おかしくなった地球の環境
一週間前までは毎日が暑く、極限までの薄着をして扇子をパタパタしていても汗が噴き出て我慢ができず、フウフウしていたというのに、一転して長袖シャツに上着でも、寒さを感ずるこの頃である。穏やかに移ろう季節を楽しみ、花鳥風月に恵まれたところであった日本も、最近は獰猛ともいえる気象変化に悩まされるようになった。
テレビの情報に、「気象庁始まっていらい」との言葉を聞くようになったのはいつ頃からだったか。今年の夏はそれが毎日のように繰り返され、この言葉を聞かないときは、逆に異常と錯覚するほどであった。
何でそうなったのか。石油など化石飲料を燃やしすぎ、地球が温暖化したからだという。炭酸ガス(CO2)が空中に層を作って漂って、地表の温度を発散させなくなるのだそうだ。世界中、いたるところで森や林が伐られ、乱開発で地球の砂漠化し、川は干上がり土は乾いて海まで汚れ、木や海草によって炭酸ガスが酸素に還元されなくなってきた。南極北極やヒマラヤなど高地の氷が解けて氷河が減少、そのため海面の水位までが上がり、水没する島も出始めた。自然のバランスが崩れてきたと言われている。
この現象が、日本の温帯モンスーン地帯特有の穏やかな気象を、大陸型の激しいものにし、今までほとんどなかった竜巻が各地で発生したり、田や畑の農産物を干上がらせてたり、逆に豪雨が崖を崩して街を埋めるなどの被害が頻発する。街に猪や猿が集団で出没し、害虫が急に発生し、経験したことのない病気までが急に広まり始めた。動植物の生態が大きく変わってきたという。おかしなことばかりを耳にするが、突き詰めてみると、この現象に遠因すると思えるものがきわめて多い。
地球の温暖化
異常現象は人災であるとの説が有力に聞かれる。専門家でないので偉そうなことを断定的に口にするのは憚るが、これは人類の営みによる地球温暖化の影響であると指摘されている。石油や石炭など化石燃料を燃やし、森林をむやみに伐採した主役は人間だ。人は何千年も前から火を使い、木を切倒して大量のCO2を増やしてきたが、それは産業革命で急速に増え、さらに最近の産業高度化で爆発的にその使用量を増加させている。
加えて大きな問題は人口の増加。19世紀の初頭、10億ほどであった世界人口は、25年間で倍増して20億になり、61年(昭和26)ごろ30億、ピッチを速めて10年後に40億、平成時代に入ると50億になり、今や70億人ほどと推計されている。あふれるほどの人間の増加だ
環境破壊は進む。森林はいま、年に700万ha以上減っているし、地球全体を緑に覆っていた森林は、いまや陸地の7.7%に過ぎなくなり、砂漠は年間600万haずつ拡大中だ。もうこの辺でデータを並べるのは止めるが、こんな現象が続けば、地球の気象がおかしくなるのは当然だろう。日本周辺の現象を見ても、かつては九州でとれていた農産物が関東平野が中心になり、本州の農産物が北海道でとれるようになった。海も水温が上がり、日本海では沖縄近辺にいた魚が捕れ始め、南洋にいた熱帯魚やグロテスクな生物が日本にやってくるようになった。北洋の魚が周辺にいなくなった。南北に分布する各港ごとの水揚げの種類が、大きく北に動いている。
芥川の短編「蜘蛛の糸」の再現
どうやらこれからは、こんな気象が当たり前になるのだろう。このままでは暮らせなくなる。地球温暖化防止は人類の避けてはならない対策だろう。世界人口推移票を見てほしい。こんなにたくさんの人間が、狭い地球に暮らせるのだろうか。地球の歴史を振り返ると、次々にそこに住む生物は入れ替わり、それは繁殖と自滅を繰り返してきた。その原因は地球の温度環境の変化だったという。今度は自然現象ではなく、住む人間が環境を変え始めた。人間はどうなるのか。そのことだけでも心配な状況である。
人類の生活状況を眺めると、今の世界はまだまだ暮らす人々の水準に大きな格差があり、大多数に属するいままでの途上国の人たちは、これから温暖化の主役であった先進国に見習って、これに追いつき生活の水準を上げるために、化石燃料消費をいよいよ進める。増やすことはあっても減らすことはあるまい。それをまさか、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の作品の血の池地獄から逃れようと蜘蛛の糸をよじ登る男のように、自分だけ助かろうと先進国が下から続く途上国の連中を切り捨てようとすれば、人道に反するし、結果は悲惨な結果を招く。途上国の努力を認めながら、先進国はそれを上回る抑制をし、温暖化防止に取り組むのが義務ともいえる。
だが、それが可能なのか。途上国の人々は先進国の人口よりはるかに多いし急増中だ。もしそれでこのままいけば、全人類が先進国並みに温暖化に加担すれば、それだけで温暖化はすさまじいものになろうし、第一それだけの資源が地球にあるのだろうか。
考えるだけで人類の前途は暗い。
動き出している排ガス削減
いま、地球の温暖化を防止しようとの国際会議などが開かれて、京都会議以来、日本はその中心になって排出ガス削減などに向かって提案し、自ら率先実施すると宣言、世界に協力を呼び掛けている。日本は先進諸国の中で、最も環境悪化防止技術の面での高度技術をもつ国でもある。この温暖化防止への働きかけは大切だと思うので、精いっぱいに協力もしたい。私はこの種の国際会議で、思い切った方針を打ち出した鳩山提案に対して(経済界などは実現は無理だと反発しているが)、元来支離滅裂で何を思っているのか分からない民主党、特に鳩山さんは嫌いだが、彼のしたこの提案れだけは評価できると思っている。現在の状況では鳩山氏の示した目標の実現は無理かもしれない。だがそれができないならば、人間はかつての恐竜やマンモスのように、この地球上から消えるか、互いに殺し合いでもして、何分の一の人口に減る以外には道がない。進める以外に道はないのだ。そう思うのが、当然の帰結になると、続いている温暖化現象の将来を眺めているからだ。
いまはまだ、そんな将来などかまってはいられない、今この現在をどう生き延びるかに目を向けることしかできない世界の諸国は、この提案を自国の経済活動を殺す提案だと、素直に賛成する趨勢には無い。あるいは自国の防止策を進めるのでは目標達成困難なので、途上国などの排出ガス削減に協力してその分を自国の目標達成に上乗せしたり、途上国の使える排出ガスの権利を金を出して買うことなどで逃げようなどと、地球の温暖化防止や、途上国優遇の考え方に足並みをそろえず、直接効果の上がらぬ道の模索などを検討している節もある。
だが、そんなおかしな事態があるとしても、取り組まねば人類文化が滅びかねないのなら、先ずは大いに進めるべき課題だ。日本は現在でも、最新のこの種の技術をもっている。それをさらに進めて、地球の存続の種の技術で栄える国、そんな金メダルを目指すべきだと考える。
日本の自然観を参考にしてほしい
だが、世界は排ガス対策さえすればそれでうまく行く状況にはない。それに加えて、地球温暖化防止のためには、既に多くの濃度になっているCO2の濃度を減らし、大気を綺麗に浄化して、円滑な自然のサイクルを復活させること、砂漠化が進む地球をもう一度、植物などが豊かに実る森林や野原に戻すこと、山から海へ、豊かに流れる多くの河川が枯渇して周辺の農地を何も育たぬ荒れ地にしているのをもう一度復元すること、そんな事業を本気で進める必要があろう。
思い上がってはいけない。人間は自然の大きな現象の中に、他の動物や植物と、調和を保って生きている。それを人間のみが大切なものだ、それも我が仲間だけ繁栄すればよいとみんなが思って動き、エゴイスティックな生活を続けてきた結果が、その精神が現在の人類文明の行き詰まりを迎える基本になってしまった。これからの世界で、人間が豊かな生活を続けていくのには、これが誤った人類の思い込みであり、我々人類も、広い意味での地球と共存し、調和をしながら生きていくのだという大きな心を育てなければならない。旧約聖書の「ノアの箱舟」方式など、求められては困るのだ。
そんな次元で、私がその参考として拠点としてほしいと思うのは、日本文化の育んできた文化意識である神道である。神道は「人間を自然のあらゆる事象、天地、山川、風水、動植物などの中から生まれた」とする自然信仰であり、それらの自然の事象を大切なもの・神と敬って、大切に生きる道を常に求めてきた歴史をもつ。その発想が基本にあるので、絶対神の生んだ選ばれた者が我々の仲間で、他とは闘争し、自然や信仰の異なるものとは戦って生きるのが道だと教える他の宗教を信ずる者の文化意識とは全く異質のものである。日本の文化はそんな自然との調和、未知の人を大切にする心、人間個人の力の限界を知って協力する共同体意識、祖先・子孫の繋がりを最も大切にする連帯意識などを育みながら、四方を海に囲まれた中で、独特の文化を作ってきた。
その影響は日本の国土にも出ている。木にも大切な心があるとして、伐採したら必ずそのあとに補植する習慣が現在まで残り、世界の森が陸地の30パーセントに減少した中にあって、69パーセントの高さをいまだに続け、河川は山から海まで治水され、水田主力の農耕地をうるおしている。その連綿として続く自然意識が人の心にあるからだ。今でも日本中、どこでも生水をそのまま飲み、それが安全と保証されているのもそれと無関係ではない。
精神面を含むこんな環境整備、こんな面も工業技術とともに、世界の見本になるものとして大切に育てていきたいものである。
ちょっと追加して
ちょっとこれからの日本の国土保全の問題にも触れて、指摘しておきたいことを最後に蛇足のように一言述べたい。
日本の多くの山の木は、主力が針葉樹、中でも杉が一番多い。そのため日本では最近春になると、杉花粉が悪者の代表のように言われている。だが、空気中からCO2を吸収して酸素を排出する、こんな面から木々を見ると、最もその能力が高いのは杉である。それはヒノキなど他の針葉樹、ブナなどの落葉樹の倍にも達し、CO2の浄化では優等生なのだ。しかも杉のもっとも空気浄化の有効な時期は植林後50年ごろまでである。
日本の杉は建築などの用材として戦後の時期に植えたものが中心である。だがこれらの杉が、伐採の時期を迎えて利用されないままに放置され、山は急速に荒れ始めている。良い環境を保持するためにも、これらを伐採して新しい苗に植え替えることが望まれる。それは問題の花粉症対策などにも役に立つのではないか。
戦後の日本は、値段の安い海外の木々を大量に使用して、コストの少々高い自国の森を荒れるにまかせ、今まで走ってきた前科をも持っていることを忘れてはならない。アマゾン他東南アジアなどの乱開発の原因にもそれはなっているということなのだ。日本の木を活用して日本の森を守る。山や森を大切に守り、その恵みの中で生活することを大切にする。これは忘れてはならないことだと思っている。
上の図は世界人口の推移を示す図です。急速に人口が増えている様がうかがわれます。
一週間前までは毎日が暑く、極限までの薄着をして扇子をパタパタしていても汗が噴き出て我慢ができず、フウフウしていたというのに、一転して長袖シャツに上着でも、寒さを感ずるこの頃である。穏やかに移ろう季節を楽しみ、花鳥風月に恵まれたところであった日本も、最近は獰猛ともいえる気象変化に悩まされるようになった。
テレビの情報に、「気象庁始まっていらい」との言葉を聞くようになったのはいつ頃からだったか。今年の夏はそれが毎日のように繰り返され、この言葉を聞かないときは、逆に異常と錯覚するほどであった。
何でそうなったのか。石油など化石飲料を燃やしすぎ、地球が温暖化したからだという。炭酸ガス(CO2)が空中に層を作って漂って、地表の温度を発散させなくなるのだそうだ。世界中、いたるところで森や林が伐られ、乱開発で地球の砂漠化し、川は干上がり土は乾いて海まで汚れ、木や海草によって炭酸ガスが酸素に還元されなくなってきた。南極北極やヒマラヤなど高地の氷が解けて氷河が減少、そのため海面の水位までが上がり、水没する島も出始めた。自然のバランスが崩れてきたと言われている。
この現象が、日本の温帯モンスーン地帯特有の穏やかな気象を、大陸型の激しいものにし、今までほとんどなかった竜巻が各地で発生したり、田や畑の農産物を干上がらせてたり、逆に豪雨が崖を崩して街を埋めるなどの被害が頻発する。街に猪や猿が集団で出没し、害虫が急に発生し、経験したことのない病気までが急に広まり始めた。動植物の生態が大きく変わってきたという。おかしなことばかりを耳にするが、突き詰めてみると、この現象に遠因すると思えるものがきわめて多い。
地球の温暖化
異常現象は人災であるとの説が有力に聞かれる。専門家でないので偉そうなことを断定的に口にするのは憚るが、これは人類の営みによる地球温暖化の影響であると指摘されている。石油や石炭など化石燃料を燃やし、森林をむやみに伐採した主役は人間だ。人は何千年も前から火を使い、木を切倒して大量のCO2を増やしてきたが、それは産業革命で急速に増え、さらに最近の産業高度化で爆発的にその使用量を増加させている。
加えて大きな問題は人口の増加。19世紀の初頭、10億ほどであった世界人口は、25年間で倍増して20億になり、61年(昭和26)ごろ30億、ピッチを速めて10年後に40億、平成時代に入ると50億になり、今や70億人ほどと推計されている。あふれるほどの人間の増加だ
環境破壊は進む。森林はいま、年に700万ha以上減っているし、地球全体を緑に覆っていた森林は、いまや陸地の7.7%に過ぎなくなり、砂漠は年間600万haずつ拡大中だ。もうこの辺でデータを並べるのは止めるが、こんな現象が続けば、地球の気象がおかしくなるのは当然だろう。日本周辺の現象を見ても、かつては九州でとれていた農産物が関東平野が中心になり、本州の農産物が北海道でとれるようになった。海も水温が上がり、日本海では沖縄近辺にいた魚が捕れ始め、南洋にいた熱帯魚やグロテスクな生物が日本にやってくるようになった。北洋の魚が周辺にいなくなった。南北に分布する各港ごとの水揚げの種類が、大きく北に動いている。
芥川の短編「蜘蛛の糸」の再現
どうやらこれからは、こんな気象が当たり前になるのだろう。このままでは暮らせなくなる。地球温暖化防止は人類の避けてはならない対策だろう。世界人口推移票を見てほしい。こんなにたくさんの人間が、狭い地球に暮らせるのだろうか。地球の歴史を振り返ると、次々にそこに住む生物は入れ替わり、それは繁殖と自滅を繰り返してきた。その原因は地球の温度環境の変化だったという。今度は自然現象ではなく、住む人間が環境を変え始めた。人間はどうなるのか。そのことだけでも心配な状況である。
人類の生活状況を眺めると、今の世界はまだまだ暮らす人々の水準に大きな格差があり、大多数に属するいままでの途上国の人たちは、これから温暖化の主役であった先進国に見習って、これに追いつき生活の水準を上げるために、化石燃料消費をいよいよ進める。増やすことはあっても減らすことはあるまい。それをまさか、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の作品の血の池地獄から逃れようと蜘蛛の糸をよじ登る男のように、自分だけ助かろうと先進国が下から続く途上国の連中を切り捨てようとすれば、人道に反するし、結果は悲惨な結果を招く。途上国の努力を認めながら、先進国はそれを上回る抑制をし、温暖化防止に取り組むのが義務ともいえる。
だが、それが可能なのか。途上国の人々は先進国の人口よりはるかに多いし急増中だ。もしそれでこのままいけば、全人類が先進国並みに温暖化に加担すれば、それだけで温暖化はすさまじいものになろうし、第一それだけの資源が地球にあるのだろうか。
考えるだけで人類の前途は暗い。
動き出している排ガス削減
いま、地球の温暖化を防止しようとの国際会議などが開かれて、京都会議以来、日本はその中心になって排出ガス削減などに向かって提案し、自ら率先実施すると宣言、世界に協力を呼び掛けている。日本は先進諸国の中で、最も環境悪化防止技術の面での高度技術をもつ国でもある。この温暖化防止への働きかけは大切だと思うので、精いっぱいに協力もしたい。私はこの種の国際会議で、思い切った方針を打ち出した鳩山提案に対して(経済界などは実現は無理だと反発しているが)、元来支離滅裂で何を思っているのか分からない民主党、特に鳩山さんは嫌いだが、彼のしたこの提案れだけは評価できると思っている。現在の状況では鳩山氏の示した目標の実現は無理かもしれない。だがそれができないならば、人間はかつての恐竜やマンモスのように、この地球上から消えるか、互いに殺し合いでもして、何分の一の人口に減る以外には道がない。進める以外に道はないのだ。そう思うのが、当然の帰結になると、続いている温暖化現象の将来を眺めているからだ。
いまはまだ、そんな将来などかまってはいられない、今この現在をどう生き延びるかに目を向けることしかできない世界の諸国は、この提案を自国の経済活動を殺す提案だと、素直に賛成する趨勢には無い。あるいは自国の防止策を進めるのでは目標達成困難なので、途上国などの排出ガス削減に協力してその分を自国の目標達成に上乗せしたり、途上国の使える排出ガスの権利を金を出して買うことなどで逃げようなどと、地球の温暖化防止や、途上国優遇の考え方に足並みをそろえず、直接効果の上がらぬ道の模索などを検討している節もある。
だが、そんなおかしな事態があるとしても、取り組まねば人類文化が滅びかねないのなら、先ずは大いに進めるべき課題だ。日本は現在でも、最新のこの種の技術をもっている。それをさらに進めて、地球の存続の種の技術で栄える国、そんな金メダルを目指すべきだと考える。
日本の自然観を参考にしてほしい
だが、世界は排ガス対策さえすればそれでうまく行く状況にはない。それに加えて、地球温暖化防止のためには、既に多くの濃度になっているCO2の濃度を減らし、大気を綺麗に浄化して、円滑な自然のサイクルを復活させること、砂漠化が進む地球をもう一度、植物などが豊かに実る森林や野原に戻すこと、山から海へ、豊かに流れる多くの河川が枯渇して周辺の農地を何も育たぬ荒れ地にしているのをもう一度復元すること、そんな事業を本気で進める必要があろう。
思い上がってはいけない。人間は自然の大きな現象の中に、他の動物や植物と、調和を保って生きている。それを人間のみが大切なものだ、それも我が仲間だけ繁栄すればよいとみんなが思って動き、エゴイスティックな生活を続けてきた結果が、その精神が現在の人類文明の行き詰まりを迎える基本になってしまった。これからの世界で、人間が豊かな生活を続けていくのには、これが誤った人類の思い込みであり、我々人類も、広い意味での地球と共存し、調和をしながら生きていくのだという大きな心を育てなければならない。旧約聖書の「ノアの箱舟」方式など、求められては困るのだ。
そんな次元で、私がその参考として拠点としてほしいと思うのは、日本文化の育んできた文化意識である神道である。神道は「人間を自然のあらゆる事象、天地、山川、風水、動植物などの中から生まれた」とする自然信仰であり、それらの自然の事象を大切なもの・神と敬って、大切に生きる道を常に求めてきた歴史をもつ。その発想が基本にあるので、絶対神の生んだ選ばれた者が我々の仲間で、他とは闘争し、自然や信仰の異なるものとは戦って生きるのが道だと教える他の宗教を信ずる者の文化意識とは全く異質のものである。日本の文化はそんな自然との調和、未知の人を大切にする心、人間個人の力の限界を知って協力する共同体意識、祖先・子孫の繋がりを最も大切にする連帯意識などを育みながら、四方を海に囲まれた中で、独特の文化を作ってきた。
その影響は日本の国土にも出ている。木にも大切な心があるとして、伐採したら必ずそのあとに補植する習慣が現在まで残り、世界の森が陸地の30パーセントに減少した中にあって、69パーセントの高さをいまだに続け、河川は山から海まで治水され、水田主力の農耕地をうるおしている。その連綿として続く自然意識が人の心にあるからだ。今でも日本中、どこでも生水をそのまま飲み、それが安全と保証されているのもそれと無関係ではない。
精神面を含むこんな環境整備、こんな面も工業技術とともに、世界の見本になるものとして大切に育てていきたいものである。
ちょっと追加して
ちょっとこれからの日本の国土保全の問題にも触れて、指摘しておきたいことを最後に蛇足のように一言述べたい。
日本の多くの山の木は、主力が針葉樹、中でも杉が一番多い。そのため日本では最近春になると、杉花粉が悪者の代表のように言われている。だが、空気中からCO2を吸収して酸素を排出する、こんな面から木々を見ると、最もその能力が高いのは杉である。それはヒノキなど他の針葉樹、ブナなどの落葉樹の倍にも達し、CO2の浄化では優等生なのだ。しかも杉のもっとも空気浄化の有効な時期は植林後50年ごろまでである。
日本の杉は建築などの用材として戦後の時期に植えたものが中心である。だがこれらの杉が、伐採の時期を迎えて利用されないままに放置され、山は急速に荒れ始めている。良い環境を保持するためにも、これらを伐採して新しい苗に植え替えることが望まれる。それは問題の花粉症対策などにも役に立つのではないか。
戦後の日本は、値段の安い海外の木々を大量に使用して、コストの少々高い自国の森を荒れるにまかせ、今まで走ってきた前科をも持っていることを忘れてはならない。アマゾン他東南アジアなどの乱開発の原因にもそれはなっているということなのだ。日本の木を活用して日本の森を守る。山や森を大切に守り、その恵みの中で生活することを大切にする。これは忘れてはならないことだと思っている。
上の図は世界人口の推移を示す図です。急速に人口が増えている様がうかがわれます。