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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

首相の靖国参拝に米議会から非難の声

2006-09-15 13:06:50 | Weblog
 米政界の大物議員が相次いで日本の「靖国問題」へ苦言を呈している。

 中でも14日の米下院外交委員会が開いた、日本と中国、韓国など近隣諸国との関係に関しての公聴会で対日批判が噴出した。その席で戦争体験を持つ戦中派議員らが、A級戦犯を合祀した神社を日本の首相が参拝することは、「モラルの崩壊だ」と強い口調で批判した。

 共和党のハイド同委員会委員長と民主党の重鎮のラントス議員は、小泉首相の靖国参拝を批判するだけでなく、次期首相に対しても参拝しないよう要請した。また、南京大虐殺の実態を否定する教科書を「日本政府が認めている」と指摘、「歴史を否定するものは(同じことを)繰り返す」と、日本政府の姿勢を厳しく非難した。

 小泉さん、安倍さん、大変なことになりましたね。あなたたちの苦手な外圧ですよ。それもアメリカからのね。さあ、どうします?

9.11とマスコミ報道 その2

2006-09-15 12:25:45 | Weblog
 10月8日に始まる米軍の空爆は日毎に激しさを増し、米軍主体の多国籍軍と北部同盟連合は各地でタリバーン政府軍を討ち破り、首都カブールへと駒を進めていった。西側社会に“戦勝気分”が漂うようになり、マスコミも“米軍大本営発表”を鵜呑みにして戦況よりも「バイオ・テロの恐怖」や「テロリストの親玉」の居場所探しに関心を移した。

 この時期のバイオ・テロとは、全米を震撼させた炭そ菌ばら撒き事件のことだ。郵便物に入れられた「白い粉」が官庁やマスコミ各社などに送られ死者が出たため、大騒ぎになった。標的にされた米マスコミ各社は、他人事(遠くで殺される無実のアフガニスタンの人たちのこと)になど構っていられるかとばかりに、バイオ・テロ報道に集中した。しかも、さしたる根拠もないのに炭そ菌騒ぎをアル・カーイダと関連付けて報道した。

 公営放送のPBSテレビにいたっては、チェイニー副大統領にインタヴューして、「オサマ・ビンラーディンが生化学兵器など大量破壊兵器を入手するために数年間努力してきた」と、炭そ菌騒動と9月11日のテロ攻撃の黒幕とされるビンラディンの関連性を示唆する発言を大々的に報道した。
(続く)

 米主要週刊誌の一つが、使われた炭そ菌の種類が、かつてアメリカからイラクに供与したものと同じだと伝えた。遠回しにイラクのフセイン政権とビン・ラーディン・グループが密接な関係にあることを読者に印象付ける形となった。これは明らかに偏向報道である。結局、この事件の容疑者として逮捕されたのは、アル・カーイダのメンバーでもなければ、イラク人でもなかった。政治的には全く無関係の米人であった。しかし、人々の記憶には何が残っただろうか。私が周囲に聞いた限りでは、彼らの記憶には事実関係よりもビン・ラーディンへの恐怖が強く残されたとの印象が強い。


 そんなアメリカの炭そ菌騒ぎに影響を受けた日本のマスコミも“当然”のことながら追随報道した。TVの報道番組で、アル・カーイダと炭そ菌事件を関連付ける発言をするコメンテイターが多く、ここでも「そんなことはありえない」とする私は解説陣の中では少数派であった。

 空爆が開始された5週間後の11月13日、多国籍軍に支援された北部同盟軍が首都カブールを占拠した。タリバーン政権の終焉である。

 あっけない幕切れであった。そのあっけなさに各マスコミは驚きの反応を隠さなかった。かつてあのソ連軍を駆逐したイメージが強烈だったためにタリバーン政権が開戦からひと月余で崩壊すると見る向きは少なかったのだ。日本の新聞は、「タリバーン兵がカブールから突然消えた」といった内容の大見出しでカブール陥落を報じた。

 「またか」
 私はその撤退報道を見てそう思った。それは、「タリバーン兵(約3万人)の突然の首都からの退去」は湾岸戦争の「クウェイトからのイラク主力部隊(約10万人)の突然の撤退」の再現に見えたからである。

 1991年の湾岸戦争をイラクから現地報告した私は終戦直前、バグダッドの滞在先で、イラク政府の情報筋から「イラク主力部隊が地上戦を避けてクウェイトから2日後に撤退」との極秘情報を得ていた。それは、フセイン大統領はクウェイトに侵略させた10万人以上の共和国軍兵士を全て撤退させてイラクに呼び戻す決定をしたという内容であった。

 「地上戦を避けて撤退?なぜ?」
 と、その理由の説明を求める私に情報筋は言った。

 「フセインは既に戦後を考えている」

 しかし、「パパ・ブッシュ」は、フセイン政権を全滅させるまで戦闘を止めることはないと言い、必ずやサッダーム・フセイン大統領の息の根を止めると国民に約束していた。そんな米軍がフセイン政権の生き残りへの動きを看過する筈がない。たとえ夜間であろうと撤退する10万もの大軍の動きを容易に察知して、そのど真ん中に爆弾を幾つか落とすだろうと、私は見ていた。

 私はこの時、見通しを、また情報の読み方を間違えた。実際には、当時報道されなかったが、米軍は10万ものイラクの大軍がクウェイトから撤退するのを見て見ぬフリをしたのだ。そんな実態を知らぬマスコミは、軍靴や制服もろくにまとっていないイラク兵を大写しにして、「イラク軍の実態」を哂った。

 かつて中東の最強部隊と言われた共和国軍の温存に成功したフセイン大統領は湾岸戦争終結後、「イラク軍は崩壊した」とのマスコミ報道を信じて政府転覆を図ったシーア派とクルド族の武装勢力を徹底的に叩きのめした。

 数年後、湾岸戦争当時、米軍のトップの統合参謀本部議長であったコリン・パウエル氏が、TV局のインタヴューで、「あの地域に政治的空白を生まないために撤退するイラクの大軍を見逃した」ことを認めた。

 タリバーン兵を逃がして米政権に何の得になると反論する専門家がいたが、答えは簡単だ。アフガニスタンに「火種」を残しておき、それを口実に米軍が占領を続けたかったのだ。

 「米軍がアフガンを占領し続けるメリットは何?」
 この話を講演会でするとよく出る質問だ。

 歴史的、地政学的に言えば、米国にとってアフガニスタンはかつて、ソ連との覇権争いのかなめであった。長年内戦が続いたのもそのためだ。だが、ソ連が崩壊して「北の脅威」を警戒する必要は激減した。その代わりに出現したタリバーン政権も崩壊した。だから政治的な「頭痛の種」は解消したことになる。後は、じっくり「最終目的」を遂行するのみだ。

 その「最終目的」とは、天然ガスだった。

 アフガニスタンの北にトルクメニスタンという国がある。世界有数の天然ガス産出国だ。石油の枯渇も心配される中、様々な対応策が世界各国によって検討されてきたが、アメリカはトルクメニスタンのガス油田に目を付けていた。トルクメニスタンからアフガン、パキスタンを通ってインド洋に抜ける天然ガスのパイプ・ラインを引けば、大量供給が可能になる。そのためには、是が非でもアフガンに米国にとって都合のいい政府が必要だった。

 米国の目論見どおり、タリバーン兵は地方に分散してゲリラ活動を始めた。ビン・ラーディンの包囲網も順調に狭まり、親玉の拘束も時間の問題かと見られていた。