葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

心の豊かさを求めたい

2011年05月30日 23時05分42秒 | 私の「時事評論」
 

 日常茶飯事の老人の事故死
 インターネットにパソコンをつなぐと、まずニュース、「夫は病死、妻は溺死」という大分県のニュース。宇佐市で、浴槽に落ちて死んだ老夫婦が発見された。下着姿の86歳になる夫と部屋着の85歳の妻。検視の結果、風呂に入ろうとして不整脈で倒れた夫を助けようとした妻が浴槽に倒れ、夫は発作で死亡、妻は浴槽に落ちて溺死したものと分かった。二人はともに足が悪く、高齢で介護が必要とされる状態だったが二人だけで暮らしていた。
 犯罪事件ではないが、この種の老人のニュースが最近は多い。孤独に一人暮らをしていて、食事が摂れず餓死をした、身体が動かぬばかりに死亡した、そんなケースにはもう、殆どの人が振り向きもしなくなった。

 日本をむしばむ大きな課題
 「またか」と思って見過ごそうとして、そんな自分がどこかおかしいのに気がついた。これはあってはならないことなのだ。だが見回せば、そんな危険な状態にいる人が急速に増えている。寂しい一人暮らしの老人も多い。最近は昔のように、地域でお互いを見守り合う気風も急速に消えている。こんな状態を考えないで、景気が少しばかり上に行った下降したと一喜一憂する空気、それこそが、日本がいま、病んでいる何よりの証拠なのではないか。
 いまの我が国は従来から社会を支えてきた家庭全員が同じ屋根の下に暮らす風習が崩壊し、隣近所が親しく接触し、互いに助け合いながら生きる協力意識も崩壊してしまった。そんな空気が満ち満ちていた日本なのに、それをことさら崩壊させるのが進歩であるように思う空気が、無理やり押し付けられ教育されてこんな国になってしまった。これに加えて人口構成が極端に高齢化し、従来の日本が経験したことのない大きな課題を抱えることになっている。
 
 日本を無理やり悪くした戦後の改革
 どうしてこんなことになったのか。その背後にあった環境から、冷静に眺めておさらいしてみる意味があるのではないか。
その傾向は日本が長い歴史で、未だ経験したことのない敗戦を経験した時から始まった。日本は外国に占領をされたことがない珍しい歴史を持つ国だった。周りを海で囲まれていたので異民族や外国に征服されることがなかったのだ。しかしその間も、海を越えての小人数の船を使っての往復はあり、それにより外国の進んだ文化が伝わっていて、外国の珍しい文化や渡来の品物に対しての憧れは国民に強く、「舶来」という言葉は「素晴らしい」と同義語のように使われていて、伝統的に舶来文化を尊重する気風は強かった。
そんな中で明治維新を迎えた。日本は、外国の植民地にされずに独立を維持するために、西欧の進んだ科学技術を進んで取り入れて、その力で外国に対抗しようと考えた。「和魂洋才」という外国文化取り入れの方針が取られ、言葉は盛んに用いられたが、政府をはじめ国自体に追いつこうとする西欧文化に憧れ、西欧礼賛の空気は強く、模倣する空気が濃厚だったので、日本にはいよいよ舶来礼賛ブームは強まっていた。
 日本の文化は地域共同体としてのつながりを個人に優先するものとして、個人より生活単位の家族を基本にして長い歴史を重ねてきていた。国中に地域統合の祭りをする神社があり、その頂点に皇室があり、国民は最終的には一つにまとまる結束をもった文化集団だった。そこに明治以来の国策で従来の文化とは異質の外来文化が急速に入ってきたのだ。そんな落ち着かない空気の中で、日本は初めて敗戦を経験した。
 日本を占領したアメリカは、西欧文明の脅威となりかねない日本の文化構造を根本から変革し、日本を西欧あとに従う従属した国にしようと強引に占領政治を行った。
経験的に敗戦というものの屈辱を知り、外国の占領がどんなものかを骨身にしみて知っている国ならば、占領されている間は「負けたのだから仕方がない」と我慢していても、ふたたび独立を回復すれば自国の文化を取り戻すことを知っている。だが日本は経験がなくそれができなかった。憲法を変えられ、教育では家族制度は封建的時代遅れだから捨て去って、子供は親から独立せよと教えられ、親孝行を古い概念だと捨てさせられ、地域社会とのつながりも切られた。地域を束ねていた神社への信仰まで干渉制約され、生まれたままの個人こそ何より尊いと教えられ、国を愛すること、皇室を尊崇することまでも個性の制約だと否定された。
 そんな洗脳教育が続けられ、そんな占領軍に媚びてついていった連中ばかりが占領軍に引き立てられて国や役所、教育機関、報道機関などの要職を占めた中、従順に従ってきてこんな日本が出来上がった。

 戦後の風潮は65年も続いた
 こんな空気は占領が解除されてのちも変わらなかった。日本人が敗戦した時のテクニックを知らなかったためだろう。あるいは舶来意識を持っているために、占領軍の意図を見抜けなかったのか。日本には何千年もかかって積み上げた伝統的な道徳基準があった。それは外来の儒教などの用語が使用されていたが、日本の文化が長い間に作り上げてきた独特のものだ。人間は個人個人で生きているものではない。先祖からいま生きている文化を継承し、それを自分の糧として生きている。親や祖父母の無限の愛情に包まれて大きくなったし、隣人たちの見守りの中に成長した。そのことをしっかり知って、お世話になった人たちへの敬意と愛情を持ち続けて生きなければならない。そんな協力し合う人が集まる組織が国であり、皆が集まる共同社会を見守るのが地域の鎮守さま、そしてそれらを積み重ねた頂点には皇室があるとの教えは西欧にはまねのできないものだったのに。
 この観念が徹底的に壊され、若い世代に全く教えられることが無くなってしまった。戦後の教育はまるで野獣のように奔放に育ち、過去の蓄積である恩義や同義などは否定して、個人の我儘な利益のみを追求する人間を育てることに力を入れた。
 そしてあれから65年が経過した。これだけの長期間、洗脳教育を続けられると国民のほとんどがこの種の洗脳教育のもとに育ったことになる。しかしそれは十らの日本人にしっかり定着していた価値観と全く反対のことを教える教育だったので、徹底するのに時間もかかったが、いまでは子供ばかりではなく、親や祖父母まで、みんなその教育で育った連中ばかりになったと言っても過言でない。
最近になり、教育の成果は如実に表れるようになってきた。おびただしい核家族化の現象はその教育の成果だろう。日本中に広がった団地といわれる小住宅は、全国の家の広さを半分に狭め、統計的には建物に占める便所と風呂場と台所などの僅かの時間しか使わぬ場所ばかりが飛躍的に増加して、庭も狭くなり家のウサギ小屋化を進めた。伝統的家族形態の破壊はすねをかじるだけかじられた末に老人から子供らが逃げて、老人だけが残る所帯を急増させ、老人医療費を増加させた。家庭への教育を受けていない親が自分の子を虐待して殺し、子供が親を殺すなどの家庭内の悲しい事件も増加した。子育てに常識のないモンスターペアレンツなどという新種族が生まれ、ニートなどという引きこもりの若者が生じ、子供は社会になじむ道を閉ざされた。公共機関の優先席は若者に占拠され、立ちすくむ老人の前で、禁止されているはずの携帯電話をいじくりまわす姿も増え、昔からのおなじみの店を捨てて、一円でも安い店に群がるような人ばかりの社会になって、犯罪の検挙率も低下した。
日本には日本の公共道徳があった。人間なら果たさねばならないルールがあった。それらが片端から否定され、おかしな社会になってしまった。

本当の穏やかな暮らしは
国民の生活水準を維持することは大切なことだと言われている。憲法にもその権利は認めてあるとかいって、それを何よりも大切にする主張はあちこちで繰り返されている。権利はみんなが主張しても、義務はだれも果たそうとしない。税金を増やすこと、実質所得が下がることなどには強い反発があるが、要求することだけはいくらでもする。
人間の生活にとって、経済的な指標だけが上がれば、それが幸せを生むのだろうか。誰もそんなことに気がつかない。生活が豊かか貧しいかということは、ただうんと食えてうんと糞をするだけでは決まらない。資源やエネルギーの無駄遣いをするだけでも決まらない。人々の暮らす心の豊かさと密接につながっているのではないだろうか。親も子も孫も明るい気持ちで暮らせる環境、隣人があったら明るく挨拶をする環境、困っているものがいたらだれもが助け合う環境、そんな心の豊かさがなければ、人は豊かな心では生きられないものである。このことをもう少し考えるときなのではないだろうか。
私たち老人は、夜などは鍵もかけずに安心して眠り、夜道でも不安な状況を感じたらどんな時でもそこにある知らない家にでも助けを求め、突然雨が降って困っているときには、見知らぬ家でも傘を貸してくれる、そんな時代を覚えている。街灯も今よりはるかに少なく、防犯ブザーもモニターカメラも携帯電話もない時代だったが、いまよりはるかに安全に毎日を過ごした思い出がある。そんな時代は今よりもはるかに心が豊かだったと思いだす。
幸いなことに最近、お互いにもう少し心を通わせ合いながら生きたらどうだろうと思う機運も高まっているように思う。東北の大震災も、不幸な出来事ではあったが、国民に、助け合うことの大切さを思い出させてくれた。こんな気持ちを大切に盛り上げていきたいものである。

東日本大震災に学ぶ――その3

2011年05月27日 21時08分41秒 | 私の「時事評論」
 日本の神道と原子力発電
 わざわざ低地に削って建てていた福島原発事故
 
今回の震災に伴う福島第一原子力発電所の被災、これは我々にとって大きな教訓であった。
 去る5月5日、東京新聞には海抜10メートルの位置にたつこの原子力発電所の敷地は、かつて発電所ができるまでは海抜35メートルの丘陵地であったことを報道した(しかし、この報道は重要な内容を持っているのだが、なぜかそのあと、新聞マスコミが扱わなくなった。何らかの話し合いがあり、故意に消されたと思われる)。旧陸軍の飛行場であったここに40年前に発電所を設けるときに、海から資材を搬入するためや、海水を取り入れやすくするために、わざわざ25メートルも丘陵地を削って発電所を建設した。これには当時の地震学の研究結果、「ここには5メートル以上の津波は来ない」というデータがあったとされている。
 考えてみれば、こんな切り取り工事をしなかったならば、地盤にいくらか問題があったのなら、施設の一部は地下室にでもして高度を維持してあれば、今回の津波による大事故は起こらなかった。これは明らかに今回の事故が、人間の知恵の浅はかさに基づく人災であったことを証明している。
津波が発電所の機能を破壊して以来、国がいままで宣伝していた「原子力発電所は安全だ」という宣伝が、事実に反したものであることが次々に明らかになった。政府や東電の説明は、日を追うにつれて事故そのものが深刻なものであることを小出しに明らかにし、いまでは広い周辺を含めて、人の住めない土地になりそうな気配である。情報を小出しにする原因はどこにあるか。それは当事者の事故の復旧より、大事故を起こしたとして責任追及を恐れる意識が強いからだろう。このため、「最悪の事態を想定して万全を尽くす」という復旧の基本精神は消されてしまう。
 将来起こりうる事態に関して、あらかじめ考慮しようとしても、それを充分に検討できる能力は今の段階では不足している。不足しているのにもかかわらずそれを過信してしまい、それを確実なものと思い込んでしまう傲慢さ、それはこの世を支配するのは人間であると思い込む近代思想が影響していると思う。だが我々日本人は、少なくとも近代までは、この種の発想とは異質な思考の中に生活を続けてきていた。それを思い返してみる価値があるのではなかろうか。

 原子力発電所は日本の伝統文明思想に合わない
 
 原子力発電に関しては存続、廃止それぞれに、様々な方向から意見が述べられていて、かまびすしい状況になっている。それらは経済性を巡ってのもの、政治的なもの、物理や化学に基づくものなどいろいろあるが、私は経済学者でも政治家でもないし科学者でもない。しかも特定の政治的イデオロギーに縛られたくない。ただ日本の伝統を大切なものと思い、その日本の育んできたものの考え方が、いま、様々な方向で行き詰まりを迎えたと言われる現代文明の将来を切り開くカギがあると確信している。
 私は日本の昔ながらのものの感じ方、考え方を大切にする日本固有の信仰・神道を大切に生きる一人である。そして原子力発電というものには、神道の立場から大きな疑問を感じている。
それは原子力の利用がいままで人間が行ってきた資源利用の中で特別の存在であることによる。核燃料からエネルギーを取り出した後に、使用済みの燃料は自然界に存在しない危険な物質に変化する。それを容易に以前の状態に戻せない状態になる。そのため使用済みの燃料などは漏れ出したり放射能を拡散したりしないように厳重に密封して地球のどこかに封じ込めておく必要がある。
 人間は今までも木を燃やし、化石燃料を焚いてそこから膨大なエネルギーを取り出してそれを生活に利用してきた。これらの燃焼は、炭酸ガスを出すが、炭酸ガスは森林の木や草などにより再び循環してもう一度燃料にできる。自然は見事に循環していた。人間は多くの植物や動物を食用にし、また衣服や住居などにも使用して、自然の大きな破壊者だが、それらもいずれは自然に戻る。だが、原子力の利用はこんな循環のサイクルを破壊してしまう。
 我々の祖先は、自然の草木や山や石、水などにも神が宿ると信じ、それらの本来の機能を破壊することなく、そんな自然とも一定の調和を保ち、そのバランスに逆らうことなく人間も生きていくべきだと信じていままで生きてきた。人間だってそんな大きな自然体系の中の一つである。それと調和をすることにより、そんな条件をはっきりと認めたうえで、あとから生まれてくる子孫のために、良き環境を継承し、できることなら「子孫に美田を残す」という言葉があるように、より人間にとって住みやすい環境を残す。これは絶対的な条件だった。

 自然のリサイクルの中に生きるのが神道の精神

 こんな信仰・神道的な日本人の感性、この世界は人間だけが勝手に生きてよいものではないという我々の神道から言うと、原子力発電所は、日本人の作ってよいものといえないと私は思う。自然との調和の信仰から見ても、現在の原子力発電の廃棄物は、地球の環境を破壊し、人間が現段階では自然に対して、再び使用前の条件に戻すことのできない永久の汚染を残すことになる。しかも今回の原発事故のように、原子炉を使用中に事故を起こせば、無限に近い生物に有害な放射能をまき散らし、大きな被害をまき散らし、美しい国土を人間の住めない地域に変えるし、放射能は生物の遺伝因子までを破壊して、想像もできない自然の破壊を進めることになる。
 放射能漏えい事故は現段階では我々がいかに万全の備えをしていると思っていても、どこで発生するかわからない。原発に、あのニューヨークのテロ事件のように、故意であるか偶然であるかは別にして、飛行機やミサイル、爆弾、隕石などが落ちてきて、大きな事故が起こることだって、絶対にないとは言えないことなのだ。
またこの危険は使用済み燃料に関しても言えることだ。子孫のために我々が残すべきものは、美田であって永久の「マガツヒ=けがれ」である汚染物質ではない。

少なくとも無害なサイクルが開発されるまでは

 私はこんな理由から、日本は現段階では、原発を、しっかり使用済み燃料の自然界への還元の技術が完成し、あるいはどんな事故や犯罪、ミスが起こっても、悪魔の放射能が外に出ず、有害な使用済み核燃料が排出されなくなるまでは、我々が使ってはならないものであることを強く主張すべきであると考える。
 「核燃料を使うことがなければ、我々はどんなに他に道を求めても、エネルギー需要に応じきれない」。
という意見は当然出てくるであろう。
だが、自然の摂理から考えれば、できなければ使わずに生きていく道を必死で考えるべきだと思うことにして、万難を排して努力すればよいことである。無いものねだりをして先祖から守り続けてきた自然に対する調和の心を失ってはならない。

 浦安の国土をいつまでも保全するために

 原子力を、私はいま、ここで完全に否定しろとまで主張しようとは思わない。放射線があるからこそ、治る病気があることも知っている。将来原子力の及ぼす害を抑えて、安全なリサイクルができるようにするために実験を続けるための研究にまで、それを使ってはならないとまで、強弁しようとも思わない。本来はそこまで主張をしなければ論争の論理が完結しないと私を批判する人も出てくるだろう。だが、私は論争のために原発に反対しているのではない。我々が暮らしているこの世界には、我々以外に多くのものがあり、その恩恵によって我々は暮らしている。人間だけが生きていかれれば、世界がどんなことになってもよいと思っていないだけなのかもしれない。
 自然界の万物に対してその存在の陰にはすべて霊性があることを感じ、万物により生かされている己に感謝して生きていこうとする神道の信仰。それはこれから我々が生きていく上の大切な指針であると思っている。

 付録 核に対する最初の宣言は終戦の詔勅であった。

 終戦のご詔勅
 ここで核の問題に関して、一つ覚えておいていただきたいことがある。それは日本人の核兵器反対の声は、昭和天皇のお言葉に始まるという史実である。
いまから65年ほどさかのぼる昭和20(1945)年、日本は当時、アメリカ、イギリスなどと戦争をしていたが、開戦当時は戦局が有利だったのだが、国内資源に乏しい我が国は戦争が長引くにつれて武器・弾薬・燃料などの不足によって追い込まれ、だんだん追い込まれる状況にあった。起死回生を狙って軍部は新型爆弾(原子爆弾)の開発の研究をしていたが、それが昭和天皇のお耳に入ると、天皇は、それを人類破滅への悪魔の兵器だとして厳しくいさめられ、研究中止を命じられた(これは私が勤めていた週刊新聞社の政教研究室で、先の大戦の終戦始末を調べているときに、先輩記者が戦時中の主要閣僚から聞き、少ない資料を調査中と話してくれた話である)。
 しかしその頃から米軍による本土空襲は厳しくなり、日本の都市は軒並み彼らに焼きつくされ、やがて広島・長崎に米軍により原子爆弾が落とされた。この情報に接された昭和天皇は、将来を決しかねて紛糾している時の内閣に、米英など連合国が日本に対して出した終戦の条件・ポツダム宣言を呑んで降伏するとの決裁を示された。そして日本は8月15日、天皇ご自身がラジオで「終戦のご詔勅」を発表され、全国民に耐えがたいことであろうが、ただちに戦闘行為を中止して祖国復興に力を入れるように諭された。ここに終戦の詔勅の核兵器に関する部分を紹介する。

  敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル 而モ尚 交戦ヲ継続セムカ 終ニ我々民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス 延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ 斯ノ如クムハ 朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ 皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ 是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
(昭和20年8月15日、終戦の直後より)
(訳=敵は新たに残虐な爆弾を使用して、たびたび罪のない人々を殺傷し、惨害の及ぶところは測るべからざるにいたった。それでもなお交戦を続ければ、ついには民族の滅亡を招くのみならず、ひいては人類の文明をも破却してしまうだろう。そうなれば私は何といって一億の国民を引き受け、皇祖皇宗の神霊にお詫びして良いか。これが私の帝国政府に対して、共同宣言に応ずるように命じた理由である)
 昭和天皇は一億国民の祭り主のお立場で、日本の皇祖皇宗の神霊に対して、核兵器に対してその使用は人類文明を破壊し、人類を滅亡させると厳しく批判をされた。世界最初の核兵器使用への反対の宣言である。
 昭和天皇は放射能のもたらす残虐性を鋭く判断されて、たとえ国家の浮沈を決する厳しい事態の下であっても、国民にこの種の害をもたらしては祖先や神々に対して、祀り主としてわびる言葉がないとお考えになられた。日本人はこの陛下の厳しい核に対する姿勢を忘れてはならない。

 人類文明が破却される
 昭和天皇がこの詔勅を発せられた当時、核兵器のもたらす罪過、原子力というものに対して、どこまでの知識を持たれていたのか、それは分からない。しかしその後に放射能の人類に及ぼす影響については多くの事実が明らかにされ、直感的に陛下が「神々にわびる言葉も見当たらぬ残虐なもの」であることが証明された。またさらに、少なくとも現在の人類の科学知識の水準においては、たとえ原子力が直接兵器としてではなく、いわゆる「平和利用」と言われる核物質の持つエネルギー供給の利用という分野においても、みだりに利用するのは自然のリサイクルにおいても未解決な問題があり、躊躇せざるを得ないものであることが明らかになった。
 参考にお示しする次第である。

東日本大震災に学ぶ――その2

2011年05月27日 21時05分32秒 | 私の「時事評論」

西欧思考と日本思考のはざまで

上辺だけ西欧論理をとりいれて

私は今回の震災に対して、現在の日本の文化が、明治時代以前は、その基礎にあった日本人の思考風潮が、鎖国開国後の過度の西欧礼賛・崇拝風潮に流されて消え去って、日本人の伝統思考方法とは木に竹を接ぐような血の通わぬ硬直したものになってしまい、有史以来我々の祖先が実際に体感し、はぐくんできた感性が異質のものになってしまったのを強く感じている。
日本人は今でも伝統的な文化遺産や環境の中で暮らしている。しかし、頭がすっかり硬直した、しかも歴史には裏打ちされない上辺だけの西欧思考に固まってしまった結果、自然に対する慎み、惧れ、謙虚な姿勢を見失い、しかも西欧的な論理も表面だけの堅苦しい枠の外に出ることができないで、西欧文明思想以上に不完全で硬直したものになり、必要以上の被害を生む結果になっているのではないかと思っている。
突然にそんなことを言い出すと、何を言い出すか。この男は近代思考方式のなんたるかも知らず、時代錯誤のアナクロニズムではないかと怪訝な顔をする人も出てくるかもしれない。

 頭の固い日本型欧米思考

地震対策は一にも二にも、被害は地震や津波に対して、それが起こりうる学問的緻密な研究をして、予想される災害に対して考えうる限りの対応策を打ち、しっかりその被害を食い止める備えをすることに尽きる。今回の被害もそれをしなかったから生じたもので、不幸にして学者たちの想定する予想を、現実の事態が越えてしまったのが今回の事態の原因だという反論が出るだろう。今回の地震の規模が人知を超えたものだったという以外には考えられないと。
今回の地震の規模はマグニチュードの9であった。エネルギーとしてはマグニチュード8の際の32倍ほどの猛烈なエネルギーが発生して地層を揺るがした。マグニチュードは地球が破滅する危機のある衛星が地球に衝突するような規模のものをM10と設定して、あらゆる事態を係数により測定するが、それが9という高い数値になったのだから、現代の人間の技術からして、対応不能のものだったという結論がそのあとに続くのだろう。

そして彼らは言うかもしれない。地震で多くの家が倒壊して死傷者が出た。これは東北地方の住宅をどんな地震にも耐えうるような耐震建築基準法を作り、いまの想定よりはるかに厳しい建造物にしておけばよかったのだ。地盤が大きく動いて家がつぶれた。これには地盤の状況を調べて、しっかり杭でも地中深く打ちこんでおけばよかった。電柱が倒れた。地下ケーブルにしておけばよかった。鉄道線路が崩れた。土など盛らず鉄筋の土台に全部しておけばよかった。橋が落ちた。強度をもっと強めておけばよかったのか。道路が壊れた。鉄筋が入っていなかったからだ。津波がやってきて惨害を生んだ。堤防が低すぎた。十数メートルの高さで強靭でなかったからだ。
だが、そんな意見を基に対応を進めていたら、日本は四方を海に囲まれている。そんな国土が10メートル以上の強靭な堤防に囲まれたら、刑務所のような高い壁に囲まれた国になり、家は住みにくい戦時中のトーチカになり、殺風景この上ないばかりか、そんなものを作る経費を考えても、日本経済がそれを負担しきれる力を持っているとは思えない。結果的には現実には、できることのない不可能な空想になる。
こんな発想は、発想自体が間違っている。我々はこんな厳しいことも時には起こる国土だが、ここに住み、豊かな生活を楽しもうとして生きているのだ。生涯のうちに親・子・孫の時代に一度でも、起こるか起こらないか分らぬ地震と津波のみを跳ね返すことのみを考えて生きているのではなく、日常の穏やかで明るく楽しい生活を楽しむために暮らしていることを忘れてはならない。

自然は時には、我々の抵抗することのできない大きな力を以て、我々に向かってくるかもしれない。自然とは、我々が数千年、積み上げてきた知識やそれによって得た力などとは、比べ物にならない大きな力を持っている。それに正面から挑み、それに力で抵抗し、自然の威力を征服しようなどと考えてみても、それは限界がある。

学問は大いに研究を深めればよいが

自然の威力がどれほど巨大なものか、それを学問としてさらに突き詰めるのは、人間の知識としては必要なことだ。だがそれと同時に、ただ自然の猛威を敵として真正面から刃向い抵抗するだけではなく、どんな大きな災害が来ても、その被害を最低限に抑えるために、我々はどうしたらよいだろうかという、災害から生き延びるための研究を、人間としての自然への処世学を謙虚に進めるべきなのではないだろうか。住民が集団として長い生活をしてきた中から編み出した知恵、避難の仕方、家の中での対応法、災害から避難することも自分でできない人への応援の仕組み、あるいは津波が来て海中に浚われてもそのあと無事に救助される仕組み、警報のシステム、避難所の安全性の再検討、避難路の安全性の再確認、今回大きな障害になった放置自動車への対応、全地域一斉停電を防ぎ、部分的にも電話やラジオなどの電源を確保する方法、公共の有線無線の放送の充実、あらゆる対応を積み重ね、できる対応を積み重ねて犠牲を減らす努力。こんなものを積み重ねて事故による被害をコツコツと減らし、それを訓練することによって、被害はゼロにならなくとも、格段に減らすことができそうである。
我々が最近もつようになった「自然の横暴に対抗し、それを人間の力で封じ込めるのだ」という発想はあまりに人間を権威あるものとして考えすぎていないだろうか。自然の現象に対しては、やはり人間は、それが与えられた人間を試すための試練と受け止め、それに生き延びる方法を広尾く考えるべきなのではなかろうか。自然の脅威に対抗するのには、柔軟な対応策も必要だと思う。ここでも一例をあげれば、地震が起きた時、地震への補強を考えた建造物より、なぜ古い木造の神社や寺院の建造物のほうが生き残るのか、直線的に整備した堤防より、川や海の曲線にそった堤防のほうがなぜ強いのか、様々な我々が最近見落としていることの研究も必要になろう。
さらに、現代に生きる我々は、いつしか災害に対する準備を整えるにつれて、「これだけ準備をしたからもう心配はない」と、自然のもたらす災害に対して僅かな知識に溺れて過信するような傲慢な姿勢を改めるべきだと考える。それは結果として自然の脅威を忘れ、かえって被害を大きくすることもある。

自然の征服と自然との調和

私は、自然の恐ろしいまでの巨大な力の威力を知り、人間のできることの小ささとの対比は、我々が常に知っておかなければならないことと考えている。
人間の科学技術が発展し、人間が火や風を道具にする知識を身につけて、大きな力を得たとはいっても、人間のいまの知識の水準では台風一つ止めたり曲げたりする力も身につけてはいない。雨や晴れの天候を変える力もないし、熱波や冷害を逃れるすべも持ち合わせない。自然の大きな力の前に、我々は実に小さな存在でしかない。
それなのに、人間はいつの間にか、自分が何でも知っているように思いこみ、自然と人間とは対決するもの、人間は自然を征服するものだと思い込むようになってしまった。私は現在の人のものの考え方に、その種の自分の力の足りなさを忘れ、思い上がってしまった人間の傲慢さを感じている。そしてそれこそが天災が起こると、必ずと言ってよいほどに付随して人災が起こる基であると考える。
今回の東日本大震災でも、堤防をしっかり作ってあるから津波対策は万全だと過信して、避難訓練などはせずに大きな被害を出したところ、津波への避難訓練をしているから安全だと過信して、想定以上の大津波がやってきたので被害が大きくなったところなどもあったと聞く。あるいは今の政府の対応の姿勢などにおいても、原発の事故のように、何の落ち度もないと自ら思い込み、過信をしてしまって謙虚に自らの至らなさを認めようとしない傲慢さが、事態をいよいよ混迷化させ、被害を拡大させてしまったことの多さを知るべきである。
日本人は以前からそんな思い上がった発想をする民族ではなかった。自然の営みは神々の力の働きによるものだと畏れ慎み、その営みが自分らにとって穏やかで恵み多いものであることをつかさどる神々に祈り、それらを受け入れて、いかにして生きていくかを求めるのが、我々が祖先から代々伝えられ、実践してきた生き方であった。そんな慎みの上に、人間でできる英知を積み重ねて、相協力し合って生きようとしてきた。
謙虚な姿勢は様々なことを思いつかせてくれる。しかし、自己過信の傲慢さは、いつか文明を破壊させることにつながる。
忘れたくないものである。

(続く)

>東日本大震災に学ぶ――その1

2011年05月27日 21時03分12秒 | 私の「時事評論」
災害とそれへの接し方

 震災復興が進まない要因

 今回の東日本大地震は、史上最大級の地震であり、加えて最大級の津波まで伴うものであった。地震は宮城県沖洋上で発生、東北各県の太平洋沿岸地帯から茨城、千葉県などを中心に建物や施設などを次々に破壊、道路や鉄道などを寸断、跳ね返った地層は地表の地形を歪め、東北地方沿岸一帯の地盤を沈下させた。我が国では、起こりうると予想される津波を最大5メートル前後と想定して、これに耐えうる準備をしていたのだが、発生した津波は、場所によっては高さ10メートルを超え、都市や村を、集落を次々に丸ごと呑みこみ、住んでいた住民もろとも、家や車などを海のかなたに持ち去ってしまった。

こんな激しい地震が東北地方を襲うとは、国も震災地区に住む人々も全く寝耳に水だったと思われる。国は、将来我が国に起こりうる最も危険な震災は、東海大地震が中心になると、それが最大マグニチュード8クラス、津波も5メートルほどになるかも知れぬと予想し、それを最大限度のものとして、毎年防災記念日には東海地震を想定し、首相が指揮をとって対応準備や訓練を実施し、これで一応、震災対策はできていると思っていた。他の地震や津波はこれ以下のものと思っていたのだ。その油断が傷を深くした。
今回の地震は午後2時46分、昼過ぎで、まだ学校の授業が行われている時間に発生した。ごく稀な例外を除き、多くの小・中学校がかねて作成したマニュアル通りに校庭に生徒たちを集結させ、地震が収まるのを待っていた。
だがいくつかの学校には、山のように見上げる大津波が襲来して、集まっていた子供たちをそのまま海にさらっていき、多くの幼い犠牲者を生ずるにいたった。またビルの中や屋上に津波を逃れようと避難した人を呑みこみ、街で車に乗って逃げようとする人たちも車ごと連れ去られた。犠牲者の数は推定二万七千人。まだ市町村役場の住民調べの機能さえも完全には復帰せず、実際の犠牲者が一体何人となるのか、詳細な数字は分からないが、防災知識が以前よりかなり一般化して、特に火災への備えや地震による家屋の倒壊に関しては、かなりの対応がされていたのにかかわらず、そして大規模な火災事件は、在来の昼職時に起こった関東大震災や関西大震災の時に比べて、はるかに小規模に過ぎなかったのに、その被災者はきわめて大きな数に達してしまった。

日本を揺るがした原発の事故

大震災が発生したのは三月十一日の午後であった。あれからもう二カ月以上が経過する。地震は東北地方にはまだ春の来ぬ寒さの厳しい時期に起こった。しかし今は薫風の五月の時期もそろそろ終わり、時には真夏の暑気も混ざる六月が始まる。
しかしそれなのに、この地震の被害から回復し、もう一度被災地に元気な街並を、港を、そして住居や畑を再興しようという動きは、はじまったと言い難い状況にある。一部の地域などは、いまも復旧には手がつけられず、地盤沈下でまだ海水がたまり、いまだに廃材や汚泥が山と積まれて、悪臭を放ったままに放置されている。
今回の震災のニュースはただちに世界に流され、その痛ましい災害の惨状に、世界中から見舞いの言葉や義捐金などが送られてきた。国内には復興への応援をしようとの声がわきあがって、膨大な義捐金、援助物資などが集まり、また災害地で復興の応援を手伝おうと駆けつけるボランティアも未だかつてないほどの数に達し、それは今も続けられている。
天皇陛下はいち早く被災者にお見舞いと励ましのお言葉を出され、全国民が協力して一日も早い復興をと訴えられ、ご自身も皇后さまとともに連日のように被災者を見舞われ、御老体、闘病中をおして、被災者たちに声をかけ続けておられる。全国の自衛隊、警察、消防、公務員などの応援も、いままでの前例をみないほどの全国的な盛り上がりを見せ、外国からの応援もあった。

だがそれでも復興の作業は進みが遅い。被災者の多くは一時収容のために設けられた体育館や公民館、学校などに未だに多数が収容されたまま、プライバシーが最低限土確保できる仮設住宅もまだほとんどできていない。これでは日々の食事だけは救援物資などで食いつなげても、復興のために目標を定めて動くこともできない。被災地は地震や津波の跡を残したままで、砂塵にまみれて復興への槌音もほとんど聞かれない。その上、後片付けは皆の手でかなりに進んだが、肝心の復興への基本計画が定まっていない。青写真も示せないでいる国や自治体から、工事を進めようとしても、「再建構想が定まるまでは、もう少し待ってほしい」とのストップがかけられ、時間ばかりが過ぎていくという始末なのだ。

政治の貧困は覆いがたい人災

政治が全く機能しない。それにはこの震災で、福島県の第一原発が大きな事故を起こし、事故により生じた放射能災害で、政府が手全く手を打てず、首相はじめ国の指導者が頭の中が真っ白になって、ウロウロしていることが大きな阻害要因になっている。加えて政治を監視すべき任務をもった国会は、ただワアワアと国の無策を数え上げるだけで、自ら建設的に動く姿勢はほとんど見せない。与党の民主党の中の状態は、政治的無能で退陣させられた旧幹部たちが中心になって、自党の首相を引きずり下ろすことのみで頭がいっぱいで、国民のことなどは考えない。国政のチェックをすべきマスコミも、いままでやってきた無責任のその場限りの報道が身について、国をどうまとめて復興に向かわせるかの知恵がない。
政府を足踏みさせているのには、政府自らの国民に宣伝してきた内容が、いとも簡単に信頼できないものだったことがだれの目にもはっきりしてきたこともある。これまでの政府や国は、原子力発電所は、万全の備えをして作られており、どんな災害の時もここだけは被害を出さない、安全の上に安全を重ねた施設だと国民に宣伝してきた。また万一、それでも事故が起こったときは、二重三重の防護対策が準備されており、火力発電所や水力発電所よりも安全な施設であると宣伝もされてきた。
ところが今回の地震と津波で、いとも簡単に原発が大事故を起こすことが事実によって示された。そしてこの種の事故に対しての対応は、かねて何度も災害時の政府主導の訓練を重ね、危機管理は万全と胸を張っていたのに、実際に危機に遭遇すると、各専門の帰還が結束して緊急に対応するなどという方針はどこかに消えて、被害の状況さえ分からずにてんでに迷走する。国はほとんど効果的な対策を打たないままに二カ月もの時間を空費してしまった。その間、首相が指揮する対策指揮本部からは、「心配するな、被害は軽微で短時間で収まる」と発表されていたのが、それも日を追うにつれて怪しくなり、予期せぬ放射能漏れなどで付近の住民が急きょ避難を命ぜられ、また原発から漏れる放射能の拡散で、地元の福島ばかりではなく、広い地域の産物が汚染をし、広い地域の海水や水道水汚染にまでそれは及んだ。
予想もしなかった事態の展開に、国の「保証などあてにならぬ」との機運が生じ、風評被害という極端とも見える国民の東北地方の産物への拒絶反応が生じ、その他の人的物的被害を生み出されて波紋はとどまるところを知らず、外国からは「日本は放射能で汚染されている」との疑惑を生んで、政府は地震の被害の復興よりも、むしろこの対応に追われることになってしまった。
これらは、すべて天災による不可抗力というよりは、天災がきっかけで作り出された人災の部分が殆どと言えるだろう。

天災が人災を生み出す仕掛け

地震や津波は確かに天災であろう。現在のわれわれ人間の力では予測もできず、避けようとして避けられるものではない。だが、そんな災害に見舞われた場合、どのようにこれを受け止めて対応するかによって、受ける被害は大きく変わる。そんな災害への対応において、私は今回の地震において、我々が自然に対する接し方に大きなミスを犯し、根本的な対応からミスを重ね、被害を大きくしたと思っている。自然災害への取り組み姿勢がおかしかったので、事故はどんどん大きくなった。あれだけ繰り返した震災訓練でも、訓練に原発の今回のような事故は含まれていなかったし、想定を超える津波も考えてはいなかった。人間が勝手に決めたドグマに縛られて、それにより被害を大きくしてしまったのだ。
細かく眺めてみよう。わが国は地震学者たちの研究を基礎に、将来起こりうる大震災は、東海大地震がもっとも大規模で危険だとの認識に立って、それを頭において準備を進めてきた。私は東海大地震が起こらないと言っているのではない。その危険性は大きいのだろう。対応を進めるのも大切なことである。だが、「東海大震災の可能性が高い」ということは、「東海ほど大きな震災は起こらない」ということとは論理が全くつながらない。地震を研究する地震学と、それを参考にしながら判断する政治とは性格が違う。学者と政治家との違いは兼ねてから厳しく認識されていることで、学者には学者の限界があり、一方政治家には学者にない時と効果を考えて動く特徴が必要だ。細かくは『職業としての政治』など、いまでは古典になりかかった名著に譲るが、政治はもっと広い視野から物を眺め、判断する義務がある。実際に生きている人々の命や生活がかかっているのだ。
これに照らして地震と政治についてみてみると、現に東海地震の危険性が指摘されて以来、日本海大地震が起き、関西地方に大地震が発生し、新潟震災が発生し、福岡でも東北でも震災が発生している。その中には、ほとんど地震の専門家・学者からは危険性はないとして無視されてきた阪神淡路大震災のような例もある。政治をするものは頭の固さを認識しなおす機会はたくさんあったのだ。
だがそれらの震災に対しても政治家や官僚、専門委員たちは政治の任務を忘れ放置して、国は東海大震災のみに絞っての準備をしていた結果、いずれも「盲点を突かれた」というような対応をして、格段の配慮もしないで通り過ぎてしまった。それが「盲点を突かれた」という表現の実際の姿である。頭が硬直化していたと言うべき問題だ。
あるいは全国の津波に対する防備なども、専門家の研究を基礎に、「最大のものは東海地震で想定されるマグニチュード8程度、起こりうる津波は5メートルほどまで」という独断的結論を作って作成され、「それでよし」としては来なかっただろうか。そうでなかったならば、10メートルを超す津波だって、世界ではしばしば起こっている中なのだ。堤防を作る余裕がなくても、人々の対応で事故を小さくすることができただろう。ライフジャケットを身に着けていれば、流された人でも7割以上は救助されると、水産庁などがすでにデータを固めて持っている。堤防に比べれば、ライフジャケットの配布費用は1%にもならない予算でできる。なぜ、このような狭い解釈に短絡して「それでよし」と思い込み、思いもしなかった事故が起こると「それは想定外だから仕方がない」と深く考えずに判断しようとするのだろうか。この安易な責任逃れの発想が「天災が人災を併発させる」原点だと私は思う。

私はこんな頭の固さで確立を論じ、日本人が伝統的に持っていた自然に対する思い、自然を畏怖して謙虚に生きる姿勢を安易に捨てて、あわてて西欧論理を絶対的なものだと信じ込み、取り入れて知恵でもついたかのように思いこんだ現代の、西欧かぶれの日本人の欠陥が露骨に表面化しているように受け取っているがどうだろうか。

(続く)


ビンラーディンが殺された

2011年05月05日 08時59分17秒 | 私の「時事評論」
アルカイダの首脳、米軍に殺される


 この問題は私の深い関心あるテーマであるが、背後にはキリスト教と回教の文明思想の対立がある。我々の価値観そのもの、宗教問題など簡単に単純な断定をしきれないものもあると考える。そこで即断即決、ここで明確な結論を示すのは、軽率に過ぎると愚考する。


私は日本が明治以来、西欧的=キリスト教的論理だけの上に基礎を置き、物事を断定していく環境下にあると考えている。その論だけで自分の意見を述べれば、現状を軽々しく肯定してしまうことになりかねない。ここでその奥の私らの育ってきた思想と比べたら、どんな判断になるかなど、多面の検討課題もありそうだ。そこで断片的にではあるが、私のいま、感じている率直な所感だけを述べさせてもらう。




 アメリカの執念



● アメリカは先のニューヨークの高層ビル爆破事件など世界を震撼させたテロ事件を次々に起こしたアルカイダのリーダーとされるウサマ・ビンラーデンの潜伏先を突き止めて、パキスタンのイスラマバート郊外にあった隠れ家を、洋上から米海軍の特殊部隊のヘリコプターで急襲して射殺、遺骸をもち去って海中に水葬したと発表をした。


 どんな細かい経過で奇襲が行われたのか、それはやがて詳細が判明するだろう。現在までの情報では、これはパキスタン側に通知せず、米国単独の作戦によって、洋上の空母から出撃して実施した作戦だったようだ。パキスタンは表面上、アルカイダ撲滅には米国に協力するポーズは取っていたが、国内には彼らとつながる勢力も強く、うっかりすると情報が漏れる。そこでパキスタン領の首都郊外であるのに、単独での行動になったようだ。



● これはかねて慎重な作戦を練り、米国大統領自身が指令して行った軍事作戦であった。それをパキスタンに通知もせずに実施したことは国際関係の常識上、相手国の主権の侵害など大きな問題を含んでいるのだが、いまのところ、その種の問題はまだ、大きく取りあげられていない。報道では、いまのところ僅かにベネズエラが、殺人行為を祝福する米国大統領の演説には驚きを隠せぬという見解を述べた程度。日本はじめ西欧諸国などはそろって米国賞賛の姿勢のようだ。ビンラーデンが世界を騒がせたテロリストの首脳で、アメリカとイスラエルを公然と敵としてテロ活動を展開した男であったこと。そして現在の世界機構が、アメリカや西欧諸国中心に出来上がっており、冷静な法よりも、それらの諸国の常識が優先するように世界が出来上がっているためか。


 アルカイダなどのテロ事件の背景には、一方には世界を支配してきたキリスト教文明と、それに手を組むユダヤ教のイスラエル、それに追随する世界の多くの国々に対し、他方には異質の文明に属する回教文化圏にある国々との相克がある。そんな世界でも、多くの回教国はキリスト教圏の国とはできるだけ対立しないようにふるまっているのだが、同じ回教徒の中でも一部の教派・原理主義者は大きな抵抗をもっている。キリスト教と回教との宗教的対立、この対立は大きく見れば、あの十字軍戦争のはじまった11世紀以来、いまだに解決されずに残されている課題ともいえる。



あれからもう1000年になる。激しい憎しみ合いの歴史を過ごした結果、いまではキリスト教の中のカトリックのエキュメニズム方針など、在来の一神教的独善を弱め、諸宗教との対話・妥協を図ろうという動きが出てきて、他のキリスト教の多くの派にも信仰的対立よりも妥協を図ろうとの動きが出てきた。他面、回教国にも国際関係などでは、異教を信ずる国に対しても、お互いに世俗面では干渉し合わない基本姿勢をとる国が出てきている。その後国際舞台に出てきた両宗教以外の信仰をもつ国も、大方は現代の潮流に波長を合わせている。そのため、一部の例外を除いて、一見、国際間に宗教的紛糾の種は減少しているように見えるのだが、現在の国際ルールはかならずしもキリスト教文明国以外には異論なきものとは言い難い面もある。




● ビンラーディンは回教原理主義の立場から、アメリカとイスラエルが結び、西欧諸国や日本などまでを従える構造を宗教上の敵ととらえ、これに対抗する行為をジハド(聖戦)と捉え、自爆テロを含む破壊活動で事件を次々に起こし、公然と更なる行動を宣言し、キリスト教文明諸国から睨まれていた。



こんな立場の指導者だから、自分が敵に襲撃されることも充分当然予想していたと思われる。いまだに発表されていないが、自分が殺されたら発表せよと預けてある遺言のテープもあると伝えられている。「神のための聖戦にて死ねば天国に召される」この信仰のために命を捨てるものがいる限り、事態は解決の時を迎えない。



キリスト教文明のもとでルネッサンス、産業革命を経験し、飛躍的に発展してきた欧米文明は、「神の手を離れての世俗主義」で他の宗教をもつ民族とも妥協して文明の規模を拡大してきた。しかし、それに非妥協の人々とどう接するか、この問題を避けては今後を進めにくい。私など、本質的にキリスト教的発想になじめぬものには、いまの世界は濃厚にキリスト教的発想が主役であり、その発想を常識として押し付ける軽薄さに首をかしげる面も多々見られる。宗教的や哲学と文明の共存の問題は、まだ手をつけられていない面が多々残っていることを指摘したい。




蛇足



①  彼がどこに隠れているか、これは米国はじめ世界が懸命に追いかけたのだがなかなかわからなかった。あざ笑うかのように、彼はたびたびアラブ系のテレビ・アルジャジーラなどに出てきて挑発を続けた。そんな情報連絡ルートが彼の所在を米国に察知される決め手になったと伝えられるが、ついにアメリカは彼の潜伏先を突き止めて、丑三つ時に夜襲をかけて射殺した。その情報能力はたいしたものだといわねばなるまい。


②  襲撃は相手を射殺し、遺体をもち去り、海中深く投棄することを目的としていたことは明瞭だと思う。そのほかの方法はおそらく計画段階からなかったのだろう。これに関しては私も一般の報道と同じ解釈をしている。


③  ビンラーディンの射殺によりゲリラ組織は解体して一件落着、穏やかな時代が来るのかといえばそれはまったく期待できない。米国に強い敵意をもち、いかなる手段を用いてもその文明を破壊しようという情熱をもった連中は多い。むしろ、報復の危機が強まったといえるだろう。アルカイダ自体も最近はビンラーディンはすでに現役の指導者を離れ、アイマン・ザワヒリなどのもとに行動していると言われているし、第二、第三のアルカイダのような組織も生まれている。ビンラーディンの激しい呼びかけも彼らアラブゲリラたちの中に強く浸透しているといわれている。これが際限なき報復合戦に発展することも十分に考えられる事態だと思うのが常識的な判断ではなかろうか。




正義ってなんだ



「正義は成し遂げられた(Justice has been done.)」。テロリストへの奇襲射殺を行った米国オバマ大統領は胸を張り、国民は喜びにわきあがってかつてニューヨークの2001年9月11日のテロで破壊されたグランウンド・ゼロに集結して「USA、 USA」を連呼し、メディアはこれを歴史的勝利だと称賛しているという。このテロでは米国人ばかりではない。多くの日本人も犠牲になった。だが、同じような気持ちで我々も合唱するだろうか。



 私ら異文明の日本人にとって、分かりにくい概念は、ここに出てくる「正義」という概念である。これを彼らは絶対的な概念だと確信しているが、我々非キリスト教徒から見れば、それは絶対ではなく相対的にしか見えない。「かたき討ち」の時代に逆戻りさせられたような気持である。キリスト教と回教との対立の話になると、よくこんな概念が飛び出して戸惑うことが多い。キリスト教も回教もともに一神教、他神を拝せずという信仰である。「目には目を、歯には歯を」などという言葉が日常のように使われる。それは論理としては単純で分かりやすい。だがこれを続けている限り、世の中は際限ない報復合戦となり、相手を皆殺しにする以外に安どする日が来ないことになる。今後も力と威をもって抑え込む立場をとり続ける米国などは、手を緩めることはないだろう。



日本の文明も、我々自身は体質的には昔ながらの穏やかな共同社会的生活意識をもちながら、明治以来、西欧に追い付け追い越せと、ほぼ西欧キリスト教的環境の中に暮らしてきている。だがテロのリーダーの奇襲・射殺の行為にそれが正義だと狂喜して、浮かれて祝杯をあげる気分にはどうしてもなれない。人々が生きる底にDNPのように横たわっている文明の感性が違うからなのだろうか。



 オバマ大統領の演説にもあるように、罪なき数千の人々や子供たちを死に追いやったテロリストの罪を問うことは、重要なことだ。だが、単純に殺されたから殺し返す、このような命の奪い合いからテロの横行を止めることができるのだろうか。アメリカの正義とテロ組織の正義は、それぞれの一神教を背景として、交わり合うことがない正義の対立であり、しかも考えてみると、同質のもののような気がする。




アメリカ大統領は今回のテロリストに対する力による作戦の成功で、失墜していた大統領の支持率を上げたかも知れない。米国人の気質にはそのようなものが感ぜられる。だが、この線をどこまで推し進めても両者の和解をもたらすことは困難ではなかろうか。