Are Core Hire Hare ~アレコレヒレハレ~

自作のweb漫画、長編小説、音楽、随想、米ラジオ番組『Coast to Coast AM』の紹介など

バリアフリーは犠牲の上にしか成り立たないのか

2016-03-31 21:28:44 | コラム

乙武氏の妻 謝罪コメントは「反対されたが私の希望で出した。子供を育てる中で手足のない夫の体をぞんざいに扱ってしまった」(NEWS ポストセブンの記事より)

さて、ゴシップ的な話題となっている上記事ですが、意外と重大な問題をはらんでいると感じています。

それは乙武さんが発信し続けてきたメッセージに関してのことです。
かいつまんで言えば、障害者だからと卑屈になるな、というものです。
その上で、健常者にも変に遠慮されない関係が健全だという主張です。

しかし、この件で、この根元が崩れています。

上記事の通り、奥さんは乙武さんの介護に負担を感じていたようです。
でも、それならヘルパーを雇えばよかったです。
子どもが3人もいればむしろ当然のことで、誰も非難する人なんていません。
性処理だってそういうお店はいくらでもあります。

しかし、彼が選んだのは愛人との事実上の二重生活でした。
別に不倫自体は、当事者が納得していれば、第三者がとやかく言うことでもないです。
重大なのは、その点ではありません。

問題は、上記事にもある通り、そうした矛盾を妻の側で全てを抱え込んでしまったことです。
他に助けも求められたし、誰からも責められるような状況ではないのに、です。
ちょうど、寝たきりの配偶者の介護に苦しむ老人という老老介護と心理的に似た状況です。

これでは、乙武さんの主張する健常者と障害者の真に平等な関係とは真逆です。
「結局彼の言うバリアフリーとは健常者側が一方的に我慢をすることでしか成り立たないのだな」と思われてしまいます。

彼の言ってきたことがまるっきり嘘だったとは思いません。
ただ、自ら体現するには理想が高すぎました。

奥さんの負担にちゃんと向き合えた時に、彼の言葉はまた人に届く力を持つようになると思います。
強すぎる責任感に押しつぶされそうになっている介護者はたくさんいますので。
僕自身、人に説教できるような人間ではないですが、そう思います。

コメント
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