朝駈けに
「蜂の一刺し」。ロッキード事件だったか、どこかで有名になった言葉だが、まさか私がその激しい一撃を受けることになるとは思わなかった。
最近恒例になっている朝の神社参拝、出かけるときは降っていなかったのだが、歩むにつれて雲行きがあやしくなり、とうとう雨が降りだした。
6時もまだ小半時ある前の時間である。人影もない。引き返すのは癪に障る。やむなく雨のしずくの少ない立木の陰などを縫うように歩き、家に帰って庭先でほっとした瞬間、手の指の間に激痛が走った。
見ると小さな蜂がいっぴき、尻からしっかりと私の指の間に刺さってぶら下がっている。手を振って振り払おうとしたのだが、そんなことでは離れない。やっとのことで生垣の枝を見つけ、それで濃さぐようにして蜂を引き抜いた。激痛は去らない。
部屋に戻って患部をよく見るのだが、手の周辺一帯が真っ赤にはれてしまって、どこが傷口かさえもわからない。よく「蜂に刺されたら、針を探して抜き去ってよく洗え」と言われるが、一面が痛くて見当がつかない。
女房殿に、「蜂に刺された。ぬる薬はあるか」と聞くと、「蚊に刺されたのならムヒがあるが、蜂に刺された薬はない」という。「キンカンならあるわよ」などと言うので、まあ、効かなくてもともとと、それをちょっとつけ、そのうち治るだろうと思って放っておいたが、治るどころかどんどん腫れが大きくなる。
夕方には周辺の指が曲がらないほど太くなった。夜通し疼いて翌朝には手のひらまで太くなってきた。
狙われたのが悪かったのだ。いつか治るだろうと放っておいたのだが、見てた女房が今日、内科の定期診療で病院にいって、診察の時に話をしたら、医師が飲み薬と塗り薬をくれて、「これで腫れが引かなければ、皮膚科の医者にかかりなさい」と言ったと薬を渡された。
女房も、あのあさ、寝ぼけマナコで蜂刺されに「キンカン」などを差し出して、ちょっと反省していたのかな。
雨を避けようと低木の生えるところを歩いたのが、蜂を引っ張り込む原因になったのだろうが、飛んだ災難だった。
生兵法は大怪我の基という。
「生兵法は大怪我の基」という言葉がある。蜂に刺されたということは、自分の目で確かめて分かっていた。朝が早かったので、すぐにというわけにはいかなくても、朝一番に皮膚科に行っておけば、こんなイタガユイ不快感に、三日も四日も悩ませられ、手に熱までもつこともなかったろう。
医者や薬剤師から、一度刺されるとそれがどこかに残っていて、次に刺されると、比べ物にならないように酷い症状になるぞと脅かされた。スズメバチなど、蜂の種類によっては、命の危機に遭遇することもあるのだそうだ。
何よりも迅速に対応するのが被害を小さくする秘訣なのだそうだ。
それはそれとして、そんなお説教を聞きながら、まさに「泣きっ面に蜂」の心境である。症状は刺された時より悪い。医者でもないのに、知識もないのに、勝手な手当てをしてこじらせた。まさにこのことわざ通りを地でいっているのだろう。
「まるで政府の対応みたいだ」
と呟いてみた。
震災の直後、事故の報に接した首相官邸は、どう対応するか分かっていなかった。一分でも早く救助の手を差し伸べれば、波間に漂う犠牲者を何名かは知らないが救出できた。首相はそれを命令できる立場にいた。日ごろから、日本の危機への対応の責任を感じていたら、無駄な時間は費やさなかったはずだ。
だが、政府の対応は「まず、情報を集めろ」で始まり、そのあとは「事故への対応を協議し指揮する専門組織を作れ」であった。
悪いことをしたとは思っていない。ただ、そんなことに時間を費やしているうちに、多くの命が助かるところを助けることができなかっただろう。これは愚かな私の場合におきかえれば、「何蜂に刺されたのか調べろ」「どこでついてきた蜂なのか、場所を調べろ」などと言うばかりで、対応措置を後にすることになる。私はそんなことばかり考えていてその挙句、キンカンなどを蜂の針の上から塗って、いまだに痛い手をさすっている。
因みにキンカンは、炎症止めやかゆみ止めには効果がある薬品なのだそうです。
「蜂の一刺し」。ロッキード事件だったか、どこかで有名になった言葉だが、まさか私がその激しい一撃を受けることになるとは思わなかった。
最近恒例になっている朝の神社参拝、出かけるときは降っていなかったのだが、歩むにつれて雲行きがあやしくなり、とうとう雨が降りだした。
6時もまだ小半時ある前の時間である。人影もない。引き返すのは癪に障る。やむなく雨のしずくの少ない立木の陰などを縫うように歩き、家に帰って庭先でほっとした瞬間、手の指の間に激痛が走った。
見ると小さな蜂がいっぴき、尻からしっかりと私の指の間に刺さってぶら下がっている。手を振って振り払おうとしたのだが、そんなことでは離れない。やっとのことで生垣の枝を見つけ、それで濃さぐようにして蜂を引き抜いた。激痛は去らない。
部屋に戻って患部をよく見るのだが、手の周辺一帯が真っ赤にはれてしまって、どこが傷口かさえもわからない。よく「蜂に刺されたら、針を探して抜き去ってよく洗え」と言われるが、一面が痛くて見当がつかない。
女房殿に、「蜂に刺された。ぬる薬はあるか」と聞くと、「蚊に刺されたのならムヒがあるが、蜂に刺された薬はない」という。「キンカンならあるわよ」などと言うので、まあ、効かなくてもともとと、それをちょっとつけ、そのうち治るだろうと思って放っておいたが、治るどころかどんどん腫れが大きくなる。
夕方には周辺の指が曲がらないほど太くなった。夜通し疼いて翌朝には手のひらまで太くなってきた。
狙われたのが悪かったのだ。いつか治るだろうと放っておいたのだが、見てた女房が今日、内科の定期診療で病院にいって、診察の時に話をしたら、医師が飲み薬と塗り薬をくれて、「これで腫れが引かなければ、皮膚科の医者にかかりなさい」と言ったと薬を渡された。
女房も、あのあさ、寝ぼけマナコで蜂刺されに「キンカン」などを差し出して、ちょっと反省していたのかな。
雨を避けようと低木の生えるところを歩いたのが、蜂を引っ張り込む原因になったのだろうが、飛んだ災難だった。
生兵法は大怪我の基という。
「生兵法は大怪我の基」という言葉がある。蜂に刺されたということは、自分の目で確かめて分かっていた。朝が早かったので、すぐにというわけにはいかなくても、朝一番に皮膚科に行っておけば、こんなイタガユイ不快感に、三日も四日も悩ませられ、手に熱までもつこともなかったろう。
医者や薬剤師から、一度刺されるとそれがどこかに残っていて、次に刺されると、比べ物にならないように酷い症状になるぞと脅かされた。スズメバチなど、蜂の種類によっては、命の危機に遭遇することもあるのだそうだ。
何よりも迅速に対応するのが被害を小さくする秘訣なのだそうだ。
それはそれとして、そんなお説教を聞きながら、まさに「泣きっ面に蜂」の心境である。症状は刺された時より悪い。医者でもないのに、知識もないのに、勝手な手当てをしてこじらせた。まさにこのことわざ通りを地でいっているのだろう。
「まるで政府の対応みたいだ」
と呟いてみた。
震災の直後、事故の報に接した首相官邸は、どう対応するか分かっていなかった。一分でも早く救助の手を差し伸べれば、波間に漂う犠牲者を何名かは知らないが救出できた。首相はそれを命令できる立場にいた。日ごろから、日本の危機への対応の責任を感じていたら、無駄な時間は費やさなかったはずだ。
だが、政府の対応は「まず、情報を集めろ」で始まり、そのあとは「事故への対応を協議し指揮する専門組織を作れ」であった。
悪いことをしたとは思っていない。ただ、そんなことに時間を費やしているうちに、多くの命が助かるところを助けることができなかっただろう。これは愚かな私の場合におきかえれば、「何蜂に刺されたのか調べろ」「どこでついてきた蜂なのか、場所を調べろ」などと言うばかりで、対応措置を後にすることになる。私はそんなことばかり考えていてその挙句、キンカンなどを蜂の針の上から塗って、いまだに痛い手をさすっている。
因みにキンカンは、炎症止めやかゆみ止めには効果がある薬品なのだそうです。