周辺諸国の攻撃の中にあって
最近の中国や韓国の日本に対する動きを見て、私は慎重に検討して、あまりにも不法な対応をされたら、鎖国という制度も考えてみる必要があると思っている。
中国や韓国の日本に対する対応には、いくらそれが国内統治上、やむなくとっている姿勢であるとはいっても、常識的に考えて独立国である日本が、「はいそうですか」と聞くべき筋のものであるとは到底考えられない。戦後になって、おかしな連中が国内に多くなり、「何が何でも周辺の国のいうことを日本国の正当な主張を殺してでも聞くべきだ。それが日本人の義務だ」という手合いの発言が我国には多くなっているので、国際関係とは、外国から侮辱され続けるものだと思っている人もいるのかもしれないが、うっかりそれに類似する対応を外国に取れば、戦争などにまで発展しかねない危険な行為なのだ。それなのにあえて日本に干渉を続けるこれらの国は、戦後の日本の歩みを見て、日本という国が決して反抗する気力が無いとなめているのかも知れない。そうでなければ彼らは単なる国際的無知であるとしか言いようがない。
だがこのまま、我が国がどこまでも今までのような対応ばかりをしていたら、日本はその対応で、祖国に独立と誇りを持って、アジアのこの場所に存在することが不可能になってしまうと私は思っている。
だからといって腹を立てても、日本の地図上の地域を移動させるわけにはいかない。腹を立てて(それは当然、日本に認められる自衛の権利なのだが)、即座にそれらの周辺国に武力行使することは、有史以来、平和を愛する歴史を歴史的な国是としてきた我が国に望ましくない。せめて周囲からのいわれのない攻撃だけは撃退できる備えを固め、相応の不利や犠牲を支払っても、それらの国に対しては「鎖国」制度を採用するのがよいのではないかと思っている。
とんでもない地理的条件になってきたものだ
日本人は戦闘的・好戦的な民族だなどと信じている人間がアジアの周辺諸国や日本国内にも多い。これは明治時代から欧米諸国が拵え上げたとんでもない偏見である。どうしてこんな根も葉もないような噂が流行することになったのか。私は世界の市場に進出してきた信仰国日本を、戦争に引きずり込んででも日本に勝利をおさめ、日本を無抵抗の状態に追い込もうとした意図的な宣伝だというほかはない。どこの国にももっとひどいことは存分にあったのだが、そんな西欧諸国の行動は棚に上げ、日本や周辺国に、強制的にそう信じて行動し発言することを押し付けた米国の対日戦争以降の占領政策、強制の結果であると思っている。
わたしは100%日本が平和を愛する統一行動だけをしたとは思わない。だが国際外交に後発の身で、しかも白人独占の世界に割って入ろうとした日本は、当時の世界のどの国よりも国際法やその他の決まりを徹底的に守って活動してきた。そうでなければ、違法を理由に、後発でひ弱な日本は、いつ世界につぶされるかわからない状態にあった。
またそんな日本の制裁・弱体化を日本に押し付けようと、米国が決断した背景には、19世紀になって、それまでは一国のみの安定を求めて「鎖国」して、西欧白人社会とは交わらないように心がけていた日本が、西欧諸国と交流せねば国の独立も維持できないところにまで追い込められた国際環境の変化があった。
西欧諸国から開国を迫られた結果、日本はやむなく「開国」を決断し、絶大な力を持つようになった欧米の技術や知識を見習って、ただ日本のそれまで培ってきた独特の文化の精神的な核を残し、「和魂洋才」の姿勢で欧米諸国の独占状態の中に、有色人国家として食い込み、できることならば世界の有色人国家の先頭に立って世界を白人専制から全人類のものにしようとした。だが、その懸命の努力が結果的に西欧の白人独占支配の既得権を脅かす結果につながり、中でも太平洋を中心に支配を固めようとしていた米国の逆鱗に触れ、先の戦争の引き金となった。そんな歴史、強引乱暴に白人国家ばかりではなく、中国はじめ日本周辺諸国のや集団までを手先に利用して日本戦争に引きずり込み、敗戦させ、米国の支配下に入れた強引な占領政治も、善し悪しなどという感情的なことを抜きに見て、「米国だって、太平洋圏の制覇のためにはそうやっただろう」と理解ができるものである。
だがこれは通ってしまった足跡である。いまさら、「世界には怖い国がいるものだ。鎖国のままだったらよかったのに」などといって見ても始まらない。日本をめぐる地理的立地条件が産業革命の成果により、急速な技術発展を成し遂げた西欧諸国の力によって、大きく変わってしまった結果なのだ。
それまでの日本は、四方を海に囲まれた列島であった。その周囲には強い潮流も流れていて、しかも海の隔てた距離は数百キロ、苦労をして小船で大陸と往復することは可能であったが、とても大陸からこの日本列島を支配しようと何十万、何百万の大軍団を武装させて異国が集団で渡来して列島を占領支配することはできない条件にあった。
こんな地理的条件に恵まれたところは他にはない。一つの民族が襲われもせずに数千年の独立を確保した記録は、結局は滅ぼされた国の史跡が残るのみである。しかも地域は温帯モンスーンの豊かな四季に恵まれ、農耕社会にはうってつけだし、周辺の漁業資源にも恵まれている。
かといってこの距離は、従来の船舶では大量の兵員輸送は難しかったが、少人数の人々の往復にはそれほど厳しい障碍にはならず、海を通して大陸の新しい文明に接し、それを利用して大陸に劣らない程度の文化水準を輸入することができる細道だった。
異民族の侵略により民族が皆殺しにされることを世界のどこよりも心配せずに、ただ穏やかな自然の恵みを神に祈り、最大限の生産力を皆で確保して分配し合って生きていく社会。原始社会に憧れるものが聞いたらよだれが出るような王道楽土が日本であった。
そこで生まれた我々の文化、日本に発生して現在もまだ、多くの国民が信仰の誠をささげ日本の精神文化の柱になっている全国神社の祈願の内容を見てほしい。
「天下泰平、万民和楽、五穀豊穣、家内安全」。
数え上げればきりがないが、こんな生活を数千年以上繰り返してきた日本人がどこを取り上げれば鬼や獰猛な人間ばかりであるということになるのか。
日本人にとって大切なものは
日本には昔から外国に憧れる空気が強い。日本の国は有史以来、世界の国々に比べて異民族や外国から占領され、同朋がそこの住民であるとの理由で、大量に惨殺され、また奴隷にされて売り飛ばされるということには接した経験はなかった。それだけ日本は平和だったのだ。しかも日本にやってくる渡来人は新しい技術や製品を持ち、または日本人には未知の知識を持ったものがほとんどであった。
そのため日本人には海の外に憧れる気風は強く、日本に発生した自然と祖先崇拝の信仰である神道には
「客人=まろうど信仰」という、異教のものを客人として迎える風習までが顕著にみられるほどである。「浦安」の国日本にはそんな気風が濃厚であった。もっともこれが、疑いを持たずに簡単に物事を信じてしまう性格、言われたことを検証もせず、簡単に信じてしまう性分にもなっているようだが。
本筋に戻そう。この日本人の舶来礼賛思考は、様々なところで日本を迷走させてきた。とくに明治維新以来、「和魂洋才」の方針で欧米諸国に追い付き追い越せと国を挙げて努力した結果が、「和魂忘れの欧米礼賛、模倣」の風潮を生んだり、占領米軍の勝手な独善の押し付けを素直に信じ込む気風を生じたりもした。いま、わがくにがおおきなこんらんにおいこまれているのも、こんな和魂を忘れた欧米かぶれに日本人が、官民挙げて罹ってしまっている結果とも言えるだろう。もっともこれはわが国だけに言えることではなく、日本をいま、せめている隣国にも、同じような先入観がいつの間にやら伝染しているのは明らかだが。
「鎖国をすれば」
ところで私が提案するように鎖国をすれば、日本にも重大な影響があることを私は見落としているわけではないことも付け加えておこう。
現在の世界は国境の壁を越え、かなりのものがたがいに依存しあって出来上がっている社会である。日本は明治の開国以来、西欧の独占状態にある世界を、この地球上に過ごす全人類が均しく平等の台頭権を持った国々になることを理想とし、世界に向かって人種差別の撤廃をはじめ、様々な平等を主張する運動をしてきた。しかしその結果は、「自由・平等」を建前とする欧米諸国の手ひどい反対に遭い、なかなか実現されることができなかった。その苦悩の歴史は、誰でも西欧の作られた証拠に乏しいうわさばかりではなく、冷静に生の資料を目の前にすれば、誰の目にも明らかであると私は確信している。いま、我が国では悪名高き先の大戦であっても、その旗印は明瞭に日本の開戦の公式目標であった。
だが日本は欧米主力勢力と戦って完敗した。
ところが皮肉なことに、この大戦は世界の欧米支配体制の鉄鎖が崩れて、あの開戦時に日本が強く主張したように、有色人の開発途上の国であっても、堂々と自国の独立を宣言し、力さえ蓄えれば、世界に雄飛できる世界の環境になった。惜しむらくはその提案した日本が大戦で完敗をしたため、平等への発言国としての名誉の地位は認められず、もっとも日本に激しく抵抗し反対した米国の傘の下に回復させた経済力でのみ、認められているような条件下にあるが。
そんな日本がその経済力の発揮にとって、現状では大きな依存関係にある国々との間に鎖国政策をとればどうなるか。それはそれらの国に戦って我が国の名誉を腕力で守り続けようとするよりは、穏やかな日本国にふさわしい対応ではある。だが犠牲を祓う覚悟もまたしておかなければならない。
だが私は、我々の祖国は生活のために操を売る奴隷に堕してはならないと固く信じている。日本国のやむにやまれぬ誇りを守るために、独立を守るために、どれほど厳しくなっても守らねばならないのが国というものの志操である。それがどれほどのマイナスになるか。あの敗戦下に国の全てが壊滅させられ、我々が食べるものもなく苦しんだ時代。そんな事態に戻っても葉を食い絞って国の思想を貫く。私はそれこそ、数千年にわたって先祖たちが維持してきたこの日本を守り続けるために絶対に必要なことなのだと思っている。
鎖国の結果、どこまでわが国の生活条件が厳しくなるか。それは決断する我々が血道に計算をしなければならない。原子力発電の副作用が、将来の人類の文明を破滅させる。こんな分かり切ったことに対しても、目先の快適な生活ができなくなると躊躇するような姿勢ではとてもそれはできないだろう。道義のためには意地でも歯を食いしばって耐えるという国を守る決断が必要になる。
だがここで、知っておかなければならないことがある。我が国経済の輸出入の依存度は想像以上に低いということ、そして中国や韓国は日本などとは比べ物にならないほどそれは高く、しかもこの両国はその大半を日本に頼っている。我が国は、その両国などと鎖国状態に入っても、「なぜそのような決断をしたのか」を冷静に諸外国に伝えれば、多くの国が従前通りに我が国との関係を続けてくれる可能性は高い。だが日本が鎖国を考える二つの国は、今でも日本の後押しや保証があり、初めて海外との経済交流が成り立っているような国だ。中国の対日依存度は25%前後、韓国にいたっては40%以上であるとされている(日本は世界全体への輸出依存度でも10%台だ)。
隣邦とは仲良く暮らすのが理想であることはもちろんのことである。だが、国の誇りまで失って孫子の代まで苦しめるべきではないと思う。