葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

今日は鉄道記念日

2012年10月14日 14時41分41秒 | 私の「時事評論」
 明治天皇のお喜び

 今日は日本の近代化への大きな節目となった鉄道記念日である。明治五年のこの日、東京・新橋と横浜・桜木町の間に、我が国で初めての鉄道が開設された。鉄道の建設は日本が発展をするために幕末から西国初版などが注目していたものだったが、明治維新がなると早速工事が始められ紆余曲折もあったが、この日に晴れて開通にこぎつけた。
 明治天皇もこのことをたいそう喜ばれ鉄道開通のこの日、自ら新橋横浜間を往復され、また百官(すべての関係者)に対する勅語を出されて、日本全国に鉄道網が張り巡らされ、日本の国力が大いに伸び、国民生活の向上することを希望された。
いか、その勅語を紹介する(ただし漢字は現代略字、片仮名は濁音入りひらがなとし、カッコで難解の文字の解釈を入れてある。
  鉄道開業式に際し百官に賜りたる勅語      明治五年九月十二日
 今般我国鉄道の首線(初めての線路)工竣るを告ぐ 朕親(みずか)ら開行し(開通式で乗り初めをし)其便利を欣ぶ 嗚呼汝百官此の盛業(立派な事業)を百事維新(全てのことを新しく始める)の初に起し此鴻利(大きな便利)万民永享(長く享受する)の後に恵まんとす 其励精努力(大変な努力)実に嘉尚(褒める)すべし 朕我国の富盛を期し 百官万民の為に之を祝す 朕更に此業を拡張し此線をして全国に蔓布せしめんこと庶幾す。

 勅語の意とすることは

 勅語の意とすることの一つ、それも大きな柱には明治天皇の示されたこの発展の鴻利(便利)を広く全国に及ぼし、日本中に張り巡らされる鉄道網により、全国の足並みをそろえての発展を期待されたところにあった。
 一部のもののためのみではなく、向上は全国民にもれなく及ぶものにしなければならない。この天皇のお気持ちが国全体に徹底していて、政府もその他の行政機関も、それを基本方針として日本の発展に努力してきた。これが明治維新以来、その発展が世界を驚かせた日本国の歩みがあった。
 国は鉄道省を中心に北は北海道から南か九州まで、背骨となるべき本線を整備し、租手を基にした各地を結ぶ視線を網の目のように整備し、全国度がそろって文明の影響を受けるように努力を積み重ねてきた。
 そんな徹底した「発展は中央だけではなく、全国津々浦々に至るまで」との方針は、道路においても通信網においても、国民教育や、市町村の整備、警察や消防面の整備、様々の面で重視されてきた。
 もちろん、そんな文化の整備には資金もかかる。鉄道などは主として国鉄がそれにあたったが、国の整備の事業であるから、採算的にはどうしても合わない事業には中央の採算のたつところからの資金をつぎ込む必要があった。それにこの鉄道網の後に続くように参入した民間の鉄道会社は、それが営業として計画されたものであったので、不採算の路線の建設には向き得ないという制約があった。いまではそんな国鉄の抱えた膨大な赤字を解消するため、国の鉄道事業は分割されて、それぞれが独自に採算を求めるものに代わって行ってしまったが、国としては、この「明治維新以来の夢」とも言える「日本国は揃って発展を図らなければならない」との精神は、消したくない一本の柱だと言える。
 鉄道記念日には、そんな側面にも思いを入れたいものである。

 写真は最初に東京横浜間を走った我国蒸気機関車の一号機

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