葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

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鎌倉市 世界遺産の推薦ならず

2013年05月02日 18時37分55秒 | 私の「時事評論」
そんなにがっかりせぬが良い

 「武家の古都」として世界遺産の登録申請に地元鎌倉市、神奈川県や文化庁までが協力して運動を展開、「おそらく指定は間違いないだろう」と関係者は期待していた鎌倉市がユネスコの諮問機関・国際記念物遺跡会議(イコモス)指定対象答申から外れた。同時に指定を申請していた富士山は、めでたく指定対象に内定し、悲喜こもごもといった様相を呈している。
 国内の下馬評では、「富士山」より「鎌倉市」のほうが指定に距離が近いのではないかなどという声も強かった。富士山の環境は登山者の放置するごみで荒れているが、鎌倉市は数年前から指定に向けて、放置ゴミの減少や環境整備に自治体も熱心で、多くの民間団体が加わって協力しているし、市内の道路標識や案内板の整理だけではなく、最近大きな話題になっている将来予想される大地震や津波の襲来による観光客の避難などにも精一杯の努力をして、避難経路の道標まで整備を続けている。かねてより指摘されていた公衆トイレの不足や休憩者用ベンチなども鋭意整備を進めている。指定する環境としては整備の程度は高い。しかもここ鎌倉は日本人には憧れに似た感情で知られており、訪れる観光客も一年を通して多い。世界遺産に指定されたらあれもやろう、これもやろうなどとの準備も進められ、内定発表の日を心待ちにしていた今回の答申だった。

 欠けていた世界的視野か

 だが、世界遺産の指定をするのは日本の機関ではない。そこに通用する視野は世界の目から見た著名度だ。その点を取り上げれば、やはり鎌倉は現段階では国際的にはローカルで富士山より知名度は劣っていたといえるだろうか。「指定の基準が年々厳しくなっている」「申請の意図が十分理解されなかった」などとの声も聞かれるが、愚痴を言っても仕方がなかろう。イコモスと日本側の視点のずれも大きいとみなければなるまい。
 鎌倉は日本国内では評判が高い観光地だ。しかも最近は急速に増え、おそらく鎌倉に観光に訪れる人は全国観光地でも最も多いところになっているようだ。鎌倉に住んでいて、ほかの観光地などを訪れて比較すると、私自身、鎌倉の観光客の多さと急増ぶりには呆れさせられるほどだ。鎌倉幕府の時代以来、周りは山と海に囲まれた要衝の地であることは立地条件だから変更もできず、現代では道路などは細くて交通の難所となっている。平日でも市内の主要道路や観光道路は、鎌倉に遊びに見える方々であふれ返り、車はもちろん、満足に歩道も歩けぬ状況だ。それは私が毎日欠かしていない散歩にも、歩行時間にプラスして若干の渋滞による待機時間を加えねばならないほどの厳しさである。
 加えて鎌倉には首都東京の高級ベットタウンとして発展したためか、必要以上に近在の人々の憧れが強い。ペンマンや学者、芸術家など文化人の集まる街として、住まいを持つ街として著名でもある。海と山に囲まれて景色の良い街、昔ながらの寺宮の多い街、しかも東京から近い街、様々な魅力が重なっていて、観光客が集まる街となっている。
 そして鎌倉の観光客には特徴がある。それは鎌倉には様々な人を引き付ける面があるため、日帰りでの気軽な観光客が多いためだ。往復の電車賃だけでは観光はできまいが、東京から鎌倉までは千円札一枚でおつりがくる近さである魅力がある。
 これは観光客が気軽にやってくるが、気軽に訪れる観光客は夕方には早々と引き上げるという特徴も伴っている。土曜日曜の観光客の動向を見ると、土曜は日暮れまではまだ散策者の姿があるが、日曜などは夕方からごっそり引き揚げてしまい、夕刻前に鎌倉は閑散としてくる。その急変ぶりはここの海岸の潮の満ち引きのようだ。一泊する宿、じっくり腰を据えて夜に楽しむ酒を出す店などは極めて少なく、観光客相手の商店などは、日がまだ明るいうちに店を閉め、市内はまるでゴーストタウンのようになってしまう。夜は東京から帰ってきた人々に入れ替わるが、所詮は彼らは寝に帰るだけの街になる。鶴岡八幡宮や長谷観音、大仏などには最近多くの外国人観光客も増えたが、大型バスに乗ってきてぞろぞろ観光を済ませては夕刻前には姿を消して、箱根などの温泉地や、東京・横浜などで一泊という人が多い。
 散漫に話をこれ以上するのはやめよう。世界遺産の推薦をした国際機関・ユネスコの関係者は観光ににぎわう街であることは分かるが、「古都」という歴史を感じさせるのは市内の寺宮だけで、それを感じさせる雰囲気が市内全体に満ちているという雰囲気ではない、と関係者は語ったと報道されている。私はそれを見て「図星であり、的を射た表現だ」と思った。
 鎌倉時代からの歴史の継続を寺宮以外の街のどこに見るのか。鎌倉は観光地としては日本有数のところではあるが、寺宮以外のどこにそれは見られるのだろうか。日本人の中にある明治以来の積み重なった「鎌倉」への魅力と、外国人の見る「鎌倉の歴史の重み」とはどこかちぐはぐな感がしないでもない。鎌倉は先にあげたような日本人の描く様々な要素が組み合わされた日本の観光地なのではないだろうか。

 一時断絶を経験した鎌倉の市街

 歴史の記述によって鎌倉を眺めてみよう。鎌倉を居所にしていた源義朝の息子・頼朝が天下を統一して武家政権として12世紀に初めて鎌倉に幕府を置いた当時、鎌倉の人口は急速に膨れ上がり、一説によると30万人にも達したという。現在の鎌倉市は周辺の旧鎌倉以外の場所を統合して昔の倍ほどの広さになったが、それでも人口は17万人。大変な人口密集地であったことが分かる。
 だがそんな鎌倉も、幕府が移った後は急速にさびれ、閑散とした地域になった。江戸時代末期には寺宮の他には、鎌倉の谷戸(谷間)の各地に数百戸の家が建つ寒村になり、一帯が松や雑木林、雑草の繁茂する状態だったという。だが明治時代になって首都が東京に移り、東海道線とその支線ともいうべき横須賀線がここまで東京からおよそ一時間で結んでから、東京至近で環境に優れ冬暖かく夏は涼しい当地に家族の居所や避暑・避寒の別荘などを建てる人が増えて、再び都会地としての体裁を整えたことが分かる。
 旧市内には、明治以降、とくに大正末期以降の建物が大半を占め、道路にはまるで竹藪のように電柱が立ち並び、ユネスコのイコモスでなくとも、武家政権とは一味違う歴史の断絶を感ずるのが当然と言えるかもしれない。
 私自身も昭和の初期(14年)に鎌倉に移ってきた男であり、当時から鎌倉駅から1キロほど離れた長谷の地区・原の台という僅かに駅より小高い旧市内で少年時代からいままで過ごしたが、ここから駅まで、はるかに未開の草原地帯が広がっていたのを思い出す。
 歴史の断絶。これは明らかなようだ。鎌倉幕府の時代にできた寺や宮、そのほかの当時をしのぶ「偲び草」は山と海に囲まれた要衝の地を守るため、当時七口と言われた鎌倉に細い峠を越えてはいることのできたそれぞれの山を削った切り通しに設けられた侵入を防ぐ武士の塹壕などの跡や、合戦の首塚や膨大な当時の墓の跡ぐらいなものである。町は度重なる当時の合戦で焼けてしまったし、海には海路で輸送基地を作るため、投げ込まれた膨大な量の波消し用の玉石、現代のテトラポットの中世版ぐらいのものだ。

 大切なのは物ばかりではない

 世界遺産という言葉を単純に聞くと、どうしても何か断絶してしまった往時をしのぶ遺跡などに目が行きそうな気になってくる。古代エジプトのピラミッド、スフィンクス、ペルーのマチュピチュ、古代ギリシャ・ローマの遺跡からアンコールワット、万里の長城、こんなものがすでに広く知れ渡っているのが原因なのかもしれない。風景資源は別として、建造物は石ばかりで、それは石が残りやすいものだからだろう。最近は木造建造物なども取り入れられて、世界資産そのものに対する視野も変わりつつあるようだが、石の遺物にはもう、そのものに対する信仰も人々の日常性も消えうせ、中には作った民族さえいなくなってしまった信仰の消えてしまった宗教施設などが多いのも特徴だ。
 だから私は、本来ならば「世界遺産」というものに対して我も我もと名乗り出る現代日本の風潮に対してはかなり懐疑的だ。とくに日本の信仰施設などは木造のものが多く、人々の現代の暮らしと精神的に結びついて生きている。信仰の過去のものにされたものと一緒にされたくはない。
 だが、この鎌倉の世界遺産騒ぎには巻き込まれてしまった。というのも、私はここ鎌倉に本拠を置く流鏑馬(やぶさめ)という伝統神事を鎌倉時代の古式にならって奉納しようと日夜習練しているグループに30年近く関わってきている。私自身は「頼朝以来の古式にならい、武士道と神道を精神的基本として、俗念を捨ててそれを現代に生かす」ことが、現代日本の精神の再構築に必要だと信じて、その精神性の追求にまで目を向けて流鏑馬に関わってきたつもりなのだが、それが鎌倉の団体であり、鎌倉での神前奉納が中心であったために、ついつい協力して動いてきてしまったのが現実である。イコモスとは立場が違いそうだが、報道によれば、ものの見方として「鎌倉全体の歴史的普遍的価値が証明できない」という評が聞かれるようだ。そんな評を受けた鎌倉としては、この流鏑馬などは、周辺住民や鎌倉に来る人と歴史の価値を共有する数少ない連結器だったような気がするが、それが存分に認められなかったことも今回の結果なのだし、それは力不足と反省もしているところでもある。
 鎌倉市が、推薦した文化庁がこれからどう動くのかはわからない。何でも世界遺産は、一度申請して却下されたら、二度と申し出ることはできないことになっているのだそうだ。
 結論が公表される前に申請を取り下げて出直すか、それともこの申請以外のところで活動展開を狙うのか。これは国や自治体などが決めることだろうし私らの出る幕ではない。
 ただ、私としては、こんなことで騒ぎたくない。大切なのは骨董的な価値ばかりではない、もっと我々は本質にある精神性を掘り下げ、それを表現できる精進だと思っている。流鏑馬だけでも、神道精神、頼朝精神、それをしっかり基本にしたものにすること、そんな応援に集中したいと思っている。それこそ鎌倉の持つ歴史的普遍性・価値観を高めることにも、結果的にはつながるのではないだろうか。
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