだ軽率さであった。


とらわれてはならないさかさまの発想

 こんな状態になっても、「原発が稼働中止になれば、人類文化の安定的成長は維持できない」という人がいる。需要は聖なるものだと頭を固定して、それを何とか埋めようという側面だけでものをみる考え方だ。経済界などにそんな人が多い。だがそれは理屈にならない屁理屈だ。電力不足以外の面に置き換えて考えてみるとよい。「食料が充分に国民に行きわたらない事態が訪れた」とする。それが干ばつなどの凶作であれ、為替相場などで輸入ができなくなった条件であれ、「起こった食料不足が悪いのだ」などといって見ても始まらない。それよりも、少ない食料で国民がどうやって生きていくかを必死で検討するのが我々のしなければならない第一のことである。

電力不足の事態だって、そんな問題として受け止めなければならない。それをうかうかとおかしな論に乗せられてしまい、原発継続に反対の人々には、太陽光発電やその他の発電でその発展を身代わりしようと声高に主張して、筋道が立ったと思っているものが多い。だが技術的には、これらの代替エネルギーの将来性には、現段階ではまだ問題もある。大切なのは「我慢をしてでも悪魔の狂気に身を任せるな」と主張することである。それが無いので、見ていると「そんなものでは今後増えても減ることはないとみられる電力需要を補完することができないではないか」といわれて沈黙させられているケースが多いようにも見える。
 しっかりしてほしい。足りないものは足りないのだ。それでも大切な国民生活を精一杯守っていくことなのだ。そしてどうやって生きていくかは次の問題なのだ。


無駄を削る第二段階の作業
 
 現在の我が国の電力不足の状況が新聞などにはよく発表される。眺めると不足する電力量は存外に少ない。この電力需要の総量を少し圧縮して、やがてその不足が埋まるときまで待つというのは、そんなに苦労なことではないのではないか。いまほど大量に電気エネルギーを使いまくらねば、人間社会は維持できないのかということを前提にした論議にはもう少し内容を考えて踏み込んでいくべきだと思う。人間は周りの環境に目もくれず、なんでも使いまくることを許されているのだろうか。そんな姿が電力消費には見えるからだ。それは生きる姿勢をどうとらえるかの問題とも絡んでいる。

 最近の我が国では、近年特に猛烈に電気使用量が増えている。工業の技術革新は勿論だが、これに加えて家庭用の電気需要も著しい。我々の日々の生活はまるで電気漬けのようになってきている。生活環境は電気の力で、夏は涼しく冬は暖かく、しすぎるようにエアコンなどを入れて生活しているし、温めた部屋には冷凍庫や冷蔵庫があって、食品は冷たくして保管されていて、食べるときにはそれを逆に熱くする。いたるところに使われている用具は電池で動くし、家から出たらすぐに車で動く。テレビや携帯電話、パソコンなどは使いっぱなし。夜は昼より明るいようなライトアップも進んでいる。私は最近、あまり飛行機に乗らないが、空から見ると、夜でも人の住むところは、まるで昼間ではないかと思うほど、まばゆい電気が煌々とついている。これらのエネルギーは元をただせば太陽エネルギーや地球の持つエネルギーから消費されている。天地万物、その他が集まるこの大きな世界を、それらの動きに逆らって、最近、急速に使い尽くし始めたこの行為、人間だけが横暴に無視して、こんなに暴走して許されるものだろうか。

 街中にも最近子供を見かけることが少なくなった。人間だってこの世界に生きる動物の一つだ。そこら中を駆け回り、身体を使い仲間と交わり、経験を積みながら育っていた子供は、いまではテレビやゲームなど電気漬けで、自然環境など無縁の日々を過ごし、自然人としての素質はすっかり退化し、機械とエネルギーの膨大な供給がなければ生きられない姿になっている。天然自然の生みだす力で、それを上手に利用しながら自然と調和しては生きられない生物にどんどんと変わって来てしまっている。この傾向を安易につき進めることが、果たして人類の進化ということができるのだろうか。ここでは一例として子供たちの例を挙げた。だが現実には子供だけではなく、我々すべてがこんな傾向を著しく強くしている。

 人々の考え方もおかしくなってきた。我々人類は、独特の知恵を集積するという技術を習得し、その積み重ねで様々のものの理屈を、一代限りで習得した技術を充分に子孫に継承できない生物たちの中にあって、この地球の支配的な独占権を揮うことができる力を身につけて、我々よりも力が優れ、生命力が強い連中を抑えて地球での支配権を維持し続けてきた。だが、人間の習得した知識には限りがある。身につけ得た力にも限度がある。

 原子力について、まだどう扱うかもわかっていないのも事実なら、物理化学が、自然の姿を充分に解き明かせていないのも事実である。空に漂う雲一つ、人間の力では追い払うこともできないし、天災などを予知し制御することなどは当分の間我々には不可能だろう。そんな程度の知識しかまだ身につけていない人間が、未知の力の多いことを知り、慎んで生きてきたのが最近になって、すべてのことを知っているような慢心に溺れ、世界が見えなくなってきた。

 原子力発電もそんな発想の一つの姿なら、人間がわがまま勝手に生きるためには、なんでも勝手に利用して、この世界を使いつぶして良いと思う傲慢な発想におかされて来ているのも、溺れてうぬぼれた現代人の姿なのではないか。

 われわれは、おのれのできる範囲で暮さねばならないし、その力を冷静に見てその範囲で暮らすことが人の生き方である。我が国の電気使用量などは、我々の今の状況で再生産のできる範囲を想定し、その範囲で需要を抑制するのが本来の姿でなければならない。現在の我が国電力の需給論は、完全に逆立ちしているといわねばなるまい。


日本人の育んできた思想

 自然とともに暮らす、自然の声に耳を傾ける。自然を大切にし、自分も自然と調和して生きる。これが我々日本人の文化の特性であった。以上あげたような概念は何も日本文化だけにではなく、世界の文化にあることだという声もあるだろう。その通り、人間も自然の中から生まれた生き物であり、どこでもだれでもそんな要素は持っている。だがその中で、自然を最も大切に思い、自然と調和して生きてきたのが我々の文化だった。

 欧米などでは、自然を人々と対立したものと捉える考え方も強いのだが、そんな中で我々は「常に共生」の意識を持って自然に接してきた。太陽も月も星も風も雨も嵐も山も木も水も原も川も水も沼も海も、我々はそれぞれに聖なる存在感を持ち、それをつかさどる神がいると信じ、そんな中に我々も同じように暮らし暮らさせてもらっていると信じてきた。そんな生活を続けるにあたって、我々は祖先の代から自然の神々へのまつりを行い、自らの生活のために農業や漁業などを行うに当たっても、神々をもてなすお供え物やまつりをして、神々へのまつりをして、神々の恩恵の基に万物と調和して生きようとの姿勢で人生を送ってきた。

 生活のために木を伐るときは、木の神さまにあいさつし、切った後には必ず木を新たに植えて自然を復元し、むやみに自然を壊さずに自然も我々とともに美しく維持することを心がけてきた。そんな我々の意識は、この我々の住む国土を戦う相手だとして、暮らしのために征服するとしてきた文明とはかなり違った特性がある。

 これからの文明をどう伸ばし、発展させていくときには、そんな我々が先祖から受け継いできた感性を生かしたものを目指したいと思っている。

 現代の我々は、とかく明治以来の要学思想におかされて、我々が身につけてきた発想とは違った方向を目指しているようなところが多くなっている。この原子力発電の問題もそうだが、基本から、考えてみる必要がありそうである。

 スペースが限られたこの欄で、すべてを述べることはできないので、それはこれからの文に委ねるが、終末思想などが訪れがちな洋学を離れ、「我々も自然の一部なのだ」という日本的なものの考え方を生活にもっと復活させたいものである。

写真は事故に遭った福島原発。

ヘドロであがくドジョウの姿は

2012年04月22日 19時15分43秒 | 私の「時事評論」


 何ということだ

 国会の様子を見ていて有明海のドロドロの沼沢地にぬたくっているムツゴロウの姿を思い浮かべた。

泥、泥、泥。見渡す限りの汚泥の中、そこをぬたくるように動くムツゴロウのような首相。泥土の中で動いてきたので、目は退化して、周りをしっかり眺めることはできない。
我が総理大臣は就任時に自分を謙遜してか「ドジョウ」だと宣言した。ずいぶん自分を卑下しているとその時思った国民も今は納得。国会は汚泥に埋まった泥沼なのだよ。田んぼの土壌だってもう少し濁っていない。首相が自分をドジョウだと表現したのは自分だけでなく、政界の現状に感ずる実感も含んでいたのだ。いま、ドジョウ首相はそれこそ泥沼の中でもみくちゃにされて、何が何だか分からなくなったらしく。閣僚二人の問責決議案の採択なんて、サッカーでの反則カードをもらっただけのような顔をして、妙にすっきりした表情をしている。

内閣として掲げる政策は、以前の民主党内閣から見ても、政策を論じあうような目標は次々に先送りして、今やこれまで進んできた前例を踏襲しようと思っているのみに見えるのだが(若干の思い付きだけの空想論も混ざっているようだが)、それでもなかなかまとまらない。
国会は、ヘドロの中で首相をはじめ閣僚や並みいる国会議員がムツゴロウのプロレスのように、周りが見えずに絡み合い、泥だらけでぬたくっている状況だ。泥海ばかりで周りも見えないから案外のんびりしているのかな。

現代の政治家はいったい何を目指しているのだろうか。私は最近、かなり注意してニュースや国会中継を見ているのだが、報道機関などに具体的政策に触れずに語っているものなどは信用せず、彼らが実際行っていること、議論している様を見れば、「あの人はまだ政治家だ」と思うことがほとんどなくなってしまった。汚泥の中の泥仕合、あれでは今後が全く期待できない。

 野田首相は民主党政府内のビジョンの不統一と野党との違いの無さに苦しんでいる。加えて国会内の各政党の混乱迷走状態だ。どの党も際立った特徴というものが無いのだからたまらない。どの党も似たようなもの。野党の国会への姿勢は、政府が言いだしたことは、内容は俺らの主張とさほど変わらぬが、俺らが出したものではないから賛成するなという姿勢、加えてこの無責任は与党民主党内の派閥対立にも及んでいる。党内で、あれは反対派の首相の提案だから潰してしまえといった調子だ。政府は、こんな情勢に次々に政策を先送りして、将来の消費税の増額だけに焦点を絞り、なんとか提案が通過する実績だけは作って見たいとしているが、呆れたことに、これはつい最近まで、与党民主党ではなく、自民党の掲げていた政策なのだ。

だがそれを野田内閣が持ち出すや、当の自民党がごねて、これ一つだって通りそうにない。

 もともと現在の国会には決議能力なんて、とうの昔に無くなってしまったことを知らなければならない。議会は機能を失い衆愚政治の最終段階にまで来てしまっている。これでも昔は論争して法律などを作ってはいたのだが。選挙制度の改革などで、おかしな細工を重ねた挙句、議員の質も国会の質もここまで低下した。もう、すべての議員や政党を入れ替えるか、新しい制度でも作らない限り、こんなところで政策は決まらない。通る議案は殆ど全会一致かそれに近い議論の余地ない案件ばかり、それ以外のものは、ほとんどの議員が議案にはほぼ賛成で、通した方がよいと思われる案件であっても、国会内で各党各派が論理でではなく、お互いに感情的にいじめあっているばかりに通らない。こんな機関に政治を委ねなくてはならない国民こそ哀れである。

 消費税を出した背景

野田首相はそんな事態を少しでも改善しようと、国会の決議さえあれば、予算を伴って政治が機能できる基盤作りとして、金を調達するために歳入増=消費税の将来的増額を掲げ、国会の決議が国政の運営の基礎に対応できる最低限の条件を作ろうとした。政府がこれを提案する背景には、金をかけてもやりたい目標があるのが自然だ。だが、福祉に使うなどといって、目標はあいまいだ。今の日本は歳入歳出の不均衡が続き、その結果日本の円がギリシャやイタリアみたいに急に安くなって、将来国家の運営がショートする日が近いことだけは常識だ。歳入増加をはからねば国がつぶれる。しかしそれでも今の国会を通すのには国会内の環境が悪い。

いまの景気では法案が通っても歳入増加があるかどうかもわからない。でも、国会が何かを決議する能力をもう一度これで取り返さなければと思ったのであろう。だが今回のに閣僚への問責決議などで、この消費税までも危うくなってきた。

原発をどうするか、このままで被害を何千年、何万年増加するのか。この被災地を含む震災地では、もうこの分では放置されたままで二年が来てしまう。増える高齢者対策はどうするのか。円の価格が危なくなっている。国として打つべき対策はないのだろうか。沖縄問題はどうするつもりだ。大阪や東京などから、国の姿勢を真正面から批判する声が上がり始めている。政治の権威をどうやって取り戻すのか。国会や公務員の経費の節減はどうなったのか。選挙制度はこのままで良いのか・・・。

課題は恐ろしく多い。こんなことを続けていては、日本が集団ヒステリーに巻き込まれてしまうのではないだろうか。


目先だけしか見えないのか―その3 日本に欲しい独特の展望

2012年04月11日 11時16分07秒 | 私の「時事評論」

天皇陛下と政府や自治体、被災者

震災の後、満足な救済策が取れず混乱する政府に、被災者たちの不満は高まった。首相・閣僚や国会議員などが被災地の視察などにくると、被災者は「視察に来るより、東京での小田原評定をやめ、実質的救済策を打ってくれたらどうだ」と詰め寄るシーンが続発した。政府が機能マヒし、国会も何から手をつけるかわからない上にまとまりがない。テレビなどを見ても、責任者は「可及的速やかに抜本的な対応を」など口先ではいうが、具体性の無い形容詞ばかりだから、被災者の不満が出るのは当然であった。

そんな中で天皇陛下は、震災直後にお見舞いと国民を励ますビデオを作られ「救助活動や事故報道に支障にならぬよう配慮して被災者や国民に伝えてほしい」とお伝えになり、自ら災害地にお出ましになるのは、自衛隊・消防隊など救助活動の支障のない時期までお待ちになった。

陛下はお見舞い金を届け、栃木の御用邸を開放し食料やお風呂などを提供され、事故後は首都圏に避難してきた被災者のお見舞いなどをされていたが、事故後の救急活断で混乱の時期が過ぎると、津波の被害のあった千葉・茨城から宮城、岩手、福島と被災者たちを見舞いに出かけられた。被災者たちは真心を持って両陛下をお迎えした。被災者を心からいたわり、力づけようとされる両陛下のお姿に、被災者たちは感激に涙し、手を合わせて感激した。政治機構の代表と天皇さまの全く違う国民たちの受け入れ方、そこに日本という国の伝統的に変わらぬ陛下への姿勢が明瞭に示されていた。


時の政治と天皇のしろしめす統治


日本は三千年ほど前の建国以来、一貫して万世一系の天皇陛下のしろしめされる国である。この「しろしめす」という言葉は今の用語で説明するのが難しい。統治という用語の概念が、政治的権力行使に限定されて解釈される現代では、統治と簡単に言い切ることができないからである。現憲法ではそんな天皇の地位を象徴と表現している。この言葉は本来法律用語ではないが、それも一面で天皇の権能を説明しているが、天皇の権能を説明し尽くしていない。しかも最近の憲法学者などは、わざわざこの概念を歪めて解釈する東大などの歪んだ解釈に取りつかれていて、現実に日本にあった史実をまともに見ようとしない。

天皇はその昔、日本国が国として意識される以前から、国民と神々の中間的な存在・現人神として意識されてきた。現人神などというと、今の連中は今の知識だけでものを見て、非常識で意味もないものだと簡単に決めたがる。それは間違っている。人々がその時の知恵を出し作り上げているのが文化である。自然科学の分野や数学は現代とは違う意識が支配的な時代であった。だが、そんな今とは違う条件の中でも、人々がまとめ上げた精神構造の中には、我々が今では、見落としがちになっている重要な要素や側面も含まれている。それをその当時の人の立場に立って考えて学び、大切なものを継承していくのが歴史である。

たとえば、我々は現代で、福島原発の大事故という厳しい経験をした。放出される放射能の有毒性は人間が生きていくために遮蔽しなければならない。関係者はそれをコンクリートなどの遮蔽物で囲んでしまおうと考えているようだ。だが、放射能は長いものでは千年も万年も害を出す。これを覆うコンクリートは百年少々しかもたないだろう。だが今の我々はそうする以外にはない。将来の人が研究の末に、もっと優秀な新技術が見つけたとする。新しい世代の人はそんなことも知らなかった我々を評して、「愚かなバカ者だったから、彼らの歴史などは継承すべき価値もない」といって、過去とはすべて断絶した生活を求めるとしたらどうだろうか。歴史は生活が過去とは関連性の無い断絶したものになり、人類文化の停滞を避ける学問であるべきものだ。


己を捨てて民のために祈る三千年

そんな思いで歴史は見なければならない。所で話を戻すが、日本という国の母体となる統一された社会が出来上がった時、数千年前の日本は農耕生活を中心として人々が生きる社会であり、その基礎である自然の現象を、天気も気象も自然条件もその他のことも、すべてそれを司る神々のお心によると我々の祖先は畏れ慎んで生きてきた。日本の社会は、何よりも自然を司る神々のお心に合わせて生きるように努力して生きなければならない。それを人々の神々へのまつりにおいて神々に誓い、神々がお心を安らかに人々に豊作や幸運などをお恵み給うことを願ってきた。日本には今でも全国に神社があり、そこには変わらぬ自然万象を司る神々がまつられており、人々はそれを大切にしながら生活をしているが、そんな神々への人々のまつりを行うに際して、最も大切な中心・祭祀王であったのが、建国以来変わらぬ万世一系の天皇であった。

天皇は我が日本の精神文化において、神々がお住まいになると信ずる天上の高天原の親神さまである天照大神の直系の御子であり、大神の命により、この地上の国を安らかで穏やかな浦安の国にするために、地上へ降りてこられた直系の御子であると信ぜられてきた。その御自覚のもとに代々神々へのまつりを、国民の代表として続けてこられたのが天皇である。精神伝統は三千年も守り続けられてきた。新しく作ろうとしても作ることのできない歴史の重み、それが天皇にはある。

三千年の長い歴史の間には、すべての国民の生活が祭祀王たる天皇の基に、行政も文化も道徳も公共事業も統一されていた時代、あるいはその後の社会の中に、行政能力や実力が優れていて、時の天皇から国の様々な権能のうち、政治の権限を行使することを認められた武家の将軍、後の首相などが天皇から辞令をもらって暫時政治の実権を行使したこともある。だが、天皇はこの日本をしろしめすという継続した国民精神は、三千年前の日本文化の精神体質として、今では我が国の不文の基本法となっている。日本文化の体質は、その間一度も変わったことはないと私は考えている。

今もそれは変わっていない。そう私がいうと、「新憲法の時代ではないか」と首をかしげる人がいるかもしれない。だが上辺だけでなく深く現実を見るがよい。日本の今の国民生活のうち、世俗政治の側面は天皇陛下の認証(委任の辞令)を受けた総理大臣以下の大臣が行使している。三権の長も同様である。しかも大臣という言葉自体が天皇の家臣であるからはじめてわかる称号である。政治はそれを行使する天皇の委任を受けて、あの最初の武将であった頼朝以来、天皇が委任された指導者が主として担当してきた時期と、それが天皇に戻され天皇の直接統治になった事故の連続だった。日本には歴史を見て、天皇を無視して政治を行ったものが出てきた例はない。いまもそれは変わっていない。

しかも日本人の国民生活はもちろん政治だけではない。もっと広い面にまで社会生活は広がっている。国民は今でも熱心に神社の神々に首を垂れる。初もうでなどは今でも国民の大半は神社に初もうでをする。家を建てるのには地鎮祭をするし、神々がいつも身近にいる生活をしている。災難が降りかかりそうになった時、病気にかかったものがいるときはお祓いや神もうでをする。三千年間と今ではずいぶん変わったという見方もできる。しかし精神文化はそんなに変わっていないと言えるのではないか。


天皇さまの生活

三千年前から現代まで、百二十五代の間、一貫して天皇という地位につかれた方々の経験とはどれだけ人柄に影響するか。己を捨てて全国民のために祈るのが御自分のおつとめと信じて、国民からも期待されて生きてこられた蓄積の効果は途方もなく大きい。そしてそれを信じ従ってきた国民の天皇に対する信頼もまた同様に大きい。その蓄積が政府への震災後の国民の意識と、天皇陛下に対する意識の背後には存在している。比べ物にはならない質の違いだ。

さらに天皇陛下には三千年来の精神的継続の重みがある。それは日本の特徴的史実を見ればはっきりする。先に少しふれたが、天皇は現実の世俗政治の面では時の実力者に、神々からゆだねられたとされる権限のうち、政治俗務の執行を行う権限をお認めになったことがある。だがそんな時も、宮中の最も大事な勤めである神々へのまつり、祈りの面での天皇のまつり主としての権限は自らの手にお持ちのままであった。三千年の間には、様々な日本の国民にとって災難だと思われることも多かったし、お任せになった俗権行使を認められた連中への神々のお怒りと思われるような事態もたくさんあった。そんなときでも、天皇は国をしろしめす責任者として、神々への不徳はすべて我が責任として精一杯のまつりをされ、神々へのお詫びも重ねてこられた実績がある。国民は様々と漏れ聞こえる話によってそのことをよく知る立場にいる。

今回の東北地震も、平安時代の地震災害が襲った時代に「生き写し」だという指摘は多くの人に提起されている。問題の資料となる書は『三代実録』だが、古典にはその当時の天皇がいかに御心痛であり、自らの政治の責任とひたすら神にわびられて、その罪は住民の罪ではなく己が罪だと祈られたことが出てくる。天皇は率先して宮中生活の切り詰めをされ、余裕はすべて被災地の救済に回され、当時の記録には天皇を見習い、百官の役人たちがそろって報酬を大幅に削って、陛下に従ったことなどが記されている。そんなお気持ちは一貫して皇室に伝統として引き継がれ、昭和天皇、今上陛下にも生きている。


大切なのは国家百年の計を政治が持つことだ

日本の今の政治は先にも指摘したように、国家百年の計を忘れ、目先だけに一喜一憂を繰り返す中に、これからの我が国をどのような方向に引っ張っていけばよいのかも見えなくなってしまっている。だがすべてを本来は委ねられたお立場にあると国民が意識する天皇に対しての国民の信は、一時一局で消えるようなものではない本能的ともいえる信頼感に支えられている。それを見て、多寡が70年弱の政治をみるだけで、失望すべきではないと私は思っている。

日本には天皇のしろしめす国としての特徴的な性格がいまでも強く残っている。言葉を換えれば、政治の分野は社会生活のごく一部門にすぎず、そんな政治の部門が少々混乱したところで、日本の精神文化の核である天皇文化が変更しない限り、若干の苦しい時期はあるが、日本は必ず立ち直ることができる。現に今回の災害に対しても、天皇陛下のお示しになったすべてに優先し被災地を救済する姿勢は、日本人の中に日々強くいきわたり、政治の無責任を補い始めているように見える。

ただそんな日本の回復への道をしっかり確保するためには、戦後のわがままに走る日本人自身がたどってしまった危険な風潮がこれ以上、跋扈しない社会を作っていくことが必要であると思う。日本は戦後の時代に、我々を蝕んできた日本の将来の社会を考えないことにした風潮にすっかり汚染されて今まで来てしまった。現代の我が国には、先祖の残した伝統を忘れ、「今だけ楽をすればよい」と将来を持考えぬデカダンスの風潮にある。

それにはその前の明治維新から進んできた日本が、独自の文化の色彩を持ちながら、世界の中にはっきりした生存権を確保するとした目標が大東亜戦争の敗戦により潰されて、国民の自信がついえ去ってしまったことが大きかったということができよう。何でこんなことになってしまったのか。それに関しては私も強く思うところがあるが、今回は触れない。ただ、あの戦争の時の政治指導者に、国家百年の計が不足していたことだけは確かだと思う。

だが、日本は、「もうどうにでもなれ」と将来を考えないデカダンスの風潮におかされない限り、あすの日本に期待できる空気は必ず育つと私は期待している。

読者に分かりやすいように具体的に言おう。我々は天皇の存在の下、過去から現在、そして未来へと一貫して流れる祖父母→両親→我々→子供→孫と通ずる将来のために、いかなる犠牲に耐えながらも、より美しい国土を残すという家族精神を基本として生きてきた。それは日本的な文化の美風であり大切なものであったが、敗戦ののち、それまでを怪しくさせる風潮になってしまった。

国には将来を見て、目標を定めて進んでいく計画が必要だ。日本の文化を守っていくためには日本らしい国家百年の計が必要なのだ。それをしっかり考えるべき時期になっているのではないだろうか。


先も見えぬのに長期の変更などすべきではない

少々蛇足に見えるかもしれないが付け加えておきたい。今の政治や国会は、こんな日本の続いてきた歴史を忘れ、今の欲望の赴くままに生きることしか考えられない次元に終始している。だから大きな課題に直面すると、たちまち愚かさを表に出してしまう。これは計画性の無い戦略なき戦術しか考えられない今の政治の致命的欠陥に基づいている。

極端なのは、将来の問題などは真剣に考えているとは思えないのに、その愚かさのままで目先の便宜の感覚のみで、日本の歩んできた過去の道を変更しようとする傾向も目立つ。それだけの見識を一体今の国は持っているのだろうか。

日本の精神文化を支えてきた皇室の制度を、軽率な感覚のみで、やたらに変えようとする動きがある。単なる思い付きのみで、三千年の蓄積をさらにしのぐ知恵があるとでも思っているのだろうか。原発に走ってしまった我が国の行き方にも、批判もせずに、「良くないことだが続けよう」と動く空気、これだって、なぜそれをしなければならないのかという、暮らし方に対する面まで検討し尽くし、百年の計に合致するとの柱が立っているのだろうか。

我が国は目先のことのみに幻惑されて、日本の百年の計を考えない愚かな行動が乱発してきた数十年の歴史がある。日本全国に広がっていたその土地土地の磨き抜かれた共同社会を見捨てて、いずこも同じような廃屋の群れとコンビニばかりにしてしまったのも、目先ばかりに幻惑された結果だった。日本中の街路には、昔とは比較にならない街灯が増えたのに、どうして治安が悪くなったのか。それも目先ばかりを追いかけて、安らかに日々を暮らすことをおろそかにした経済政策のもたらしたものだった。

こんな問題が数えきれないほどに漂っている。何のためにこんな道を我々はたどったのだろうか。政治はそのことに気がつかなければならない。そんな冷静さを政治が取り戻した時、そこから日本再生のカギがいくつも出てくると私は思っている。

終り

>目先だけしか見えないのかーー2 地震処理も場当たりで

2012年04月06日 08時37分36秒 | 私の「時事評論」
 国政に取り組む人は

 今後を自己責任で考えることをなくしてしまった日本の国を、これからどうして再び、真剣に将来を展望し、設計図を持って臨む国に回復するか。これは口で言うより、かなり骨の折れる仕事だと考える。だが、最近は多くの人が、日本の世界でも異常な姿に気がついてきた。私も未来に期待をしたい。

 そこでそれにつながる現状改革案から始めよう。手はじめに、私は国政への展望を持たないものが安易に員数揃えのように国政に出てくる現在の空気を正す国論を育てるべきだと思っている。国へのビジョンもない人が国会議員などになり、議員報酬などを生活の手段とし、無駄金を使って国政を混乱させることの無い環境を先ず作るべきだと思っている。国政を論ずる議員は、少数精鋭で充分だ。衆参合わせて千人に近い現在の国会議員は、まず半分ほどにでも圧縮し、どの議員も「あの人はこんな意見を抱いている人だ」と国民に顔が分かる精鋭に絞ってよいと考える。政党本位の現在の小選挙区制などは国会には不要である。

 そして日本の将来に夢を持ち、国政の将来像を描ける人、政治で食う政治屋ではなく、政治に夢を託する政治家が国民注目の中で、より存分に論議する場に国会をすべきだと思っている。さらに、国会議員など国政の中枢にある人は、国よりの報酬などはあてにしない人、その人を支持尊敬する国民の拠金か、政治以外の社会的収入によって生活をできる人に絞った方がよい。議員の職を、自らの生活の収入を得る場所にしてはいけないと思う。お金のほしい人は企業などに職を求め、国会議員や政治家になるべきではない。

 議員経費も徹底的に絞るべきだと思う。これは現在の膨大な税金の乱費防止につながるし、議員が、官僚の無駄遣いに、その他の不当な収入を得る者に厳しいチェックをする力を増すことにもつながる。政治は清事(せいじ)であるという意識を国民に徹底して印象付けるのだ。国会議員の行動には厳しい社会のチェックが必要だ。政治屋は不要、政治家は国の発展に力を入れて、国民に尊敬される人を目指さねばならない。
国会での日常の論議の中には、直接将来展望は出てこないものかもしれない。日常の国会審議は、毎日取り組んでいる行政全般の百般に分かれた一つ一つの部分的問題が多いし、それらは全体が統一されて初めて、その国がどんな青写真に向けて進もうとしているかの全体像が見えてくるものであるからだ。だが、国のあるべき理想が基本にあり、そんな目標に向かって我々は進んでいる自負がなければ、国というものがどこに向かっているのかがわからない。

 私は日本のあるべき将来を思う者が、蓄積した見識を訴えて選挙に臨み、国民の信を得たものが議員になるというすっきりした姿を目指すべきだと思う。掲げてみてもこの理想は遠い。しかし、目指さなくてはいつまでたっても同じだ。


 政党は表舞台の存在ではない

 また政党などというものは、何も国が応援すべき公的な存在ではないと思う。憲法にも政党は直接出てはこない。それはただ目指す政治の方向の共通の人々が私的に集まって組織する団体にすぎない。しかし、現実の議会政治は数が最終的に勝敗を決めるので、議員たちが党派を組み活動するのが便利である。こんなところから憲法には何の規定もない政党というものが、議会制度には必ず顔を出すことになる。

 それが放置すると、日本のように国の資金をもらったり、特別の便宜を与えられたりの過分の扱いを受ける場合も出てくる。これらの援助は本来不要なものだと私は思う。

 政党は民間の私的団体であるべきものだ。賛成する者から資金を集めて活動をすればよい。ところが日本においては、国民の政治へのチェックが甘いので、こんな政党までが勝手に国費まで使い、国民に対してどんな政治を目指すグループであるかも明らかにせず、しかも公金だけは湯水のように使って、国会内の議会規則を定めたり、本来は議員らが話し合うべきところに顔を出したり、政治を商売になるものに代えてしまっている。民主党を見ても自民党を見ても公明党を見ても、彼らは国民がどこに互いの違いがあり、何が目的なのかを示すことができないままで、議員以上に動きまわっている。

 ところで政党の目指すべき目的こそ、本来は国家の展望や理想の姿の追求するものであろう。ところが今の我が国の政党にはそんな展望も何もなく、その上に、何を求めているのかはっきりさせない表面に出て、選挙制度までがいつの間にか、政党を国民に選ばせるゆがんだものに代わってしまった。どんな政治を選択するか、国民は選挙で投票の機会を与えられても、候補者の属する政党のあいまいさに邪魔されて、政策に直接意思表示ができなくなっている。これではまるで政党は、民意と政治の間のカーテンのようなものだ。なぜこの前、民主党内閣ができたのか、そして結果は国民の望む通りになっただろうか。私は、何も政党を否定しようと思っているわけではないが、政治の表舞台に政党が出てくるのは賛成しない。今のように、政党とそこに所属する議員の主張が合わないようなことになると、政党は混乱させるばかりの存在になる。


 政府の震災復興に対する姿勢

 日本の国が将来活力を回復して、自分の力で「国家百年の計」を描くことができる状態に戻るのには、百年の計を考え、それに向かって積み上げる苦しみを放棄した70年近くになろうとする過去の歩みから決別し、もう一度あの明治の時代のように、日本国の繁栄のために、国を挙げて努力する姿勢が必要だと前章では指摘した。

 国政論議の場である国会ばかりではなく、あらゆる社会の場において、もう少し、国家の理想を眺める論が論じ合われ、それに対する論議が交わされ、その論議が国の方向を定める力になる環境がほしいものである。

 かといって、私はすべての問題を長期的視野にさえ立てば、万事がうまくいくなどと空想的なことを考えているのではない。今の政治は何より先にとにかく動かない、機能をしなくなっている。一日でも早く国や政府が動かねば、国の対応の遅さによって多大な迷惑が国民に及ぶ。現在の政府や国会議員、各政党を見ても、自分らが責任者ならば、こんな間の抜けた怠慢に終始していてよいのかと腹が立つことが多すぎる。今回の震災よりの復興などをみるがよい。壊滅的な破壊を受けた東北地方、今でも災害の後は膨大な何もない広場のままで放置され、復興計画ひとつ出来ない中に被災者は一年を越えてしまっている。中でも原発の放射能漏れによる被災地は片づけはおろか、被災者は居住していたところに戻ることもできないでいる。これに対して国会は、お互いにののしり合うだけで一年間、なんら対応策が打ち出せない。なぜ動けないかを考えなければならない。

 少々脱線するが、大正時代(12.09.01)に首都東京を始め横浜、首都圏などを破壊し尽くした関東大震災を振り返って見る。首都圏で全壊11万戸、消失21万戸、津波で流失1300戸、死亡及び行方不明10万5000人の被害が出たが、時の政府は全力で回復に取り組んだ。その詳細はすでに書いたが、4週間後の9月27日には後藤新平・帝都復興院総裁(内相が兼務)が首都東京の復興計画を発表した。これは政府に、将来の日本の進路を描く設計図があったからだった。

 東京の被災地は国が買い上げる。路地のような道を100メートル道路にし、学校のそばには被災者が集まれる公園を造る。種々震災に強い首都の姿を計画し、今後は災害に強い首都を作るという大計画であった。この案は、当時が不景気の真っただ中で、厳しい政治・経済の環境下だったので、国会などでかなり小さいものに縮小されたが、こんな基本がただちに政府によって示され、基本となる長期プランが政府によって迅速に出されたので、その計画が基礎になって復興が急速に始まった。

 今回の被災地では、津波の後の膨大な廃棄物の処理が騒がれ、それらが復興の妨げになるのだが、処理できないなどと騒がれている。だがこれらのごみも、関東大震災のあとは、国による復興計画の中で速やかに除去された。復興計画では避難所として都市公園の整備が図られ、今は横浜の名所となっている山下公園などは、横浜でできた膨大な塵芥を海岸に埋め立て、海岸隣接の記念公園としたことなども忘れてはなるまい。
 より重要なのは、今回の災害のごみ処理の問題なども、マスコミで宣伝されているのとは別の視点から眺める必要があることだ。今回、全国自治体に引き受けを求めている塵芥は、全体の2割程度にすぎない。もちろんそれらは全国に引き受けてほしいと依頼されたら、全国の自治体は万難を排して即座に引き受けて対応すべきことで、それを住民が拒否することなどは困った状況といわなければならないだろう。だが、それができれば震災復興が完成するというものではない。8割の残りの塵芥の処理ができずに残されるからだ。

 これは、大きな処理工場を災害地の海岸でも埋め立てて大至急に造り、いっきょに処理する方が結果として安くつき合理的だ。僅かなごみを、態々輸送費をかけて運び、全国で補助金を大量に出して焼却し、輸送費をかけて送り返すというのでは、輸送業者や処理する自治体を潤すだけで、目的が違うような気がするではないか。景気も悪く、ただでさえ予算に不自由している現在、ほとんどの復興作業が手につかず、行政の確固とした計画性がないために、この種の無駄があまりにも多そうな気がしてならない。


 終戦のご詔勅と原子力発電

 さらに今回の震災は、福島原発の破壊による放射能問題を引き起こしてしまった。原発は壊れれば放射能漏れ災害という予想もつかない事故の危機と隣り合わせである。その予測できない地震や津波の事故に対して、慎重に対応をせず、わざわざ原発を作るに際し、用地の岡を20メートル以上削って海に近い高さにまで下げ、原発の設置を認めたのは日本の政府であった。

 昭和天皇は終戦の御裁断の時、なぜこの戦いをやめると仰せになったのか。それは広島長崎の原爆を見て、原子力というものが、今までにない凶器であり、このまま戦争を続けては、日本ばかりではない、世界人類破滅の危機が来ると断定されたからだった。

 その放射能の恐怖をどうやって安全なものにするかの技術を我々人類は未だに発明していない。原子力発電所を設けることは、今回の震災が証明したように、人類にとって命の危険を持った放射能が今後は一万年もここから出続けるということなのだ。
 
 それは他の原発でも地震や津波、その他の事故によって容易に起こりうる危険のある問題だし、地震や津波ではなく、ミサイル攻撃やテロ、飛行機などの墜落やその他の事故でも容易に起こりうるものだ。しかも我々にそれに伴う放射能を消す技術はない。

 そんな危険を二度と起こすまいと、わざわざ昭和天皇が65年前に世界に向けてお示しになった重いお気持ちを無視して、何と日本政府が原発を安易に認めてしまったことの重さが全く政府には感ぜられない。日本の国はこんなところまで無神経になってしまったのかとため息が出る事態である。

 私には、日本国政府には、この福島原発の事故は、日本国に対するこの日本の国土を見守る神々のお怒りになった神罰といってよいものであるように思えてならない。日本国は、いつの間にやら、しょうらいのことをかんがえることをわすれ、とんでもない道を走り始めている。

 福島の事故に関しては各方面から様々な報道がなされている。日本では政府も原発関係者も報道機関も、これに関しては報道しないことにしているようだが、海外から漏れ伝えられる情報は多い。それにだいいち、福島は今後も放射能は出し続ける。物質不明の法則というのがある。政府は除染すれば安全と説明しているようだが、除染使用がふたをしようが海に流そうが、危険はなくなるものではない。中には一万年もじっと待たねば自然に戻らぬ危険なものも含まれている。

 さて次回は、長期ビジョンなき日本の悲劇に触れよう。

                  続く     

目先だけしか見えていないのか―その1 展望を失っている日本

2012年04月02日 21時36分33秒 | 私の「時事評論」


  何かがおかしい

 四月に入った。新年度だから新しい気持ちで出発したい。だが国会をはじめ政局は眠っている。眠っているというのは不穏当かもしれない。ワイワイやっているのだが、論議に方向性がなく、大切な日本の将来への展望などは無きにひとしく、議員たちは自分が何を論じているのかも分かっていない。見ている国民はもう諦めの境地だ。喚きあってガチャガチャ茶碗の中の水を掻き混ぜて、水を跳ね散らかすだけで、自分で自分が何を論じているのかもわからない始末だと言ったら正確だろうか。

これから日本にどんな時代が来るのか、さすがに国民の中には不安になっている者も少なくない。いつの間にか、時代が変わり、世界に大きな転換期に来たのかもしれない。今のままの日本では、うまくいかない問題点が次々に表面化す危険性がある。

一年前の東北東関東の大地震、大津波、原発事故からの回復はさっぱり進まない。それどころでない。加えて今までは想像もしなかった大地震や津波が次々に我が国を襲って、全国の主要都市が水没する恐れもあるという恐るべき情報までが発表された。福島原発の事故は、大事件だが事故前の状態に戻ることができず、「たいした事故でない」と政府は発表を続けているのだが、その隙間から、報道されなかった深刻な被害の状況が続々流れでてくる。
「このままではあと一万年ほど、我々は福島の原子炉崩壊の後遺症に悩まねばならない」、「汚染は洗浄すると言っても、放射能は消えないのだし、その汚染はどこに行くというのだ」、「福島東部はしばらく使いものにならない」、「今の破壊された原子炉も近寄れない危ない状態のままだというではないか」、「他の全国の原発にも、大きな事故の可能性がある」などという情報が信憑性を帯びてきた。「原発依存など、何という大きな国策の失敗か」。日本の景気はすでに頭を打ち、「このままでは日本経済は回復しそうもない」との観測、「日本が老人ばかりの国になる」、一体だれがどうやってそんな老人を食わしていくのかという不安、「食いつぶした国債の債務はどうなるのだ」、「消費税はどこまで上がるのだ。だいたいこれで税収が上がる方程式は経たないではないか」。こんな後ろ向きの暗い展望ばかりが次々に出てくる。どうして日本はこんな時代を迎えてしまったのか。

我々日本人は明治以来、独自の壮大な夢を描いてそれに向かって進んできた。だが20世紀の半ば、昭和20年(1945年)年に米国との戦争に敗戦して以来、これですっかり気力を失い、いらい国家百年の計などというものを描いて、自分らの努力によって切り開くことも忘れてしまったのでこんな状況になったのだという説は、残念ながら当たっているようだ。

敗戦ののち、最初のうちの日本は、戦争で日本に勝ち占領国として進駐した米国の「日本国を弱体化する」目的に沿った命令によって強制的に規制され洗脳され、その後はまるで飼い馴らされた犬のようになってしまった。しばらくして形の上では独立国としての主権を再び回復したのだが、もう気力を失っていた日本は、同じように戦勝西欧諸国についていけばよいとそれ以来、いつも時の空気に流されてきた。

 こう書くと反発する向きもあるだろうが、全体の風潮は、大きく見ればそんなものだった。わが国にも、本来ならば国家百年の計を考えて、独自の力で日本らしい道を求める努力は必要だったのだと思われるが、そんなものを大切なものと受け止め、真剣に考えて生み出すという努力そのものを日本文化が失って歩いてしまった長い時代であった。
 今年は西暦で2012年、敗戦の我を忘れた亡失から67年も経過した。国民もその間に親から子、子から孫中心の社会へと時は流れた。敗戦時の昭和20年に、まだ小学校に入ったばかりの私が今年はもう75歳、いわゆる後期高齢者の仲間入りすることになった。その間、日本は流されるままに安易な対米従属と言われる中で動いてきた。
 敗戦までの日本は、世界とは異質の構造を持ったユニークな文化を目指してきた。日本には西欧文化と異質の要素が多くあったし、それを知り、日本の将来を本気で考える人がいたからだ。鎖国のままでは海外の国々との交渉が避けられなくなり孤立する。日本は世界の国々と親しく交際しながらも、西欧を追従するだけでは日本文化は守れない。我が国文化の持つ独自性を残して、独特の国として発展しようと決意して、明治維新からの道を歩いてきたはずだった。

だがそれは、決して平たんな道ではなかった。世界の文明は、もう白人たち先進国の独占状態にあった。そこに日本は割りこもうとしたのだから。結果として有色人拒絶の厳しい世界のすう勢に苦しめられ、結果は追い詰められて起こした戦争に、力不足で負ける結果になった。その歴史は苦難の道であった。
だが、そんな苦しさにも耐えてきた日本は、戦争に敗れたのちも、ノックアウトにならず立ち治るべきだった。明治以降の日本には多くの後進の有色人国家も期待していた。だが、我が国三千年の歴史で初めて経験した敗戦の精神的ショックが、国民の持っていたあらゆる理想も捨てて無気力にしてしまったのも、やはり日本の力であったのか。何もかも、占領軍の言われるままに従って、思考停止をしてしまったのだ。
努力してユニークな国を存続させるより、流されるほうが楽だと洗脳されて、歩んでしまった長い歴史。真剣に独歩で国の行方を本気で考えた者がその間、国内に生まれなかったとは言わないが、そんな難しいことをいうものはだれも相手にしないのが日本文化の大勢だった(だがここで、日本の歩んできた道を見て、世界の有色人国家が日本と同じような道を歩もうと決意し始めたことは見落とせない。それらの国はその後自分の力で体上がる。だが日本は自信をなくして挫折した)。

これからはやりたい放題の自由主義の時代である。国の在り方などを堅苦しく論ずることは不要である。そんな思いに取りつかれ、歩んでしまった半世紀以上の歴史が、日本から、国家百年の計などを真面目に考える層を絶滅させてしまったのだ。それが大きな目で見たこの半世紀の世界史である。かくいう私もそんな時代を生きてきた。このままではいけない。そんな思いは持っていた。そして生涯、それを主張し続けてきた。だがそれがどんな成果をもたらしたか。日本のたどってきた歴史を見れば明らかだ。社会の皆がたどりつつある道を批判し、その流れの中で食ってきた。そう言われてしまえば返す言葉もない。
 
 
 豊かな享楽の日は続かなかった

 だがやはり、そう勝手な生き方ばかり続けていては、続かぬ時代がやってきたようだ。言われるままに米国の日本文化の異質性を脱色する洗脳政治に従順に従い、国の安全は米国が守ってやる、経済の安定はドル経済が守ってやる、好き勝手にのんびり暮したらよいと言われてきたのだが、米国は日本国のことを思っての親心ではなく、日本が再び米国の脅威に回復させないための手段であった。それがその後に日本を衛星国・同盟国として使う方針に転向したので対日保護は長引いたのだが、なにも余計なことを考えず、国防や経済政策に無駄な費用をかけず、うまくやっていけば楽ができる。米国の傘の下でのんびり太平の世を満喫していればよいさ、米国はそんな国だと最初は思っていた我が国も、いつまでもそうとばかりはいかなくなった。
 その上、今までは世界を支配する軍事力を持ち、世界経済を牛耳るドルの威力を誇っていた米国の世界への威信もぐらついてきた。ドル経済も日本のこれ以上の寄りかかりを支えられなくなってきた。米国の我が国への対応が少しずつ変わってきたのは最近のこと、そんな中にこの数十年、日本の基礎的文化とは異質のもので何とかやってきた日本の国の体質が、やはりこれ以上のんびり考えずにやっていたら、おかしなことになりそうな気配になってきた。それが現代の世情のようだ。
 
 
 混乱する政局

 以上は本論の口上で、これからが現実の話である。
 ここ数年、国会では税収不足の中でどうやって国家財政を定めていくかをめぐって紛糾が続いている。常識でいえば税収を得て、節税につとめてその範囲内で国の財政をいかに運営していくかを苦心するのが国民に選ばれた国会というものの仕事である。議会制度が始まった当初より、議会はそれを基本的な務めとして発足した。
 だが我が国の状態は変だ。政治を行うのに国の経費を監視し無駄を省くより、国会議員が再選されるために、国民の機嫌を取ろうと金もないのに将来への借金である国債をばらまいて借金し、ない金までをばらまいてきたのが国会だ。挙句の果てはもう借金は税金などを少々多めに取って見たところで、そんなものでは絶対に埋まることの無い額にまで増えてしまった。

 こんな状態が現在であると思って、冷静に眺めると分かりやすい。政府や国会は、戦後の日本が米国の傘の下で、右肩上がりに成長してきたので、これからも成長すれば税収は上がり、多少の国債などは何とかなると思っていたのだが、後見人の米国までが躓いて、そういうわけにはいかなくなった。それに我が国内でも人口比率が急速に高齢化した、新しい産業が育たなくなった、企業活動が変化して失業者が増えた、企業が外国に逃げて税収が上がらなくなったなど、次々に問題も生じてきた。
それで結局は増税をしなければならなくなって、消費税を5%から10%に増やす案が政府や野党から求められて論議をされているのだが、これにも多くの問題がある。先ず、その程度の増税では、国の借金が減るどころか、いよいよ苦しくなるのは目に見えているということ。そんなことは国民だってよく知っている。消費税を20%か30%に増やしても、今の赤字体質は変わるまい。そればかりではない。消費税増は、すっかり元気をなくしてきたわが国景気をいよいよ落ち込ませ、税収は逆に下がるとも見られている。

それだけではない。我が国は今、急速に人口構成が変化し始めている。過去に生まれた老人ばかりが増加して、将来を担う若者は結婚もせず、子供も設けなかった。将来に夢が描ける状態ではなかったのだろうが、その結果、我が国人口構成は、典型的な文化の安楽死型に近付いている。景気は夢が無いのでいよいよ落ち込み、人口も若いものが増えずに老人のみを残して急速に減少することが予想される。

おかしなことに今までのドル安や最近のユーロ安などが国債相場を不当にゆがめ、日本は不当ともいえる円高に苦しんできたが、これとても世界が日本を真正面から見なかったからにすぎない。気がつけば日本円は売られて急速な円安に流れるのは確実とみられる現状でもある。国債乱発に歯止めがかからぬ日本が、急に円安に市場が移行したら、たちまち日本の金融環境は挫折する。
加えて最近は中国やインドなど、アジア経済の急成長が、日本の命取りになりかねないと見られている。
 こんな中で、国会は手はじめの5%の消費税果皮で大騒ぎだ。上げれば、なんとか我が国はうまく当面の危機を乗り切れるかのような国会論議が進行している。だがそんな論議をだれが本当に信ずるだろうか。世界は日本がとうめん20%の消費税で行き、その負担を乗り越えて経済成長すれば生き延びるとみているようだ。だが、そんな力と決断力がどこにある。65年前の敗戦のとき、何と教えられて日本がいまの日を歩むことになったのかを振り返ってほしい。
 何なのだ、この国会は。国民という主人にはほとんど知らせないうちに、高利貸から目いっぱいに借金をしてしまって、このままでは家も家財も明日にでも差し押さえられて一家離散して夜逃げか一家心中でもしなればならないような事態に追い込まれて、おたがいに「お前の小遣いを少し減らせ」と喚きあっているようなものではないか。もう少し我々国民が、本気でニュースを読むようなまともな審議はできないものなのだろうか。
――続く