葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

国際友好のために鎖国が提案しなければならない悲劇

2012年10月23日 14時12分22秒 | 私の「時事評論」

 周辺諸国の攻撃の中にあって


 最近の中国や韓国の日本に対する動きを見て、私は慎重に検討して、あまりにも不法な対応をされたら、鎖国という制度も考えてみる必要があると思っている。
 中国や韓国の日本に対する対応には、いくらそれが国内統治上、やむなくとっている姿勢であるとはいっても、常識的に考えて独立国である日本が、「はいそうですか」と聞くべき筋のものであるとは到底考えられない。戦後になって、おかしな連中が国内に多くなり、「何が何でも周辺の国のいうことを日本国の正当な主張を殺してでも聞くべきだ。それが日本人の義務だ」という手合いの発言が我国には多くなっているので、国際関係とは、外国から侮辱され続けるものだと思っている人もいるのかもしれないが、うっかりそれに類似する対応を外国に取れば、戦争などにまで発展しかねない危険な行為なのだ。それなのにあえて日本に干渉を続けるこれらの国は、戦後の日本の歩みを見て、日本という国が決して反抗する気力が無いとなめているのかも知れない。そうでなければ彼らは単なる国際的無知であるとしか言いようがない。
 だがこのまま、我が国がどこまでも今までのような対応ばかりをしていたら、日本はその対応で、祖国に独立と誇りを持って、アジアのこの場所に存在することが不可能になってしまうと私は思っている。
 だからといって腹を立てても、日本の地図上の地域を移動させるわけにはいかない。腹を立てて(それは当然、日本に認められる自衛の権利なのだが)、即座にそれらの周辺国に武力行使することは、有史以来、平和を愛する歴史を歴史的な国是としてきた我が国に望ましくない。せめて周囲からのいわれのない攻撃だけは撃退できる備えを固め、相応の不利や犠牲を支払っても、それらの国に対しては「鎖国」制度を採用するのがよいのではないかと思っている。


 とんでもない地理的条件になってきたものだ


 日本人は戦闘的・好戦的な民族だなどと信じている人間がアジアの周辺諸国や日本国内にも多い。これは明治時代から欧米諸国が拵え上げたとんでもない偏見である。どうしてこんな根も葉もないような噂が流行することになったのか。私は世界の市場に進出してきた信仰国日本を、戦争に引きずり込んででも日本に勝利をおさめ、日本を無抵抗の状態に追い込もうとした意図的な宣伝だというほかはない。どこの国にももっとひどいことは存分にあったのだが、そんな西欧諸国の行動は棚に上げ、日本や周辺国に、強制的にそう信じて行動し発言することを押し付けた米国の対日戦争以降の占領政策、強制の結果であると思っている。
わたしは100%日本が平和を愛する統一行動だけをしたとは思わない。だが国際外交に後発の身で、しかも白人独占の世界に割って入ろうとした日本は、当時の世界のどの国よりも国際法やその他の決まりを徹底的に守って活動してきた。そうでなければ、違法を理由に、後発でひ弱な日本は、いつ世界につぶされるかわからない状態にあった。
 またそんな日本の制裁・弱体化を日本に押し付けようと、米国が決断した背景には、19世紀になって、それまでは一国のみの安定を求めて「鎖国」して、西欧白人社会とは交わらないように心がけていた日本が、西欧諸国と交流せねば国の独立も維持できないところにまで追い込められた国際環境の変化があった。
 西欧諸国から開国を迫られた結果、日本はやむなく「開国」を決断し、絶大な力を持つようになった欧米の技術や知識を見習って、ただ日本のそれまで培ってきた独特の文化の精神的な核を残し、「和魂洋才」の姿勢で欧米諸国の独占状態の中に、有色人国家として食い込み、できることならば世界の有色人国家の先頭に立って世界を白人専制から全人類のものにしようとした。だが、その懸命の努力が結果的に西欧の白人独占支配の既得権を脅かす結果につながり、中でも太平洋を中心に支配を固めようとしていた米国の逆鱗に触れ、先の戦争の引き金となった。そんな歴史、強引乱暴に白人国家ばかりではなく、中国はじめ日本周辺諸国のや集団までを手先に利用して日本戦争に引きずり込み、敗戦させ、米国の支配下に入れた強引な占領政治も、善し悪しなどという感情的なことを抜きに見て、「米国だって、太平洋圏の制覇のためにはそうやっただろう」と理解ができるものである。
 だがこれは通ってしまった足跡である。いまさら、「世界には怖い国がいるものだ。鎖国のままだったらよかったのに」などといって見ても始まらない。日本をめぐる地理的立地条件が産業革命の成果により、急速な技術発展を成し遂げた西欧諸国の力によって、大きく変わってしまった結果なのだ。
 それまでの日本は、四方を海に囲まれた列島であった。その周囲には強い潮流も流れていて、しかも海の隔てた距離は数百キロ、苦労をして小船で大陸と往復することは可能であったが、とても大陸からこの日本列島を支配しようと何十万、何百万の大軍団を武装させて異国が集団で渡来して列島を占領支配することはできない条件にあった。
 こんな地理的条件に恵まれたところは他にはない。一つの民族が襲われもせずに数千年の独立を確保した記録は、結局は滅ぼされた国の史跡が残るのみである。しかも地域は温帯モンスーンの豊かな四季に恵まれ、農耕社会にはうってつけだし、周辺の漁業資源にも恵まれている。
 かといってこの距離は、従来の船舶では大量の兵員輸送は難しかったが、少人数の人々の往復にはそれほど厳しい障碍にはならず、海を通して大陸の新しい文明に接し、それを利用して大陸に劣らない程度の文化水準を輸入することができる細道だった。
 異民族の侵略により民族が皆殺しにされることを世界のどこよりも心配せずに、ただ穏やかな自然の恵みを神に祈り、最大限の生産力を皆で確保して分配し合って生きていく社会。原始社会に憧れるものが聞いたらよだれが出るような王道楽土が日本であった。
 そこで生まれた我々の文化、日本に発生して現在もまだ、多くの国民が信仰の誠をささげ日本の精神文化の柱になっている全国神社の祈願の内容を見てほしい。
 「天下泰平、万民和楽、五穀豊穣、家内安全」。
 数え上げればきりがないが、こんな生活を数千年以上繰り返してきた日本人がどこを取り上げれば鬼や獰猛な人間ばかりであるということになるのか。


 日本人にとって大切なものは


 日本には昔から外国に憧れる空気が強い。日本の国は有史以来、世界の国々に比べて異民族や外国から占領され、同朋がそこの住民であるとの理由で、大量に惨殺され、また奴隷にされて売り飛ばされるということには接した経験はなかった。それだけ日本は平和だったのだ。しかも日本にやってくる渡来人は新しい技術や製品を持ち、または日本人には未知の知識を持ったものがほとんどであった。
 そのため日本人には海の外に憧れる気風は強く、日本に発生した自然と祖先崇拝の信仰である神道には
「客人=まろうど信仰」という、異教のものを客人として迎える風習までが顕著にみられるほどである。「浦安」の国日本にはそんな気風が濃厚であった。もっともこれが、疑いを持たずに簡単に物事を信じてしまう性格、言われたことを検証もせず、簡単に信じてしまう性分にもなっているようだが。
 本筋に戻そう。この日本人の舶来礼賛思考は、様々なところで日本を迷走させてきた。とくに明治維新以来、「和魂洋才」の方針で欧米諸国に追い付き追い越せと国を挙げて努力した結果が、「和魂忘れの欧米礼賛、模倣」の風潮を生んだり、占領米軍の勝手な独善の押し付けを素直に信じ込む気風を生じたりもした。いま、わがくにがおおきなこんらんにおいこまれているのも、こんな和魂を忘れた欧米かぶれに日本人が、官民挙げて罹ってしまっている結果とも言えるだろう。もっともこれはわが国だけに言えることではなく、日本をいま、せめている隣国にも、同じような先入観がいつの間にやら伝染しているのは明らかだが。



「鎖国をすれば」


 ところで私が提案するように鎖国をすれば、日本にも重大な影響があることを私は見落としているわけではないことも付け加えておこう。
 現在の世界は国境の壁を越え、かなりのものがたがいに依存しあって出来上がっている社会である。日本は明治の開国以来、西欧の独占状態にある世界を、この地球上に過ごす全人類が均しく平等の台頭権を持った国々になることを理想とし、世界に向かって人種差別の撤廃をはじめ、様々な平等を主張する運動をしてきた。しかしその結果は、「自由・平等」を建前とする欧米諸国の手ひどい反対に遭い、なかなか実現されることができなかった。その苦悩の歴史は、誰でも西欧の作られた証拠に乏しいうわさばかりではなく、冷静に生の資料を目の前にすれば、誰の目にも明らかであると私は確信している。いま、我が国では悪名高き先の大戦であっても、その旗印は明瞭に日本の開戦の公式目標であった。
 だが日本は欧米主力勢力と戦って完敗した。
 ところが皮肉なことに、この大戦は世界の欧米支配体制の鉄鎖が崩れて、あの開戦時に日本が強く主張したように、有色人の開発途上の国であっても、堂々と自国の独立を宣言し、力さえ蓄えれば、世界に雄飛できる世界の環境になった。惜しむらくはその提案した日本が大戦で完敗をしたため、平等への発言国としての名誉の地位は認められず、もっとも日本に激しく抵抗し反対した米国の傘の下に回復させた経済力でのみ、認められているような条件下にあるが。
 そんな日本がその経済力の発揮にとって、現状では大きな依存関係にある国々との間に鎖国政策をとればどうなるか。それはそれらの国に戦って我が国の名誉を腕力で守り続けようとするよりは、穏やかな日本国にふさわしい対応ではある。だが犠牲を祓う覚悟もまたしておかなければならない。
 だが私は、我々の祖国は生活のために操を売る奴隷に堕してはならないと固く信じている。日本国のやむにやまれぬ誇りを守るために、独立を守るために、どれほど厳しくなっても守らねばならないのが国というものの志操である。それがどれほどのマイナスになるか。あの敗戦下に国の全てが壊滅させられ、我々が食べるものもなく苦しんだ時代。そんな事態に戻っても葉を食い絞って国の思想を貫く。私はそれこそ、数千年にわたって先祖たちが維持してきたこの日本を守り続けるために絶対に必要なことなのだと思っている。
 鎖国の結果、どこまでわが国の生活条件が厳しくなるか。それは決断する我々が血道に計算をしなければならない。原子力発電の副作用が、将来の人類の文明を破滅させる。こんな分かり切ったことに対しても、目先の快適な生活ができなくなると躊躇するような姿勢ではとてもそれはできないだろう。道義のためには意地でも歯を食いしばって耐えるという国を守る決断が必要になる。
 だがここで、知っておかなければならないことがある。我が国経済の輸出入の依存度は想像以上に低いということ、そして中国や韓国は日本などとは比べ物にならないほどそれは高く、しかもこの両国はその大半を日本に頼っている。我が国は、その両国などと鎖国状態に入っても、「なぜそのような決断をしたのか」を冷静に諸外国に伝えれば、多くの国が従前通りに我が国との関係を続けてくれる可能性は高い。だが日本が鎖国を考える二つの国は、今でも日本の後押しや保証があり、初めて海外との経済交流が成り立っているような国だ。中国の対日依存度は25%前後、韓国にいたっては40%以上であるとされている(日本は世界全体への輸出依存度でも10%台だ)。
 隣邦とは仲良く暮らすのが理想であることはもちろんのことである。だが、国の誇りまで失って孫子の代まで苦しめるべきではないと思う。

今日は鉄道記念日

2012年10月14日 14時41分41秒 | 私の「時事評論」
 明治天皇のお喜び

 今日は日本の近代化への大きな節目となった鉄道記念日である。明治五年のこの日、東京・新橋と横浜・桜木町の間に、我が国で初めての鉄道が開設された。鉄道の建設は日本が発展をするために幕末から西国初版などが注目していたものだったが、明治維新がなると早速工事が始められ紆余曲折もあったが、この日に晴れて開通にこぎつけた。
 明治天皇もこのことをたいそう喜ばれ鉄道開通のこの日、自ら新橋横浜間を往復され、また百官(すべての関係者)に対する勅語を出されて、日本全国に鉄道網が張り巡らされ、日本の国力が大いに伸び、国民生活の向上することを希望された。
いか、その勅語を紹介する(ただし漢字は現代略字、片仮名は濁音入りひらがなとし、カッコで難解の文字の解釈を入れてある。
  鉄道開業式に際し百官に賜りたる勅語      明治五年九月十二日
 今般我国鉄道の首線(初めての線路)工竣るを告ぐ 朕親(みずか)ら開行し(開通式で乗り初めをし)其便利を欣ぶ 嗚呼汝百官此の盛業(立派な事業)を百事維新(全てのことを新しく始める)の初に起し此鴻利(大きな便利)万民永享(長く享受する)の後に恵まんとす 其励精努力(大変な努力)実に嘉尚(褒める)すべし 朕我国の富盛を期し 百官万民の為に之を祝す 朕更に此業を拡張し此線をして全国に蔓布せしめんこと庶幾す。

 勅語の意とすることは

 勅語の意とすることの一つ、それも大きな柱には明治天皇の示されたこの発展の鴻利(便利)を広く全国に及ぼし、日本中に張り巡らされる鉄道網により、全国の足並みをそろえての発展を期待されたところにあった。
 一部のもののためのみではなく、向上は全国民にもれなく及ぶものにしなければならない。この天皇のお気持ちが国全体に徹底していて、政府もその他の行政機関も、それを基本方針として日本の発展に努力してきた。これが明治維新以来、その発展が世界を驚かせた日本国の歩みがあった。
 国は鉄道省を中心に北は北海道から南か九州まで、背骨となるべき本線を整備し、租手を基にした各地を結ぶ視線を網の目のように整備し、全国度がそろって文明の影響を受けるように努力を積み重ねてきた。
 そんな徹底した「発展は中央だけではなく、全国津々浦々に至るまで」との方針は、道路においても通信網においても、国民教育や、市町村の整備、警察や消防面の整備、様々の面で重視されてきた。
 もちろん、そんな文化の整備には資金もかかる。鉄道などは主として国鉄がそれにあたったが、国の整備の事業であるから、採算的にはどうしても合わない事業には中央の採算のたつところからの資金をつぎ込む必要があった。それにこの鉄道網の後に続くように参入した民間の鉄道会社は、それが営業として計画されたものであったので、不採算の路線の建設には向き得ないという制約があった。いまではそんな国鉄の抱えた膨大な赤字を解消するため、国の鉄道事業は分割されて、それぞれが独自に採算を求めるものに代わって行ってしまったが、国としては、この「明治維新以来の夢」とも言える「日本国は揃って発展を図らなければならない」との精神は、消したくない一本の柱だと言える。
 鉄道記念日には、そんな側面にも思いを入れたいものである。

 写真は最初に東京横浜間を走った我国蒸気機関車の一号機

安倍さんに新しい潮流を作り出す力はあるか(随想)

2012年10月09日 09時44分26秒 | 私の「時事評論」
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安倍さんの抑止効果

 安倍晋三氏が自民党の総裁に決まった。総裁選の下馬評では必ずしもトップではなかった彼が、総裁になった背景には、様々な条件が重なったのだろう。私は党内のみではなく、最近の日本国の状況が、「こんな時期だから安倍にもう一度やらせてみたい」との国民の期待ムードを作り出し、自民党の党内事情はまだまだ旧態依然のだが、彼を選ばねば、国民向けにイニシアティブをとれないような空気を決選投票に臨んだ議員たちに生みだして、彼を再度総裁に選出したのだろうとの穿った見方、判断をしている。こんな国民心理を見ての議員たちの動揺は、以前の小泉氏が総裁選に選ばれたときにも見られた現象と似ている。もっともあの時と今回は、国民意識は全く異なった方向を向いているようだが。
 しばし、私の突飛な情勢分析に耳を傾けて貰いたい。前回、安倍氏が自民党の総裁・総理大臣になった後、彼は伝統的日本人独自の生き方を復活させたい国民に大きく期待をされ、彼自身も日本の保守本流を求める政策実行(もちろんそれだけではなかったが)への意気込みはあったのだが、日本を包み込んでいた戦後体制の力が彼を阻み、それが完結できなかった。彼は表の理由のように、単純に肉体的病気で引退をしたのではなかった。私は新憲法で頭の中から日本人であることを忘れた連中、戦後体制の信奉者に陥れられたのだと思っている。あの頃から安倍氏には、単に外国礼賛の空想的戦後体制を擁護する自民党の全般的虚しさとは異質の、明治維新から一貫した雰囲気が垣間見られていた。
 安倍氏の内面にはその身近な血統とともに、憲法はじめ日本の政治体制そのものへの姿勢、皇室を伝統に裏打ちされた日本独特の国宝を、女系皇位継承論のような、国宝をのみで削ったりペンキで塗り替えるような伝統の軽視を平然とする最近の役人などの風潮とは異質のもの、維新運動以来の長州人らしい尊皇の心、人を眺めるまなざしなどが目に付いていたが、安倍さん自身が今より若く、己の政治を推進する技術においては熟練でなかったし、彼の執念にも、彼の戦後体制を見る目にも欠けるところがあったのだと思う。
 捲土重来、その時の雪辱を果たそうと、彼は今回、再度立候補するという道を選び、懸命に理論を整備し、その地盤を固める準備をしてきたのだと思う。だが、雌伏の中で、彼がどれほどの成長をしたのだろうか。私にはまだ分からないところであるが、期待はしているのだが。

 一度挫折した経験は薬になるか

 今回の総裁選は、そんな安倍氏を含んで行われた。政界地図は、我も我もとボスになりたがる有象無象がひしめき合う世界で、一度挫折し引きずり降ろされた大きなハンディを背負って男に、再度安易に座を提供するほどには甘くない。だが日本がどうしようもなく混迷して先が見えなくなった状況が、彼に至難と見られた再生を可能にしたのだと私は分析する。
 「安倍にやらせてみよう」という期待感が、従来は政治に参加しなかった支持政党などは持たない一般国民にまで盛り上がってきたのが作用した。党員投票では、従来からの組織などで、圧勝するには力がまだ足りず、安倍さんよりも政治的には尖閣などの強硬論を掲げ、景気回復の積極策と欧米協力の強硬策を主張した石破さんが、自民党の組織票では、彼を上回る支持者を集めた。だが二番手になった安倍さんは、国会議員の決戦投票で逆転させた。投票には60年間の間に積み重なった人間関係や派閥の重みもあったと思う。だが、そんな派閥を頼りにしてきた他の候補は、決戦投票にも残れなかった。自民党にも新しい風が吹き始めたということだろうが、今回はそれには触れない。
 石破さんも今までの妥協を積み重ねて決断しない自民党としては、はっきりした「けじめ」を掲げる人なので、多くの賛同を得た。新憲法のような空想論では、世界の荒波を乗り切れないことははっきりした。石破さんもこの憲法には反対の姿勢を明確にした。だが彼と比べて安倍さんは、かつての日本、明治以来の日本の顔として、石破さんよりもより国民に知れ渡っていた。安倍さんには、維新を積極的に求める長州名門のレッテルもあった。それが最後の決戦投票で、安倍さんが勝利した大きな要素だろう。
 その安倍さんは、これからの政治を進める幹事長として、積極改革を掲げる石破さんを選び、二人三脚で進もうとしている。

 そうはいっても、野党に落ちた自民党の、ただの総裁になっただけ。まだ海のものとも山のものとも判断がつかないとの評をするのが、現段階では多い。そうなのかもしれない。だが、いまの民主党政権は、既に国を統一する力を失っており、統治能力を失っている。それは目の前に、安倍氏に新しい日本の首相の座が近付いているということではないか。
 ちょっとこの総裁選前後の空気を眺めてほしい。安倍さんが自民党の総裁になるまでは、大阪市長の橋下さんがなぜか急に国民の注目を集めたり、石原都知事が注目されたり、その前には「みんなの党」などという、これまた筋の立たない党が注目されたり、日本の混乱はとどまるところを知らなかった。だがそんな動きは最近になって、急速に勢いがなくなってきた。国民心理には大きな変化が出てきたのではないか。
 国民は、安倍さんに過去の自民党の首相の座に還り咲くことだけを望んでいるのではない。安倍さんが、予定の通りに選挙の結果首相になって、いままでの自民党の首相のような言動を始めた時は、彼は現在を乗り切る力を失ったとみるべきだと、私は彼に期待をしながら眺め判断している。

 サイレントマジョリティの動き
 
 「安倍ならば本来、どこか分からぬが日本文化の体質に合わないこの国の現状を、日本の状況にあったものにしてくれるかもしれない」。ことばを代えれば、絶望以外、何も見えない日本の将来に明かりがともるかもしれないという期待が、政治から離れてしまった国民の間に育ってきている。日本の文化に合わない戦後体制、それに代わる新しいものができるかもしれない。そんな期待がいまは彼を後押ししているように見える。
 それは旧体制の桎梏から抜け切ることのできないマスコミや既成政治家の間にではなく、インターネットや世間のいままでは「風呂屋談義」にすぎぬとみられていた声なき大衆(サイレント・マジョリティー)の日常会話の中にみえる。彼に期待する声が急速に高まっているのからも確信できる。
 それが戦後体制の推進者たちに焦りを生み始めている。戦後体制を長い間、本来は不適合であることを承知しながらも、占領軍の力を背景に、維持し固めることを最大の目的としてきたのは、自分ではインテリや学識者と思っている一部の者たち、お金儲け以外に目が向かない財界人と称する者たち、あるいは行政官庁の周辺に集う者たちだった。彼らは戦後のアメリカ占領政策でこの国に力を得た連中の生き残りだと言われているが、そんな彼らがここまで広がった背景には、島国日本に古くからあった舶来崇拝の気風がある。なんでもよそのものがよいと思い込んで、我が国の文化が理解できない者が我が国には存外多い。日本の歴史が生んだ奇形児たちである。
 だが、そんな連中には早くも安倍新総裁を生み出した社会気風に対する警戒感が芽生えだした。安倍新総裁がどこまでそれに気づいているかは分からない。だが彼が自民党の新総裁に復職しただけで、官僚たちやそれに結んだ連中に微妙な効果が現れはじめていることは、彼が単なる戦後体制の米国や西欧陣営への復古派として期待されているのではない証拠といえる。

 もう一つ、いまの政府はどう動くか

 他方、政権を維持するだけの力はないのにこれもまた、三年前に政権が掌中に転がり込んで政権の座に就いた民主党。その三代目の野田首相は、野田さん個人の主張としては、かなり戦後日本の政治思想として温厚で健全なものも持つ男なのだが、ここにきて彼本来の主張とはかなりかけ離れた方向にまた舵を切り始めた。
 政権の母胎である民主党の党内の七花八裂した現状をまとめるために、党内でも野田氏と全く系統の違う旧社会党系のメンバーや小沢系列、党内の反野田勢力を閣僚に大幅に迎えて内閣を組み直した。そうしなければ内閣は、与党の中で自滅する。
 だがその動きは外から見ると、戦後の体制が生き残るために、最後の力を振り絞っている姿にも見える。民主党には党内の共通の認識が無いと言われてきた。元自民党、改進党、新自由クラブ、民社党、社会党左派・右派などの寄り合い所帯だからである。しかし、私の提起する戦後体制をそのまま奉持するか、それを脱皮するかの立場から見ると、党内は総じて前者であるという共通性を持つ。そんな連中が結束して地位のみを確保し生き残ることを目的として動くとなると、それはやっているかに見せて何もせず、ただ時間を稼ぐという作戦をとることになる。戦後体制である野田内閣と、戦後体制への危機意識が生み出した安倍自民党の対立で、これからの政治は新しい姿を模索することになったとも見ることができよう。

 政権を維持すること
 
 国の精神的柱は古い言葉かもしれないが「国体」といわれる。その問題を論ずるのは、大勢の変化が見えてくるまでさておくが、いまの我が国は、将来のことなど構わず、動物的な快楽追求のみを追いかけることを目的にしていると言える。
 家族の機能を無視し、共同社会のつみかさねてきた伝統を無視し、長幼の序列を無視し、道徳を軽視し、我々の生活を見守る神を軽視し、エゴを求めて協力を否定し、無意味な悪平等を追求し、国としてのまとまりや義務を放棄し、見られていなければ方をも無視する現代の日本人。て進んできた我が国。
 そんな中では、総理大臣や閣僚にとり、あるいは政治家にとっても役人にとっても、社会より自分の地位を確保することが重要にならざるを得ない。人情・信頼・義理などは国自身がその教育で否定する立場で動いてきたからだ。野に降れば、何も自分の意思で定めることができないし、世間から相手にされず、誰ももう振り向いてくれないと思うからだろう。
 そんな意識が働いて、野田内閣は「何を定めることよりも政権の座を維持すること」が至上命令となっている。そういえば、野田氏が政権を引き継いだ菅内閣なども、ただ政権の座に座ることだけが目的で何もできない内閣だった。嫌なことだが、外から眺めていた私には、日本国の前途に大きな障害として広がった災害・東北大地震さえも、菅内閣は、自らの生き残りの口実と見て、救助活動や復興は、二の次にしているように見えてならなかった。
 あれこれと指摘していけば「こんなバカな」あるいは「過去の彼らの方針とは違うではないか」というような朝令暮改、場当たり発言などは数え上げれば山ほどある政府だ。それは将来の日本国にとって重要な汚点をのこすことなのだが、もう野田内閣はそれを一貫した姿勢方針として示し続けるだけの余裕はないだろう。政権の座にしがみつき、それを一日でも延命させること以外に目を向ける余裕はない。そのためには与野党の対決になる国会だって、開きたくないと逃げまくる。国会を開かねば基本的方針は定められず、政治は停滞するのだが、それよりも政府自体が継続しうる力が無い。
 一方安倍自民党は、国会を開いて、討論することによって政権の座を自分のものに変更していきたいとする。いまの世論の動向などを見れば、もし衆議院の改選・総選挙をやれば、大方の予想では政権は自民党の帰り咲きに転換すると判断される。そんな一般的な方程式が、マスコミはじめ大方の認めるところとなってきているのだが、それはどう進むかも見ものである。
 国会は今年の夏までは、もうここで改選・総選挙に移行するだろうというのが大方の予想であった。民主自民・公明三党の間で、そんな暗黙の合意ができていたのだが、ところがどっこい、民主党政権は特別の寝技を持って抵抗を始めた。
 それは勝負の世界で、最初から勝とうという目的を持たず、負けて舞台から引きずりおろされないことのみに戦うという消極性を積極的に持ち続けるという戦法だ。
 今の野田内閣は、そんな点ではまさに曲者、国会で不信任案を出されても、決議されることもなく続いてきた。ムカデ退治、いやドジョウ退治が必要である。
 さあどうするか。そんな展望を基にして、じっくり眺めて論を進めていきたい。
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