葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

福祉などで人口高齢化は止まるものか

2012年07月18日 15時49分49秒 | 私の「時事評論」

 老人閑話


 高校時代の同級生仲間たちと食事をした。卒業校は公立の進学校。大学の進学率がまだ国民の一割程度だった六十年ほど前だったが、ほぼ全員が大学に進んだ。校歌には「立身報国期せよ友よ」などと謳われている旧制中学の気風を残した高校であったが、その割に我々は立身出世もせず名も成さず、平凡な会社員として生涯を送り、いまは殆どの者が年金生活をしている。
最近は均しく老化を痛感し老い先も短いと感じて、いままでは年に一度、山や温泉などで共に過ごして旧交を保ってきたが、地元の者を中心に、春夏秋冬と顔を合わせ、互いにまだ生きているのを確かめ合っている。日常は暇な連中だが、それでも病院に通う日もあり、妻を介護する立場にいる者もいる。やりくりして集まって、この日だけは楽しみに、心だけは青春に戻り、良い年寄りがと言われそうだが昼から酒飲んで半日を過ごす。
 昼下がりの湘南地方の丘陵地の雑木林、雑然とした地ビールと地酒工場敷地の一角を利用したレストランがある。今日はここで一杯交えて食事して、あとは近郊の一宮神社で庭園の観賞が目的。高齢化社会と増税そして若年増加の政策について、仲間の一人が話し出したので、酒の力もあり、ひとしきりこの問題で話が弾んだ。
マスコミなどの報道を見ると、今の経済状態では、とても若者が子供を育てる経済的な余裕が無いと断定する。それが我が国の、老人ばかりの国になる第一の条件だとの解説が主流で、政府もその説にのり、年齢層比率の改善のために、安心して子供を産んで育てる環境作りを目指して、福祉の優先などを掲げている。だが、「冗談じゃないよ。国民に媚びるそんな愚かな思考をするな」というのが俺らのそこでの結論だった。


 なぜ日本がこんな状態になったのか


 さて一転、ここからは、酔った上での話ではない。
 新聞の報道でも国会の論議でも、現代の若者は厳しい環境に追い込められて、結婚したくても結婚もできない時代になったので子供が減ってきたという。生涯独身や晩婚や結婚しない人口が増えるのは、若者個人ではなく社会の責任で、環境が悪い結果として我が国は高齢化社会になってきたなどとの尤もらしく解説するのが流行っている。
 日本では、敗戦直後に急速なベビーブームが続いたが、その後、いつしか子供が減りはじめ、老人ばかりの国になった。成人したら素敵な相手と結婚し、家庭を持って子供を作り、共通の未来への宝として生きるという夢、青年らしい情熱が若者の心にはどんどん萎えていきつつある現状にある。
 戦後、従来の家族中心的生き方が戦後の占領以降の教育により否定排斥され、もっと個人に目覚めよと教えられてきた若者は、伝統的な日本人の家族で生きる夢も抱けない上に、新しい積極的な人生を切り開く力も持たなくなってしまった。日本文化の中心であった伝統的生き方が占領政策により否定されて以来、それに代わるべき日本人に合う魅力的な新しい生き方の指針が明瞭に示されず、結果として子供たちが、具体的にどう将来を描けばよいのか、はっきりしない時代になってしまったのが戦後の我が国の特徴であった。
そんな中で、日本人になるほどと思わせるまともな教育は行われずに、次々に新しい世代に日本人は入れ替わり、そんな連中が子供ばかりではなく親や一部の祖父祖母までを占める時代になって。お陰で日本人には自分の将来への指針や夢を持って確実に生きることのできるものがいなくなってきている。その指針の無さが国民の精力的に日々を生きる気力を蝕んでいる。私はそれが日本の高齢化社会へ落ちていく一番の原因ではないかと思っている。
 どうしてこんなばかばかしい国に我々は祖国を代えてしまったのだろうか。これには日本が敗戦して米国の絶対権力の下におかれたので、やむを得なかったという説もあるが、それなら日本の独立が回復した後の日本はどうだったのかを考えてみればよい。明らかにその責任は日本自身にあると言えるだろう。
 敗戦後に日本を占領した占領軍は、自らの国の安全のため、日本が再び彼らの脅威に育たぬために日本の力を弱める改革を求めたのは当然だった。そのためには、日本人を一つに強力にまとめていた日本文化の特質・お互いに助け合って家族を基本にまとまって動く力、稲作文明の育んできた共同社会の精神構造を破壊し、またそんな国民を一つにまとめて指導する国の力をそぐ必要があった。
 それは、占領軍の日本をダメにするものでもあったのだが、日本人はお人好しだ。米国の示す新生活方針を占領軍が自国のために行っている政策であるということを理解せず、日本のために良かれと本気で指導してくれているものであると勝手に勘違いして、異常なくらい従順に従ってしまった。日本人は外国に占領されたり支配されたりすることが、どんなものかを経験していなかったからだろうか。
その結果がいまの状況を生んでいる。これでは日本は活力を失い、老化のために消えてしまうかもしれない。それは、日本に生きる我々が、愚かにも騙されて、自然界の大原則である生存競争に敗れて、滅びていく姿なのだと気がつかなくては。


 バラバラの国民、非力な国家


 日本人の社会は数千年の昔から、厳しさも優しさも持つ自然を司る神の御技として受け取って神々を慰めるまつりを行い、民族協力して生きていく家族を単位とする集約型の稲作文明を繰り返してきた。治山治水を全員で協力して積み重ねる農耕文明型のものである。しかも日本は四方を海に囲まれた列島で、海によって異民族の侵略をうけず、国防に専念する必要もなく平和に生きてきた民族である。そんな暮らしの繰り返しは日本人の身体の中に遺伝子のように組み込まれている。家族は周りの地域の人々とも親戚同様の親近感を持って親しみあって暮らし、家の構造一つを見ても、カギなどはよほどのことが無い限り必要ないような穏やかな生活を暮らしてきた。人々は家族を中心の単位として、周辺の人が共同社会をつくり、一緒に暮らす社会をつくった。老人も子供も、家族の中ばかりではなく、集落全体の気配りと保護の中で暮らしていた。
 そんな日本に突然に従来の生活意識を捨て去って、いつ外敵に襲われるかもしれないと警戒し、襲い襲われる肉食文明・狩猟民族の培ってきた歴史的累積を遺伝子として持つ西欧文明型の社会観を急速に取り入れよと指令されたのが日本の敗戦後の占領政策の骨子であった。
 しかも、そんなことを命じてみても、自己と他人の間に大きな差をつけず、隣人とも睦みあい、助け合ってきた個人より集団を優先してきた人々の認識が、急に変わることはあり得ない。日本人はまた、個人での行動よりも共同社会の原則を大切に生きる生活習慣を持っている。その共同社会の心理は地域の心であり、祭りの一体感であり、国に対する忠誠心であった。占領軍は個人主義の導入が不十分であるのを予測して、個人主義で起こる自分らへの募る不満のぶつけ先を政府や自治体の憲法で保障する福祉などの実現に選んで教えた。国・政府などには戦争に負けて、国民の生活を保障する財力が無い。だがそんな国に、国民の生活の愚痴に対して面倒をみる相手という役をさせておけば、それが国民に国は自分らに命令する機関ではなく、自分らの要求をぶつける場所だとの意識を植え付けることにもつながる。そして国民のわがままな要求に応ずるために、国は資金の乏しい上に力をそがれて大きくなり得ず、世界の脅威に復活することもできないし、憲法などで国民が国に権利要求はするが義務はほとんど負わないことにしておけば、国も国民も自立する力が乏しくなり、再び米英に脅威に復活できないだろう。露骨な表現になってしまったが、そんな意識も占領方針にはあったのだろう。


 何で若者が増えないのか


 もう少し他の面からも見てみよう。いまから65年前、日本は米国はじめ世界の諸国と戦って敗戦した。日本の国土は総力戦により資源の消耗、本土の徹底的な爆撃により焦土と化し、日本の経済は壊滅的な破壊を受け、食べるものもない状態に追い込まれてしまった。その惨憺たる状況の中で追い詰められて敗戦し、いざとなったら国に命をささげる覚悟で戦地に赴いていた人々や、海外で働いていた人々がどっと焦土の中に戻ってきた。その結果、日本に巻き起こったのが急激なベビーラッシュであった。
 当時の日本の経済環境は、今とは比較にならないほどの悪条件にあった。でもそんな悪条件であっても、日本にこれは子供たちが急増する大きな動機になったのだ。若者はいまとは比べられない劣悪な環境の下にいた。でも、当時の日本人はまだ占領政治の普及する下にはなかった。そのため国民は未来に向かって自分の力で前進する本能と気力とを持っていて、人口を増加させた。何がいまの若者と違っていたのか。己の力を注ぎこんででも、新しい時代を生きようという情熱が当時の日本の若者たちにはみなぎっていた。だが、今の若者にはない「世の中がどんな状況であっても、俺は自分の力で這いあがり、成せばなる」との意欲を持った人々は進んで未来に挑戦し、その結果日本の人口は急増した。
 いまの日本は急速に高齢化社会への道をたどっている。だが現在、途上国といわれる国では、急激な人口増が起こっている。これらの国は、現在の日本以上に恵まれた子育ての環境にあるというのだろうか。そんなことは絶対にない。現在の日本は、国内の所得格差が大きく、とても結婚して子供を生む条件にはないという主張が多く流布されている。だが、日本はそれらの、いま人口が急増している国よりも、どこが福祉において悪い社会環境の下におかれているか。少し考えてみれば、人口減少がいまの日本の若者の極端な不遇によるなどということが主張できないことは明瞭である。
 結論ははっきりしている。現在日本で行われている高齢化が進む原因に福祉の不備を唱える指摘は、日本に子供が生まれず、結果として人口構成がおかしくなっている原因とは言えない。人口問題を考えるときには、他の切り口から問題に迫らねば、このままでは事態は一向に改善しないということなのだ。
 我々が健全な日本の社会のこれからの発展を考えるときには、日本国を支えている若者たちの積極的に生きる本能を強く勢いのよいものに代えていくのが先決なのだ。男も女も異性との巣作りや子作りを本気で求め、そのためには自分の力で環境を作り、歯を食いしばってでもそれを実現する動物的な本能を自ら持つようにさせなければならない。それを去性されたような無気力な国民の状態を放置して、福祉政策により子供を生んでほしいといくら条件を恵まれたものにしても、そんな甘やかしを重ねても、無害なだけだ。