葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

日韓関係と他の諸外国関係との異質性 第三篇

2013年06月23日 20時40分41秒 | 私の「時事評論」

 国際社会に最初に乗り出した日本

 

 寛容こそ大切。それが彼らより一早く近代化を成し遂げ、白人のみで世界を独占する状態だった世界に食い込もうとした先人たちの思いに通ずる対応なのだと思う。アジア・アフリカの国々もやがては大人となり、国際的にしてはならない非礼な行為は慎むようになるだろう。そうならなければいつまでたっても友好国同士にはなれない。日本は孤軍奮闘の結果、先の大戦により、自国の健全な独立さえも失って、苦しいその後の時代を送ってきた。だが前回の大戦は、白人の独占して支配する世界に対する有色人種国家日本の真正面からの挑戦であった。敗れはしたが、その後に多くの有色人の途上国が名乗りを上げる結果にもつながった。それは結果的には、明らかに西欧白人だけの時代が終わりを告げる時代の転換期になったと解釈できるのではないだろうか。

 

 日本の明治以来の世界舞台への進出が刺激剤になり、今回独立に成功した国々は多い。その中で最も日本と近接する数国が、少々我が国の誇りを傷つける暴挙に出たと言っても、彼らとてやがては国際社会の現実とルールを知り、やがて自ら何を守り何を慎まねばならないかの国際常識を身につけることになるだろう。その時までは、近隣に所在していて、少々目に余ることがあっても、目をつぶらなければならないのが先に世界に乗り出したアジアの先進国・日本の義務だろう。そんな見識ぐらいは私も持っているつもりである。

 だが限度はある。日本国民として、さすがに我慢ができない限度を越す状態になると、私にも日本人としての愛国心やプライドがある。誇りや尊厳をそこまで傷つけられては我慢が出来ぬとの思いにもなる。そんな品格の劣る国とは国交も切って、鎖国してしまえと顔ひきつらせて叫びたくもなる。

 

 靖国神社問題への中韓両国の「国の戦没者への慰霊顕彰への理解を失した内政干渉、どの国においても国のために自らの命を失った人々を検証するな」と言わんばかりの行動には許しがたい怒りを感ずる。国の戦いに従って殉じたという事実」は、どんな国でも最も尊いものと扱わなければならない。また歴史的根拠の薄い捏造に近い事件を取り上げ、ときには作り上げての執拗に繰り返す一方的な対日攻撃や中傷、わが日本文化の核心である皇室への皇室の何たるかも知らずに繰り返す批判などは、日本文化を大切にしてきた日本人の穏やかな生存を妨害するものに映る、祖先から積み重ねてきた文化に対する許しがたい侮辱だと腹が立つ。どの国でも、国内で外に害なく実施されているものは独立国の内政であり、外からの批判は非礼である。

 そんな事件ばかりが実に多い。そんな中で、去る五月に問題となった日本が「原爆を落とされたのは当然の報いだ」と言わんばかりの韓国を代表する有力紙の論調には、尖閣列島の非常識な侵略、韓国との竹島の所有問題などよりも、ただ侮辱を目的とした品格なき発言であったためにはるかに私の神経を逆なでした。発言の品格を疑わせる質の低さをみて、こんなレベルの低い連中が国の世論を代表するマスコミにいても、あの国は平然としていて良いのかという怒りを覚えた。「言論の自由」などという高いレベルで論争するより前に、書いた記者は筆をとる資格のある人間であるのかと品格を疑ったからである。

 

 やりたくない大戦であったが

 

 もう七十数年前にはなるが、日本は国際社会を支配する米国はじめ主要国の一端に食い込もうとしたのを締め出され、当時の国連までを脱退し、彼らを相手に戦争をせざるを得ない状況に追い込まれ戦争を始めた。

 国内には資源も燃料も殆どない小さな島国日本は、米国を中心とする諸国に締め付けられて、国家存亡の危機に直面した。活路を見出そうとする日本は、結果的には西欧のドイツとイタリアなどファッショ国家とまで連携して対応しようとしたのだが(イタリアは途中で寝返ってしまった)、その行為の合否について、(私は批判的だが)それを論ずる場所ではないと思う。こんな環境で世界の大半を相手に戦うのは、著しく日本に不利だということぐらいは当時の日本政府も知っていた。それも無視したのが日本の指導者だったというが、それは日本の置かれた状況をしっかり見て、米国などの狙いをまともに見た上で論ずべきものだと思う。当時の米国は既に日本をなきものにする方針を立てていた。それには日本側から攻撃したとの事実を作らせようとの外交を展開、日本を潰して、環太平洋経済の指導権を固める作戦に没頭していた。

 日本は妥協を求める交渉を懸命にしていたが、米国が聞くわけがない。追い詰められた結果として日本は米国の仕向けるままに戦争を選び、そして壊滅的に国土を破壊され、三百万人近い尊い国民の命を失った。

 

 繰り返すが、この戦争は日本が選択すべきものだったか、あるいはあらゆる屈辱に耐えても歯を食いしばって、一時的にせよ米国の言いなりになるべきであったかに関しては、様々な見方があるだろうが、私はここでそこまでは触れない。ただ、この日本が大きく躓いた事態の顛末、そしてその大戦への戦い方は、今後の日本が同様な立場に置かれたときの、また日本以外の新興国が、世界の中で孤立させられる事態になった時に、どんな方策をとるのが望ましいかの大きな検討材料となると思う。外交交渉は相手がおり、ときには国の存亡にまで及ぶ残酷な副作用も残しかねないものだ。華やかな舞踏会や洒落た形容詞を連発するのが外交などと思う人がいるかもしれぬが、それどころではない。言葉で言うほどにきれいなものではないのだ。

 

 戦いは米国の戦略に乗って進んだ。日本がはじめは奇襲作戦で有利な状態に立ったが、やがて事態は逆転して、日が経つにつれ日本の敗色は濃厚になっていった。ただその戦いを見ると、日本側は終戦ののち、再び日本の勝利か、少なくとも和戦に持ち込むことができれば、再び国際社会に復帰することも目的としていて、当時定められていた国際法の禁止原則などはどの国よりも順守して、戦後の摩擦は起こらないように行動した。だが反対に、相手の米国の姿勢はそうではなかった。

 戦いで、戦時国際法その他の定めや道義など全く無視した猛烈な攻撃は、日本にとって予想外に厳しさであった。法が特に厳しく戒めた敵方でも非戦闘員への犠牲を最低限度にする大原則は完全に無視され、老人や婦女子などの皆殺しを目的にしているとしか思えないような凄まじい攻撃に曝された。戦争中の軍事攻撃目標は、直接軍事行動をとっている正規軍など、戦争を遂行する能力を持った施設に限られる。だが爆撃は軍需生産施設もなく、戦闘を続ける上でも物理的にその援助になり得る所というよりも、木造の家が密集して大火災が起こるだろう住宅密集地、日本国内のあらゆる都市に向けられた。また、病院船、引揚者や避難する学童たちを運ぶ引き揚げ選、これらは旗や照明・標識で明らかに攻撃してはならない船であることを明示しているのだが、そんな船舶を狙っての潜水艦攻撃、空襲時の機銃掃射で逃げまどう婦女子を追いかけ、まるで残酷な人間狩りでも楽しむような行為、南方諸島における火炎放射機による人間役尽くし作戦などが公然と行われた。

 私もその時は既に小学生だったので、東京周辺での空襲などはこの目ではっきり目にしていて、熱でも出して寝込んだりすると、夢の中にいまでもそんな米国の攻撃が出てくるが、それは現代の人間社会では、あってはならない不法行為の連続であった。不法な攻撃をあえて採ったアメリカ兵は、日本人は我々白人ではない黄色人で、そのほとんどがキリスト教徒でもない。彼らの身につけている文明意識にとっては同じ人間とはみなさなかったのだろうと思っている。

 

 原子爆弾の投下

 

 加えて終戦直前の昭和二十年の夏、広島と長崎に原子爆弾が落とされて両市に住む殆どすべての人が焼き殺された。話はそれるがこの原爆投下を、米国の大統領以下は、戦争を早期に終結する正当な攻撃だと明言続けたし、現在の米国でも、日本への原爆投下は正当な行為だったと評価する世論が大半だという。人間たちの社会が文明化した、人権が尊敬される時代になったなどといわれるが、果たして人間は、そして文明意識はどこまで発展したのだろうか。

 

 ここで原爆に話を戻す。残酷な人道的に決して許されない「悪魔の兵器」の使用は、一瞬にして日本の浮上氏や老人など数十万人を焼き殺し、その放射能の害は、原爆投下以来六十年以上経過した現在までも被爆者たちの上にのしかかり、善良な日本人を原爆病で苦しめている。「悪魔の兵器}と言わずして、何と表現したら良いのだろうか。

 

 直ちに降伏してもこんな凶器の使用はさせるなとの陛下のお勅語。

 

 「神の罰」との発言への反論である。原爆投下を見られて昭和天皇は、それまではどんなに厳しい時でも、政府の政治決断には関与されず、立憲君主としての立場を守られ、憲法に従って国の姿勢をとられてきたのだが、内閣が決断力を失って混乱すると、初めて即時終戦を御決断、指示された。

 「原子爆弾などの使用を放置すれば、我が国民ばかりではなく、将来は人類そのものが    破滅する。これは誰が使っても、神々も先祖たちも決してお許しにはあらない」。

 陛下の御決断は詔書で国民に知らされ、我々にとって「耐えがたきを耐えねばならぬ」必謹すべき大原則となった。この天皇陛下の『終戦のご詔勅』は、人類最初の反核宣言として明記されるものだろう。

 これは未確認の事実であるが、この戦時下に、日本の軍部にも「原子爆弾」製造への動きはあったという。だが実験と中の大爆発によって、そのことが天皇陛下のお耳にも達した。陛下は「どんな条件下であってもそれはならぬ」と厳しく戒めのご命令を出され、日本は製造を中止したのだと私は先輩から教えられている。

 

 その人間が人間としてのあるべき限度を超えた残虐な原爆投下の行為、これを昭和天皇は厳しく受け止められ、日本国の運命そのものの重さをゆがめても、使ってはならぬと仰せ出された。私はこの決断を神道=まつり主の日本国民に示された大原則だと受け取っている。今次の日本の戦争は我が国だけの利益のための戦いではない、一億玉砕してでも、日本国の意思表示はやむを得ぬ、それを貫かねばならないと御決断された陛下が、原爆の使用は神々のお認めにならない行為だとされてその使用禁止を世界に訴えになられた。そんな重々しい凶器が原爆であることを我々は忘れない。

 

 日本に原爆が落とされたのは「神罰だ」といった韓国通信社

 

 そんな原爆に関して韓国の代表的な「中央日報」が、どこにそんな愚かな神がおられるのか知らないが、日本に落とされたのは「神罰」として当然だと肯定するような論を書き、それでも足りないと思ったのか、あれだけでは日本には落とし足りないというような表現までを書き加えた。おそらく彼は、そんな深刻な日本人の受け取り方は知るまい。

 常識のない一人の人間が巷間で無責任に喚いたというのならともかく、国民の声を代表する立場である有力言論機関が、こんな品格も情もない発言をして許されるのだろうか。私はこれに激怒した。腹を立てついでにあえて言わせてもらう。「韓国ジャーナリストはついに悪魔に心を売ったのか」、「それも言論の自由と履き違えるジャーナリズムの尊大さと質の低さは、うっかりすると自国の品格を貶めるものではないか」。「あの原爆では、当時日本人として戦っていた多くの韓国人までも犠牲になった。それも一緒に神罰などというのだろうか」。

「韓国も世界諸国と連携して核兵器廃絶の呼びかけを行っている。その主張とこの発言とはどんな関係にあるのだろうか」。

 

 

 韓国は国や通信社の公式見解でないと説明したが

 

 外国とお互いに信頼し合う関係を続けていくためには、このような日本人を怒らせて、ただじこくの品格のなさを表に出すような非常識な発言をしない相手を知る国にならなければならない。韓国と日本の間には韓国がまだ米国の占領地から一つの国として活動を開始し、南北朝鮮の激しい戦闘を経験している時代に、米国から指導者として認められた李承晩大統領が勝手に日本との間に李承晩ラインという国境線を引き、島根県の竹島を腕力で領土化しようとした。この竹島紛争などが解決のめどが立たずに両国間の領土問題として続いている。

 日本と韓国は別に戦争をしたのではない。それどころか先の大戦では韓国は日本領。多くの韓国人は日本人として米国など国連に対してたたかった。日本が戦争に敗れ、朝鮮半島が国連の支配する占領地になってから、三年ほどして現在の韓国の国土は米国から独立国として活動する許可を得て李承晩(大統領と称していた)の専制の下に置かれ、彼のあまりの横暴ぶりに、国を挙げての批判が起こり、対外的にも独立国としての体が保てるようになったのは1963年の朴正煕が軍を率いてクーデターを起こし、第三共和政を宣言した1963年ころからのことである。日本はこの朴正煕の韓国と日韓基本条約を締結、以来韓国とはこの条約を基本に国交を行っている。

 

 生かされていない両国の締結した条約の精神

 

 李承晩の時代に日本と韓国とは、米国の支配が三年間続いたのちに、米国の抜擢した李承、多くの親日派や良識派が李承晩の狂気の反共・半日独裁政治で粛清された韓国である。それでも韓国は米国の占領地から三年後に米国から独立を与えられ、朝鮮動乱などの厳しい時代を経て、二十年近い混乱の末に一応国際的にも発言できる国に成長した。そんな国に韓国を持っていったのは朴正煕だった。彼は日本との間に日韓基本条約をまとめ、これにより、日本の持っていた同半島の全財産を譲りうけ、①日本との先の大戦終了までの問題は、韓国政府がすべて引き受けて解決する、②日本は韓国経済発展のために多くの資金を提供し、また復興のための借款も行うなどの条件を締結し、お互いに協力し合う国と国との国交を開始した。

 この、当時の韓国にとっては、数年分の全予算上回るような日本の資金で韓国はそれ以来、急速に経済を発展させ、現在の地位の足場ができた。

 条約は日本にとって簡単には受け入れがたい厳しい負担を伴うものであったが、これを基本にして韓国が、一躍世界の市場にまで進出し、部門によっては日本を追い越す力を発揮できるようになったのだから、日本としては喜ぶべき事態だったともいえると思う。

 だが、基本条約の柱であった「昭和20年までの問題の解決」に関しての韓国政府の義務事項がなかなか守られず、もう決着がすんでいる問題が繰り返し蒸し返され、それが両国の国民の友好に大きなマイナスになっているのは残念至極な問題である。基本条約を結んだ両国の代表が存命していたら、何と言って現状を見ることだろうか。

 先にあげたように、政権を安定させる力を持たない政権は、えてして不満の矛先を外国に振り向けようとして、ときには政権自身がそんな国民を煽り、自らに課せられた義務までを逃れようとする。

 日本と韓国の問題で話題になるのは、ほとんどが韓国政府が責任をもって行動し、韓国の国民が理性を持った紳士として行動すれば、それで片のつく問題ばかりである。その他の竹島の問題も、外交的に誠意を持って譲り合えば、李承晩の国際法無視の狂気の行動を死守しなくとも、円満に解決しうる問題だと思う。問題は、両国間の真の友好関係を深くしていこうとする決意の不足である。

 それが韓国側に国民を指導しうる立派な政治家がいない、日本側にもしっかりした指導力のある政治家がいなくて、おかしな場当たりの発言をしては両国関係がいよいよおかしくなる事態ばかりが目に付いている。

 だがここにきて、日本側にもはっきりしたことを発言できる安倍首相が出現した。韓国側も、はじめてまともな国であるとの地位を固めた朴正煕の娘である朴槿恵が大統領に就任した。これを機会に少しは新しい友好の風が吹くことを望んでやまない。

 

(了)


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
このようなものを発信しています。 (矢島俊一)
2017-01-09 12:38:59
このようなものを発信しています。お目をお通しいただければ幸いに存じます。

『り・びじょん2 せんそうとかくめい

1941年、対米開戦をめぐる御前会議の内容は米国大使に漏れていた。情報を提供したのはおそらく吉田茂ではないかと五百旗頭真はいう。』
以下→
http://indiagoose.la.coocan.jp/jokyo27.htm
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