葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

軽薄な発想を祓い去ってーーあれから一年

2012年03月12日 16時59分00秒 | 私の「時事評論」
 
 あれから一年、深い爪あとは残るが
 東日本大震災から一年がやってきた。あまりにも破壊が大きかったので、しかも大規模な津波が伴っていたために、復旧はまだ、端緒についたとも言い難い。東北地方に震災を忘れる明るさが戻ってくるのには、まだ時間がかかると思われる。
 三月十一日、全国で犠牲者の慰霊祭が行われ、東京での国の慰霊祭には、大手術からの御快復も万全ではない天皇陛下が、ご無理を押されて御臨席になられた。我が子や孫の葬儀に参列されたような喪服姿の両陛下に、そして心のこもったお言葉に、人々は感激の涙をし、陛下とともにあらためて一日も早い復興を誓いあった。震災から一年目の地震発生の時刻、午後一時四十六分、全国で多くの国民が両陛下とともに犠牲者を偲んで黙とうを行った。
 震災は我が国にとって悪夢のような大惨事であった。我々は惨憺たる地震と津波の被害、とくに津波に流された多くの犠牲者の数に言葉を失った。そんな津波が我が国に襲うとは思いもしないでいたからである。だが、その想像をはるかに超えた災害の規模であったが、被災地である東日本の人々が秩序正しく対応したその姿が、世界の人を驚かせた震災でもあった。われ先に争う群衆によって、想像以上に被害が大きくなるのがこの種の事故の特徴である。ところがあの事故のさなかに、収拾がつかなくなる混乱もなく、人々が整然と行動し、被害が最小限にとどまったことに、世界の人がメディアが驚嘆し絶賛した。震災の被害は死者15854人、行方不明者3203人、漁船の被害は22000隻以上、漁港の被害300以上、家の全壊、流出、半壊は38万戸以上、被害総額16兆~25兆円と統計に出ている(24年3月8日現在)。人が立っているのはおろか、這って進むこともできない大地震、しかも15メートルにも達する津波が襲って、平地をなめ尽くしてしまった惨事であった。これだけの大災害であったのに、秩序正しく行動した人々は津波の他の犠牲者はごく少ししか出さなかったのだ。
 あの津波のさなかにも、村民たち仲間たちを救おうと、必死に避難を呼び掛け、救助活動しながら津波にのまれていった人も多くあった。恐怖に興奮した群衆がもたらす二次災害も最小限度だったし、いたるところで被災者たちは災害の中にあっても協力して被害を食い止めた。どこでもありがちな混乱を利用した犯罪なども最小限度しか起こらなかった。困った時には助け合うという社会意識をしっかり持った東北地方の人たちの美しさが光っていた。それは日本人が育んできた微風であった。痛ましい災害であったが、人々の秩序正しいこんな対応は忘れてはならない特徴であった。
 事故の知らせを知るや、警察・消防・陸海自衛隊、それに米国軍までが、ただちに救助活動のために現場に駆け付けた。そしてこれらの献身的な救助活動で命を助けられた人が26708人もいた。一致して救助に取り組む情熱と、混乱を最低限度に食い止めた住民たちのチームワークがなかったら、死亡者は倍にも膨れかねなかったことも容易に想像される。とにかく、想像を絶するすさまじい震災であった。
 
 大事故を想定していなかった責任は重い
 ただ、こんな大きな地震は来ない、津波は来ないと簡単に決めていた国や自治体の防災避難対策は問題であった。現実に起こった大災害を、何で誰もが来ないとしていたのか。
 起こりうる天災に対して備えるのは国や自治体の仕事である。万一の大津波などが来る際には、こんな規模も考えられるとして、何十メートルの頑丈な防波堤構築は予算の上で無理だとしても、うつべき手段はあったはずである。幼稚園や学校や人の集まるところには、せめて溺死を防ぐライフジャケットでも用意されていたら、死者は極端に減っていただろう。被害者の大半は津波にのまれた人たちであった。ライフジャケットは一着数千円で準備できる。それさえつけていれば大半の人がジャケットで浮き、ジャケットの発する救助信号電波によって容易にヘリコプターなどで救助できる。
 そんな恐れがあることを広報一つ行わず、避難計画にも織り込まなかった油断はどこから出たのか。 防災責任者の頭の片隅にさえ、こんな大災害がやってくるとの不安が意識されず、可能性はゼロと信ぜられていて、対策のマニュアルさえもなかった中の大震災であった。
 地震と津波の後遺症として、東北一帯が建造物やその他のごみに埋め尽くされ、その処分がほとんどできずに残されている。ごみは福島の放射線汚染関係のものをのぞいても、東北三県で二千五百万トン以上とされ、その片づけができないので、津波に破壊された市街地の再生は進まない。港や海中にもそれらが堆積、それによって我が国の大きな漁業の中心地であったこの地区は、漁業再開には大きな障害を抱えている。ごみの処分ができなければ、新しい街づくりや復旧なども不可能である。だがこれが戦後民主主義の生みだしたおかしな全国での受け入れ協力反対を叫ぶ反対によって進まない。ここには戦後の日本の悪い面が出てしまっている。片づけなければ再建はない。これからが復旧の正念場といわねばなるまい。
 考えるべき課題は残る。無残に積まれた津波で壊れた建造物などの山を見て、あれこれと改めて当時の災難に思いをいたす。
 
 福島の原発事故は明らかに人災だった
 大震災は東北地方の各県ばかりではなく、茨城、千葉などの周辺地域にも及ぶ甚大なものだった。その中で、どうしても個別にあげねばならぬのは、福島第一原発の事故だろう。様々なデータが発表されているが、明らかな国や自治体、電力会社などの対応の甘さ、知識の偏向がもたらした人災であったと思う。
 どの程度の地震や津波が原発の地を襲うかの可能性は、起こりうる最大限の事態を想定せねばならないものだと考える。少なくとも、歴史上に記録が残るものは、古くない過去に、同規模のものが起こった重要な史実である。東北に以前に今回程度の地震と津波が来たことは、我が国の公文書には度々記されていることで、原発関係者や地震学者には原発作成前から知られていたことだった。
 だがどうしたことか、震度も津波の高さも、なぜかそれよりはるかに低い備えで充分だとされた。何でそんなことになったのか。またしても日本人の舶来偏重の意識のせいか。横文字のものなら信用するが、日本の文字で書いてある資料などは、取るに足らないとした洋楽かぶれの軽薄さの故か。
 福島原発の建設用地などは、丘陵地を態々十数メートルも掘り下げてから建てたのだそうである。その常識はなれの想定外がどこから出てきたのか。こんな結果が影響して、津波に洗われて発電装置は壊れて、あれだけの大被害を出してしまった。
 原子力の安全な利用法や被爆者の治療法はまだ人類が手に入れるには至っていない。ということは、事故が起こればお手上げなのだ。その結果、放置された副作用が長時間にわたって本来ならば豊かな国土を人も住めない土地に代えるし、それは関係者が「想定外だった」などという簡単な弁解で許されるような話ではない。
 現にあの事故から一年たった現在でも、放射能拡散の危険に揺れる福島には、跡地の片づけはおろか、本格的な遺体の回収さえ充分に進んでいないと言われている。
 さらに加えて、まだその対処法さえ固まらず、どこまで行けばどれだけ危険かのデータもままならない手のつけられない恐怖心が、国民意識に大きな不安を招いてしまった。「放射能に汚染された可能性がある」という噂が、根拠のあるデータも普及していないところに流れると、大衆は必要以上に不安におびえる。科学的なデータが無いのだからたまらない。震災後一年はこんな「風評被害」が、日本中を取り囲んだ一年であった。そしてごみの処分を全国の協力により、協力して処理して新しい復興に取り組もうとしているときにも、こんな意識が加わって、回復復興を遅らす大きな要因になっている。
 
 責任も考えない専門家や責任者のミス
 私は本来、原子力の利用に関してはかねてから批判的な立場の男である。我々の住む地球は、人間ばかりではなく、あらゆる生物や山川草木はじめあらゆるものが穏やかに営みを続ける場所であり、それをたとえ人間といえども、その生態系や均衡を崩して横暴の限りを尽くすことは許されるものではないと思っているからだ。それは我々日本人がこの世の中に誕生し、生活を始めた時からしっかり心がけてきた大原則であった。確かに我々は「火」などという物質を化学変化させる道具を開発し、豊かな人間生活を追求してきた。だがそれでも我々の営みは地球の物質回転のサイクル中にあった。衣食住に使ったものは再びこの自然の力によって再び循環する物質ばかりであった。回転を繰り返すことによって我々は快適な生活を過ごしながらも文明を高度化させてきた。
 その精神が自然によって生きる信仰・神道の精神だ。自然を敬い、共生を図ってきた我々は、そんな原則を大前提として何千年の生活をしてきた。原子力は、一度自然界とは異なる「鬼っ子」を作り出してしまったら、その脅威となる「毒の部分」をどうやって消し去るかの糸口さえもつかんでいないこの世に存在しなかった悪魔の物質なのだ。それが「人類破滅の凶器」であることは、昭和天皇の「終戦のご詔勅」にもはっきり示されている。私自身は、それでもまだ多いに抵抗があるが、せめて放射能による被害が全く出ない状況が作り出され、使用の後には、使用した物質が何の不自然もなく地球上の再び利用できる対象に戻される確証がつくまで、我々が安易に手をつけてはならないものだと思っている。
 
 日本国にも政治家がほしいものだ
 福島の事故からの解決には長い時間と苦しみが必要だろう。原子力発電に賛成か反対かなどには関係なく、だが我々はそれを進んで味わい、これからに日本の姿を探る足掛かりにしたい。
 福島県は本来は我が国土の中で、美しく豊かな素晴らしいところであった。そこを安易な一方的な計算によって、これからもしばらくの間、人々が不安を感ずる土地にしてしまった我々現代に生きる者の未来に対する責任は限りなく重い。原発を取り去って再び美しい国土に回復するためにでも、我々は今後どれほどの負担を負わなければならないのだろうか。しかも考えてみると、我が国にはこの福島第一以外にも膨大な量の原発があり、それらとてその安全さを考えて廃止させるには膨大な費用と年月とがかかる。
 「原発は最も安いエネルギーだ」などという言葉に乗ってしまった我々は、どこかで道を踏みちがえてしまったようだ。だいたいこの種の事故は、地震や津波ばかりではなく、空からの落下物やテロやゲリラ攻撃や戦争でも簡単に起こるものだ。我々はそんな備えも全くやっていなかったのだ。
 日本人は我が民族が発生して以来、我々の郷土にとっての不要なもの、捨てるか放置する以外には手の打てないようなごみや穢れは出さずにこれまで文明をはぐくんできた。これが自然と調和し、自然とともに生きる信仰を持つ我々の姿勢であった。
 その問題を基に、これからの在り方をじっくり考えてみよう。ただでさえ経済問題で追いこまれている日本である。その上にこの種の問題を考えるのははなはだ厳しいが、これを解決させることが日本のこれからも世界に羽ばたく扉にもなると考えている。
 戦後65年以上が過ぎている。そろそろ日本の政治にも、日本の将来を充分に考えることのできる本来の政治家が出て来てくれることを期待する。
写真は一周年追悼式にご臨席の両陛下(WEBより)

桃の節句に女性宮家創設論に文句を言う

2012年03月04日 08時34分00秒 | 私の「時事評論」

 いよいよ三月

 今年ほど春の到来を心待ちにしていたことは少ない。なにしろ異常に寒い日が続く冬であった。寒風の吹きすさぶ冬、温帯モンスーンの地日本であり、しかも私の住んでいるところは目の前の太平洋に暖流・親潮が流れ、しかも南の海沿いをのぞいて、東・西や北方は山に囲まれ、北風はほとんど吹かない暖冬の地、湘南の鎌倉である。こんなところに住んでいて、「我儘を言うな」との御叱りを受けそうな気もする。事実この冬も、当地は日照りに恵まれた日々には、厚いガラス戸越しの穏やかな陽の光で、暖房など不要の日々が続いていた。
 だがそんな恵まれた環境に住んでいれば、身体の方がなまって、やはり冬はつらいものに感ずる。今年は朝の散歩時に、例年、見たことなどほとんどない霜柱にも何度かお目にかかったし、路面の撒き水に氷の影を見たこともあった。私は歳を重ねて、今では職を退き、自宅で過ごすことが多くなっている老体だが、着脹れて毎日家内安全を近所の鎮守の杜の数社にステッキをついて参拝するのを欠かさぬ日程に決めている。ご社頭で寒空に空を見上げている全国の人たちのためにも、思わず別辞(ことわけ)の祈願詞として、一日も早い春の到来を願わずにはおれなくなる毎日であった。
 此処温暖の地でも、今年は梅がほころび始めたのが最近である。花暦は例年より丸々一カ月ほど遅れている。桃の節句である今日も、桃ではなく、梅の節句が始まったような環境である。地球温暖化などといわれているが、どこか読み違いがあるのではないか。こんな思いで眺めているのだが、それでも辺りには暖かい日差しが降り注ぎ、いつしか周りの緑の常緑樹の葉も、心なしか穏やかな色調になってきた。

 気になる女性宮家の話

 天皇陛下の心臓周囲の手術が無事に終わって一週間、術後の経過も極めて良好、陛下も穏やかに春を前に再度健康に活躍される準備を進めておられるとの報が、春を待つ心にプラスしている。昨日は、冬眠していた私も、久しぶりにこの問題に関して、今後は宮中に伝わる伝統の「先ず神事」の原則にのって、陛下の多忙な行事のうち、宮中の御まつり以外は思い切り減らして、「みかど」の本質を残しながら、この後を穏やかにお過ごしいただきたいとの率直な思いを書いた。皇室が我々日本人にとり、なぜかくも尊くありがたい御存在なのか。それは皇室が長い歴史を我々国民と共有して重ねられ、その歴史を背景にして我々の生活にすっかり溶け込み、生活の一部になっているからに他ならない。そのお姿のままで、私どもの生活の中に、いつまでもしっかりして根付いていてほしいものだ。
 そのことを書いた。だが、それを書いても何か気分はスッキリ落ち着かない。今日は雛祭りの日だ。これにちなんで、いま、国会の党首討論などで話題にされ、すでに政府が見切り発車のような形で進めようとしている「女性宮家」の創設についても、ここで一筆書いておきたいと思う。
 まずはっきり私の立場を述べておこう。皇室の従来の姿を変更するのには私は反対である。先にも述べたように、皇室が国民にとって尊く、貴重なものに見えるのは、皇室には我々とともに生きてきた数千年の歴史への信頼の積み重ねがあるからだ。それが国民の均しい支持に支えられいま現に生きている時に、わざわざ皇室の姿を変質させ、我々の手で曲げてしまう。これは皇室をそのままならば生きていたのに、人為的に破壊しかねない行動である。昔ながらの由緒ある貴重な生きた文化財に、将来壊れる恐れがあるといって、たとえば国宝の仏像にメッキをし、彫刻にメスを入れ、本質となる部品を交換して、存在しているものを人為的に無価値にする暴挙を許すだろうか。巷に残る骨董品に対してでもやらないことを、なぜわざわざここでしようとするのか。これは皇室に対する犯罪的狼藉である。そんな自らの愚かさも知らず、客観性も失った連中によって、我々の最も大切と思う宝物である皇室が破壊されるのを、手をこまねいて見ていて良いのだろうか。
 皇室の運営に取り入れられている様々な原則には、それぞれ長い歴史の試行錯誤の中から生き延びてきた知恵の集積がある。百年や二百年ほどの短い歴史で、簡単に決められた勝手な原則とはわけが違う。長い皇室の歴史に中には、必死に維持を図っても、行き詰りそうな危機を孕んだ時もあった。ギリギリの皇位継承の危機を迎えた時もあったが、我々の祖先は、そんなときでも必死に努力してこの皇室を守り貫いてきた。いま、皇室の制度の変更を企てる連中に、それだけの皇位を守るギリギリの思いと、それでも原則を貫いてきた先祖たちをしのぐ切迫感があるのだろうか。現にいま、立派に我が国の皇室は生きている。そんな皇室を些細な理由を取り上げて変更しようとすることは、今でも健康に生きられる人に向かって、死ぬかもしれないあてにならない外科手術を試みて、その人を殺してもよいと思うのにも似た、皇室を将来、亡きものにししてもよいと考えるに等しい行為だ、日本国に対するおおそれた犯罪的謀反の行為だと私は思っている。
 明日はもう皇室が我が国になくなってしまうという危機の時ならいざ知らず、制度の原則を変えればその時点で、新しい皇室が果たして国民の永遠の尊崇をいままでのように受け続けていけるかどうかの考慮もなく、良くも軽々しく、将来にではなく、今すぐ皇室に対する絶対的信頼感が傷つく恐れがあることを考えつくものだと怒りを感ずる。どこを指して我々は、いまは皇統維持に万策尽きた状態だといえるのだろうか。


 今回起こった内親王による女性宮家創設の話などは、冷静に考えればこんな大騒ぎなどする必要もない問題である。現在皇室のために御働きの男系の皇族、内親王さま方は、国民も立派な方々だと信頼を寄せる方々ばかりである。天皇陛下の御公務に負担が多い。その中で陛下御自らがご担当にならなければならない宮中祭祀など以外のおつとめを、分担していただく方が必要なのであれば、明日からでもよい。今の肩書のままでお願いすれば足ることである。誰もそれを不要なこととは思わないし、国民は喜んで受け入れることだろう。ややこしいご結婚された後の夫となられる方の地位、お子様の地位、皇位に関する継承権などが出てくる余地はなく、ただ皇室の費用を増額して、それらの方々が、立派にお勤めが果たせるような配慮を国がすれば済むだけの話だ。
 こんな怪しげな構想が、なんでもないことに屁理屈をつけて、厄介なことを企てる構想が、小泉内閣の時に強引に皇統の女系継承への道を開こうと意図的に政府を誘導しようとした法曹畑出身の内閣参与や、それに従うおかしな連中によって企てられるから、皇室そのものが国民の目を欺く黒い霧によって包まれそうなことになってしまう。何の役にもたたぬ、くだらん小細工はやめてほしい。しみじみ思う雛祭りの日である。

陛下の御手術後一週間過ぎ、今後を考える

2012年03月02日 15時13分44秒 | 私の「時事評論」

手術後の経過は順調

 陛下御手術後の経過は順調に推移しているようだ。大手術であったが一週間たち、陛下は歩行などリハビリに励まれており、皇后さまが傍ら懸命に付き添って看護しておられる。去る三月一日には皇太子・同妃殿下が病室に御見舞に行かれた。さすがに現代一流のスタッフたちがチームを組んでの取り組み、国民はそろって胸をなでおろしているところである。
 ただの病状の食い止めではなく、これからの陛下の存分な御活躍も可能なように、思い切った決断で実施された今回の御手術である。伝えられるところによると、手術そのものも成功で、術後は以前と比べて、はるかにお元気な状態への御快復が期待されるという。まずは安堵してこれからの御活躍を期待しよう。

陛下の御公務が増えてしまう原因

 陛下の日常のいわゆる公務とされるお仕事は先帝方の時代に比べて急速に多くなり、日常が厳しいものになっているとの話を聞く。それは陛下のお出ましや宮中でのご会見などが昔とは比べものにならないほど広がって多くなり、それが整理をされないで増え続けているのが原因だと思われる。
私はそれが、首相の率いる政府の官僚組織の中に、陛下や皇族の御世話をする組織・宮内庁が従属した形であるために、時の政治によって陛下が利用されやすくなっている結果ではないか、陛下の絶大な国民への信頼と尊崇が、信頼感に欠ける政府の政治運営に利用されてしまう結果ではないかと憂慮している。
 しかし陛下としては、どんなときにも国民や我が国を訪れる人に、出来るだけ御自ら接しられたいお気持ちをお持ちであると拝察する。日本の天皇の最も大切な行事は「しろしめす」ことという特別の用語で表現される。この言葉の意味は「お知りになる」という言葉に近い。日本中のすべての国民の状態をお知りになって、それらの民の平安のために、神に祈る「まつり」をされるのが陛下のおつとめだとされている。
 世俗の国と国民間の権利義務や損得に視点を集中する「憲法はじめ諸法令」などばかりを見て、法律などよりもっと広い分野にかかわる皇室をそこだけから見ようとすると分からないが、政治という世俗の範囲をはるかに超え、国民の日常生活や精神生活・信仰生活などすべての面で国民を統合されるお立場の陛下は、細大漏らさず国民生活に目を注がれ、ひたすら全国民・民のために数千年にわたって祈り続けられるお立場である。それを「しろしめす」という語は示しているのだが、それがお心の中心にいつもある陛下が、できるだけ多くの民に接したいと念じられるのは当然のことだろう。これが陛下の日常を年々忙しくしてしまう。

御公務の大半はしばらく代行に御譲りいただいても

 だが、陛下とて生身の御身体であるし、重なるお歳によるどうにもならない加齢もある。従来通りのすべての御勤めを、今後もご高齢の陛下にお願いするのは、「聖寿万歳」を祈念する我々の道に反する。我々は陛下の御身の不老不死を念じながら、できるだけ陛下の御日常のお仕事、民と陛下との交わりの部分は、陛下のお心を対した他の皇族方や法令上定め得る代理の方に譲っていただき、せめて従来の半分ほどにでも絞っていただき、精一杯に本来のおつとめ、陛下にしかできない神々との御こと、初代神武天皇以来、欠かさず継承されてきた御まつり、民のために祈るお仕事をお続けいただくことに、その分を御当ていただきたいたいと念願する。
 我々国民は、そして外来の御客様なども同じだと思うが、直接陛下の御姿を拝し、お言葉を拝することは何にもましてありがたい。しかし今は、それを陛下にお願いして、無理をして御臨席いただける状況にないことを知るとき、我が国が懸命に守り伝えてきた伝統を陛下にお続けいただき、日本という国がこの君と民とが守り続けてきた精神的な宝物を失わないことを第一義に御進みいただくことができる配慮を固めなくてはならないと思う。そのためには、ご臨席いただき、御会釈を賜り、あるいは直接お言葉を戴く栄誉を、精一杯に我慢すべきときでもあると考えている。

多方面にある天皇のおつとめ

 我々は、陛下のお仕事が、世俗の国事行為や象徴としての行事とされるご公務以外にも重要なことがたくさんあることを知らねばならぬ。我が国の歴史を見ると、天皇は民のために神々に祈る御役目を神々から命ぜられ、それを続けてこられたと伝えている。数千年にわたって続けられてきた天皇御一人に命ぜられた特別な祈りが、宮中祭祀を基本にした陛下の御まつりである。皇室には多くのまつりが残されていて、陛下はそれを忠実に今も続けておられる。そしてそれがあるからこそ、我々が全国民を代表してひたすら民のためにと御まつりを行われる陛下を信頼し尊崇する柱となっている。
 御まつりは陛下の御つとめの大切な柱となっているのだが、これがここで欠かされたら、我々の精神的な信頼と尊崇の意識に変化が出るとは思わないだろうか。
 一億有余の民のため、ひたすら祈りまつりをされる伝統のお仕事は、ありがたいことであるが陛下にご負担が多い。陛下の医師団なども、御身体に障ると心配している最も大きなものは陛下のこの種のおつとめであるという。人間は何でも知っていると思いあがった物理現象以外のもの、人の心の動きや信仰や愛情、信頼、喜びや悲しみなどの感情面の生活のメリハリなどは有害で非合理的だから排斥すべきだという頑固な立場の人ならいざ知らず、信仰や心の問題は人間が生きていく上にどうしても必要な大切なものであると知る国民は、陛下の祈りを大切に思っている。日本人はそんな祈りやまつりの世界で、おのれを捨ててひたすら民のために祈り続けてこられたただお一人の方が天皇陛下であり、そのお心は百二十五代の天皇のお心をそのまま引き継いでこられたものであることを信じている。この認識が、天皇が日本の中心である数千年の精神伝統の大きな柱となっている。

象徴という言葉の背後にも

 こんな神聖性が天皇にはあることを、伝統保守の立場の人が批判の目で眺める今の憲法などでも考慮して、天皇を「国民統合の象徴」という表現で記述している。現憲法を占領軍の指示の下で作らねばならなかったとき、当時の法文作成、立案にあたった関係者が精一杯の努力をして天皇制度を残そうとした条文である。この日本の国民を精神的に一つに結ぶ力、これを憲法では象徴という用語をもって表現した。天皇のお立場はこの「象徴」という言葉の一般的語意から見るといささか浅い表現といわねばなるまい。だが、それでもその含む意味を深く察して、今後も見守っていきたいものである。

 天皇の御公務削減が話題になるとき、宮内庁などから出される発表を私などが見ると、専ら天皇の天皇である中心のおつとめ、宮中祭祀の削減により陛下のお仕事の軽減化を図ろうとしているように感ずることがある。
 宮内庁とて政府の一部局である。俗務に限定して動こうとする体質もあるかもしれない。政治の円滑な運営をするためには、天皇の政治利用ともいえる御公務より、国民のためにお祈りになる宮中の御まつりの削減を図ろうという目先の衝動に揺り動かされやすい体質もあるかもしれない。彼らとて構成は体制は公務員が中心であり、公務員としての枠以外には出られないという立場も分かる。あるいは寒中に長時間正座されるような陛下の御まつりが御身体にどれだけ厳しい影響があるかを気遣う取り巻きの職員や特に医師団などの「玉体の安全」を願う心も理解できないことはない。だが、天皇が日本独自の「祀り主」であり、その数千年の蓄積が国民の天皇信仰の核になっていることの意味を、目先だけではなく、千代に八千代に皇室の信仰を絶やすことに力を貸さない努力を忘れないように接してもらいたいと思う。
 陛下以外には口をはさむことができない宮中祭祀の問題である。だが陛下の御許しを得て、事態が変わればその際は必ず旧例に戻すという誓いのもとに、暫定的に御まつりの形が一時御身体に負担の薄い形に変更されることがあるのはやむをえまい。歴代の天皇の御在世の時代においても、陛下が病中で御奉仕がままならないことなどはたびたびあった。だがそれでも「祀り主」としての陛下への民の信は変わることなく今まで続いてきた。
 私は長期的に見るとき今のように、神さまの世界から国民の精神的世界、文化や名誉や道徳などこの国のすべてに深い影響力を持たれる天皇さまが、その日本文化においては一部分にすぎない権力の保持期間である国家の政府との権利義務の規定である憲法や諸法令のもとに運営される政府の一部局のもとにあるのは日本にとってふさわしくないと思っている。だがそんな問題は明治憲法時代にも果たせなかった長く検討しなければならない課題である。そんな小さなものが大きなものの御世話をするような状態になっている宮内庁だが、ここはただの政府の一部局という概念はぬぐい去って、皇室はどんなものかを充分考えて慎重に対応してもらいたいと思っている。