天皇陛下の金婚式
平成21年4月10日、天皇陛下がご結婚満五十年を迎えられた。当時、私はまだ大学生だったが、日本中が沸きかえったあの日のことを鮮やかに思い出す。
まだ、テレビ放送が始まったばかりだったが、全国都市の目抜きに設けられた街頭テレビや電気店の前に国民はくぎ付けになり、馬車で進む若き皇太子、寄り添う平民出身の美しき妃殿下のお姿に、心からなる拍手を送った。戦後の経済復興もようやく軌道に乗り始めた全国は、その前途を予祝するような明るいビッグニュースに沸きかえった。戦後の歪められた教育で、我々は本当の皇室の姿を学ぶ機会はなかったのだが、それでも我々の心の中には、国の精神的支柱としての皇室に対する、心からの期待がふつふつと沸くのを覚えた。
皇太子と妃殿下は、そんな国民の寄せる期待を一身に背負われて五十年の歩みを続けられた。その三十年後には先帝崩御があり、昭和の御代は平成へと代わり、殿下は天皇の御位に就かれたが、新帝はお心の中に抱かれた理想の天皇像をまっすぐに追い求められ、新皇后ともども日本をまとめる元首であり天皇であるお立場を、曲げることなく、五十年を歩んでこられた。
新憲法でよいと思うとのご発言
陛下はご結婚五十年の記者会見で、自分は新憲法における天皇の位置づけが当を得たものであると思うし、その理想を追って皇后陛下に助けられながらこの五十年を過ごしてこられた。また支えてくれた国民に感謝すると感慨を述べられた。
これは陛下の素直な実感だと思う。憲法における天皇の位置づけに関して、私はそれを満足だと肯定する立場ではない。敗戦という異常な環境の下で、しかも日本の皇室制度に、これが日本の抵抗力の源泉であったとの偏見を持っていた米占領軍の手によって押しつけられた今の憲法だ。そこには我々から見ると無用な皇室に関する制限条項も見られるし、皇室を日本から追放しようとして、国民の強い支持の前に追放できなかった占領軍の怨念の結果のような不快な条文までが見られる。また、皇位の安定、皇室の権威の保持、皇室の行事の継続のために必要な、皇室典範やその他の規定に関しても欠陥だらけで、すぐにでも補完ないしは改正されなければならないものが多く見られる現法体系である。
だが、憲法の条文をどのように補強充実させ、皇室を日本の穏やかでまとまりのある社会の核へと整備させていくのは、陛下ご自身ではなく、我々国民の義務である。陛下の現行法を大切にされるお気持ちはありがたく受け取って、日本の誇る皇室が、弥栄にいつまでも続いていくにはどうすればよいか、我々は望ましい姿を求めて、不断の努力を積み重ねることの重要性を深く感ずる次第である。
因みに、今年は天皇陛下御在位20年の記念すべき年ででもある。
天皇は憲法上だけの存在ではない
ところで天皇陛下の結婚五十年に際し痛感することがある。これを機会に、国民はもう少し日本の皇室制度に深い理解と関心を持つのが必要ではないかということである。
日本の皇室制度は、諸外国に残っている国王制度とは全くその生い立ちを異にし、歴史も比較にならない長期間生き続けてきている。それはよくいわれることだが、世界の現存王朝の大半が、かつてはその国を力で支配した覇権王朝が時代と共に変化した姿であり、対して日本の天皇制は、権力支配とは必ずしもつながらない数千年の歴史を持つところに起因している。
治山治水を集中して行う稲作農耕の祭祀共同社会であった日本では、天皇は主として民のために五穀豊穣や疫病退散の祭りを行ってきた連綿と続く男系の祭祀王であった。天皇は日本民族共通のまつり主であり、さらに国民のために海外から新しい技術を取り入れ、芸能を起こし発展させ、国民一人一人に及ぶまでの悩みや苦悩を己が苦しみと受け止めながら、ひたすらお務めを果たされてきた。
ところが現代の国民意識をみると、国民の中に、天皇そのもののご存在の本質が見落とされ、ただ成分憲法に規定されている範囲で、国事行為を行い、国を代表して諸外国との親善を深め、国民の式典などに出席し、現代の政治的活動を行われるお立場であるとの認識のみが強くなってしまっている。そのため、幅の広い日本文化を包み込む存在である皇室が、外国の君主のように、あるいはブロマイドのスターのような、政治機関のひとつででもあるかのように見る者さえあらわれている。これは現実に日本に影響している陛下の果たされている機能を、著しく過小評価するものである。
今でも皇室が日本を象徴する顔であるとの国民の認識は依然強いのだが、いままで皇室が、なぜこれほどまでに深く国民に信頼され、崇敬されてきたのか、国民意識にどのような影響を果たされてきたのかという、大切なものが見えにくくなってしまっている。歴史をたどれば、昭和天皇以前の歴代天皇は、日本を離れて外国に出かけて行かれた例はない。いな、明治以前の天皇は、御所を出られて行幸され、国民にお顔をしめされることもほとんどなかった。しかしそれでも、国民の帝に対する崇敬の心は決して変わることがなかったのだ。
明治維新で変わったこと
明治維新で日本は開国し、急速に先進西欧諸国に追いついて、相伍して生き延びていくために、帝国憲法を設け、近代国家、西欧と相競う国への急速な変化を模索した。天皇の地位もそれに伴って急速に変化をした。旧憲法に規定された天皇の地位、それは天皇制度のわが国に果たしてきた基本は忠実に維持するように努力をされたものだったが、もともと憲法が西欧の政治や制度を参考にして、整合性を求めて定められたものである。日本国の主権はどう規定するか、政治の実権はどのような規定にするか、実質的にはどんな政治が望ましいか。明治の指導者たちが伝統と世界の現状を調べ、知恵を絞って設けたのが明治の憲法であった。
天皇の憲法上の権限はここから始まった。憲法は当時としては世界の法政治学の最先端を行く近代的なものであり、先進西欧諸国も目を見張るような斬新的なものではあったが、それは日本の国のすべてを示し得るものではなかった。特に皇室に関する規定などは、日本の天皇制度が世界の君主制度とはその成立や性格を大きく異にしていたために、特別な伝統に関する留意をも加え、法としては近代的なものであったが、それだけで天皇制度を語りつくせるものではなかったと私は思っている。
加えて、実際の政治がどう運用されていくかに関してまで、憲法というものは規定していない。実際の政治は、その後のものが憲法の枠内で運用をすることになる。それは現憲法において、政治が憲法立法者の遺志通りに行われないのと同様である。素晴らしい憲法さえあれば、いつも理想的な国家の運営ができるというものではない。日本は明治憲法制定から60年、必ずしも明治維新の理想の実現に一直線には進まなかった。さらに愚かにも大東亜戦争で無条件降伏をするという立法者の予想もしなかった悲劇を迎え、肝心のこの憲法までが変えられてしまった。新しい憲法における天皇条項は、ほぼそれまでの憲法の規定を踏むかの様なスタイルをとっているが、旧憲法以上に歯の抜けた、説明不足のものになってしまっている。
天皇の行為は政治だけではない
今の日本には、天皇の地位は憲法において定められている範囲のものにすぎないとの解釈はどうやら広くいきわたっているようだ。だがこの解釈は根本的に間違っている。天皇の制度は日本の国に数千年の昔から厳然とあり、それは過去のものではなく今もしっかり生き続けている。それに対して今示されている憲法の天皇条項は、明治の時代に天皇の機能の中から、近代政治を行うという側面に限って、必要最低限と考えられる側面を抽出して、その部分のみを書き示したもの。さらにこの憲法条項から、新憲法はいくつかの部分を人為的に外し、その条項だけを示しているものにすぎない。
一例をあげる。日本人の年中行事には、皇室を中心に見習っているものがかなりにある。三月節句のひな人形、神前で行う結婚式、神社での祭りの儀式、装束、作法や和歌、菓子、宮中御用達、献上品。日常何気なく話されている日本語の中にも、皇室が国民生活の中に深く溶け込んでいる痕跡である。それらの皇室と国民の交流の深さは歴史とともに国民生活の全般にまで浸みこんでいるが、憲法は今の世俗政治以外の側面には触れていない。
さらに大きなものがある。天皇は我が国では大まつり主とも呼ばれている。天皇に果たされるお務めは、政治に憲法ができて付け加えられた条項よりさらに大切な、日本人のまつり主として皇祖神霊はじめ神々に、国民のためにひたすら祈る祭りをされるというものがある。天皇のまつりは無私のまつり、個人や特定の者のためにするものではないが、この種の公のまつりに関し、日本の現法体系にはそれを規定する法体系そのものがない。そこでやむなく(それらは天皇の最も大切な機能の柱なのだが)大切に取り扱う部署がないので、天皇の政治的なお世話をする宮内庁が、まるで掛け持ちのように片隅で扱っている。だが宮内庁も官庁の一部、日本の官庁は天皇のまつりが重要で、これがなくては天皇が、日本の精神的な統合者として十分に機能できないことに関しての理解に乏しい。そこでこれらを「天皇の私事」などという、まるで皇室には当てはまらぬ概念でくくって、公務員ではない掌典という特別の立場の専門官を雇って処理させている。
こんなところから日本の現存する皇室は、無理やり歪められた形に追いやられているのだが、この歪みは戦後60年以上が経過しているのに、真剣に識者から指摘されているのに何の進歩もしていない。天皇のまつりは、宮中祭祀をはじめ、天皇がみずから祭りをされる伊勢の神宮、その他の神社、いくつかの寺院などにも及んでいる。
そろそろ正常化をしなければ
天皇が、ただひたすら国民のためにと日々心をこめて皇祖の神々に対して祭りをされ、全国民のために己を捨てて神々に祈りの生活をされている唯一の方であること、また常に国民の隅々に住む人にまで思いを寄せられ、その実情を常に知ろうとなされ、国民一人一人の悲しみや苦しみを己がものと受け取り、国民の穏やかな生活を祈り続けられてこられた数千年の積み重ねの上に今の皇室があることを知らない人も多くなった現実も、こんな現在の環境に大きく影響されている。
日本中どこにいても何をしていても、国民は決して孤独ではない。我々のまつり主である天皇が、いつも国民のことを考え、国民の悩みを知ろうと努めておられる。そしてそのような不幸に国民がさいなまれることのないように、いつも神々に祈っておられる。また天皇は国民すべてが豊かな生活を送り、明るい暮らしができるように、皇祖の神霊や我々の祖先たちに祈る日々を過ごされている。そんな皇室がある日本の姿は、長い歴史において全国民の深く知るところであった。その制度が、実はもろい基礎の上にあり、だんだん崩れ去りそうな雰囲気にある。これは重大な問題だと思う。
天皇陛下のご結婚五十年、御在位二十年の年にあたり、こんな皇室の環境を思い、我々の努力の足りなさを思う。
天皇陛下はひたすら日本の皇室の道と定められた線を守り続けておられる。それを安定した日本の国民生活の中に定着させるのは、国民のそれを大切に守り高めていく努力なのだと思う。
平成21年4月10日、天皇陛下がご結婚満五十年を迎えられた。当時、私はまだ大学生だったが、日本中が沸きかえったあの日のことを鮮やかに思い出す。
まだ、テレビ放送が始まったばかりだったが、全国都市の目抜きに設けられた街頭テレビや電気店の前に国民はくぎ付けになり、馬車で進む若き皇太子、寄り添う平民出身の美しき妃殿下のお姿に、心からなる拍手を送った。戦後の経済復興もようやく軌道に乗り始めた全国は、その前途を予祝するような明るいビッグニュースに沸きかえった。戦後の歪められた教育で、我々は本当の皇室の姿を学ぶ機会はなかったのだが、それでも我々の心の中には、国の精神的支柱としての皇室に対する、心からの期待がふつふつと沸くのを覚えた。
皇太子と妃殿下は、そんな国民の寄せる期待を一身に背負われて五十年の歩みを続けられた。その三十年後には先帝崩御があり、昭和の御代は平成へと代わり、殿下は天皇の御位に就かれたが、新帝はお心の中に抱かれた理想の天皇像をまっすぐに追い求められ、新皇后ともども日本をまとめる元首であり天皇であるお立場を、曲げることなく、五十年を歩んでこられた。
新憲法でよいと思うとのご発言
陛下はご結婚五十年の記者会見で、自分は新憲法における天皇の位置づけが当を得たものであると思うし、その理想を追って皇后陛下に助けられながらこの五十年を過ごしてこられた。また支えてくれた国民に感謝すると感慨を述べられた。
これは陛下の素直な実感だと思う。憲法における天皇の位置づけに関して、私はそれを満足だと肯定する立場ではない。敗戦という異常な環境の下で、しかも日本の皇室制度に、これが日本の抵抗力の源泉であったとの偏見を持っていた米占領軍の手によって押しつけられた今の憲法だ。そこには我々から見ると無用な皇室に関する制限条項も見られるし、皇室を日本から追放しようとして、国民の強い支持の前に追放できなかった占領軍の怨念の結果のような不快な条文までが見られる。また、皇位の安定、皇室の権威の保持、皇室の行事の継続のために必要な、皇室典範やその他の規定に関しても欠陥だらけで、すぐにでも補完ないしは改正されなければならないものが多く見られる現法体系である。
だが、憲法の条文をどのように補強充実させ、皇室を日本の穏やかでまとまりのある社会の核へと整備させていくのは、陛下ご自身ではなく、我々国民の義務である。陛下の現行法を大切にされるお気持ちはありがたく受け取って、日本の誇る皇室が、弥栄にいつまでも続いていくにはどうすればよいか、我々は望ましい姿を求めて、不断の努力を積み重ねることの重要性を深く感ずる次第である。
因みに、今年は天皇陛下御在位20年の記念すべき年ででもある。
天皇は憲法上だけの存在ではない
ところで天皇陛下の結婚五十年に際し痛感することがある。これを機会に、国民はもう少し日本の皇室制度に深い理解と関心を持つのが必要ではないかということである。
日本の皇室制度は、諸外国に残っている国王制度とは全くその生い立ちを異にし、歴史も比較にならない長期間生き続けてきている。それはよくいわれることだが、世界の現存王朝の大半が、かつてはその国を力で支配した覇権王朝が時代と共に変化した姿であり、対して日本の天皇制は、権力支配とは必ずしもつながらない数千年の歴史を持つところに起因している。
治山治水を集中して行う稲作農耕の祭祀共同社会であった日本では、天皇は主として民のために五穀豊穣や疫病退散の祭りを行ってきた連綿と続く男系の祭祀王であった。天皇は日本民族共通のまつり主であり、さらに国民のために海外から新しい技術を取り入れ、芸能を起こし発展させ、国民一人一人に及ぶまでの悩みや苦悩を己が苦しみと受け止めながら、ひたすらお務めを果たされてきた。
ところが現代の国民意識をみると、国民の中に、天皇そのもののご存在の本質が見落とされ、ただ成分憲法に規定されている範囲で、国事行為を行い、国を代表して諸外国との親善を深め、国民の式典などに出席し、現代の政治的活動を行われるお立場であるとの認識のみが強くなってしまっている。そのため、幅の広い日本文化を包み込む存在である皇室が、外国の君主のように、あるいはブロマイドのスターのような、政治機関のひとつででもあるかのように見る者さえあらわれている。これは現実に日本に影響している陛下の果たされている機能を、著しく過小評価するものである。
今でも皇室が日本を象徴する顔であるとの国民の認識は依然強いのだが、いままで皇室が、なぜこれほどまでに深く国民に信頼され、崇敬されてきたのか、国民意識にどのような影響を果たされてきたのかという、大切なものが見えにくくなってしまっている。歴史をたどれば、昭和天皇以前の歴代天皇は、日本を離れて外国に出かけて行かれた例はない。いな、明治以前の天皇は、御所を出られて行幸され、国民にお顔をしめされることもほとんどなかった。しかしそれでも、国民の帝に対する崇敬の心は決して変わることがなかったのだ。
明治維新で変わったこと
明治維新で日本は開国し、急速に先進西欧諸国に追いついて、相伍して生き延びていくために、帝国憲法を設け、近代国家、西欧と相競う国への急速な変化を模索した。天皇の地位もそれに伴って急速に変化をした。旧憲法に規定された天皇の地位、それは天皇制度のわが国に果たしてきた基本は忠実に維持するように努力をされたものだったが、もともと憲法が西欧の政治や制度を参考にして、整合性を求めて定められたものである。日本国の主権はどう規定するか、政治の実権はどのような規定にするか、実質的にはどんな政治が望ましいか。明治の指導者たちが伝統と世界の現状を調べ、知恵を絞って設けたのが明治の憲法であった。
天皇の憲法上の権限はここから始まった。憲法は当時としては世界の法政治学の最先端を行く近代的なものであり、先進西欧諸国も目を見張るような斬新的なものではあったが、それは日本の国のすべてを示し得るものではなかった。特に皇室に関する規定などは、日本の天皇制度が世界の君主制度とはその成立や性格を大きく異にしていたために、特別な伝統に関する留意をも加え、法としては近代的なものであったが、それだけで天皇制度を語りつくせるものではなかったと私は思っている。
加えて、実際の政治がどう運用されていくかに関してまで、憲法というものは規定していない。実際の政治は、その後のものが憲法の枠内で運用をすることになる。それは現憲法において、政治が憲法立法者の遺志通りに行われないのと同様である。素晴らしい憲法さえあれば、いつも理想的な国家の運営ができるというものではない。日本は明治憲法制定から60年、必ずしも明治維新の理想の実現に一直線には進まなかった。さらに愚かにも大東亜戦争で無条件降伏をするという立法者の予想もしなかった悲劇を迎え、肝心のこの憲法までが変えられてしまった。新しい憲法における天皇条項は、ほぼそれまでの憲法の規定を踏むかの様なスタイルをとっているが、旧憲法以上に歯の抜けた、説明不足のものになってしまっている。
天皇の行為は政治だけではない
今の日本には、天皇の地位は憲法において定められている範囲のものにすぎないとの解釈はどうやら広くいきわたっているようだ。だがこの解釈は根本的に間違っている。天皇の制度は日本の国に数千年の昔から厳然とあり、それは過去のものではなく今もしっかり生き続けている。それに対して今示されている憲法の天皇条項は、明治の時代に天皇の機能の中から、近代政治を行うという側面に限って、必要最低限と考えられる側面を抽出して、その部分のみを書き示したもの。さらにこの憲法条項から、新憲法はいくつかの部分を人為的に外し、その条項だけを示しているものにすぎない。
一例をあげる。日本人の年中行事には、皇室を中心に見習っているものがかなりにある。三月節句のひな人形、神前で行う結婚式、神社での祭りの儀式、装束、作法や和歌、菓子、宮中御用達、献上品。日常何気なく話されている日本語の中にも、皇室が国民生活の中に深く溶け込んでいる痕跡である。それらの皇室と国民の交流の深さは歴史とともに国民生活の全般にまで浸みこんでいるが、憲法は今の世俗政治以外の側面には触れていない。
さらに大きなものがある。天皇は我が国では大まつり主とも呼ばれている。天皇に果たされるお務めは、政治に憲法ができて付け加えられた条項よりさらに大切な、日本人のまつり主として皇祖神霊はじめ神々に、国民のためにひたすら祈る祭りをされるというものがある。天皇のまつりは無私のまつり、個人や特定の者のためにするものではないが、この種の公のまつりに関し、日本の現法体系にはそれを規定する法体系そのものがない。そこでやむなく(それらは天皇の最も大切な機能の柱なのだが)大切に取り扱う部署がないので、天皇の政治的なお世話をする宮内庁が、まるで掛け持ちのように片隅で扱っている。だが宮内庁も官庁の一部、日本の官庁は天皇のまつりが重要で、これがなくては天皇が、日本の精神的な統合者として十分に機能できないことに関しての理解に乏しい。そこでこれらを「天皇の私事」などという、まるで皇室には当てはまらぬ概念でくくって、公務員ではない掌典という特別の立場の専門官を雇って処理させている。
こんなところから日本の現存する皇室は、無理やり歪められた形に追いやられているのだが、この歪みは戦後60年以上が経過しているのに、真剣に識者から指摘されているのに何の進歩もしていない。天皇のまつりは、宮中祭祀をはじめ、天皇がみずから祭りをされる伊勢の神宮、その他の神社、いくつかの寺院などにも及んでいる。
そろそろ正常化をしなければ
天皇が、ただひたすら国民のためにと日々心をこめて皇祖の神々に対して祭りをされ、全国民のために己を捨てて神々に祈りの生活をされている唯一の方であること、また常に国民の隅々に住む人にまで思いを寄せられ、その実情を常に知ろうとなされ、国民一人一人の悲しみや苦しみを己がものと受け取り、国民の穏やかな生活を祈り続けられてこられた数千年の積み重ねの上に今の皇室があることを知らない人も多くなった現実も、こんな現在の環境に大きく影響されている。
日本中どこにいても何をしていても、国民は決して孤独ではない。我々のまつり主である天皇が、いつも国民のことを考え、国民の悩みを知ろうと努めておられる。そしてそのような不幸に国民がさいなまれることのないように、いつも神々に祈っておられる。また天皇は国民すべてが豊かな生活を送り、明るい暮らしができるように、皇祖の神霊や我々の祖先たちに祈る日々を過ごされている。そんな皇室がある日本の姿は、長い歴史において全国民の深く知るところであった。その制度が、実はもろい基礎の上にあり、だんだん崩れ去りそうな雰囲気にある。これは重大な問題だと思う。
天皇陛下のご結婚五十年、御在位二十年の年にあたり、こんな皇室の環境を思い、我々の努力の足りなさを思う。
天皇陛下はひたすら日本の皇室の道と定められた線を守り続けておられる。それを安定した日本の国民生活の中に定着させるのは、国民のそれを大切に守り高めていく努力なのだと思う。