葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

短日処理が終わらずに

2011年11月19日 16時20分40秒 | 私の「時事評論」
 

 クリスマスから正月、巷を彩るポインセチア、あれは毎年買ってきてはシーズンが終わると捨ててしまい、また新しい年には買ってくるのが一般だとされる。
しかし私は、毎年紅葉を楽しんだ後、新芽のついた昨年ものを夏を越させて、また秋に短日処理をして、再び葉を赤くして愛でるのが癖になって、同じ苗を毎年育てて十年になる。
この鉢と出会うまでは、私はここ長谷観音の近くのマンションより少し離れた、日当たりのよい自宅のサンルームで、樹齢が十年近くになるハイビスカスを、冬の間中花を咲かせ、周りにペチュニアなどの夏の花も咲かせて、ロッキングチェアーでコーヒーを飲みながら本でも読む憩いの時を楽しんでいた。だが十年前、事情があってこの家を手放し、いまのマンションに越してきた。
マンションは広いし庭もあるといっても、一軒家にはかなわない。それにだいいち、勝手に改築してサンルームなどは作れない。

引っ越しの際に、御近所の方に愛する鉢植え類を譲り、さびしくなった私が、新宅の書斎の窓辺に飾ろうと、サカタのタネの植木市で、見事に赤くなっている大きめの鉢を購入してきたのがきっかけである。それがあまりに見事だったので、春になり、新しい芽を眺めながら、もう一年咲かせてみようかと鉢を大きくして、育て方を教わって、苦労して二年目も見事に育てたのがきっかけになり、毎年数えて今年は十年目になった。
幹が年々太くなり、あの可愛らしいスマートな枝の姿が、いまではもう、節くれだった巨木になった。幹の太さが親指と人差し指では囲めないほどに太い。葉は樹勢が強いので毎年枝を切り詰めているが、それでも150センチほどの高さに達する。
ポインセチアは毎年、8月か9月から三カ月くらい、毎夕日射しを覆い幕で遮って人工的に日照時間を制限し、紅葉を促してあの美しい姿に育てるのだが、こんな大きな姿になると、それも簡単には成功しない。
大きすぎる上にこの枝は簡単に折れる。最初はそれでも段ボール箱をかぶせて陽覆いをしていたが、もう被せようにも500リットル以上の大型冷蔵庫の箱にも収まらなくなった。ホームセンターで用材をそろえて枠を作り、これに黒いビニール幕で毎夕覆いをかけるのだが、ちょっと風が吹くとこれが飛び、中の枝が無残に折れてひと騒動。毎年苦心の連続である。

今年は二歳に満たぬ愛孫が6月以来入院し、毎日分担しては片道一時間半の大学病院まで付き添いに行くという用事も重なり、その上、9月にはベランダの全ての鉢を飛ばすような猛台風にも見舞われた。覆いの作成もおかげで三回、このため日照調整もスローピッチで、紅葉は、先の方だけほんのり染まり、「早く赤くなれ」と毎日眺めているのだが、このままでは正月にどこまで赤くなることだろう。おまけに風の影響で、吹き折られた枝も随所に見えて。
だが私はもう何年も、正月から春になる数カ月の夜を、ソファーの横においたこの聳える赤い葉をめでながら、ワイングラスに注いだ赤ワインを軽く持ちあげて口に含み、ブルーチーズなどを肴に一時を過ごすのを何よりの楽しみにしてきた。いまでは息子家族と同居して、16畳あった明るい書斎は息子たちに明け渡し、鉢はやむなくいまの窓際に移動して冬を越すが、それでも傍には応接セットとワイングラスなどを収めるサイドボードがある。
そこでのワインはマンション暮らしという限られた箱の中に押し込められ、いくら防音防震対策があるとはいっても、いままで樹叢に囲まれた一軒家で暮らしてきたわがまま爺のストレス解消の特効薬なのだ。
正月前には、二つになった入院中の孫息子も、苦しい治療を終えて退院する予定だ。この子をはじめ孫どもを集め、爺さんはワイン、孫どもはアイスクリームで、戸の面の寒風に時々耳を澄ませながら、孫どもに昔話を語り聞かせながら、にぎやかに過ごす正月の夜の一時、なんてのも悪くない。
過剰な期待をかけられて、サービスも充分してもらえずに、これでは赤くなるよりも、いよいよ青くなりそうな我が家のポインセチアである。

陛下ご入院の陰に――日本の皇室の特徴

2011年11月18日 21時20分05秒 | 私の「時事評論」


 天皇陛下の御入院が思わぬ長期化をしている。御高齢をおしてひたすら激務をこなされてお疲れ気味の陛下は、御入院前に、すでにお具合が良くなかったのに、ご無理をされていたからか症状は殊のほか重く、さる6日に御入院をされたあともなかなか好転されない。お咳も止まず、お熱も39度近くまでたびたび上がり、御退院にはなかなかいかない御様子である。体力が弱くなっておられるのだろう。御退院になられても、通常の状態に戻られるには、かなりの期間の御静養が必要だと見られる。宮内庁からは陛下の御入院の直後には、早期御退院の見通しが発表されたのだが、その後、御予定が再三延期されて現在にいたっている。

 11月の陛下の行事には、ことのほか重要なものが重なっている。宮中祭祀では、最も重いおまつりである新嘗祭があり、御公務でも秋の叙勲の関係行事やブータン国王夫妻の来日やその他外国よりの国賓の御接受などなど。秋恒例の行事も多い。重なる日程を眺められて、陛下も入院までにできるだけのものをこなし、早くお仕事に復帰したいとお思いでいらっしゃったのだろう。

 だが国民として、ここでの御無理は極力避けられて、ぜひとも今後にしこりを残さぬように確りと療養に御専心いただき、何よりも健康を回復されて今後も御活躍いただきたいと願う気持ちでいっぱいである。



 皇族方の御活躍

 幸いにして陛下の御不例のもたらしている穴は、皇族方のご協力によって埋められている。皇太子殿下が陛下の国事行為臨時代行というお立場で、憲法に基づく政府の行事を代行してお忙しく飛び回っておられる。それでも埋めきれない部分は、弟殿下の秋篠宮さまが補っておつとめいただいている。皇后さまも陛下のお気持ちをくんで行事に参加され、また御子息である両殿下の背後でお支えになっていらっしゃる。去る15日も、山梨・長野県とお出かけになられた皇太子殿下のご不在の折には、秋篠宮が叙勲された方々を皇居に集めての会合で、陛下のお言葉を伝えられた。また御所にて、南アフリカの国民議会議長府債との懇談もおつとめになった。国賓として我が国に来られたブータン国王夫妻の歓迎式典には皇太子殿下、秋篠宮殿下ご夫妻などがお揃いで出席され、式典ののち皇后陛下が国王夫妻の宿舎を訪ねられ、歓迎宮中晩さん会などの行事も、皇太子殿下が陛下に代わって御招待役を務められ、秋篠宮殿下ご夫妻や同妃眞子さまも御出席になった。

 陛下の御不例は一時的なものではあっても国民均しく心配する出来事である。できることならばそんなことはあってほしくない性格のことである。だが、こんな事態が御世継のお立場にある皇族方のそれを埋めての御活躍につながり、皇室国家日本の土台を固める効果があることも注目しなければならないと思っている。ただ、宮中には天皇陛下お一人の斎主をされる専権事項である宮中祭祀がある。これは皇族方でも簡単に代行できる性格のものではない。だが、陛下の御意志によって陛下を代行する役を担う掌典長などが祭典の諸役を実施することも、このような場合には止むを得まい。

 天皇陛下の御まつりは人間関係の俗務ばかりではない。古い言葉だが「皇祖皇宗」よりの神勅を受けられ、それを受けられた「祀り主」である陛下がただご一人のお立場において行われる天皇としての祭りがある。たとえ皇族であっても、陛下の臣下である我々や役人などが干渉して良い性格のものでないのは勿論であるが、御不例時の進め方は、陛下のご指示を得て、陛下が臨時的に神々にお許しを頂けると思われる方法により進める以外にはないだろう。



これを機会に日本の皇室の本質を見よう

 よく「天皇は無私である」などという言葉を耳にする。国のため、国民のために、己の私利私欲、御家族のことまでを忘れて、すべてを国民のためにと神々に祈り、日々をその国のためにと進退される天皇陛下を指しての言葉だ。それを背後でしっかり支えられる皇后陛下。両陛下のお仕事をひたすら支えようと協力される皇太子殿下、秋篠宮殿下をはじめ皇族方。これが日本における天皇制度の姿である。二千数百年という比類のない長い伝統に支えられ、時の流れ、時代の変遷を超越する日本の皇室、天皇のお心は初代の天皇から今上陛下まで、歴代の天皇御自身のお身体は替ってもお心は一貫して変わらない。そんな陛下のお心を「大御心=おおみこころ」と申し上げるが、こんなふうに代々身体は変わってもその精神性は変わらずに、代替わりのたびに再び精神力が強まるという考え方は、日本文化の特徴である。話は少しずれるが、日本の精神生活の中心になる神社、天皇が自ら直接お祭りをされる神社である伊勢の神宮では、式年遷宮と言って20年に一度ご社殿から神社の装備、御神宝などをすべて新しく20年前と同様に新しく作り直し、そこに御神体をお遷しする。これも考えてみれば「大御心」と同じ発想である。天皇さまはお題が変わるたびに、初代の天皇から受け継いだ同じお心で天皇としてのお努めをなさるが、伊勢の神さまも20年ごとに、同じ神さまが新しいご社殿に住まいを移されて、いよいよお力を強めて御神威を発揮される。

「蘇り威力を高める」という発想が我が国文化にはあり、天皇制度もそのようなものと信じられている。世界の国々には日本のほかにも国王制度を存続している国はあるが、それらと比べて歴史が違う。このような思いを基にして連続して続いてきた日本の皇室は、このように時代を越えた連続性を持っている。

 皇室が一度も中絶されたことが無い一系の王朝のもとに継承され、ひたすら神々の天皇に託された神勅に基づいて国民(おおみたから)のことを考え、己の私的な感情を捨てて統治に務められてきたと信ずる歴史は日本国の誇りである。余談にずれるが、最近、御世継の問題などを巡って、女系(女帝ではない)継承など、王朝が代わる変更を軽薄に皇室に導入しようとする論などが生じている。だが、数千年の間かかって先祖たちが築き上げてきた皇室の制度を、ほんの目先の思いつきのような軽薄さで簡単に変更してしまう軽々しさを認めて良いものだろうか。

 少なくとも皇室が生まれた時代から現代まで、皇室護持にかかわってきた人々の思いをしっかり受け止め、彼らのすべてが、2000有余年の歴史でいままで例が無いやむを得ない時代になったと得心し、それにより、日本人の心に生きてきた皇統というものの変更以外に存続の道が無いと同意するだけの努力のあとで無ければ、安易に変更してはならないのは当然である。存続してきた一系の伝統は、一度切断してしまったら、もう戻すことができない。そして皇室に対する国民の崇敬心は理屈や論理で決まるものではない。「変更したのだから、従来の思いを捨ててこう思うようにせよ」などと言われて、皇室への崇敬の心が切り替えられるものでないことも知るべきである。

 日本の皇室制度は日本の代々の天皇がたが、万世一系の天皇が民のために祀り主として神々の前に、己を捨てて祭祀を続けられる「大御心」を不断に継承されてきたことを中心にして歴史を重ねてきた。それが国民の精神生活にも、生活の軸であった祭りとともに、しっかり刻みこまれてきた。天皇さまとまつり、そして鎮守と日本人の精神生活における祭り。その結びつきがいつの間にか、国民の精神生活を含む日常のあらゆる面が皇室と溶け合ってしまう独特の日本型社会を作り上げ、その上に日本の文化が成り立つようになっている。そんな日本文化の核となっている皇室と、諸外国の王制との性格の違い、そして国民の持つ意識を軽率に見落としてはならないと私は思っている。



外国の王制の事情などと安易な比較はすべきでない

 そんな日本の皇室を、起源をたどれば数百年前に、その国を征服などにより支配する覇王になった他の国の王およびその王族方と比較しようとしても無理がある。歴史においても成り立ちにおいても決定的な違いがあるからである。それを見落として軽々しく動くことは、たとえ皇室を存続させたいとの善意から発したことであっても皇室にとっては有害になる。日本の皇室がどのような歩みをしてきたのか。皇室と日本人との間にはどんな感情が交錯しているか。それを深く知ることなしに、軽々しく皇室を旧来の形と変えてはならぬ。私はそう確信している。

 現代においては、それまでの歴史の歩みの違いはともかくとして、政治の形態はどこの国、どんな王制を残しているどの国においても、世俗実務の政治は、民意を反映した議会制度的な制度ができて、政治の行政、経済、軍事、治安などの実務は王室をいただきながらも民選の代表が実際には担当するような時代になり、王制の形は通常ではかなりに儀式的なものに代わってきた。それは国の政治を世俗に限定したものと捉え、国民を権利と義務の二次元でとらえ、どうすれば国民の世俗の権利が最大化するかという欧米型の政治学に基づくものであるが、それはそれで一見合理主義で分かりやすいように見えるが、世の中にそんな俗権の政治実務など以外の神聖なるものもまたあること、広がりがあることなども見落としがちな欠点がある。とくに日本の皇室には諸外国の王室に比べて、はるかにみやびやかな特徴があり、世俗の実権以外のものを持っている。

 日本の皇室制度、これは日本独自の世界に類例のない存在である。より言葉を足せば、西欧型の世俗政治の概念は、表面だけを眺めれば日本にもそのまま適用できそうに見えるけれども、皇室制度が日本人の生活にどれほどの影響力を持っているか。それは我々の生活にとって、どんな価値があるものなのか。そんな角度から皇室を眺めると、そのままあてはめてしまうのは無理があるといわざるを得まい。その点だけは充分に知ってもらいたいのだが、それは、単に両陛下やそれを支える皇族方のいまの動きだけを眺めているだけではわかるものではない。皇室が国民たちすべてにどのような影響力を持ち、国民に支持されてきたものであるかの側面も、政治制度の脱精神の機構図以外に合わせ見なければならないとおもっている。



憲法に含みきれない皇室の存在の大きさ

 政治の組織図を憲法などから見ると、日本の国の政治や行政、司法などの基本であるとされる憲法には、権力機構である国家組織においては、どこにも天皇制度が特別の力を持ち、時の国政を左右する権限を行使する実力者であるというような規定はないように見える。ただ天皇は国の象徴であり、国民統合のシンボルであると規定され、いくつかの法の定める国事行為を、内閣の助言と承認に基づいて行うと規定されているのみである。これを見て、憲法がいまから65年ほど前に日本が戦争に負け、日本に進駐した占領軍によって書き換えられたものだからそうなっている。憲法を改正しなければどうにもならないと熱心にいう人は多い。

 それはある意味ではその通りなのだが、しかしそれだけ主張していたのでは満足な説明にはならないだろう。日本にはその以前から、明治維新で日本が開国した後に設けた大日本国憲法という憲法があった。それは明治の日本人がこれからの日本の進路を定めようと英知を集めて作成した憲法であったが、その憲法も決して天皇の俗権としての国民支配を規定したものではなかった。表現の文面に用いられた用語の国語的内容にとらわれてはいけない。政治制度としての組織の構成と、その憲法とともに、解釈として定まっていた不文の慣習を相互比較して見ていただきたい。すると、むしろ政治の制度としては、どちらも立憲君主制の憲法であり、旧憲法も新憲法もかなり共通の具体的内容のもの、ただ、旧憲法が当地の大権という天皇への礼儀を条文に明記している点において、常識的なものであったともいうことができる点が大きな違いと言えるのかもしれない。

 いまの憲法上で見ると、天皇の権能は決して大きくないものに縮小したいと心がけているといった「国語的な」表現方式は取っている。それは憲法そのものが、日本の伝統や文化の精神性を否定して、日本を西欧より古いものと見下そうとする占領軍の意図の下に作文されたのだからやむを得ないものだろう。なにしろこの憲法はまず、占領軍によって英文で書かれたものを日本政府が英訳したものだった。


 だが、新憲法を定めた後の我が国の実際の生活を見ると、皇室の国民生活への影響は、憲法などよりも限りなく広く重い影響力を現実に及ぼすものになっていることが分かる。憲法をみれば、国の最高の権限を持つことになっている首相や国会議員などの行動には、何の関心も示さない国民は、両陛下ばかりではなく、それを取り巻く皇族方にまで、深い関心を隠さない。国の責任者が失脚しても、なんに関心も示さない国民が、陛下がお風邪を召されただけでも重大な関心を持つ。震災のあとを首相が視察に行っても、ヤジで追い返すような被災者が、両陛下のお見舞いを受けると感激して涙する。これは、それほどまでに皇室は国民にとって大きな影響力を持っている証拠である。

 日本の皇室制度というものは、学校などで教えられたような、ただ通り一遍の政治的な無力で必要の無い存在では決してない。政治などの及ばない国民の生活の隅々に至るまで、それと深く結び付いている存在である。また、日本が政治的機能がマヒして本当に困ったときは、天皇が直接憲法上に実務をおふるいにならないでも、国民を行き詰らせないように声をかけてくださる存在としてまで、期待しているように見えるほど、均しく尊崇している存在なのだ。

 そんなことを言い出すと、天皇制の過大評価だとの反論が起こることだろう。だが我々は憲法だけで生活をしているわけではない。広い国民生活の中で、政治にかかわる面では憲法の定めを用いて生きている。だが、日常の人間関係、社交、精神生活、愛情、信仰、忠誠、好き嫌いなどの情操面、信頼関係不信関係、趣味の関係など、憲法が規制をしない政治以外のものはきわめて多い。それらの中に、長い歴史が天皇制をしみ込ませている。天皇は政治的な権能を有さないと国民と政治との権利義務を規定する憲法にはそう書いてあるのかもしれない。だが、日本の歴史を振り返って見ると、日本の国が混乱し、将来どのような時になるかが分からなく、大混乱になった時には、いつもこの日本の再生に期待されたのが皇室であった。皇室は国民を独裁的に支配などはしない。ただ、日本を正そうとする者に権威づけの役割を果たされる可能性を持つ。国民が強くそれを望む時は。今でも、日本の国民気質はそうなっているのかもしれない。あるいは混乱のまま行き詰るのかもしれない。

 ただ、ここは日本だ。混乱の世の中を賢く生きるために、もうすこし天皇制度のことを深く知ってもらいたいと思う。それが必ず将来に役立つ時が来るだろう。



 註 天皇制理解の入門書としては、やはり戦後の長い時代を天皇批判の厳しい風潮に抗して、一貫して皇室の重要性を第一に掲げ奮闘した葦津珍彦(私の父・あしづうずひこ)の皇室論がよいと思う。あまり宣伝臭くしたくないが、

 http://ashizujimusyo.com/sub1.htmlの「日本の君主制」などが手始めで、それをとっかかりにして深く知識を深めてもらいたい。書籍はこのコラムからばかりではなく、アマゾンなどでも自由に購入できる。これは天皇制を支持するものばかりではなく、それに批判的なものにまで、評価された我が国天皇制の解説書と言える。


天皇陛下のご入院

2011年11月10日 16時11分03秒 | 私の「時事評論」
 皇太子殿下が国事行為臨時代行に

 はるかに日本より離れた西欧のギリシャやイタリアの通貨危機や、アラブのチュニジアやエジプト、リビアなどの政争問題が騒がしい。それらは日本にも大きな影響を生みかねないと気をとられている間に、天皇陛下が東大病院に入院されたとのニュースが発表された。先日来、何やら宮内庁の動きの中に、陛下の御身に異変が起こっているのではないかと推測されるものが散見されるとは気がつきながらも、迂闊にもその実情を調べてみようとせず、遠くばかりを眺めていた自分の日本人としての注意力の欠如が、しきりと後悔される次第である。
宮内庁の発表によると、最近御公務が重なり、お疲れの模様であった天皇陛下は、気管支を病まれ、発熱が続いたために、このまま放置したのではお身体に障ると、文化の日の諸行事を、お熱を押しておつとめされたあと、検査の諸機器も整っている東大病院に入院されたという。78歳のお誕生日を間近にお迎えになる最近の陛下のお姿には、テレビなどで拝見しても、御休養が必要なのは誰の目にも明らかであった。

この半年間の洩れたまわるニュースだけを見ても、御公務が重なり、その上、東日本大震災の被災地や被災者のことなどを大変心配されて、連続してのお見舞いなどにも力を入れられ、お身体ばかりではなく御心労も深く、さらに大きなおつとめが次々に加わって、連日若い健康な者でもまねができない環境の中で、忙しい御日程をこなされていた。
陛下のお側にいて接していれば、お疲れはいよいよ明らかだったのであろう。入院された陛下の御身を心配された皇后陛下は、日に数回も入院中の陛下をお見舞いになられていたと報ぜられたが、その御表情は沈痛で、日頃、国民の前にお見せになるお優しくにこやかな御表情とは全く違ったものであった。皇后ご自身もお身体の調子は陛下同様に決して健康な状態ではなく、我々も心配申し上げている状態だったのだが、その後の情報によると、陛下のお熱もようやく下がられ、入院されたときよりもご快方に進まれた模様である。憲法に定められた国事行為に対しては、先の平成15年の陛下が前立腺がんの手術を受けられた時と同様に、陛下の臨時代行が置かれ、皇太子殿下がその役につかれた。
ひとまずは陛下には、確りご治療に専念されて、充分な御休養を取られて、健康のご回復が望まれるところ。さらに今後は陛下の様々な条件を考えた対応方針の整備が求められることになるだろう。


考えねばならない陛下の最近の御公務の多さ

 天皇陛下がご壮健で、これからも元気に活動いただきたいことは国民の均しく望むところである。そのためには方法として、陛下の御公務の削減あるいは御公務の他の皇族方への御移譲などの声も当然いままでよりも強く上がってくるものと思われる。
だが、言葉で漠然と御公務削減をはかれというのは易しいが、具体的にどうすればそれが可能であり、しかも皇室の伝統や尊厳を維持しながら可能であるかを考えるのには、考慮すべき幾多の問題もあると思われる。
陛下のお仕事をはじめ一挙手一投足は日本の文化全体を大きく左右するものであり、軽々しくこれを決断実行するのは、日本国・日本人の文化自体を不用意に破壊することにつながりかねないからである。
天皇というお立場と、天皇が日本に果たされている影響を、形式的にではなく、深く思いめぐらせて考えた上で軽減をはからねばならないものだろう。歴代の天皇は、その最も大切なおつとめとして、国民のために伝統的な宮中での御まつりをお続けになっていらっしゃる。それはわが国に西欧法の概念が伝わってきた明治いらい「祭祀大権」などという言葉があてられているが、日本国民の「大祀り主」として、自らの個人の私欲を捨てて、ただ国民のため日本国のために神々へのまつりに専念されるお仕事である。大変重いおつとめであるが、日本国をしろしめす天皇の御存在にとって、それが無ければ我が国の天皇とは言えないほどの本質にかかわる重大な御役目である。
天皇の御存在はわが国にとって、二千年以上の歴史を生き抜いてきた不断の精神的な柱である。初代の神武天皇が即位されたのが我が国の皇紀によれば2672年前に当たる。わが国の最古の史書「古事記」や「日本書紀」を見ると、御即位になられる以前の皇室の歴史は神話の時代にまでつながっていて、そのどこからが現実の歴史に転換したのかの定説はないが、霊統を継ぐには我が国の精神史では男系相続で一貫してきた。しかもこの皇位の歴史には断絶が無い。学者の中には神武天皇いらいの歴史が数百年間分、長いか短いかなどとの不毛の論争に明け暮れる連中もいるが、とにかく現存する国家で、しかも一系の精神的継承者として国の中心であった歴史を持つ例は、世界には全く比較できる対象がない。我が日本の天皇は、代々神武天皇とお名前をつけてお呼びする最初の天皇いらいの変わらぬ姿勢とお心で、まず日本国の代表として神々に皇祖神にそして先祖たちに祭りをされ、国民のために祈られてきた実績がある。
三千年に近いとされるその継続して変わらぬ天皇が、ひたすら続けられてきた祈りの歴史が、国民に陛下こそが唯一の国民を代表して、神さまと相接しられるかけがえのない存在であるという独特の崇敬心を生み育て、それが日本の法や政治の分野ばかりではなく、すべてを包み込んだ日本文化全体の核となっているのは、西欧的な理屈しか認めようとしない左翼を含めてあらゆる立場の歴史学者が認めるところとなっている。
その民族の統一の心の核である天皇の祭りと、祈りを一貫して引き継いで代々変わらず継承されてきた国民を思うお気持ちを総称して、我々は「大御心」と称しているが、その大御心に忠実に従われ、宮中でのおまつりに対応される「祀り主」としてのおつとめだけでも、陛下の玉体には大きく響き、ましてやご高齢の陛下には重いご負担となっている。
だからと言って軽率に、国民同士の世俗な争いごとを調整するために設けられた政教分離の方針などを安易に拡大解釈して、私心の全くない天皇陛下の宮中祭祀にまで適用して、その本質となる宮中でのお祭りに対する伝統的な陛下のお立場を変えてしまったら、その影響は日本文化そのものの質の破壊にもつながることになる。現代の功利的な思想渦巻く社会に唯一生きている、これこそ生きた世界遺産といえる皇室の本質を続けていかれることに、軽薄な唯物思想で安易に手をつけることは、「角をためて牛を殺す」こと、日本文化を破壊し去ってしまうことにつながるだろう。なかなか軽率にはお役目が重いからと、我々が安易に手をつけられない問題である。
それに加えて現代の日本国を代表されるお立場として、そのほかにも天皇陛下には御公務が多い。特に日本が戦争に敗れて、日本が西欧の占領の下におかれた混乱期に、日本文化の本質を深く理解できなかった占領軍や、それにより力を身につけた欧米礼賛者によって日本の基本法典である憲法が変えられてしまった後、現在の我が国の法律制度の世界では、「象徴天皇制」という、国会の選挙で選ばれた政党内閣が国の支配権を得て、その政府の部局としての内閣・その一局である宮内庁が天皇・皇室のお世話をする現在の立場になって、御公務は急速に増加される要因が生まれた。
こんな制度に法制度が変更されると、どうしても俗権である政治の実権を持った勢力の天皇の権威を有利に利用したいという思惑が、天皇の御公務にも絡んでくるようになる。政治の世界(政府ばかりではなく官僚の世界も含む)には、自らの権威が歴史の重みと国民の尊崇に支えられた天皇と比べればはるかに軽く、欠けるところが多い面を、陛下の国民全体に均しく尊崇されている権威により補おうと利用する傾向が強まってくるのは自然の勢いのようだ。
歴代の天皇には、わざわざお出ましを願わなくても済んだ式典や行事、あるいは陛下とのご会見などにまで、政界や官界、それとつながる様々な団体などが直接陛下にお出ましを願うことになり、新憲法のために増加したこの種の行事が大変な量になってきた。そのために戦前よりも大きく陛下の宮中祭祀へのかかわりが少なくされてしまっているのに、陛下に求められる御公務は急増している現状である。

{註}私がかつて、週刊新聞の編集・発行に携わっていたときに採用し、私がもうそろそろ引退すべき年齢に達したので後輩に道を譲ろうと退職した時まで一緒に働いていた仲間に斎藤吉久君という男がいる。彼が宮内庁が、御公務の削減を宮中祭祀の圧縮に求めようとする傾向を取り上げて、細かいデータを上げながら、新憲法下の宮内庁が、皇室の果たしてきた長い歴史に基づく宮中祭祀のお仕事と、憲法、とくに新憲法下の、たかが60年そこそこの欠陥多き規定に基づく陛下の行事との具体的量の推移を基にして、価値の重さを見失っていると噛みついてネットを中心に訴え続けている。私もこの問題には強い関心がある。彼の主張には聞くべき面が多々あると思うが、これ以上限られたスペースで天皇の宮中でのお祭りばかりに触れるわけにはいかないので、ネットを探って詳細はそんなところを参考にしてほしい。私のブログの最初のページにも、彼のブログは友人のブログとして紹介している。


皇族方も御心配なのだが

 加えて現在の皇室には、皇太子妃の精神面が誘因になった御病気という(これはお病気であるということだから、いくら私を無視した公のお努めに生きるお立場になられるお方であるとはいっても個人的にはあまり深入りしたくない問題だが)条件までが重なり、事態をいよいよ深刻にしているようだ。皇族は本来、天皇に準じて私なき公的なものでなければならないとされている。だが、病気は皇族といえども生身の身体に生ずるものでなんとも動かすことはできないものだ。そんな御事情が東宮家にあるので、なかなか陛下に求められている御公務を、皇太子殿下ご夫妻に現段階で代行願うわけには簡単にはいかないのだろうと拝察される事情もある。しかしこの状況はもう10年を越え、皇室の大きな問題、ひいては国民にとっても、解決方法が見いだせぬ憂慮すべき問題になってしまっているのは、国民にとっても残念なことである。
健全な皇室の環境が整備された本来ならば、天皇さまの御年齢に伴う公務執行に支障が懸念される事態が起こった場合、天皇の特権である御公務のうち、宮中祭祀など、陛下御一人の心に属する権限にかかわる行事の大半は、何らかの努力は払いながらも、天皇陛下御自身の祭祀の大権行使者として、御自身の御指揮のもとに残し、その他の政治や外交、儀式や社交、年中行事など、さらに憲法上の国事行為や政府はじめ関係者の陛下にお願いして行われている行為の大半は、皇太子殿下・同妃殿下や、それを補うそのほかの皇族方に御分担いただき、そんな対応により陛下の御負担軽減の柱としなければならないところである。
その例外条件として挙げたもの、陛下のお仕事の中には、いくら皇族方とはいっても、陛下以外には、歴代の皇祖より「大御心」の継承を引き継いだ玉体以外には決することができない性格のものも多く含まれている。それは日本の天皇というお立場が、日本独特の歴史に裏打ちされたもので、皇室の本質にかかわるものである。それをどうするかに関しては、陛下御自身の日本の神々や皇室の御祖先の歴代天皇などとのまつりなどでの対話や「うけひ」に基づいてのみ変更ができる性格のもので、臣下である我々などの干渉は慎むべき問題だと私は基本的には思っている。そのほかの新憲法的行事のいくつかなど、国民サイドでの合意や取り決めに基づいて決められた行事のほとんどは、将来の皇位を継がれるお立場であると定められている皇太子以下の皇族方に代行を願うべきところだと私は考えている。それも将来、皇位をお継ぎになる皇太子殿下をはじめ皇位継承権をお持ちの皇族方の精神的な御心構えとして大切なことだし、将来の起こりうる様々な事態を想定すると、この際、御修練をお願いしたいところである。


女帝論は諦めさせなければなるまい

最後にいま、またぼつぼつ持ち上がりそうな気配のある女系天皇論について一言しておきたい。私はどんなことがあっても軽々しく女系の皇位継承権の容認は持ちだすべきではないと思っている。皇位継承をどのように変更するかというような皇室制度の基本になる問題は、軽々しく変更を許されるような問題ではない。理論としてはこんなことを言い出すと非論理性に呆れられるかもしれないが、皇祖皇宗の神々や肇国以来の先祖たちの御霊からすべてが行き詰まり、我々が明日から皇室を存続させることは絶対にできないと決断した時に、皇室制度をあきらめるか、制度を変更して別の皇室を立ててでも行こうとするかを決断せざるを得ないときまで、進めては罰が当たりそうな行為だと思う。
女系天皇への変更をすることは、日本という国が数千年の長い歴史を通して作り出し、数千年にかかわる間にこの日本に生まれそして生涯を終えた先祖たちが、気の遠くなるような数多くの様々な経験を重ねる中で固まって続いてきたものの否定である。ただ目の前に指折り数えてみて、皇位を継承される権利をお持ちである方の数が少ないとか、あの方では相応しくないようだなどと軽々しく決定して良い問題だと受け取ってはならない。
日本の歴史を振り返って見るとよい。日本は男系継承によって御霊の継承ができるとの信念のもとに天皇制度を作りかためて、一貫した天皇がどんな時でも皇位を継承して二千数百年の間、同質の灯をともし続けてやってきた国である。時には簡単に次の継承者が見つからず、あるいは様々な問題があって、やむなく男系ではあるが女性の天皇が暫定的に皇位につかれることもあった。関係者が候補者が見つからず、国内を探し回ったこともあると伝えている。だが、それでも日本国のともした灯が消え、新しく点火した異質の火に明かりをつけかえることは避けよと、現在までやってきたのだ。
それを目の前に皇太子殿下をはじめまだ多くの後継者がおられ、若き皇位継承権者の宮様までおられるのに、ウロウロ女系継承論などで騒ぎたてるのは見苦しい限りである。それでも名誉ある天皇制度のもとに、それを誇りにして、日本人であることに誇りを持って胸を張って生きてきた人間といえるだろうか。
我々のなすべきことは、社長がいて後継者まで指名され認められているのに、「あの人は私の上司として相応しくない」などと、勝手に騒ぎたて仕事もせずに不満ばかりを述べる社員たちのような皇室制度を内側から変質させる寝返り国民になることではない。どんな困難な条件が来ても、最後の最後まで希望の灯をともし続け、そのために結束して護持しようと決意する国民になることである。
伝統や誇りは、この不屈の精神の中から守りぬく力が出て続けられる。これを忘れぬようにしていきたいものだ。
私は、そんな不屈で固い精神力があったからこそ、日本の皇室は世界に類の無い長い歴史を築いてきたのだと確信しているし、その皇室があったからこそ、この日本が世界に誇る独特の文化をはぐくみ続けてきたのだと確信している。


カダフィー大佐はなぜ殺されたのか

2011年11月04日 23時13分00秒 | 私の「時事評論」


 悪い人だから虐殺も仕方が無いのでは

 前回の書き込みで、あまりにも野蛮な殺され方ではないかとの私の率直な感情を記した。どんな人間にだって、大切な命というものがある。人としてこの世界で生きていく中において、それさえも我々が無視してしまっては、一体人間に何が残るのか。相手は虫けらのような奴だったから、例外だ。殺してもよいという者もいるかもしれない。多くの人命を軽視して殺した張本人だったから当然だという者もいるかもしれない。だが、古いことわざに「一寸の虫にも五分の魂」というのがあるではないか。それは人間が生きていく上での守るべき最低限度の基本なのではないか。それを守らねば自分も虫けら以下の人間になる。
 そんな思いが強かったので、先の文を書いたのちも、幾人かの人に感想を聞いて回っていたので時間がたった。

 だが聞いて回ってちょっと驚いたのは、これに対してはカダフィー殺害を肯定し、冷たい感想を述べる人が、ことのほか多かったことである。最近自分がどんな判断に立っているかを深く考えようとしないマスコミに無批判についていく影響もあるのだろうか。
 「カダフィーはリビア国民を虐殺し、人道的に悪いことをしたのだから、そのような仕打ちを受けても仕方が無いのではないのか」
そんな感想がことのほか多かったのである。

 私は何か恐ろしいことを聞いてしまったような後味の悪さを感じた。この発想は完全に「目には目を」の私の嫌いな西欧型思考の底にある報復肯定論が、いつのまにか強く日本人にしみ込んでしまっていることの結果なのではないか。神道の思想、仏教の思想の穏やかな環境の中で育ち、独特の文化を保ってきた日本人の農耕民族的感性、それとこの回答はどうしても馴染まないと思えた。

 日本人は優しいいつくしみあう心を信条としてきた。人はだれもが神さまの見守られる中でいのちをいただいて暮らしている。第一、人という字がお互いに支え合っていたわり合って生きる姿を象形した文字から生まれ、それを日常用語の基本にしているではないか。いたわり合いながら命を大切にし、人や動物ばかりではない、川や山や草木も自然にまでも共生の意識を持ち、いたわり合って生きているのが日本人だと思っているからである。
 

 なぜ彼は西欧の目の敵にされたのか

 さすがに今度のリビア民兵による虐殺した対応に関しては、米国のクリントン国務長官や国連の加盟諸国の代表たちの中においても、彼が死んだことを歓迎しながらも、その虐殺の手口に関しては厳しく調べて、違法性があるかないかを調べるべきだとの声は強い。彼は戦闘する意欲が無くなったことを明確に示して西欧が指導する国民評議会に投降した。彼には捕虜として、正当な裁判を受ける権利があったし、逮捕した民兵側には、裁判を受けさせる義務があった。

 いくら彼・カダフィー氏がリビアにおいて、「法は私だ」との政治をしてきたからといっても、戦争には築き上げてきたルールがある。西欧論理からいってもこんな対応はなじまないものだと思う。
 それを負傷した一国の元首を侮辱の限りの不作法な対応で小突きまわし、「撃つな」というのまで無視して射殺して、撃った後に回教では最も相手を侮辱する方法だといわれる靴で相手の顔を踏みつけて、それから裁判にかけるので殺してはならぬという命令で動いていたのを思い出した。あわてて救命措置を試みたが、頭をうちぬいていたので助からなかったでは話にもならない。

 衝動で動いた愚かな行為は、どこから見て持知性なき野蛮人の行動である。かといって、もう死んでしまった男はどうにもならないが、厳しくその責任は追及されるべきであろう。

 
 もうひとつ考えたいこと

 ここまでは単純なカダフィー虐殺の論理を並べたにすぎない。だが私には彼が西欧諸国にこれほど執拗に追い詰められ、リビアという国から消そうとまで定められた真の原因に関して、もう少し考え、調べてみたいと思っている。これは単なる残酷と仮性なき行為とだけ言って片づけられない背景があると思う。

 NATO諸国軍のリビアで行ったカダフィー追放作戦は、国際法にも反しているし、明らかに理性や常軌を逸している。先年のイラクへ対するブッシュ以下西欧陣営のフセイン追放の作戦のように、露骨な言いがかりをつけた一方的戦闘行為だと思える。それはカダフィーが独裁的で反対者に無慈悲、残酷だったから、人道的に動いたなどと弁解はされているが、そんな弁明とは別の大きな理由があったのだろう。私は人道的などという西欧諸国の下手な弁解は信じない。ある国の政府に反対したグループが、政府に弾圧されそうになったから、亡命者を救済する。こんなところが法的に見て、人道的という行為の限界ではないか。

 リビアのカダフィーが稀代のまれにみる残酷な男だったというのだろうか。そんな残酷な独裁者は世界にも多数いる。それにカダフィーは独占した豊富な石油の収入で、確かに個人的にぜいたくな生活をしたかもしれないが、リビアの国民に教育や医療を無料で施し、国の発展を志していた。国民にはまれにみるほど施しの多い存外に人気のある独裁者だった。彼を世界が超法規的に殺さなければならないのなら、世界には殺さなければならない独裁者はごろごろ存在したし、まだ存在している。

 カダフィーはアフリカの独立にも熱心で、アフリカ民族主義を信奉し、西欧諸国に対抗し、貧しいアフリカ諸国の地位向上を図ろうとするアフリカ連合(AU)の強力な応援者で、リビア自国の負担金だけでなく、貧しい中央アフリカやソマリアなどの負担金をもリビアの豊富な石油資金で負担して、活動した。

 これは証拠不十分だが、豊かなEUやドル経済のアフリカ支配に対抗して、経済共同体を作って統一通貨を発行し、リビアが豊富に所有する金などを基礎に、金本位制的な強い通貨を作ろうとしていたなどとも見られていたとの分析もある。

 裏付けもなく膨大に発行された世界の通貨の中で、こんな動きが本格化すれば、世界はどんなことになるだろうか。西欧への波及なども計り知れない。ユーロやドルの経済支配などは飛ばされて、大混乱の末に世界の状況が急転するかもしれない。
 存外こんなところに西欧がカダフィーを、内政干渉を犯してまでも殺さねばならないとした動機があるのかもしれない。そうであれば、いまの世界の体制を法を無視したゲリラやテロで、いっきょに葬り去ろうとしたアルカイダのビン・ラーデンを法を無視することもやむを得ないとして惨殺し、その骨までも消し去ろうとした米国の行為と、これは同一線上にある政う陣営の、なりふり構わぬ強硬作戦だと見なければなるまい。

 アフリカや中東地方のニュースに私は疎い。しかもニュースは信頼性の極めて怪しい現代マスコミの報道に大きく頼っている。これでは正確にものを見る目を持っているとはお世辞にも言えない。だが、そんな報道ばかりを見て単純にうのみにはせず、勉強する価値がある問題だと痛感した。

 西欧圏に属さない国々での評価の中には、カダフィーが一時欧米に接近した時があったのをつまずきのもとだったとの評も多いようだ。僅か十年ほど前であるが、カダフィーは米国や西欧諸国から大きな信用を得ている時期があった。

 当時と現在と、どこにカダフィーが劇的に国内政治で変わったことがあるのだろうか。それなのに、何で急速にカダフィーが悪者に急転換しなければならなくなったのか。

 ニュースはそんな様々自分の力で得たものも見ながら、自分の判断でそれを矯正して、自分の知識にしなければならない。私はそう思っている。いまの報道を偏向報道だなどと騒ぎたててみても、報道は簡単に矯正されない。簡単に自分で考えることなしに信じてしまったら、信じたほうの負けだと思うから。