葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

天皇陛下のご成婚五十年を迎えて

2009年04月12日 18時51分10秒 | 私の「時事評論」
 天皇陛下の金婚式 

 平成21年4月10日、天皇陛下がご結婚満五十年を迎えられた。当時、私はまだ大学生だったが、日本中が沸きかえったあの日のことを鮮やかに思い出す。
 まだ、テレビ放送が始まったばかりだったが、全国都市の目抜きに設けられた街頭テレビや電気店の前に国民はくぎ付けになり、馬車で進む若き皇太子、寄り添う平民出身の美しき妃殿下のお姿に、心からなる拍手を送った。戦後の経済復興もようやく軌道に乗り始めた全国は、その前途を予祝するような明るいビッグニュースに沸きかえった。戦後の歪められた教育で、我々は本当の皇室の姿を学ぶ機会はなかったのだが、それでも我々の心の中には、国の精神的支柱としての皇室に対する、心からの期待がふつふつと沸くのを覚えた。

 皇太子と妃殿下は、そんな国民の寄せる期待を一身に背負われて五十年の歩みを続けられた。その三十年後には先帝崩御があり、昭和の御代は平成へと代わり、殿下は天皇の御位に就かれたが、新帝はお心の中に抱かれた理想の天皇像をまっすぐに追い求められ、新皇后ともども日本をまとめる元首であり天皇であるお立場を、曲げることなく、五十年を歩んでこられた。

 新憲法でよいと思うとのご発言

 陛下はご結婚五十年の記者会見で、自分は新憲法における天皇の位置づけが当を得たものであると思うし、その理想を追って皇后陛下に助けられながらこの五十年を過ごしてこられた。また支えてくれた国民に感謝すると感慨を述べられた。
 これは陛下の素直な実感だと思う。憲法における天皇の位置づけに関して、私はそれを満足だと肯定する立場ではない。敗戦という異常な環境の下で、しかも日本の皇室制度に、これが日本の抵抗力の源泉であったとの偏見を持っていた米占領軍の手によって押しつけられた今の憲法だ。そこには我々から見ると無用な皇室に関する制限条項も見られるし、皇室を日本から追放しようとして、国民の強い支持の前に追放できなかった占領軍の怨念の結果のような不快な条文までが見られる。また、皇位の安定、皇室の権威の保持、皇室の行事の継続のために必要な、皇室典範やその他の規定に関しても欠陥だらけで、すぐにでも補完ないしは改正されなければならないものが多く見られる現法体系である。
 だが、憲法の条文をどのように補強充実させ、皇室を日本の穏やかでまとまりのある社会の核へと整備させていくのは、陛下ご自身ではなく、我々国民の義務である。陛下の現行法を大切にされるお気持ちはありがたく受け取って、日本の誇る皇室が、弥栄にいつまでも続いていくにはどうすればよいか、我々は望ましい姿を求めて、不断の努力を積み重ねることの重要性を深く感ずる次第である。
 因みに、今年は天皇陛下御在位20年の記念すべき年ででもある。

 天皇は憲法上だけの存在ではない

 ところで天皇陛下の結婚五十年に際し痛感することがある。これを機会に、国民はもう少し日本の皇室制度に深い理解と関心を持つのが必要ではないかということである。
 日本の皇室制度は、諸外国に残っている国王制度とは全くその生い立ちを異にし、歴史も比較にならない長期間生き続けてきている。それはよくいわれることだが、世界の現存王朝の大半が、かつてはその国を力で支配した覇権王朝が時代と共に変化した姿であり、対して日本の天皇制は、権力支配とは必ずしもつながらない数千年の歴史を持つところに起因している。
 治山治水を集中して行う稲作農耕の祭祀共同社会であった日本では、天皇は主として民のために五穀豊穣や疫病退散の祭りを行ってきた連綿と続く男系の祭祀王であった。天皇は日本民族共通のまつり主であり、さらに国民のために海外から新しい技術を取り入れ、芸能を起こし発展させ、国民一人一人に及ぶまでの悩みや苦悩を己が苦しみと受け止めながら、ひたすらお務めを果たされてきた。

 ところが現代の国民意識をみると、国民の中に、天皇そのもののご存在の本質が見落とされ、ただ成分憲法に規定されている範囲で、国事行為を行い、国を代表して諸外国との親善を深め、国民の式典などに出席し、現代の政治的活動を行われるお立場であるとの認識のみが強くなってしまっている。そのため、幅の広い日本文化を包み込む存在である皇室が、外国の君主のように、あるいはブロマイドのスターのような、政治機関のひとつででもあるかのように見る者さえあらわれている。これは現実に日本に影響している陛下の果たされている機能を、著しく過小評価するものである。
 今でも皇室が日本を象徴する顔であるとの国民の認識は依然強いのだが、いままで皇室が、なぜこれほどまでに深く国民に信頼され、崇敬されてきたのか、国民意識にどのような影響を果たされてきたのかという、大切なものが見えにくくなってしまっている。歴史をたどれば、昭和天皇以前の歴代天皇は、日本を離れて外国に出かけて行かれた例はない。いな、明治以前の天皇は、御所を出られて行幸され、国民にお顔をしめされることもほとんどなかった。しかしそれでも、国民の帝に対する崇敬の心は決して変わることがなかったのだ。

 明治維新で変わったこと

 明治維新で日本は開国し、急速に先進西欧諸国に追いついて、相伍して生き延びていくために、帝国憲法を設け、近代国家、西欧と相競う国への急速な変化を模索した。天皇の地位もそれに伴って急速に変化をした。旧憲法に規定された天皇の地位、それは天皇制度のわが国に果たしてきた基本は忠実に維持するように努力をされたものだったが、もともと憲法が西欧の政治や制度を参考にして、整合性を求めて定められたものである。日本国の主権はどう規定するか、政治の実権はどのような規定にするか、実質的にはどんな政治が望ましいか。明治の指導者たちが伝統と世界の現状を調べ、知恵を絞って設けたのが明治の憲法であった。

 天皇の憲法上の権限はここから始まった。憲法は当時としては世界の法政治学の最先端を行く近代的なものであり、先進西欧諸国も目を見張るような斬新的なものではあったが、それは日本の国のすべてを示し得るものではなかった。特に皇室に関する規定などは、日本の天皇制度が世界の君主制度とはその成立や性格を大きく異にしていたために、特別な伝統に関する留意をも加え、法としては近代的なものであったが、それだけで天皇制度を語りつくせるものではなかったと私は思っている。
 加えて、実際の政治がどう運用されていくかに関してまで、憲法というものは規定していない。実際の政治は、その後のものが憲法の枠内で運用をすることになる。それは現憲法において、政治が憲法立法者の遺志通りに行われないのと同様である。素晴らしい憲法さえあれば、いつも理想的な国家の運営ができるというものではない。日本は明治憲法制定から60年、必ずしも明治維新の理想の実現に一直線には進まなかった。さらに愚かにも大東亜戦争で無条件降伏をするという立法者の予想もしなかった悲劇を迎え、肝心のこの憲法までが変えられてしまった。新しい憲法における天皇条項は、ほぼそれまでの憲法の規定を踏むかの様なスタイルをとっているが、旧憲法以上に歯の抜けた、説明不足のものになってしまっている。

 天皇の行為は政治だけではない

 今の日本には、天皇の地位は憲法において定められている範囲のものにすぎないとの解釈はどうやら広くいきわたっているようだ。だがこの解釈は根本的に間違っている。天皇の制度は日本の国に数千年の昔から厳然とあり、それは過去のものではなく今もしっかり生き続けている。それに対して今示されている憲法の天皇条項は、明治の時代に天皇の機能の中から、近代政治を行うという側面に限って、必要最低限と考えられる側面を抽出して、その部分のみを書き示したもの。さらにこの憲法条項から、新憲法はいくつかの部分を人為的に外し、その条項だけを示しているものにすぎない。
 一例をあげる。日本人の年中行事には、皇室を中心に見習っているものがかなりにある。三月節句のひな人形、神前で行う結婚式、神社での祭りの儀式、装束、作法や和歌、菓子、宮中御用達、献上品。日常何気なく話されている日本語の中にも、皇室が国民生活の中に深く溶け込んでいる痕跡である。それらの皇室と国民の交流の深さは歴史とともに国民生活の全般にまで浸みこんでいるが、憲法は今の世俗政治以外の側面には触れていない。
 さらに大きなものがある。天皇は我が国では大まつり主とも呼ばれている。天皇に果たされるお務めは、政治に憲法ができて付け加えられた条項よりさらに大切な、日本人のまつり主として皇祖神霊はじめ神々に、国民のためにひたすら祈る祭りをされるというものがある。天皇のまつりは無私のまつり、個人や特定の者のためにするものではないが、この種の公のまつりに関し、日本の現法体系にはそれを規定する法体系そのものがない。そこでやむなく(それらは天皇の最も大切な機能の柱なのだが)大切に取り扱う部署がないので、天皇の政治的なお世話をする宮内庁が、まるで掛け持ちのように片隅で扱っている。だが宮内庁も官庁の一部、日本の官庁は天皇のまつりが重要で、これがなくては天皇が、日本の精神的な統合者として十分に機能できないことに関しての理解に乏しい。そこでこれらを「天皇の私事」などという、まるで皇室には当てはまらぬ概念でくくって、公務員ではない掌典という特別の立場の専門官を雇って処理させている。

 こんなところから日本の現存する皇室は、無理やり歪められた形に追いやられているのだが、この歪みは戦後60年以上が経過しているのに、真剣に識者から指摘されているのに何の進歩もしていない。天皇のまつりは、宮中祭祀をはじめ、天皇がみずから祭りをされる伊勢の神宮、その他の神社、いくつかの寺院などにも及んでいる。

 そろそろ正常化をしなければ

 天皇が、ただひたすら国民のためにと日々心をこめて皇祖の神々に対して祭りをされ、全国民のために己を捨てて神々に祈りの生活をされている唯一の方であること、また常に国民の隅々に住む人にまで思いを寄せられ、その実情を常に知ろうとなされ、国民一人一人の悲しみや苦しみを己がものと受け取り、国民の穏やかな生活を祈り続けられてこられた数千年の積み重ねの上に今の皇室があることを知らない人も多くなった現実も、こんな現在の環境に大きく影響されている。

 日本中どこにいても何をしていても、国民は決して孤独ではない。我々のまつり主である天皇が、いつも国民のことを考え、国民の悩みを知ろうと努めておられる。そしてそのような不幸に国民がさいなまれることのないように、いつも神々に祈っておられる。また天皇は国民すべてが豊かな生活を送り、明るい暮らしができるように、皇祖の神霊や我々の祖先たちに祈る日々を過ごされている。そんな皇室がある日本の姿は、長い歴史において全国民の深く知るところであった。その制度が、実はもろい基礎の上にあり、だんだん崩れ去りそうな雰囲気にある。これは重大な問題だと思う。

 天皇陛下のご結婚五十年、御在位二十年の年にあたり、こんな皇室の環境を思い、我々の努力の足りなさを思う。

 天皇陛下はひたすら日本の皇室の道と定められた線を守り続けておられる。それを安定した日本の国民生活の中に定着させるのは、国民のそれを大切に守り高めていく努力なのだと思う。

グリーンニューディールとは

2009年04月11日 22時37分13秒 | 私の「時事評論」
 急激に世界を襲い、深刻化する現在の経済不況から脱却する一手段として、グリーンニューディール政策なるものを米国のオバマ大統領は採択し、呼応するように日本でも同名の方針が準備されていると報道されている。これが需要創造の、さらにはそれに加えて人類の未来を確保する環境再生の礎になれるのか、注目されている。即断は許されないが、この新しい潮流には、大いに期待して良いような気がしている。
          ○
 ただ、グリーンニューディールという名前だけを聞くと米国の昭和初期の大恐慌時代、中途半端に終わった大規模な公共事業でダムや水路を作ったニューディール政策を想起する。
 オバマ大統領の胸中には、ルーズベルト時代の恐慌脱出のため、大規模な公共事業を創出した精神を継承。これに倣って従来の自由放任経済の破綻を計画経済への転向で救おうと、新たに「新規の需要創出には地球環境再生を」という一石二鳥を求める方針を定め、国家が率先して膨大な需要を生み出そうとしているのだろう。彼にあこがれるオバマ氏らしい発想だ。
 だが、かつてのニューディール政策は需要創出への転換には結び付かず、米国は結局日本をスケープゴートに定め、日本に戦争を起こさせることによって軍需需要で立ち直った。この歴史をわれわれは忘れてはなるまい。
 昭和初期と今は経済状況も酷似している。今回の政策の目的は良しとしても、日本の施策が米国に倣いこの歴史を知らずに「ニューディール」の名を冠して政策立案をしている無神経さは感心できない。国にとっては大切な問題だ。
 この不況は、新たな大戦争への予兆であるとの説も有力で、専門筋には、オバマとルーズベルトが重なって見えると指摘されている時でもある。なおさらのこと、注意をしてほしいと切望する。
          ○
 地球に人口が増えて、乱開発のために緑が減り大気はよどみ、水は枯渇して川は干上がり、燃料を燃やして大気が汚染している現状は明らかに異常である。文明はまだまだ発展を続けて欲しいが、自然との調和は不可欠だ。
 人間とて地球の中の一つの存在、それが自然を征服相手でもあると思いあがり勝手な横暴を続ければ、いくら寛大な自然でも、この厄介な存在は排除せねばならぬとの力が働き、人類はマンモスの二の舞となる。
          ○
 緑を豊かにし、自然環境を整えて穏やかな環境や気象を回復し、併せて多くの人が安心して生活できる食料や水の供給を図る。化石燃料や植物をむやみに燃やし大気を汚染する代わりに、太陽や風力や波など自然の恵みを利用して空気を汚さず、地球汚染を食い止める。そんな思いで人々が生活環境を見直すことは大事だし、併せて新需要を生み出し、景気とともに、美しい環境は人の心の中までを美しくする。それは日本が過去に目指してきた美し国の理想郷だ。
 より強く言えば、日本こそが今、声を大にして世界に提唱すべき問題だともいえる。
 この夢の追求は有史以来、自然と調和し「治山治水」を目指してきた日本人には容易に理解できる発想だが、自然を敵とし闘う対象とした歴史を持つ異文化の人には理解できない概念かもしれぬ。だが、明らかに自然との共生なしには文明を続けられない時が来た。 
 これからは我々日本人が新しい時代の先達になり、文明の明日を切り開く時になる。そう信じて環境再生に取り組んで行く気概がほしい。それには日本人の出鼻をくじくニューディールの横文字では、そんな日本人の誇りが消えてしまうではないか。たかが名前だけとはいっても、わけもなく変な名称を冠するものではないと思う。もっと心から協力できる名を冠して実施してもらいたい。


麻生首相の国家構想

2009年04月10日 10時25分35秒 | 私の「時事評論」
夢を持ちながらの経済回復を

麻生首相が日本記者クラブで、10年間の日本の成長戦略構想を発表した。
 太陽光発電などによる「低炭素革命」や、介護や地域医療の充実による「健康長寿社会実現」などによって三年間で最大200万人の雇用を増大し、10年ほど後までにはGDPを120兆円押し上げ、400万人の雇用を作り出そうというもの。
 長い期間を設けているもので、設計図通りに進むかどうか、構想を示されただけでは簡単に見通しを立てることは出来かねるが、①ともすれば暗くなりがちな将来に対しての国民意識に夢を持たせるものであり、②しかもその狙うところが自然との共生に向けられていること、③現実に深刻な問題に育ってきている高齢化社会へも目が向けられている点などで、ここはその構想に期待をかけることにしたい。またこれが、その発想の基礎に、日本がはぐくんできた生活意識と、非常に近いものがあることも見落としたくない。
 こんな構想があの麻生内閣から示されるようになった背景には、国会における麻生内閣の立場が、悲観的材料ばかりの中で、歯を食いしばって現実政治に取り組んでいる中で、少しずつ明るいものになってきたことを示しているものだということもできるだろう。国会で法案一つ通らないのではないか、解散に向け、しかも圧倒的な力の差で選挙での敗戦必至の選挙管理内閣だといわれ、そう信じられてきた中、与党の中からまでも麻生不信が支配する中で、政府はじっと我慢の政治に専心、とにもかくにも支持率を高め、補正や通常予算を通し、海外での自衛艦の給油を存続させ、ソマリア沖に新たに海賊活動から輸送船を保護する自衛艦派遣までも成功させた。
こんな半年間の実績は、近年歴代の首相に比べてもよくやっているように見えるだろう。もちろんそれは野党の頭数ばかりを揃えても、効果的な政治成果を何一つ示しえない無能さと、国民に対する信頼感のなさ、急激に世界を襲った不況への対応力の欠如などに支えられたものだったが、かなりの評価をしてよいと思う。
 ただ、そんな麻生内閣であるが、私はここらあたりで、もっとわれわれ国民が、単なる物理的な景気の上昇だけを目標に日本人としてここに群れているのではなく、この日本を住みやすい国、安心できて豊かな国として生きられる国にしたいという意欲を感じさせる国にしていこうという、経済以外の目標をも持てる国、住んで満足できる国をみんなで目指せる国づくりを志向してくれれば、さらに良いのだがと願っている。
 老いも若いもお互いにいたわりあう国、困った時はお互いに助け合う国、少々経済的には不自由でも、支えあって生きていることに喜びを感ずる民の住む国にする。まじめに努力する人を大切にし、自分勝手な行動は慎まねばならないとみんなが認識する国、人の幸せを喜び、他人の苦しみを自分の苦しみとして悩む。そうだ精神面での良き気風を作る。これに力を入れれば、先に挙げた成長戦略構想は大きく日本国を変える力になるだろう。
 具体的にはいろいろの問題が出てくるだろう。だが今までの日本が、あまりにもそんな国民の気持ちの持ち方においてすべてを置き去りにしてきすぎた結果を、ともに反省しあって変えていく努力を、忘れてはならないと思うのだ。

ミサイル騒ぎで知る日本の現実

2009年04月06日 08時20分03秒 | 私の「時事評論」
 北朝鮮の強引なミサイル発射騒ぎは、北朝鮮のロケット技術に支えられて、途中でロケットが迷走や爆発をする前に日本を飛び越えてくれて、日本に直接弾が落ちてくるというような物理的な損害は生じなかった。
 だが、この騒ぎに関して起こしたどうにもならないようなみじめな誤報騒ぎ、発射を抑止しようとするなかでの国会などでの、自国の安全より北朝鮮のご機嫌を損ねないようにしたいとの一心から起こった「決議」の内容を変更しようとの動き、そのほか、実際に危険というのなら、間違いであっても、万一本土に落ちてきたら国民の命を守るために、どのような対応を国民に求めるかの対応をまったく誰も行わなかった現実など、問題は以前にも増して国民の前に次々に並べられたような結末であった。よかったよ、北朝鮮が最低限の技術だけは持っていて。

 だが、我が国は、広く客観的な物差しで眺めれば、自らの国民や領土の安全を守ることが全くできていない国というより、人間の「群れ」に過ぎない存在なのではないかということを世界に示す結果になってしまった。

 世の中ではよく言われることだが、口先ばかりで偉そうなことを言う連中はとかくわがままで自己中心的で、そのくせ危機になったら大騒ぎをして周りの連中に救いを求めて相手にされないと逆恨みをしてみたりする。
 国家次元でみると、平和や自由とか偉そうなことばかりを言う国民の多い日本の国も、結局は、こんな口先ばかりで言うだけで、真に自国の安全に対してなどは留意せず、口先ばかりの国にすぎない。自国の国民を連れ去られても、悲しげに鳴き騒ぐだけでどうすることもできず、領土を侵されても打てない大砲をつけた船で見守るだけで、騒ぐけれども退去させることもできない。とても本気で真剣に国民や領土の保全に取り組んでいる国には見えない。

 北朝鮮のミサイルは、どうやら日本の空だけを飛び越えてくれたが、技術はそこまでで、次のロケットの切り離しもできず、太平洋の底深くに落ちてしまったようだ。そんな面で、北朝鮮にとって、軍事技術上は、この国のレベルの高さを世界に示すことはできなかったが、対日恫喝効果だけは存分に果たすことができたのではないか。彼らは日本の狼狽ぶりを見て、この国はうるさいけれどもよく吠える犬のような国で脅威ではないと、いよいよなめた日本感を持ったことだろう。

 日本は、自国の防衛一つ、アメリカがそっぽを向いたら、まったくできない国である現実を思い知らされた。しかもアメリカは、今回のミサイルについて、
「米本土には影響はないとみて、監視はしていたが対応は見送った」
と発表した。帰らの基本姿勢はこの一言にはっきり示されている。

 日本はあの鎖国の夢を破らされた時に、真剣に「自国の領土と国民の命を守ることの重要さ」を知り、それからいかにして国としての力を持つかを考えるようになった時のような気持で、「国」というものを考えてみなくてはならないところにまで来てしまっている。
 そんな気が強くした今回のドタバタ劇であった。

 「備えあれば憂いなし」
そんな格言があったような気がするが、日本人は聞いたことがあるだろうか。

ファッショへの不安感

2009年04月03日 07時16分34秒 | 私の「時事評論」
ファッショはどのようにして生まれたのか

 これは私の事務所{http://ashizujimusyo.com}の所長の随想に載せたコラムの一つです。内容は同じです。ですからそちらをお読みいただいた方は、どうぞ素通りをしてください。そこにはほかのコラムもありますが、どちらかというと、あまり時事評論にならないものを選んで載せているのですが。

 今から四十年以上も前の話を、最近鮮やかに思い出しています。

 それは私が新聞記者になって間もなくの駆け出し時代のことでした。著者の名前を忘れてしまい、それから今まで、とても良い本だったと思うので、折に触れては図書館や古書店などで探しているのですが、紛失中です。

 アメリカの若い大学院の研究者が、ドイツにヒットラーが出てきてから、最後に政権をつかむまでの道のりを、地元の歴史の中から丹念に拾い上げた研究論文です。確か「ヒットラーが街にやってきた」という表題が付いていたと思います。

 それは、ヒットラーという男が、ほとんど既存の地盤もなく、誰からも相手にされない小さな地方の町の誇大妄想な男であったのが、着々と力をつけて、政権を握ってしまうまでの社会に起こった出来事を、ドイツのある街を例にしながら、丹念に追いかけた事実の歴史の資料集です。

  時は第一次大戦にドイツが負けて膨大な外国に対する賠償、加えて経済不況と頽廃と国民の不満が漂う中で、彼は何度も惨めな選挙の敗退を重ね、罵声を浴びせられながら、いつの間にか大衆の支持を受けて政権を手にするまでの活動記録です。

 文章はこなれてはいないし、ヒットラー自身の主張もあいまいで、ただドイツ民族のおかれている不遇に対する不満以上の格別なものはないように見えますが、それがワイマール憲法体制という、今の日本と実によく似た政治制度のもとで、いつしか大衆の心をあおってつかみ、政権を手にするや羊のような政党が急に狼に変身して、全ドイツ民族をファッショの恐怖に駆り立てていった恐ろしさを、文章の巧拙ではなく、事実によって見事に説明しているように思えました。

 そうなんです。ファッショをこの世に生み出したのは、明瞭に徹底した現代流の、それもかなり今の日本人などが礼賛しそうな民主主義体制だったのです。これは忘れてはなりません。ファッショは民主主義の「鬼っ子」です。

 今のただただ反対ばかりに終始し、自己の政治主張をしっかり国民に示さぬ民主党のように、政府のやることにだけは、とにかく反対はするが、それでは自分らならば何をどうするかなどという対案は少しも具体的には国民に知らせようとしない。これは政権を取ったら自分らの具体方針を示すというのかもしれませんが、考えれば考えるほど恐ろしいことなんです。

 民主党は議会制民主主義を日本で完全に実現するなんて言っていますが、この党の掲げる議会制の基礎になる一票は、何をするのかわからないことに対する投票をまず求めて、それから決めるとでも言うのでしょうか。

 だいたいまとまりもなく、何を言っているのかわからない烏合の衆、追い込まれればどこにだって走らざるを得ないのは明瞭だと思います。

 平常な時なら、こんなバカげたことをいう空想的政党の存在も、少々税金の無駄遣いになるが、まあ大衆の不満のガス抜きとして我慢してもいいのかもしれません。

 昭和二十年代の日本の独立回復から平成の時代まで、まあ、国は今よりまだまともだったし、国民も彼らが政権をとるとは思わないから、万年反対ばかり唱えているうちに消えていくだろうと、温存してきた日本社会党のようなものもありました。彼らへの投票は政府に対する不満の表明という以上の意味がなかったのです。まあ、目くじら立てるまでもないと見過ごしてきたようなのどかな時期でした。

 だがもし、例えば今の時代のように、誰が担当しても苦しい中で耐え忍ばねばならない苦境の中にわが国がおかれた非常のときに、ちょっと大衆の行動がぶれたりすると、なにも方針を示していなかったこんな党が政権を担当することになり、政権を維持するためにはどんなことでもするようになると、日本には一気にファッショ政権みたいなものが誕生し、予想もしなかった方向に暴走をしていく恐れもあるのではないか、私はそんな気もするのです。

 ファッショとは、一見どちらかというと力も弱く、とても大それたことなんてできない力が政権を握ったときにできるものなのです。

 それを見事に示してくれたのがこの本でした。皆さんの中にこの本を読んで覚えておられる方はありませんでしょうか。