全てが私に味方した。誰もいないゲートを非常用の勝手口から抜けだして、私達は外界へ一歩を踏み出したんだ。慣れ親しんだ研究所を私は一度も振り返らなかった。街灯が道しるべのように伸びる真夜中の郊外をただひたすらまっすぐ歩いていく。夜が明けるまでできるだけ遠くに歩いて行こう。私ははっきりと強くなっていく胸の痛みと一緒に頭がしびれるような危うい心地良さをどこかで感じていた。雲の上まで伸びた高い高い塔の天辺から踏み出す一歩のようだ。雲に閉ざされたまだ見ぬ下界の風景にわくわくしながら、いつか粉々になる自分を予感しながらでも降りてみたくて私はその一歩を踏み出したんだ。私は多分死ぬ。でもマキだけは私の分まで生きてもらう。
ひとつだけのマフラーを二人で一緒にかけて、一組みだけの手袋は片方ずつつける。あまったもう一方でお互いの手をつないだ。固く結んだマキの手を私は一度も離さなかった。神様にここを離れるまでは暗闇のままで、そしてめいっぱいに明るく照らして外の世界をめいっぱい私に見せて欲しいと願った。人は本当に幸せなときにもう死んでもいいって思うっていう。人生最後のその瞬間に私は誰より幸せにいさせて欲しい。
そして夜がしらみだす頃、ようやく私達は目的の街に辿り着くことができた。
「ようやく着きました…」
まだ閑散としているスクランブル交差点、その前には掲げられている大きな液晶モニター、今はまだシャッターを閉めているデパートや通りに軒を並べた色んな店が何時間か後の世界を予感させて、霞がかった朝の風景にも心が弾んだ。
「マキ、聞いて。私の夢の話。私いつかこの大きなテレビに映るような人に慣れたらいいなって。みんなの前で歌を歌ったりするの」
私はマキの手をとってまだ誰もいないスクランブル交差点の端にある街灯の下に立った。そこに素手で触れると、この時のためにと持ってきた果物ナイフをコートのポケットから取り出した。
「あかし。証。ここに私とマキの名前いれましょう。お兄様に買ってきてもらった漫画にね、そんなお話があったの。素敵でしょ?もっとも漫画の中では木に彫ってたけれど…」
塗料を削るようにして『ヤエコ、マキ。二人の記憶』と刻んだ。
「ほら見て」
私が促すと不思議そうな目でそれを見ていた。けど、きっと意味は通じたはずだ。思いを込めるように二人でその字に手で触れた。
「やりたいことがひとつ叶いました」
マキも笑ってくれる。また私達は歩いていく。でも、異変は起こっていた。一度心臓が痛みを伴って大きく脈を打つと、とたんに息が苦しくなって足取りが鈍る。気づいたマキが足を止めて不思議そうな顔をして私の顔を覗く。
「なあに?」
私はマキに笑いかけた。でも、次の瞬間には私の視界は暗く閉じていった。
最新の画像[もっと見る]
- 『巫女物語』第03話「男の子と初デート」 1ヶ月前
- 『巫女物語』第02話「その初仕事は突然に」 5ヶ月前
- 『巫女物語』第01話「巫女になった男の子」 7ヶ月前
- 『巫女物語』第01話「巫女になった男の子」 7ヶ月前
- 『巫女物語』第01話「巫女になった男の子」 7ヶ月前
- 【自作曲】Simulated Reality -シミュレーテッド・リアリティ-【デジロック】 2年前
- web漫画『KAIJU(カイジュウ) 第二十九話』 3年前
- web漫画『KAIJU(カイジュウ) 第二十九話』 3年前
- web漫画『KAIJU(カイジュウ) 第二十九話』 3年前
- web漫画『KAIJU(カイジュウ) 第二十九話』 3年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます