葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

自然破壊と我々の暮らし

2010年09月29日 08時04分09秒 | 私の「時事評論」
おかしくなった地球の環境

 一週間前までは毎日が暑く、極限までの薄着をして扇子をパタパタしていても汗が噴き出て我慢ができず、フウフウしていたというのに、一転して長袖シャツに上着でも、寒さを感ずるこの頃である。穏やかに移ろう季節を楽しみ、花鳥風月に恵まれたところであった日本も、最近は獰猛ともいえる気象変化に悩まされるようになった。

 テレビの情報に、「気象庁始まっていらい」との言葉を聞くようになったのはいつ頃からだったか。今年の夏はそれが毎日のように繰り返され、この言葉を聞かないときは、逆に異常と錯覚するほどであった。

 何でそうなったのか。石油など化石飲料を燃やしすぎ、地球が温暖化したからだという。炭酸ガス(CO2)が空中に層を作って漂って、地表の温度を発散させなくなるのだそうだ。世界中、いたるところで森や林が伐られ、乱開発で地球の砂漠化し、川は干上がり土は乾いて海まで汚れ、木や海草によって炭酸ガスが酸素に還元されなくなってきた。南極北極やヒマラヤなど高地の氷が解けて氷河が減少、そのため海面の水位までが上がり、水没する島も出始めた。自然のバランスが崩れてきたと言われている。

 この現象が、日本の温帯モンスーン地帯特有の穏やかな気象を、大陸型の激しいものにし、今までほとんどなかった竜巻が各地で発生したり、田や畑の農産物を干上がらせてたり、逆に豪雨が崖を崩して街を埋めるなどの被害が頻発する。街に猪や猿が集団で出没し、害虫が急に発生し、経験したことのない病気までが急に広まり始めた。動植物の生態が大きく変わってきたという。おかしなことばかりを耳にするが、突き詰めてみると、この現象に遠因すると思えるものがきわめて多い。

 地球の温暖化

 異常現象は人災であるとの説が有力に聞かれる。専門家でないので偉そうなことを断定的に口にするのは憚るが、これは人類の営みによる地球温暖化の影響であると指摘されている。石油や石炭など化石燃料を燃やし、森林をむやみに伐採した主役は人間だ。人は何千年も前から火を使い、木を切倒して大量のCO2を増やしてきたが、それは産業革命で急速に増え、さらに最近の産業高度化で爆発的にその使用量を増加させている。

 加えて大きな問題は人口の増加。19世紀の初頭、10億ほどであった世界人口は、25年間で倍増して20億になり、61年(昭和26)ごろ30億、ピッチを速めて10年後に40億、平成時代に入ると50億になり、今や70億人ほどと推計されている。あふれるほどの人間の増加だ

 環境破壊は進む。森林はいま、年に700万ha以上減っているし、地球全体を緑に覆っていた森林は、いまや陸地の7.7%に過ぎなくなり、砂漠は年間600万haずつ拡大中だ。もうこの辺でデータを並べるのは止めるが、こんな現象が続けば、地球の気象がおかしくなるのは当然だろう。日本周辺の現象を見ても、かつては九州でとれていた農産物が関東平野が中心になり、本州の農産物が北海道でとれるようになった。海も水温が上がり、日本海では沖縄近辺にいた魚が捕れ始め、南洋にいた熱帯魚やグロテスクな生物が日本にやってくるようになった。北洋の魚が周辺にいなくなった。南北に分布する各港ごとの水揚げの種類が、大きく北に動いている。

 芥川の短編「蜘蛛の糸」の再現

 どうやらこれからは、こんな気象が当たり前になるのだろう。このままでは暮らせなくなる。地球温暖化防止は人類の避けてはならない対策だろう。世界人口推移票を見てほしい。こんなにたくさんの人間が、狭い地球に暮らせるのだろうか。地球の歴史を振り返ると、次々にそこに住む生物は入れ替わり、それは繁殖と自滅を繰り返してきた。その原因は地球の温度環境の変化だったという。今度は自然現象ではなく、住む人間が環境を変え始めた。人間はどうなるのか。そのことだけでも心配な状況である。

 人類の生活状況を眺めると、今の世界はまだまだ暮らす人々の水準に大きな格差があり、大多数に属するいままでの途上国の人たちは、これから温暖化の主役であった先進国に見習って、これに追いつき生活の水準を上げるために、化石燃料消費をいよいよ進める。増やすことはあっても減らすことはあるまい。それをまさか、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の作品の血の池地獄から逃れようと蜘蛛の糸をよじ登る男のように、自分だけ助かろうと先進国が下から続く途上国の連中を切り捨てようとすれば、人道に反するし、結果は悲惨な結果を招く。途上国の努力を認めながら、先進国はそれを上回る抑制をし、温暖化防止に取り組むのが義務ともいえる。

 だが、それが可能なのか。途上国の人々は先進国の人口よりはるかに多いし急増中だ。もしそれでこのままいけば、全人類が先進国並みに温暖化に加担すれば、それだけで温暖化はすさまじいものになろうし、第一それだけの資源が地球にあるのだろうか。
 考えるだけで人類の前途は暗い。

 動き出している排ガス削減

 いま、地球の温暖化を防止しようとの国際会議などが開かれて、京都会議以来、日本はその中心になって排出ガス削減などに向かって提案し、自ら率先実施すると宣言、世界に協力を呼び掛けている。日本は先進諸国の中で、最も環境悪化防止技術の面での高度技術をもつ国でもある。この温暖化防止への働きかけは大切だと思うので、精いっぱいに協力もしたい。私はこの種の国際会議で、思い切った方針を打ち出した鳩山提案に対して(経済界などは実現は無理だと反発しているが)、元来支離滅裂で何を思っているのか分からない民主党、特に鳩山さんは嫌いだが、彼のしたこの提案れだけは評価できると思っている。現在の状況では鳩山氏の示した目標の実現は無理かもしれない。だがそれができないならば、人間はかつての恐竜やマンモスのように、この地球上から消えるか、互いに殺し合いでもして、何分の一の人口に減る以外には道がない。進める以外に道はないのだ。そう思うのが、当然の帰結になると、続いている温暖化現象の将来を眺めているからだ。

 いまはまだ、そんな将来などかまってはいられない、今この現在をどう生き延びるかに目を向けることしかできない世界の諸国は、この提案を自国の経済活動を殺す提案だと、素直に賛成する趨勢には無い。あるいは自国の防止策を進めるのでは目標達成困難なので、途上国などの排出ガス削減に協力してその分を自国の目標達成に上乗せしたり、途上国の使える排出ガスの権利を金を出して買うことなどで逃げようなどと、地球の温暖化防止や、途上国優遇の考え方に足並みをそろえず、直接効果の上がらぬ道の模索などを検討している節もある。

 だが、そんなおかしな事態があるとしても、取り組まねば人類文化が滅びかねないのなら、先ずは大いに進めるべき課題だ。日本は現在でも、最新のこの種の技術をもっている。それをさらに進めて、地球の存続の種の技術で栄える国、そんな金メダルを目指すべきだと考える。

 日本の自然観を参考にしてほしい

 だが、世界は排ガス対策さえすればそれでうまく行く状況にはない。それに加えて、地球温暖化防止のためには、既に多くの濃度になっているCO2の濃度を減らし、大気を綺麗に浄化して、円滑な自然のサイクルを復活させること、砂漠化が進む地球をもう一度、植物などが豊かに実る森林や野原に戻すこと、山から海へ、豊かに流れる多くの河川が枯渇して周辺の農地を何も育たぬ荒れ地にしているのをもう一度復元すること、そんな事業を本気で進める必要があろう。

 思い上がってはいけない。人間は自然の大きな現象の中に、他の動物や植物と、調和を保って生きている。それを人間のみが大切なものだ、それも我が仲間だけ繁栄すればよいとみんなが思って動き、エゴイスティックな生活を続けてきた結果が、その精神が現在の人類文明の行き詰まりを迎える基本になってしまった。これからの世界で、人間が豊かな生活を続けていくのには、これが誤った人類の思い込みであり、我々人類も、広い意味での地球と共存し、調和をしながら生きていくのだという大きな心を育てなければならない。旧約聖書の「ノアの箱舟」方式など、求められては困るのだ。

 そんな次元で、私がその参考として拠点としてほしいと思うのは、日本文化の育んできた文化意識である神道である。神道は「人間を自然のあらゆる事象、天地、山川、風水、動植物などの中から生まれた」とする自然信仰であり、それらの自然の事象を大切なもの・神と敬って、大切に生きる道を常に求めてきた歴史をもつ。その発想が基本にあるので、絶対神の生んだ選ばれた者が我々の仲間で、他とは闘争し、自然や信仰の異なるものとは戦って生きるのが道だと教える他の宗教を信ずる者の文化意識とは全く異質のものである。日本の文化はそんな自然との調和、未知の人を大切にする心、人間個人の力の限界を知って協力する共同体意識、祖先・子孫の繋がりを最も大切にする連帯意識などを育みながら、四方を海に囲まれた中で、独特の文化を作ってきた。

 その影響は日本の国土にも出ている。木にも大切な心があるとして、伐採したら必ずそのあとに補植する習慣が現在まで残り、世界の森が陸地の30パーセントに減少した中にあって、69パーセントの高さをいまだに続け、河川は山から海まで治水され、水田主力の農耕地をうるおしている。その連綿として続く自然意識が人の心にあるからだ。今でも日本中、どこでも生水をそのまま飲み、それが安全と保証されているのもそれと無関係ではない。

 精神面を含むこんな環境整備、こんな面も工業技術とともに、世界の見本になるものとして大切に育てていきたいものである。

   ちょっと追加して

 ちょっとこれからの日本の国土保全の問題にも触れて、指摘しておきたいことを最後に蛇足のように一言述べたい。

 日本の多くの山の木は、主力が針葉樹、中でも杉が一番多い。そのため日本では最近春になると、杉花粉が悪者の代表のように言われている。だが、空気中からCO2を吸収して酸素を排出する、こんな面から木々を見ると、最もその能力が高いのは杉である。それはヒノキなど他の針葉樹、ブナなどの落葉樹の倍にも達し、CO2の浄化では優等生なのだ。しかも杉のもっとも空気浄化の有効な時期は植林後50年ごろまでである。

 日本の杉は建築などの用材として戦後の時期に植えたものが中心である。だがこれらの杉が、伐採の時期を迎えて利用されないままに放置され、山は急速に荒れ始めている。良い環境を保持するためにも、これらを伐採して新しい苗に植え替えることが望まれる。それは問題の花粉症対策などにも役に立つのではないか。

 戦後の日本は、値段の安い海外の木々を大量に使用して、コストの少々高い自国の森を荒れるにまかせ、今まで走ってきた前科をも持っていることを忘れてはならない。アマゾン他東南アジアなどの乱開発の原因にもそれはなっているということなのだ。日本の木を活用して日本の森を守る。山や森を大切に守り、その恵みの中で生活することを大切にする。これは忘れてはならないことだと思っている。

上の図は世界人口の推移を示す図です。急速に人口が増えている様がうかがわれます。
 

       




  

対中など外交の基本(私の思い)

2010年09月26日 21時28分16秒 | 私の「時事評論」
 
副島種臣外務卿の外交

 明治維新直後の話である。維新の志士でもあった佐賀藩出身の副島種臣は、外務卿(外務大臣)に就任、中国(清国)北京に日清友好条約締結のための使者として赴いた。
 当時の中国は頑なな中華思想に凝り固まった国であり、外交を求めてやってくる諸国の使節に対しては、一段低いところから清国に対して家臣の立場としての礼を求めるのが当然のような朝貢貿易時代そのままの応対をしている国であった。副島はそれを断固拒否した。そんな事大思想にかぶれていてはこれからの時代に向けて、まともな外交などできないことを堂々と忠告、その態度に感銘した中国側は、日本との間にお互いに相手の国を最大級に認め合う条約を締結、今度は最高級の見送りの礼をもって彼の帰国を見送った。明治4年、日本が開国に踏み切った直後のこと。世界列強に囲まれて鎖国を諦めた日本は、諸国から不平等条約を押し付けられ、基礎も全くない弱小国として前途は全く見通しの立たない状態にあったのだが、日中友好条約は日本にとって最初の互恵条約の締結であった。
 彼は明治6年、そんな厳しい環境の中での外務卿であったが、どんな時でも胸を張り、相手の立場も十分に理解して、正しいと確信する道は断固主張する道を貫き、帰って相手国にも信頼のできる多くの友人や支持者を得た。

 条約締結直後の明治6年、日本に立ち寄ったマリアルーズ号が、マカオにまだ残っていた奴隷市場で、禁止されたはずの中国人の奴隷を大量に載せ、アフリカに運ぼうとしている船であることを英国公使ワトソンから聞くと、この船の船長らを拘束し、日本からの出国を禁止した。そして奴隷となっていた数百人の中国人を上陸させ開放するまで、この船の出港を認めなかった。当時の欧米諸国はこの日本の外務卿の行動に各方面から猛烈な圧力をかけたが、彼は決して決定を曲げなかった。「行かんと欲すれば千万人否と雖も我行かむ」。彼はそんな外務卿だった。

 この事件は、最後は国際裁判に持ち込まれたが、最後は副島の人道主義的決断が正しかったと認められ、逆に当時の中国の施政権を奪われた植民地での奴隷市場自体をもつぶす動機ともなったマリアルース号事件として世界に知られている。当時は一小国にすぎなかった日本が、大きく認められる動機になった。

 副島卿はそののち、沖縄宮古島島民が台湾人に虐殺された宮古島島民殺害事件で再び北京を訪れ、その解決法などの交渉でも功績を上げたが、西郷隆盛などと提起した征韓論争に敗れて下野し、しばらく政界から身を退くこととなったが、私は真の勇気をもった外交官として、副島卿に憧れている。
 註 これはこの論から外れるが、明治初期の西郷隆盛や副島種臣などの主張した征韓論は、一般には韓国を武力によって制圧する強硬策であったと誤って信じられている。これはのちの研究者が調べもせずに、反対に受け取った誤解である。アジアの民をすべて友人として扱うことを日本の義務と信じていた彼らから、こんな結論は出てこない。そんな政策は欧米流の帝国主義の発想である。新しい研究も次々に出ているので、よく知って歴史を眺めてもらいたい。

 明治維新の外交姿勢を範とせよ

 日本の対中外交、対周辺諸国外交は、こんな外交からスタートしている。その後の日本外交の足取りには、日本政府の中にも新しい連中が加わることで、少しこれとは違った要素も加わってきたようだ。明治維新の当時に維新の功労者たちが夢見ていた、西欧列国が分け合うようにこの世界の支配権を強める中で、東洋という有色人の国も協力して、対等に繁栄する道を探ろうというのが日本外交の目標だった。日本はその希望の星にならなければならないという理想があった。その夢は、日本の政治の中にも西欧風の教育を学び、中には欧米自身と同じように覇権の勢力を伸ばすことが、欧米に追い付き、つぶされないようにする道であると信ずる勢力が新たに台頭してきて、歴史においても往々に「これでよかったのだろうか」と思われるような迷走をすることも出てきたが、基本においてはほぼ継承されて、大正の時代あたりまで続いてきたと思う。

 国際会議などの場での日本の世界に対して主張してきたものなどを見ると、人種平等、白人と有色人との差別撤廃、低開発国の権利擁護など、この種の日本人の明治維新にかけた理想を追求する主張が多い。それらの議案や提案は、ことごとく規制の欧米諸国の権利擁護と対立するので採用されなかった(皮肉なことだが、これら日本提案への反対勢力の最も強硬な国は、自由・平等をスローガンにしているアメリカだった)。だが、21世紀になってからの世界の潮流を見ると、当時の日本が主張していた流れが、ようやく世界の認めるものとなってきたのを感ずる。

 私は自信をもって、当時の副島外務卿などのような気概をもって、日本国は進むべきだと考えている。世界のすう勢は、いまそんな姿勢を支持する環境に変ってきているのだ。

 今回の事件の後に

 今回の尖閣での船長逮捕とその後の日本の取り組みは、こんな従来の日本の理想から見ると、大きく外れているといわなければなるまい。今回の中国側の対応を見ると、今後もかさにかかって中国側が日本に攻勢をかけ、再び三度、尖閣周辺の我が国境無視の事態が発生したり、別の角度からの日本への揺さぶりが多発することは十分に予想される。中国は今、領土問題では妥協をしないという方針を掲げて周辺諸国に進出を試み、各地で紛争を生んでいるが、それは彼らの強引な拡張意欲であると同時に、国民の関心をこの種の問題に向けさせるガス抜きさせて政権を維持するという効果をも狙っているものと見るべきだろう。

 日本としては、ここではっきりと尖閣列島は日本の昔からの領土であり、その日本帰属は国際法上はっきりしていることを明確な証拠をあげて主張すべきであろう。そしてまた、同様の領海侵犯が起こった場合は、真正面から領海侵犯で毅然たる姿勢で対応することが必要だ。日本側が遠慮したのか、弱小国であると卑屈に知事困っているのか知らないが、堂々と行動せず、姑息な公務執行妨害などという法適用で逃げようとしないほうが結果は世界に理解されやすいものとなる。そんないじけた対応ををするから、主権を守る国境侵犯の行動があいまいになって、正統性が認識されないものとなり、中国国民の愚かな行動を助長するだけの結果になる。侵略があれば、真正面から取り締まり、わけのわからぬ妥協は簡単にしない。外交という表舞台に結び付けて、はっきりした透明性の高い対応ができるようにすべきだろう。菅首相は」透明性の高い政治をスローガンにしている。今のやり方は不透明そのものだ。

 このほかにも、日本に対して中国からの圧力まがいのこともあるだろう。だが日本として、求めることは礼儀正しい中国との友好関係の樹立である。お互いに信頼と平等をもちあって、ともに生きていく道を協力して求めていくことである。だがそれを勝ち取るまでは、断固たる姿勢もまた必要なのだ。それまでは相互に多少の面倒なことがあっても、独立国として将来のために両国関係を求める冷静な目と、常識を貫く客観性を失わないことである。

 経済問題や文化交流などにまで、摩擦はしばらく広がることがあるかもしれない。これは日本ではなく、中国政府の決めることなのでどうにもなるまい。ただ堂々と説得するだけだ。それらの問題には大人として、冷静に対応することである。それらの摩擦に耐えられず、相手に屈する国ならば、いつかはその欠陥を利用されて独立は破壊される。そんな日本になっているのなら、犠牲がいかに大きくとも、それを埋めて生き残る努力をするのは日本という国の自己責任である。

 国際分業は理想的だが

 これからの高度化された文明社会に生きていくために、それぞれの国の特性を生かして、国際分業を進めていく潮流は否定できない。しかしそれと同時に、分業の持つ欠陥に備えることも重要な国の仕事である。ある国に事故があった。あるいはある国と不幸に交流の意図が一時的にせよ切れることになった。そんなときに、非常緊急のこんな事態に、国が生き残る体質であるように常に備えるのも、軍備よりもはるかに頻度の高い国防の問題である。ただただ目先の享楽の中身が濃いように、備えも忘れて暴走する。そんな国はひと夏で生涯を終え一瞬のみを楽しく生きるアリとキリギリスの寓話の中のキリギリスのような存在である。

 日本の国には、そんな事態の備えることに費用をかけることをつまらないことと見るキリギリス的風潮が強い。しかし普段から、こんなことに務めていないと、一旦何かあったら大変なことになる。まじめにこれに取り組む努力も続ける気風を育てよう。

 そして最後は国の自衛だ

 私は軽々しい武力の行使には賛成しない。武力の行使は、他のあらゆる努力が使えなくなったときに、最後にやむなく使用する凶器だと思うからだ。

 だが日本は独立国である。国の主権を守る最後の力は自国の力で確保しておかねばならない。外国と相互防衛協定などを設けていても、外国は必ずしも我が国を守るとは限らないことを知るべきである。それはどの国も自国の主権を守ることが最も重要なことであり、時と場合によってはそのために、援助をしない選択もするからである。自分の国は自分の力で守る。それは世界の国々にとって生きていくための常識である。

 今の日本は日米安保条約で、アメリカが我が国の主権を守ってくれるという仮定の上に防衛力の中心をおいている。それは米国にとって総合的に援助が有利と判断したときのみに、日本を守ってくれるに過ぎないものと考えておかなければならない。

 鳩山内閣の時代の沖縄基地移転論争などではっきり国民は知ったように、在日米軍基地の中心は沖縄の海兵隊基地である。なんで沖縄なのか、そしてなんで海兵隊が主力なのか。真剣に彼らが日本を守るために駐留しているのかとの角度からこの問題を考えてみたら、容易に気のつくことである。そうだ。米軍は東シナ海、朝鮮半島、南洋諸国、台湾、中国などをにらんでここに配置されている。日倍安保で彼らが日本侵攻をもくろむ外国を本気で阻止しようと配置されているのなら、むしろ脅威は日本海や太平洋、そして北方だ。日本列島の各地や首都中心に基地は展開されているのが常識である。

 日本人は国の主権や自分らの命を守る大切な役目を、こんな形で預けてしまって顧みないでいる。この問題も、もっと真剣に考えなければならない問題なのだ。

尖閣列島での大失策

2010年09月25日 22時44分22秒 | 私の「時事評論」
 拿捕事件の波及

 お手並み拝見どころではなくなった
 菅内閣が発足した先週、私はこのブログで先ずは政治のお手並みを拝見して、その進み方を見ようという感慨を述べた。
 だが、そんなのんびりした言葉を並べていたのでは、大変なことになるかも知れぬとの強い危惧を感じさせられる事態が相次いで起こっている。
 続く円高の為替相場への政府・日銀の介入の問題、尖閣列島領海侵犯の中国漁船拿捕の問題へのその後の日本の取り組みの問題、一連の菅新内閣の外交の展開、検察の取り調べに当たっての証拠書き換え事件とそれをもみ消していた体質の発覚。まだ内閣が代わって、国政を論議する国会さえも開かれる前なのであるが、相次いで起こる事件は、政府がどのような対応をするか、考えさせるようなものばかりである。
 一言で言うならば、どうも菅内閣は素人集団。情報把握と読みがいかにもアマチュアで、これで現実政治に取り組めるのだろうかと不安になる事態が連続して起こる。
 国内の状況や世界の環境は、いくら日本の菅内閣が、いまだ発足まなしの仮免許の練習中であるからといって、その間は日本政府追及の手を休めて、首相の技術が軌道に乗るまでは待ってやろうかなどという甘いものではない。

 途中までは失策も少なかったが
 その中で、尖閣列島の領海内で、領海を侵して操業する中国漁船を海上保安庁の巡視船が発見、停止を命ずると巡視船に体当たりして逃亡を続けるのでこれを拿捕、船長を逮捕した。今回はこの問題への一連の対応から、隣国との外交交渉のあり方について、これはとんでもないミスだと思うので特に取り上げてみたいと思う。
 逮捕した際に根拠とした罪名は公務執行妨害であった。罪名にどの法を根拠にするかには、船長の身柄の拘束から少々時間がかかっている。おそらく検察庁と連絡して検察は政府とも相談したと思われる。中国がこの島を自国の領土だと主張していることもあり、日本側はそれを根拠なきものとしてはいるが、中国との摩擦を避けるために、領土問題での対決を避けてきた。そこで今回も、巡視船での公務遂行を妨害しようとしたとの国内刑事事犯としてのみ船長を逮捕することにしたのだろう。私はこの中国の出方に遠慮した初期対応も、却って中国がそののち、日本に対する強硬な姿勢に出てくる決断につながったと見ているが、現代の日本の風潮は基本的に中国に対して弱腰で、かねてから朝貢貿易的だとの国内の批判を浴びている中で、特に弱腰の民主党政府である。ため息をつきながらも我慢はしよう。だがこんな弱腰対応を指導した中央はともかく、実力逮捕に踏み切った現場の巡視船に対しては、任務に忠実であったと思っている。
 果せるかな、中国側はあげて日本政府批判に強硬な反応を示し始めた。もともとこの列島は19世紀の明治維新以前より日本(琉球)の実効支配のもとにあり、明治12年に琉球が内務省の直轄地に組み入れられて以来、日本人が時には200人以上も住み込んで経済活動に従事、国際法的にも日本の所有を明瞭にしている列島である。あまり例としてはあげたくないが、その証明にもなるのが、先の大戦後には、ここは沖縄とともに米国の施政権のもとに入り、対米返還交渉の結果、沖縄とともに、日本領として米国から戻ってきたという経緯もある。だが昭和43年の国連の海洋調査で、海底に油田があるらしいと発表されると、台湾が米国の石油会社にその採掘を認めて領土宣言をしたり(昭和45年)、中国の武装漁船団が侵犯して(昭和53年)領土宣言したりの混乱が生じ、日本側も灯台を立てたりして現在にいたっている。領土は国にとってまず守るべき基礎である。そしてここは、国際法上は様々な実績や証拠から、日本領であるのは明確であるのだが、日本政府が毅然たる姿勢を示さないので(これは民主党ばかりではなく、その前の自民党と手同様だったのだが)、これが無用の紛争を拡大させる結果となっている。
 船長逮捕の報復として中国より様々な圧力が加えられる中、政府は米国から、尖閣列島は日米安保条約によって米国も防衛に責任を負う範囲に含まれるとの証言を得た。米国が日本の後ろにつけば、これ以上に問題を中国も拡大させないと思ったのであろう。そしてその直後に、逮捕した船長を処分保留で釈放してしまった。仙石官房長官は、「釈放は検事局が独自の判断で行ったものだが、その措置を評価する」などと言っているが、当の現地での責任者の釈放発表が、「日中問題の紛糾を避けるため」との、検事局段階のとるべき判断ではなく、政治的なものであることを明確にしており、政府の判断であったことは、多くの証言や観測から明瞭である。

 米国に頼って外交を見誤った
 今までの日中間の紛争や、中国が頻繁に行っている周辺諸国との領土侵犯事件などから今回も容易に推察されていたのだが、中国は国内を外に敵を求めて維持する政策をとっているので、領土紛争などで妥協はしない。船長の釈放を勝ち取り、彼を自国機で帰国させるや、中国政府は日本のとった船長逮捕に強い抗議の声明を出し、謝罪と補償を要求すると声明した。日本政府が中国の圧力に恐れて引き下がったのだから、これを機会にさらに大きな成果を勝ち取ろう都の露骨な姿勢である。
 菅内閣は、かねてより正当な日本の領土宣言している領海を侵犯した船長を逮捕したのに、一歩下がって巡視船の破壊や警察行動の妨害など、軽い公務執行妨害で中国に対して日中友好のために衝突を避ける譲歩の姿勢を示した。さらに直接中国にではなく、大国である米国国務長官が、「ここも日米安保条約の範囲に含まれる」といってくれたことが中国への圧力になると判断して、この船長を巡視船破壊の保障さえも処分保留のままに釈放した。これだけの譲歩を日本が一方的にすれば、中国側もそれに応じて穏やかに引き下がってくれるだろうと判断したのかもしれない。
 だが、中国は日本の低姿勢と見て、まだまだ押せると、いよいよ高飛車な態度に豹変した。日本の態度はまさに国益をかけた外交というものの性格を全く知らぬアマチュアだ。国内の日本人同士の社交意識で見れば、これも一つのやり方かもしれないが、国益をかけて必死でせめぎ合う国際常識から見れば、とんでもない大失策である。まるで剣道の対決試合で、「お面」をとれる状況で、相手に同乗して軽く相手の腕を払って技ありをとろうとしてみたら、そのすきを突かれて頭に一発「お面」を食らった馬鹿剣士といったところである。

 一方的に敗北の道を選んだ政府
 中国は逮捕された船長を石垣島空港まで迎えに行き、本国に花束を渡して出迎えた。国内にある政治不満のエネルギーを、日本を悪者にして避けるための周到な儀式だ。そしてこれを日本の不当逮捕であるとして、日本に謝罪と賠償を要求すると発表した。さすがにこれに対しては日本外務省が報道官の談話を発表、尖閣諸島は我が国固有の領土であるのは国際法上も疑いのないところであり、現に実効支配を行っている。謝罪賠償要求は根拠のないものとの談話を発表しているが、事件発表以来、日本側がこれを拡大させまいと一貫して低姿勢を貫いたのに反し、中国側は終始して強引な報復を繰り返し、日本の主宰する外交儀礼や会議、イベントをボイコット、レアメタルなど希少金属の輸出禁止などの経済圧力、尖閣近海での一方的な油田開発事業での挑発、日本人芸能人の中国での公演ボイコット、日本への中国人旅行の規制、中国での邦人逮捕など、打てる手を次々に打って日本に圧力をかけようとし対照的な動きに終始した。
 中国政府は最近国内に燻り出した政府への批判のエネルギーを、日本への反感でガス抜きさせることに成功し、さらに結果として、今回の事件は国際的に見ても、弱腰の小国日本が、強硬な大国にねじ伏せられ、国際法上の正当な権利すらも行使できなかったという印象を強めることになり、日本の権威が著しく傷つけられる結果を作り上げてしまった。
 
 主権の重要性も主張し得なかった政府
 国にとって最も重要なことは、国の主権をどんな場合でも維持し、まもることである。そのために外交という手段があるし、直ちにこれに結び付けることには問題もあろうが、最悪の倍には武力を用いても国は主権を守ることを国際法は認めている。
 だがその国の主権の保持を自ら放棄してしまった菅政権に、日本の政治を行う資格があるのだろうか。考えてみるべき時だろう。
 しかも今回の菅政権の唯一の中国に示そうとした領土の防衛に関しての措置は、民主党鳩山政権が自らの政治の拙劣さで、それまで自国の防衛を守ってもらおうと結んでいた日米安保条約を危うくしたのを、再び米国に近づいて、その大国の力に頼ることにより、中国を牽制しようという交渉だけであった。自らの積極的な動きはしなかった。だが私は米国が自らの犠牲をも顧みず、断固として日本を守るなどという空想に浸って満足などしていることは最も危険なことだと確信している。自ら汗して血を流し、自国の安全は守るものであるのが基本である。
 国の権威を守る務めは菅政権だけではなく、全国民の均しく負うべきものである。現在の日本には日本の安全は自分らの力で守らねばならないと思う気風さえ乏しく、誰かが助けてくれる、悪いことしなければ相手は攻めてこないといった空想にふける体質が国全体の空気となっている。こんな情けない精神気流が、いよいよ民主党の菅政権の頼りない政治を生んでいる基盤になっているのかもしれないとは思う。これが民主党の内閣ではなくほかの政党の内閣だったらどうなったか。この事件に対して各党が談話などを発表しているが、どの談話にもその気概は感ぜられないことなどは、大きな欠点であるといわざるを得ない。世界が食べたいと思う太った豚(日本国民)は、警戒心もなく、厳しい国際環境の中で鼻ちょうちんで昼寝をしているような姿でいる。
 しかし日本は古代のインカ帝国のように、自らの国土を占領され、国民は追放されたり外国の支配のもとに組み入れられ、文化を断絶し死に絶えた世界遺産にする道を望んでいるのだろうか。これは決して私が冗談で言っているのではない。世界の歴史はそんな愚かな気風に染まって消えていった多くの国があることを示している。
 まじめに考えたい問題である。


新しい内閣の船出

2010年09月20日 17時55分40秒 | 私の「時事評論」
お手並みを拝見しよう

 与党を二つに分けた激しい総裁選が終わって、菅直人氏が引き続き政権を担当することになり、新内閣が発足した。もともと私は民主党の支持者ではないし、だいいちこの党の政策がどこを向いているのかさえ、はっきりしない民主党なのだから、前途に関して、何もしない前からコメントしようにもそれはできない。

 だが、世界の諸国が輸出力の増強と景気の回復を狙ってなりふり構わぬ中で、狙い撃ちにされた円高は世界共通の合意のような様相を見せる中、このままでは輸出に頼る日本経済は息の根を止められかねない情勢にある。しかも、連続する放漫財政で、国庫赤字は国民総生産の二年分を超す状況にまで膨れ上がり、財政は破たん寸前の情勢。しかも国内を見回すと極度の国民の高齢化で、このままでは老人地獄がやってきそうな中で、産業の空洞化で、労働層の失業問題も深刻な事態になっている。加えて周辺海域は中国・韓国・ロシアなどの脅威にさらされ、国の自立が強く求められる時でもある。

 これらの緊迫した諸問題に対して、どのような対応を新内閣がすることができるかへの国民の期待には強いものがある。まずはお手並みを拝見しよう。
 

 政治は政治家のものではない

 政府が本気で日本国のおかれている立場を改善しようと立ち向かうとき、大きな課題とされているのがねじれ国会の現状である。与党民主党は衆議院では過半数を優に確保しているが、参議院では半数に満たない。国政を全うするためには党派の枠を超えた他党からの賛成票を必要とする。

 しかし今の政局を見回すに、野党はいずれも自党の勢力拡張のみを目標とし、日本国の政治が彼らの行動によりどう阻害されるかの国政の実害に関しては無関心である。与党の民主党自身が、一年前に政権を担当するまでは、なんでも反対で現下の政治よりも自民党政府を機能麻痺させるのが第一目標だったので、彼らが政権をとって、逆に今度はかつての民主党の立場に追い込まれた自民党はじめ他の諸党により、彼らが常套手段としてとってきた同じ戦法に苦しめられるのは当然といえば当然のことではあるが、我々国民にとってこれは極めて由々しき問題である。

 日本国の政治は日本国民のものであって、政党の占有すべきものであってはならない。この原則をいかにして国会の場にいる政治家(議員)どもに理解させ、政治を国民のものに取り戻すか、そこに大きな関心をとたなければならない秋だと思う。



 先ずは目先の暗雲の排除を

 新内閣の取り組むべき態度は、先ず何としても、緊迫した国家の病状を排除することにあると思う。

 今の日本はデフレとそれに伴う経済活動の停滞化に悩まされている。円高は、一時的には低価格の輸入を増やし、有利な条件での海外とのものの交換を可能とするが、その反面に輸出に頼る工業製品の生産に大きな支障を生みだし、日本国内で大きな比重を占める産業の行き詰まりを招く。あるいは国内での農水林産物などの生産への輸入製品との競争力をさらに弱め、物や通貨の回転力を弱め、経済を停滞させる作用を生む。産業の停滞は多くの失業者を生み出し、税収を激減させ、社会福祉への財源を圧迫し、日本経済の規模を縮小させる。

 この悪循環から脱却するためには、円の交換比率を世界通貨にされているドルに対して1ドル100円程度が目途だとされているが、為替操作は国際的に利害が対立するだけに国や日銀の相場への単独介入では思った成果は期待できず、国内経済に対する通貨対策、景気刺激の経済政策を必要とするだろう。

 それと合わせて問題化している高齢者の生活保障の問題や福祉の問題、いずれもかなりの費用負担が求められる問題であるが、高齢者にとっては、今は我慢して貰って将来を待てと言ってもそれまでには不満の中で死んでしまう。これは喫緊の問題である。

 さらに今の政治には領土をめぐる緊迫化した情勢や、沖縄基地や防衛問題など解決を迫られる目先の課題がある。


 求められる中長期的国家の基本姿勢

 日本国にとって、特に大切なのは自立できる国、国民が安心して毎日の生活のできる国に体質改善することも、大切な課題である。そしてこれこそ、民主党政権がどこを向いて政治をするかの姿勢を国民に示すものになるのだろう。

 そのためにはまず、私の内閣に対して臨むメッセージを示しておきたいと思う。

 私は新内閣に、日本という国の構造を育んできた文化の特徴をよく知って、日本らしい調味料の効いた独自のものに作り上げ、それを基に日本という国の世界の中の座標軸を定めてもらいたいと願っている。

 座標軸を定めるということは、日本国がどのような個性や特徴をもつものであるかを世界にはっきりと見せ、評価を定めることである。現在は閉鎖的な鎖国の状態ではないのだから、世界という大きな機構の歯車の中にあって、日本が必要欠くべから国である点をはっきりさせることが必要である。私は徹底的な保守主義者であるから、個人的に主張する方向は、ここにあげるよりはるかに徹底しているのだが、少なくとも日本を纏めて引っ張っていく政府として、日本の持っている世界に誇りうる価値を良く見えるようにし、世界が欠くことのできない歯車として日本を認知せざるを得ないものへと持っていくことの必要性を痛感している。

 よく「普通の国になろう」という言葉を聞くことがある。大国として、いうことを聞かない国々を力で屈服させてでも自国のわがままを押し通そうとする国も世界には多い。だが私はそんな自分だけ良ければ他の国々はどうなってもかまわないという圧力を振り回す国には私もなってほしくはないと思う。そんな発想は日本国にとって不要だと思う。だいいち、いたわり合って生きてきた農耕社会的な穏やかな共同体の歴史を今まで歩んできた日本に、威を張るような大国主義は合わないし、とってはならない道だと考えている。

 しかし現在の世界は、キリスト教的な自らの信ずる「正義」の自己流の概念を、自国内にとどまらず世界に押し付けて歩くことが国家正義であるかのように信じて動く大国が、必要以上に大きな力をふるって、19世紀より作り維持してきた世界秩序が行き詰り、国際的な摩擦をも生みだす時代となってきた。世界には多くの文明があり価値観がある。それらはすべて、自由に自国の文化を発展させる自由がある。それが相手に迷惑がかからぬ範囲において、均しく尊重さるべきだと私は考えている。

 だが現在の世界の構造は、従来のように、強国が多くの国へ強引な権威を押し付けて、中小国を力で圧迫する国際関係では満足に動かしがたい環境になってきているのではないか。逆に従来からの大国の振りかざしてきた横暴が、全世界のいきづまりを迎えるもとにもなってきている。それらが環境問題であり、文化摩擦であり、民族対立や宗教対立、様々な問題を生んでいる。

 そんな社会のギスギスした対立を打開するキーワードを日本の文化という、今までは長い間鎖国状態にあり、その後は急速な欧化の流れで見失ってきていた日本の文化は果たすヒントをもっているのではないか。私が常日頃、日本文化の見直し、復権を主張し続けてきた真意はそこにある。自然との共存、物を大切にする心。いたわり合う心、つつましやかな生活を美徳とする心、ドグマや教条に先入観として犯されない心、多様な信仰の共存、共同体意識、まろうど信仰、祖先崇拝・・・・。

 日本文化への見直しをする政治の出現、私はそれを期待して眺めているのだが。

  










日本は独立国だーー1

2010年09月12日 18時48分52秒 | 私の「時事評論」
領土の保全はどうなっているのか

 尖閣列島での中国船長逮捕

 海上保安庁の巡視船が尖閣列島で領海を不法に無視している中国漁船を拿捕しようとしたら、巡視船に体当たりしてきたので船長を公務執行妨害で検挙したという事件が発生した。
 尖閣列島はかねてより日本固有の領土であると日本は主張しているが、最近になって中国が領土権を主張、その帰属をめぐって紛争になっているのはよく知られるところ。
 それに対して日本側が強硬な主張をためらい、国民の間にはストレスが生じていた。そんな日本国民の中から、今回の海上保安庁のとった態度に賛辞が聞こえてくるのだが、私は「だが待てよ」との意見を表明したい。今回の海上保安庁の逮捕の罪状は公務執行妨害。日本の巡視船の行動を妨害して抵抗をしたためと、核心の領土主張からは外れたものになっている。中国側では政府が直ちに日本政府に抗議をしたり、住民が北京の日本大使館前で抗議集会などやっているようだが、良く見ると、日本側が断固たる領土主張に踏み込んでいないきらいがある。
 私はそんな日本の態度に大きな不満をもってこのコラムを書いている。

 領土の確保は国際社会の国家の義務であり基本なのだ

 尖閣列島は日本が江戸時代から日本の領土だと主張して、日本人が平穏に経済活動をしてきた日本国の領土である。そしてこれには最近まで外国からの不満の声も上がらず、国際法的にも日本の領土として認められてきた。だが近年になって周辺に膨大な石油など地下資源が眠っているかもしれぬと注目されるようになると、急に台湾や中国が領土権を主張し始めた。
 日本はいま、周辺に多くのこの種の紛争を抱えている。ここにあげた尖閣列島の問題もそうだが、我が国が領土権を強く主張しているのに、既に韓国の占領状態が固まりつつある竹島の問題、先の大戦ののち、ロシアにより不法な占領をされたままである千島など北方領土などがそれだが、なぜ日本にはこの種の周辺諸国との領土紛争が多発するのか、これは深刻に考えてみなければならない問題だ。


 国も国民も領土を守る決意がないこと

 国というものは何のために存在するのか。その決意が日本にはないのではないか。私は日本の領土主張や紛争を見るたびにいつもそう思い、その姿勢のあいまいさが相次ぐ紛争を招く元凶だと残念に思っている。
 国民の生命、財産、それに国の領土を守ることは国が存続するための基礎になる条件であり、どのような手段を用い、どのような方法をとってもそれは国際間の「正当行為」であり、権利であると認められている。この種の紛争は、起こった場合は当事国間を中心とする外交交渉によって、武力衝突なしに解決することが望ましい。しかし、日本の主張する領土の主権が、相手国に無視されて侵されるときに、断固たる姿勢をためらうとどうなるか。事態はそれを示しているのではないだろうか。
 日本の領土主張が踏みにじられても、実力行使でそれを排除しないままでいると、領土は犯されっぱなしで回復されるめどは立たない。

 日本にも領土を侵す外国の侵略を阻止するために準備された軍に準ずる組織はある。自衛隊だ。だがこの組織、自国の権利を守ろうとしても、厄介な国内の法手続きにがんじがらめに縛られていて、非常緊急の事態などに対応できる組織にはなっていない。
 しかもその指揮権を預かる政府は、現場で領土侵犯などの非常事態を即座に取り締まるというよりも、国民の中にある力ずくでも権利を守るという行為に対するアレルギー現象ばかりを気にしていて、緊急対応がほとんどできない状況にある。最後には武力を用いてでも日本の権利を守るという行動ができない自衛隊は、相手から弾が飛んでくるまで、こちらは発砲できないような状態である。これではなめられてしまうのは当然である。
 日本国の安全を守るよりも、憲法はじめ諸法や規則を守ることに汲々とし、現実にはほとんど機能を発揮できない自衛隊。日本の領土権を主張する竹島は既に韓国軍までが駐留し、日本の軍の監視や警察権までが排除されているし、尖閣列島は中国海軍がわがもの顔に遊弋し、日本の領海、領空は不法侵犯の連続である。

 国民はもっと国の使命を知るべきだ

 今から65年前、日本は大東亜戦争に戦い敗れ、米・英・中国などの占領下におかれた。その時日本を占領した諸国の主力であった米国は、日本が再び国際社会での発言権(力ではなく権である)を行使し、国際社会の仲間入りができない隷属国としてしか生き残れないようにと、国の正当防衛件までを無視した憲法を押し付け、徹底的な日本国民の洗脳教育を行った。
 日本国は何事も先進国である米国や英・仏などを見習って、それに近づく努力をし、顔の色こそ黄色いが、二流の西欧人になることを理想にすべきだ。口は悪いが洗脳はそんな目的をもって実施された。
 そんな洗脳に合った日本人は、いらい国とは何かが分からなくなってしまった。国とはその国の領土の保全や国民の生命・財産・主権を守るために、国が存続する限り守る努力をする機能を持っている。それはもちろん、穏やかな外交交渉で解決できるものは解決にあらゆる努力を傾けるが、相手が聞かなく無法な侵犯をしかけてくるときは、武力を用いてでもそれを断固として守り貫く。それが国家の機能の基本である。その国の機能はここに住む国民のための正当防衛権の発動だから、国民は均しく国家に協力し、国を支えて守る義務を負う。
 簡単な理屈だが、国土防衛さえも必要ないものとして、誰かが我々を守ってくれるだろうからと、甘えて世界を見る癖が国の中に充満してしまった。これぞまさしく占領政策の狙いそのまま、日本の独立国としての誇りを奪い去り、困った時はどこかの国に隷属すればよいという国家破滅の状態だが、こんな状態が今の日米安保条約によって、日本が安全でいられると勝手に信ずる体たらくともつながっている。

 独立国なら独立国らしく。
 
 日本国は厳密にみると、国の体をなしていないと私は見ている。だから北朝鮮による我が国民の我が国土からの拉致がはっきりしても、国としての断固たる結論が建てられないでいる。国民はいつまたこんな風に拉致されるかもわからない。あるいは竹島のように、いくら日本地図に領土だと記載して領土権を主張していても、実質的には占領されてしまっている。尖閣列島のように、あれだけはっきり江戸時代からの領土としての実績が重なっているところでさえ、堂々と侵犯されても対抗できないというような事態が重なってしまう。
 尖閣列島の侵犯漁船を海上保安庁が捕まえたのは、国境侵犯ではなく、国境問題には触れないように、彼らが巡視船に体当たりして、警察行動を妨害したという公務執行妨害の疑いであった。何たる姑息。
 領土主張をするからには、領土侵犯を取り締まるには、我が国の領土を守る自衛隊こそが最前線に立ち、いかなる力を行使しても領土を守る姿勢を断固として示さなければならない。それこそが我が国防衛機関の義務でなければならない。彼らは武器の使えぬ張子の虎であってはならない。
 それだけの強い意思表示があってもなお紛争に発展すれば、国際紛争の解決機関にゆだねて決着を図るなり、あくまで力で対決する以外に道はない。
 そんな決意も示し得ない国は、もはや我々の信頼できる国とはいえない。

 私は何も、この種の紛争は、武器を使用すべきだとのみ、主張しているのではない。だが現状のように、日本の領土主張を踏みにじり、あるいは領海や領空を侵犯し、ひどい時には上陸して国民を強引に連れ去っていくような行為が頻繁に起こる背景には、日本がそれらの違反に対して断固たる措置を取りえないとの意識が周辺国にあることを意味していると思う。

 こんな状態を放置していては、やがて日本の権利は無視される状態になるのは見えきっている。紛争を好むものではないが、それを阻止するためにも断固たる国の対応を求めるものであり、それと同時に、国民自身が、そんな姿勢を強く支持することを求めたい。
(写真はすでに韓国が乗り込んでしまった竹島)

敬老の日に思う

2010年09月06日 17時10分59秒 | 私の「時事評論」
敬老精神いまいずこ


 敬老の日を前にして

 来る9月20日は「敬老の日」である。「敬老の日」は昭和41年以来、国民の祝日として9月15日に指定されていたのだが、国民の祝日というもの自体に関して無知な国会議員たちによって、単に連休を増やせば国民の人気が良いだろうとの軽率な空気の中に、9月の第三月曜日に変更されてしまった。国民の祝日は単なる休日ではなく、国がこの日を期して、国民に訴えかける日であることが本来の祝日である意味だと思う。そのためには本来、定まった日であるべきなのは当然である。
 もっともこの敬老の日の移動には国民各層からの反対も多く、以前の休日であった15日は、「老人の日」と指定され(祝日ではない)、この日を中心に老人福祉週間が実施されているというのだから、わざわざそこまでしてこの日を移動させたのは全く意味はなく、ただ祝日の意義などを理解しようともしない国民の一部の、票を目当てに国の法を変えた失政の一例だったといってもよいだろう。


 この日を動かした弊害は随所に出ている。一番大きいのは、この日が祭日である全国の神社である。鎮守の例祭は、村や町をあげてにぎやかに楽しみたい。ともすれば社会の連帯の機運が欠け、復活が強く求められる現代である。
 農閑期で気候もよく、多くの神社の祭日にされているこの日は、まつりを楽しみ、年齢層に関係なく皆が集まり、和やかに時を過ごす楽しい一日として、人気が高まりつつある一日であった。
 神社の多くでも神社のまつりに「敬老祭」などの行事を加え、地域の老人たちを招待したり、まつり自体にも老人たちも多数参加して、老若合い交わる楽しい企画が育ちつつあった。
 だがそれも休日が定まった日で無くなったので、ほとんどがさびしい現状になってきている。
 この日があてられていた老人と若者と、そして子供たちが加わっての行事は全国に多かったのだが、それらもそろって企画の練り直しが求められている。


 敬老の日の起こり


 敬老の日は以前から日本人の中に歴史的根拠のあった特定の日が休日になったのではない。そんなところは1月15日の成人の日と似たところがあり、それだけに安易に祝日を変更された標的にされたのかもしれない。

 この日の根拠に関しては、聖徳太子が初めて老人福祉施設を設けた日であるとか、用明天皇が岐阜の養老の滝に行幸されて、親孝行の木こりに感心された日であるなどと、いくつかの俗説があるが、あまり説得力がない。
 ただ昭和22年、兵庫県の野間谷村が「年寄りの知恵を借りて村づくりをしよう」と村民に呼び掛けて、9月15日を「年寄りの日」と定めて敬老会を開いたのがきっかけであるというのは事実のようだ。その運動が数年後には県内各市町村に広まり、後に全国に普及して、地方自治体の呼びかけが国民の祝日になった貴重な休日とされている。押し付けたものではない。人々が作り出した祝日なのだ。

 いずれにせよ戦後、大家族の崩壊が近代化の旗印のように宣伝され、核家族化が推奨される空気の陰で、子育てが終わると子供たちが家から出て行ってしまい、社会から取り残されていきつつある高齢者を、何とかしなければならないというのは、国民たちにある強い危機感であった。

 いまの文化を伝えてくれた先輩として敬意を表し、大切にしていくことは、決して時代遅れなのではない。日本にとって大切なことであるとの認識は日に日に強まってきている中であった。そんな精神運動としても、この休日は歴史こそ浅いが、それこそ国民生活にとって必要度の極めて高い休日であった。



悲惨な境遇にある老人たち


 総務省の発表した年代別人口統計の変化を眺めてみよう。日本の人口は急速に高齢化をしている事実がわかる。最近のデータをみると、65歳以上の高齢者は2800万人、70歳以上が2000万人にも達している。

 老人は国の福祉で世話をすればよい。それは戦後の日本で教えられたことだった。だが、我が国は膨大な国家財政の赤字に悩まされており、データは、国がこれらの高齢者を中心になって支えて、将来も進んでいくことがもう無理であることを示している。時が進むにつれて、それはいよいよ無理な時代になるだろう。


 核家族化、この現象は日本が将来も国民生活を維持していける国であるためには、やはりブレーキをかけ、人間の基本となる集団、家庭をもう一度復活させ、その中に高齢者を収容し、第一義的には家族が高齢者の生活基盤にならなければなるまい。それが生活の中の基本である家庭の任務であると考えなければ、日本の国民生活は破たんする。グラフはそれを明瞭な形で示している。


 私は、本来は伝統的な日本型の大家族主義を主張して、いるのだが、あえてそこまでの主張はすまい。親、子、孫がともに集まって生活し、心を通じ合い、助け合いながら生きることのできる環境をこれからは率先整備し、皆が家族協力の中に安心して暮らし、その足りない部分を国が応援する。そんな発想に切り替えなければいけないと思っている。家庭や家族を大切にし、これを中心にものを考える意識を、復活させなければならないと思っている。


 米国占領の中に進められた核家族化は実りのない発想である。それは日本中の住宅をウサギ小屋のような細かいものに分散し、老人を孤立させ、活力のない村を生み、日本を疲弊させる効果しかなかった。
 文化とは先祖から子孫へ、親から子、孫へと引き継がれて育ち発展してきた。それが消えてしまいつつある社会の現状を見るがよい。

 老人から若い連中への育んできた思いや蓄積を引き継ぐことは、いま問題となっている社会を知らないモンスターペアレントなどを減少させ、物理的には過疎化した地に孤独に暮らす、あるいはひっそり老人だけで暮らす人々を減少させ、老人も子供も、生きるものすべてがいま、生きている社会と直結する社会を再生することにつながる。


 それに考えてみてもよい。核家族化で猛烈に国内には小さな家が増えた。それは統計でみれば、人々が暮らす居間や寝室が増えたのではなく、孤立化のため、日本全国の家の中の便所や台所、風呂場などばかりを増やす結果となってしまっている。どんな小さい家になっても、それらの施設だけは必要となり、設計の中に組み込まれ、大きな家は小さなたくさんの家になり、家の広さに占める便所などの比率だけが増える結果になる。さらに庭も山野も狭くなり、空き家を増やし、挙句の果ては今の老人の消息不明事件である。


 老人の日に思うこと。基本が立たなければ、姿勢も立たない。高齢者にやさしく、皆が高齢者を大切にする明日の暮らし、親孝行が社会の美徳に復活する社会を作ろうではないか。