日本に長年住み、日本人女性と結婚しているシリア人男性のお宅に伺った。家では3人の元気な男の子たちが待ち構えていた。初対面であったが、すぐに私と仲良くなり、遊びたがった。
しかし、そんな子供たちよりも私を求めていたのは、父親であった。2時間を越える訪問であったが、駅に迎えてくれた時から帰りに駅に送ってくれる時まで私を放さない。つまり、ずっと話し続けたのだ。
話はほぼ政治的な話に終始した。厳密には政治の話よりも社会的な話なのだが、根は政治にあった。
彼はまず、日本人がある時期まではアラブの人たちにとって親しみを感じ、尊敬する存在であったことを強調した。ヒロシマ、ナガサキで非人道的な目に遭いながらも目覚しい戦後復興を遂げて世界のリーダー格になったのは、同じアジア人として尊敬できたという。
これはアラブ世界を歩いていると、耳にたこができるほど聞くことだ。それほど、我々日本人はアラブ世界において“何の努力をしなくても”友好的に迎えられていたのだ。
「でも、9.11で変わってしまいました。特に、イラク戦争で軍隊を派遣したことはそれまでの関係を全て変えてしまったのです」と、アラブの人たちがアメリカに追随する日本にどれほど落胆したかを熱く語った。
時にアラブの人独特の「全て悪いのはシオニスト(イスラエル建国のために作られたのがシオニズム。それを信じて実行する人たちを総称する)」と多くの話の原因をひと括りにシオニストのせいとしてしまう強引さは感じられたものの、彼の日本政府、いやそれに声を上げない日本人への怒りをひしひしと感じた。
もちろんその日本(人)への怒りも、愛するが故に強くなったものであり、聞いている私には、そのほとんどが納得のいくものだ。
彼がここまで私に熱く語り続けてくれたのは、あくまでも想像だが、日本人に同じことを話してもきちんと受け止めてもらえぬもどかしさがあったのだろう。また、彼の放つ単語のほとんどを私が理解できることから来る話し易さもあったのではないか。とにかく熱かった。われわれは日本語で話していたのだが、出て来る人物や組織の名前は、“普通の日本人”には知られていないものが多かった。それを説明せずとも話を進められる心地やすさも手伝っていたのかもしれない。
私にとって彼は「ごくごく普通のアラブ人」であったが、直子(私の伴侶)にとっては、彼は彼女の友人なのだが、昨日の話し方と話の内容がカルチュア・ショックだったようだ。
しかし、面白かったのは、あれだけ長い話を聞いたのにもかかわらず、彼女にとって一番印象に残った(勇気付けられた?)言葉は、「アラブでは男性がかなり年上の夫婦は普通」だった。
「10歳、20歳は普通だって」
電車に乗って帰路に着くと直子は嬉しそうに言った。
彼女がそう言うのは背景があった。私たち二人は、交際して4年近く経ち、ほぼ同じ期間同棲しているが、彼女の両親から「歳の差」を理由に未だに結婚を許されていない。それが今の彼女にとって最大の悩みでもあるのだ。
そんな直子も可愛かったが、3人の子供たちもナントモ可愛いかった。3人それぞれが「子供らしい」のだ。母親の包むような温かさと、父親の厳しい中にもひしひしと伝わってくる大きな愛情とが上手く調和されて子供に伝わっているのだろう。いい育ち方をしているように見えた。
子供好きな我々は父親の話も楽しく聞けたが、もう少し子供たちと遊ばせて欲しかったというのが本音だ。2歳の三男坊がお別れの時になると、泣き出した。すると父親はさっと抱き上げて、車に同乗させた。その時の嬉しそうな表情は、いやあ、癒されますなあ、ホント可愛かった。また、それを見送る長男と次男の悔しそうな表情もこれまたヨロシイ、可愛かった。
しかし、そんな子供たちよりも私を求めていたのは、父親であった。2時間を越える訪問であったが、駅に迎えてくれた時から帰りに駅に送ってくれる時まで私を放さない。つまり、ずっと話し続けたのだ。
話はほぼ政治的な話に終始した。厳密には政治の話よりも社会的な話なのだが、根は政治にあった。
彼はまず、日本人がある時期まではアラブの人たちにとって親しみを感じ、尊敬する存在であったことを強調した。ヒロシマ、ナガサキで非人道的な目に遭いながらも目覚しい戦後復興を遂げて世界のリーダー格になったのは、同じアジア人として尊敬できたという。
これはアラブ世界を歩いていると、耳にたこができるほど聞くことだ。それほど、我々日本人はアラブ世界において“何の努力をしなくても”友好的に迎えられていたのだ。
「でも、9.11で変わってしまいました。特に、イラク戦争で軍隊を派遣したことはそれまでの関係を全て変えてしまったのです」と、アラブの人たちがアメリカに追随する日本にどれほど落胆したかを熱く語った。
時にアラブの人独特の「全て悪いのはシオニスト(イスラエル建国のために作られたのがシオニズム。それを信じて実行する人たちを総称する)」と多くの話の原因をひと括りにシオニストのせいとしてしまう強引さは感じられたものの、彼の日本政府、いやそれに声を上げない日本人への怒りをひしひしと感じた。
もちろんその日本(人)への怒りも、愛するが故に強くなったものであり、聞いている私には、そのほとんどが納得のいくものだ。
彼がここまで私に熱く語り続けてくれたのは、あくまでも想像だが、日本人に同じことを話してもきちんと受け止めてもらえぬもどかしさがあったのだろう。また、彼の放つ単語のほとんどを私が理解できることから来る話し易さもあったのではないか。とにかく熱かった。われわれは日本語で話していたのだが、出て来る人物や組織の名前は、“普通の日本人”には知られていないものが多かった。それを説明せずとも話を進められる心地やすさも手伝っていたのかもしれない。
私にとって彼は「ごくごく普通のアラブ人」であったが、直子(私の伴侶)にとっては、彼は彼女の友人なのだが、昨日の話し方と話の内容がカルチュア・ショックだったようだ。
しかし、面白かったのは、あれだけ長い話を聞いたのにもかかわらず、彼女にとって一番印象に残った(勇気付けられた?)言葉は、「アラブでは男性がかなり年上の夫婦は普通」だった。
「10歳、20歳は普通だって」
電車に乗って帰路に着くと直子は嬉しそうに言った。
彼女がそう言うのは背景があった。私たち二人は、交際して4年近く経ち、ほぼ同じ期間同棲しているが、彼女の両親から「歳の差」を理由に未だに結婚を許されていない。それが今の彼女にとって最大の悩みでもあるのだ。
そんな直子も可愛かったが、3人の子供たちもナントモ可愛いかった。3人それぞれが「子供らしい」のだ。母親の包むような温かさと、父親の厳しい中にもひしひしと伝わってくる大きな愛情とが上手く調和されて子供に伝わっているのだろう。いい育ち方をしているように見えた。
子供好きな我々は父親の話も楽しく聞けたが、もう少し子供たちと遊ばせて欲しかったというのが本音だ。2歳の三男坊がお別れの時になると、泣き出した。すると父親はさっと抱き上げて、車に同乗させた。その時の嬉しそうな表情は、いやあ、癒されますなあ、ホント可愛かった。また、それを見送る長男と次男の悔しそうな表情もこれまたヨロシイ、可愛かった。