今日私に降りかかった災難はひどい。マキに教わった歌を私が歌っているのをお兄様が内緒で録音していたのだ。それもウケイ先生もグルになっていた。あまりに興奮してウケイ先生から太い注射までもらうはめになって私はちょっと怒っていた。私はリクライニングに身体を預けたまま病室の壁ばかりを眺めて不貞腐れていた。
「…でもいい歌だったよ」
私の傍らでお兄様はいやらしく笑う。どうしてそういう蒸し返すことをするんだろう?
私がどんな反応をしても相手を喜ばすだけだ。それでもお兄様はにやけているから始末が悪い。この状況を二人で端と端を支えあっているようなものだ。らちがあきそうにない。それにしたって変だ。どうしてこんなニヤニヤしてるんだろう。ちょっと変なところがあるお兄様だけど、今日はちょっと格別だ。
それからウケイ先生が入ってきてこう言った。
「…ヤエコ、いい知らせだ」と。
そしてその夜マキと会うのはどんな時より嬉しくなる。私は高鳴る心臓のこの痛みも、今は私のこの気持をそのままに伝えてくれてる。そして彼女はやってきた。いつものとおりだけど、もう私にはそれだってまるで違って見えるんだ!この夜の光りに照らされ眠っている温室の植物たちも、窓から見える街の灯りも、ひんやりと冷たい窓のガラスも、全部同じくらい愛しくなって叫びたい気持ちだ。私の二つの瞳に大きく映ったマキが不思議そうな目で私を見てる。どうやったらうまく伝えられるだろう?分かってもらえるだろうか?でも、私にとってこの子は一番伝えたかった相手なんだ。
「ねえ、聞いて。私、もうすぐ手術できるようになったんだよ」
私はマキの右手をそっと自分の左胸に当てた。
「私ね、ここがとても悪かったの…怖かったりドキドキしても痛くなるけど、楽しいことで胸が高鳴っても痛むのよ。ひどいでしょう?でも、もう大丈夫だって!うまく代わりが見つけられたんだって!」
喜び勇んで言うと、マキは目を丸くしたまま黙ってしまう。
「…?どうしましたの?」
私はそう聞くけど、マキの大きな瞳は私を映したっきり動かず光をたたえている。うまく伝わらなかったのかな?なにか誤解でも与えてしまったんだろうか?マキに映る私の目はみるみるうちに曇っていっていっただろう。
「マキちゃん?」私がそう聞くとマキは私に向かって微笑んでくれた。
初めてマキが私に笑ってくれた。ぎこちなさがまたとても愛らしくて私は今すぐ抱きしめたいくらいに感激してしまう。良かった。マキも喜んでくれてる。
「…きっと、あなたもよくなります。私がよくなるんですから」
私は彼女の手をとってそう言った。すると笑顔のマキの目にみるみる涙が溜まって、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「マキ…?」
せっかくの笑顔も涙でどんどん崩れていく。それはいつしか嗚咽に変わる。
「大丈夫…大丈夫ですから…ね?泣きやんで…」
どうしていいか分からず、私はただマキの青白く光る髪を撫ぜる。でも、それはいつしか嗚咽を含んで、こらえきれなく鳴った感情が爆発したみたいになる。
「ねえ?どうしましたの?多分、私力になれますから…ウケイ先生だってお父様だっていらっしゃるんですから…」
不安そうに見つめる私にマキはすがるように抱きついてきた。それはマキの声なき声だった。私はそれをいずれ知ることになる。でも、その時の私は冷え切った私のからだと違って、マキのからだは優しく暖かくて触れ合った胸同士で感じる心臓の音は羨ましいくらいに強く伝わってくるのにただ感動していた。
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