葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

これで良いのか国会審議

2009年05月14日 17時09分33秒 | 私の「時事評論」
 5月13日、衆議院で21年度の補正予算案が民主党などの欠席する中で通過、参議院へと送られた。
 総額13兆9千億円、内訳は雇用対策1、3兆円、中小企業金融支援3兆円、省エネ支援1、6兆円などが中心で、公共事業の大幅増などの景気対策を目的とし、赤字は建設国債と足りない分は赤字国債で埋めるという予算案。参議院で可決されなくても来月12日には成立する。審議を見ていて、大にな審議なのにこれで良いのだろうかと首をかしげたのは私だけではあるまい。
 景気の現状が深刻で、抜本的な対策が緊急に求められている。だから「補正予算」は一日も早くと望まれているのはよくわかる。だが内容は審議されなければならない。特に今までの国会では何年も、与党も野党も重要な検討課題として会期のほとんどを費やして審議をしてきたものがあったはずだ。それらは全く解決されていないのだ。
 もっとも大きな問題は、国家予算がいつしか役人の食い物にされてしまって、国民のために効果的に使われるよりも、天下りを含めて、税金を自らの収入と思う役人たちによって組織ぐるみで自腹を肥やす道具に使われてしまっている現状だった。血税が国民のために活用されているとは言い難い現状が山ほどある。さらに省庁挙げての無駄遣いの体質がある。道路特定財源など、特定の業者と官庁の癒着による税金の山分けのような使用の実態、あるいはその背後にある天下りなど不正を生み出す官民癒着の構造。役人の独走による体質が、政治は国民の負託により占拠された政府が決めるという議会制度を骨抜きにしてしまっている点が一つだった。 さらに放漫な財政支出が国家を構造的危機におとしいれ、将来を危機的状態に追い込んでしまっているところにも問題点は集中していた。。
 だが今回の補正予算の審議には、データを分析したまともな審議はほとんどなされなかった。補正予算は、伝えられるように、国会が取り組んでいるはずの問題点をすべて無視した、いかにも頭の固い従来の官僚的発想で練り固められたようなものである。極言すれば、そんな官僚に芽生え始めていた警戒感が、与野党が互いのにらみ合いの中に薄れるだろうことを幸いに復活強化され、麻生内閣の思いつきのバラマキ行政に上塗りされて、いよいよ手ひどくなって出されたような予算案であった。
 だが国会は、民主党の代表秘書が、問題の建設会社との癒着を種に断罪されたのを機会に、全く国会で続けてきた論さえも忘れて狼狽に終始し、与党は与党で厳しく予算の問題点を検討する義務を忘れ、ほとんどその内容を吟味することもせずに通過させてしまった。
 この補正予算が、景気浮揚効果を発揮するか否か、識者たちの評はすこぶる厳しい。さらに国庫の赤字だけは、景気浮揚の成否には関係なく、目も眩むほどに増大して国民生活にのしかかるだろう。さらに今回の予算審議で露呈した国会のチェック機能の欠如は、今後に決定的な禍根を残すことになるだろう。
 今後のわが国がどのように進むのか。政治や政府はこのような無残な姿ではあるが、国民の中に残っている隠された能力によって、「こんな予算にかかわらず」日本が再び活気を取り戻すことを願いたい。そしてやはり国民の隠れた健全性により、せめて国民生活の手かせ足かせにならない程度の、まともな議会制度へ回復する手掛かりが見つかることを祈りたいものである。