世界が注目する日本人の特性
地震や災害など直接人々が本性むき出しで動かざるを得ない事態に直面すると、日本人は世界の諸民族とは少し違った「日本人らしさ」がそのまま表に出てくる行動をする。
今回の東日本大地震での日本人の動き、それが我々とは異なる外国の人々の目にどう映ったか、読まれた方も多いだろうが、これは日本人が自分らの身についている特性として、知っておくのがぜひ必要だと思って、この一章を先ず記しておこう。
総じて、世界の人々は、とっさにどう動いて用のか分からぬパニック状態が生じた時は右往左往して、正常な時なら当然と思われる冷静な行動は取りにくいと受け取るのが常識だと思っている。各地で起こった震災は、居合わせた人々のこんな騒ぎを伴っていた。
しかし、それが常識と思う人の目に、日本人の対応は以上であった。一言でいえば、集団としての規律がどこにおいても維持されていたのである。それはあの惨事が起こった非常事態において、収拾がつかない混乱を抑える力として大いに効果があったとみて差し支えないだろう。中には想定されないほどの大きな津波に襲われて、日ごろの指導によって校庭に集まった学童たちが、次の事態への対応ができないでいる間に波にさらわれてしまった痛ましい事故のようなものもなかったわけではないが、少し、ネットに紹介されている外国人の報道の中から、私の目に触れたいくつかの外国のメディアの報道を掲載してみよう。
この種の情報をあまり詳細に調べるのには私の取材技術に限界があるので、失礼ではあるがインターネットの今井明徳氏の「ブレークタイム・目にとまった新聞ニュース記事」などいくつかの記載の一部を、そのままここに紹介する御無礼をお許しいただきたいとお断りをしておく。
○ 「震災後も整然」=3・14日 上海時事(時事速報)
中国各紙は13日、東日本大震災で大きな被害を受けながらも、日本人が整然と行動し、街の秩序が保たれている様子を驚きをもって伝えた。
上海紙・東方早報は、仙台市に入った記者が「わずかに営業しているスーパーの前に、住民が整然と列を作り、便乗値上げもない」、「停電で信号が消えても、車は譲り合って走行している」などと伝える現地ルポを掲載した。
中国最大の夕刊紙・揚子晩報は「東京では多くの市民が駅に足止めされたが、階段で両端に座り、人が通る道をあけた」と、写真付きでマナーの良さを紹介した。有力経済紙・第一財形日報は休刊日にもかかわらず大震災の特集号を発行。「未曾有の自然災害に直面した日本人の冷静さが我々に深い印象を与えた」とし、背景には日ごろの地震への備えやテレビによる迅速な情報提供があったと分析。工場の操業停止を相次いで発表した日本企業の情報公開姿勢も評価した。
○「日本人には道徳の血」-3・14日 asahi・com(北京・古谷特派員)
東日本大震災について、中国メディアが「日本民衆の『落ち着き』が強い印象を与えている」(前記第一財形日報)「日本人はなぜこんなに冷静なのか」(新京報)といった記事を相次いで報じている。2008年の四川大地震では一部で混乱も伝えられており、市民の驚きをもって報道に注目しているようだ。
国際情報紙の環球時報は12日、「日本人の冷静さが世界に感慨を与えている」。普段は日本に厳しい論調の多い同紙だが、「(東京では)数百人が広場に避難したが、男性は女性を助け、ゴミ一つ落ちていなかった」と紹介した。
中国中央テレビは被災地に中国語の案内があることを指摘。アナウンサーは「外国人にも配慮する日本に、とても感動します」と語った。
報道を見た北京市の女性(57)は「すごい、日本人の中には『道徳』という血が流れているのだと思う」と朝日新聞に語った。
○「日本人は冷静、不屈」-3・15日経 秋田編集委員
「日本人の威厳ある対応に海外から賛辞が集まっている。中国も例外じゃない。そのことを知っておいてほしい」。東日本大地震が日本を襲った直後、海外の知人から安否を気遣うメールがいくつか届いた。なかでも印象的だったのは中国系メディアで働く旧友からのこんなメールだ。
○「我々はあなた方と共にある」-ロシア独立紙「ノーバヤ・ガゼータ」
この中でタス通信のゴロブニン東京支局長は「(日本にとって)第二次世界大戦直後に匹敵する困難」と今回の地震を指し、「日本には最悪の事態に立ち向かう人の連帯がある」と日本の特徴を強調している。
○「日本の防災意識の高さ」=パキスタン英字紙ネーション 3・13
日本の防災意識の高さと規律正しさが救いであったと指摘。「日本は第二次大戦の荒廃から見事に復興した。また、新たな奇跡を起こしてくれるだろう」と結んでいる。
○「日本以外で地震が起きたら」-インド経済紙ビジネス・ライン
「日本以外で(この地震が)起きたら、これだけの対応は見られないだろう」と粛々とした被災地での対応を驚きをもって伝え、「日本人はこの悲劇から立ち直る」との駐大阪総領事ヴィカス・スワルプ紙の断言するコメントを掲載した。
実際、海外メディアでは略奪や暴力が起こらず、秩序を保って対応する日本社会への激励や賛辞であふれている。14日付の日本の主要紙朝刊によると、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルが「不屈の日本」と題する社説で、日本の底力を評価した。英紙インディペンデント日曜版は「がんばれ日本。がんばれ東北」とのメッセージを一面全体に掲載。ロシアや韓国、インド、パキスタンからも日本人の冷静な対応をたたえる論評が相次いでいる。
このほかでもシンガポールのストレイツ・タイムス、は「静かなる威厳」との論説を掲げ、この危機的状況下でも礼儀と忍耐を忘れない日本人の姿を伝え、日本は自然の引き起こした混乱の中に、秩序を保とうと取り組んでいると伝え、ベトナムやインドなどの新聞にも、「怒号や喧嘩もない。こんな時でも長い列を作って公衆電話を待つ姿」などに、また「天井や壁の完全に崩れ落ちた災害の中にあっても、すべての規律は保たれていた」、「避難民は暗闇の中でも、秩序正しく並んで救済の物資を受け取っていた」ことなどを特筆して伝え、中でも中国の新京報(前出)などは、被災地の学校の校舎や公共建物などが避難所として活用されている姿にまで目を向けて、耐震性がしっかり守られて立てられているから、こんなときに活用されるのだというところにまで触れている。
ここに紹介するものはとても世界の情報というのには範囲が狭い。だが丹念に調べれば、これは他の国のメディアも同じような潮流が主力なのだと推測する。私は退職をするまでは、通信社より、世界の主要各メディアの日本に関する論評などのデータを参考のために配信を受けて購読していた。阪神淡路大震災など、日本の震災に対する世界の報道もこれによく似た論評であったのを記憶している。
復興への大切な宝は日本の民族性
度々襲ってくる震災は、地震国日本にいる限り、我々はその発生を防ぐことができない。人間のいまの技能で自然の動きを食い止められないかと考えるのは、自然の威力と人間の営みとの差を冷静に見ない発想である。それどころか、震災を予知する能力も、まだまだ我々は身につけていないとことを知るべきである。
そこで大地震が起こったときに、それに耐えうる構造はどの程度まで可能かを考えて準備することになるのだが、今回のように、いままで経験したこともない大きな地震に直面する場合、備えを完備して対応することは不可能であろう。どこまで猛烈な衝撃が想定できるか、それを予想するのは可能であっても、地震対策のみに無限の費用をかけるわけにはいかない。経済性などからもおのずから限界がある。
そんな条件の下で、万一の事態にどれだけ被害を少なくするか。それを考えると、精いっぱいの物理的耐震条件を整え、あとは人々がどうやってうまく動き、被害を最小限度に抑えながら対応するかの防災のソフト面での充実以外にないことになる。非常事態に対応する効率的な避難計画と訓練、避難した人々をどう支えていくかの支援訓練の問題、起こり得べき混乱をどう防ぎ、皆が統一をとったままに行動できるかの問題である。
そんな問題を考えるとき、先に紹介した日本に対する評価は、日本がこれらの防災に関しても、すでに高い能力を持っていて、世界の諸国の中でも特徴ある国であることが示されているように感ずる。
積み重ね練られてきた民族性
最近のわが国内での日本人の自己評価には、客観的に見た我々の姿とは思えないふしの論も多いようだが、私は日本人は歴史的にも、共同して事態に対処する能力を持ち合わせた珍しい民族であると思っている。だがそれは、日本自身がその美点を評価するのに鈍感で、そのため従来の日本人の持っていたそれと比べて、必ずしも進歩しているとは思えない。せっかく備わっていた大切な長所が、最近は充分に発揮されなくなっているのではないかとさえ思っている。
日本人の持っている長所、それは何も日本人が体質的に、あるいは遺伝因子的に優れたものを生来備えているということではない。ただ日本の長い一貫した歴史が、そのような民族性を形作るものであったこと、そんな歴史の蓄積が我々日本人の生活の中に色濃く沁み込んで、日本人の民族性を作り上げたのだと私は考えている。日本人は自分が生きている共同社会を大切にし、社会の中で協力し合って生きてきた。それは日本列島の地形や日本に長く定着していた日本型の米作文化、その文化が作り上げた日本の信仰、生活感、家族観、そして天皇制度などとも深くかかわっている。
日本列島とアジアの大陸とは実に微妙な距離があり、それがこんな日本人を作り上げる基になったと私は思っている。日本に住みついた民族は、大陸から異民族が、大量に海を押し渡ってくるのには海が防波堤になり、簡単に民族が征服されるのを免れた距離にあり、かといってその距離は、船に乗って少数のものが大陸と交流し、海外との文化交流の道を閉ざすほど離れてはいなかった。
そのため数千年もの長い間、日本は大陸文化の恩恵に浴しながらも天皇という祭祀王のもと、独自の文化をはぐくみ暮らすことのできる条件下にあった。日本人は民族がまとめて大陸の異民族につぶされてしまうとの危機感を深刻に持つ必要はあまりなく、かといって、外国文化から格段に劣る水準の暮らしをしなければならないこともない、独自の文化を築いて今まで来れる条件に合った。これが大陸に接する諸民族のように、深刻な危機意識や恐怖を経験することもなく、穏やかで平和的な日本民族が独自の文化を支える基礎となった。日本人の共通の信仰であった神道には、外来者を客人(まろうど)として格別に大切にする侵攻までがある。これは日本の性格をよくあらわしている。
だが、この列島はほとんどが山地で、人が暮らし、耕すことのできる平地はわずかしかない条件のもとにあった。そんな条件下でもかなりの数の人口を養い、文化を育てることができたのは、徹底的に磨き上げられた稲作技術を人々が身につけていたからであった。
先祖の先祖から子々孫々まで、一貫して同じ土地に暮らす日本人は、山の頂きから河口まで、いたるところを集団で治山治水して集約型の連作稲作で生活を支えた。そこでは家族、地区、、字、県などの集団が大きな役割を果たし、自然の神に豊作を祈るまつりも集団で行われ、そのまつりの組織を通じて政治も生活も行われた。日本ではいまでも政治のことを「まつりごと」と言い、そんな祭りごとを束ね、全国の祭事の頂点に立つ天皇を「まつりぬし」という。そんな集団を大切なものとする生き方が自然になっていた。
短い文で細かいことにまで触れられないのは残念だが、震災などにおいての日本人の集団の秩序を守って行動する民族性は、こんな日本に積みかさねられた蓄積の上に出来上がっている規範意識がある。それは一朝一夕で身に付くものではない。
西欧化のために混乱はし始めたが
日本はここ60年ほど、そんな自国の生活が生んだ思考方法と、自分個人の我を追求する大陸型の思考方法を比べて、従来の日本型の思考法は、時代遅れの封建思想として否定する風潮の中に過ごしてきた。だが、そんな簡単なことで日本人の生活にしみこんだ生活臭は消しされるものでない。その日本らしさが、今回の日本独特の対応法として世界の注目を浴びたことを知るべきだと思う。
少なくとも人々が個人個人で即座に対応できないような危機を迎えてパニックになったとき、雲の子を散らすように皆がばらばらに勝手な動きをするがよいか、あるいは平常時に充分検討したマニュアルによって、秩序正しく動いたらよいか、考えたほうが良いのではないだろうか。またよく「日本人は勤勉だ」、「奇跡の発展を成し遂げた」、「人に対して親切だ」、「自然とともに生きている」など、様々な評価を受けることが多い。しかしそれを突き詰めてみると、それらがいずれも、日本が従来より育んできた古い型の日本の伝統的な文化の産物で、我々がいま、軽視して捨て去ろうとしているかに見えるものの名残によるものであることに気がつく。
国の組織が破壊された中において
いまの日本は、政治の制度、社会制度がスッカリ自立する方向性を失って、どちらを向いているのかさえもわからないような時代と言える。これが戦後民主主義という風潮の当然たどるべき道筋であったことは否定しきれない現実となってきている。短い文でそこまで書き進むわけにはいかないが、それは私がいま、発行している「葦津珍彦いリーズ」などで確認していただきたい。
日本は従来の良さを古いもの、時流に合わないものと脱ぎ捨てて、家庭の崩壊や近隣のものとの親睦の否定、努力しないで生活だけは豊かにしよう、弱肉強食、郷土の喪失、争い合って生きていく生活感を求めていこうとする潮流の中にいる。政治の混乱も、こんな空気が投影された姿と見ることができる。
そんな中でこの大地震が起こった。そのことをしっかり眺めて、我々はこれからいったい、どう進んでいけばよいか、考えてみたいものだとだけ書き残し、このシリーズを締めくくりたい。 完