葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

鎌倉・孕み人行列

2013年09月18日 11時14分36秒 | 私の「時事評論」

 

16:34

No ba鎌倉・御霊神社

 

面掛け行列

 

 おなかが膨れて今にも生まれそうな妊婦を中心に天狗や七福神のような奇怪な人々が続く―――。秋晴れの今日、午後から鎌倉では県の文化財にも指定されている御霊神社の面掛け行列が行われます。

 場所は鎌倉駅より江ノ電で三つ目の長谷駅下車、徒歩5分の極楽寺へ向かう江ノ電の沿線にある御霊神社から2時40分出発して同神社の氏子区である鎌倉市の坂の下町内。日ごろは平日でもあり天候も優れぬときが多いので、必ずしも多くの見物人によく知られているということではないが、今年は台風一過の素晴らしい好天日、さまざまと鎌倉の地を愛して話題にする人は多いが、その一点の清涼剤的なエピソードとして、この話も組み入れておいたら面白いのではないか。

 なおこの日は御霊神社の例祭にあたり、この前一時からはこれも鎌倉・藤沢に伝わる地域伝統の神事・湯立て神楽が境内ではにぎやかに開かれる(午後一時より)。

 

 御霊神社の面掛け行列を地元の人は、「行列」、「孕み人(はらみっと)行列」、「乞食行列」などと呼ぶ。差別用語を含み、あまり表では派手には使いたくないが、地元の人々に親しみを込めて眺められている証拠でもある。衣装などは昔から同じものが長年使われているもので、屈強な男たちの数十年の汗で、とても息苦しいものになっているのだそうだ。

 話はここに幕府を開いた鎌倉時代に戻る。俗説にはさまざまな伝承があるが、鎌倉幕府を開いた源頼朝の手をつけてみごもらせてしまった女性及びその集団の行列だと伝えっる俗説が楽しい。

頼朝は武威をもって鎌倉に天下を支配する幕府を設けたが、終始彼にしたがって動き、彼の妻であり、また彼を支えてきた北条氏の娘・正子に目が上がらなかった。もちろん、男の甲斐性・浮気などをしようものならどんな仕打ちを受けるかもわからない。

 そんな頼朝が鎌倉を支配する地元の部族の娘にひそかに手をつけて子供を身ごもらせてしまった。さあ大変!。頼朝の家来たちは大慌てをしてその娘の部族と交渉、娘及びその一族の鎌倉における自由な行動を幕府が保証することで決着した。その故事を引き継いだ御霊神社の氏子たちはこうやって毎年妊婦とそれに従う天狗や七福神の行列を演じ続けて現代にいたっているという。

 ものすごく雑駁な記述だ。もう少しましなものが御霊神社の境内にも掲げられている。またこれに関する考証や研究もある。だがここでは、鎌倉での伝統的漁師たちの住む区域、坂の下の代々口から口に語り伝えて残されている伝承をおおざっぱに上げるだけにとどめたい。この神社には浜辺の漁業の守護神らしいこの種の話がほかにもいくつか残されている。

 

 ごちごちの鎌倉幕府さえもこの種の笑いの中に包んでしまう。これが日本の庶民の姿、新党はこんな要素も多分に持っている。

午後の行事、行ってがっかりするものになるかもしれないかとは恐れるが、私個人としては一見の価値ありと思う。東京から鎌倉までは一時間、鎌倉から長谷までは12分おきの江ノ電で6分の至近距離である。

 


オリンピックはイスタンプールにしてもよかった?

2013年09月09日 11時01分24秒 | 私の「時事評論」

こんにちは。

 

本当にお久しぶりです。二か月前に自宅で脳梗塞を発症し、これは症状が軽微なうちに、妻や嫁の対応もよく迅速に入院したのですが、いくら後遺症はないとお医者さんに言われて安心はしても、いやしくも脳梗塞は怖い病気です。入院、治療、退院は二週間、それからずいぶん時間がたつのに、まだ頭がモヤモヤしていて、すっかり気力が湧きあがらず、まだまだボケたくはない年齢だと思うのですが、「明日から、明日から」再起の準備をしようなどと、まったく決断しきれないでグズグズしているうちに二カ月が経過、9月も中旬になろうとしています。
このままでは、私自身が頭の中から腐って朽ち果ててしまい、これで生涯が終わってしまうかもしれない。そんな恐怖心にも襲われます。

 

おまけに、これも寿命がきたのか、時を合わせたように、私の意見発表や耳や目として協力してくれていたパソコンが、急にウンともスンとも言わなくなり、どうにも手が打てなくなってしまいました。

これは明らかにパソコンも程度の悪い脳梗塞になったようなものです。何とかしようと隣の街にある修理センターに持ち込んだのですが、「もう内部の機構や部品の消耗で修理はあきらめられたほうがよいでしょう」という話。これに腹を立てて、退院直後の朦朧とした頭で

「なんということだ。もうこんなものは要らない、やめた。捨ててしまえ」

などと愛機を廃棄してしまいました。このPC,中にはハードディスクが二本も入っていて、今まで数年間の自分の記録や文が閉じ込められていたというのに、後でどうするかも考えず感情のままに行動して・・。

あとになり、新しい廉価版のデスクトップを購入したのですが、機械を丸ごとわざわざ有料で処分、データがことごとく焼失してしまったので、使い慣れない新プログラムを前に、悪戦苦闘のま最中です。私とあのデスクトップパソコンとは、お互いにつながりあっていて、あいつもほぼ同時に発作を起こしたんだと自分の軽率さを恨みながらの作業です。

 

原発事故に対する世界の不安

 

 

ところでそんな私が、ついに短文を書く一つの機会が訪れました。

日本時間の昨日早朝に、次期オリンピックの東京開催が決定して発表されたのです。テレビも官庁も誘致に動いてきただけにえらく喜んでいる気配です。マスコミの宣伝力に踊らされているのか、国民の多くも深く考えずに素直にそれを喜んでいるようです。

それを見て、「おめでとうございます」、これを復帰第一号にしようかな。そんな風に思いました。

今度の東京誘致は、大変な苦労が伴ったようです。それというのも、東京は以前に一度開会しているし、先の東北大地震の後、津波の被害を受けた福島の原発から漏れ出した放射能による汚染が、日本を選択する大きな障害になり、オリンピックの候補地に選ぶにしても、不安視する空気が世界に漂い、候補地選定の唯一のマイナス条件だとされたからです。

日本人の大半は、もういつしか聞き飽きたのか無関心になりかけているので、世界のこんな空気がどれほど深刻なものであるかを実感し、共感することを忘れてしまっていたのかもしれません。残念ながら、日本人はそんな敏感な人々ではない。いつの間にか、そんな解決の技術もないのにそれさえも、「将来のことだから何とかなるさ」というような電気の安定供給のほうが生活全般よりも大切だと思う一時的勘違いに取りつかれた電力会社的発想に流されて日々を空費している。加えてこれに照準を合わせたような隣国の意図的嫌日作戦の効果も大きかったし、日本も最後には、政府を代表して首相自身が訪れ、世界に被害を抑え込むことを「公約」して、ようやく不安をぬぐい去ることに成功したような始末でした。この心理的側面についてはまた、書きたいところですね。

 

私は内心、今回の2020のオリンピックは、あまり有利に活動していないようだが、トルコのイスタンブールにこちら側から譲ってあげてもよいのではないかと思っていました。

今の世界はキリスト教とイスラム回教との文化圏の対立が人類文化の破滅の危機を迎えるところまで来てしまっています。その中間にあり、互いに国境を接した地域で、しかも回教圏にあるトルコは、「スポーツを通じて、世界が困難打破のきっかけを作ること」にイスタンブールでのオリンピックを利用したいと懸命に働きかけをおこなっていました。確かに、オリンピックはまだ、イスラム圏で開かれたことはありません。トルコでのオリンピックが、その尖兵になることができないだろうか。そんな気がしてならなかったからです。

「純粋なスポーツに、邪念や政治を持ち込むな」と言われそうですが、現実に今のオリンピックはそんなものになっていますからね。

それにトルコの人はかなりに親日的で、開催地が日本に決まった後、惜しくも敗れたトルコの人たちはがっかりしながらも日本に「おめでとう」と言ってくれています。今度は東京の次の24年の開催地を是非トルコに決めて、彼らの力に期待したい。

日本は今回以上に力を入れて、応援するくらいの国であってほしいですね。