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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

“絶好調”松井選手を斬る

2006-09-14 00:39:53 | Weblog
 けがから復帰したガズィラ(ゴジラ)こと松井秀喜が12日の試合で、いきなり4打数4安打1四球と大活躍。球場ではファンからスタンディング・オベイションで迎えられ、日本ではマスコミ挙げての大騒ぎ。

 私が野球にうるさいからと、何人かから松井選手の復調度合いを聞かれたので、全ての打席を細かくチェックしてみた。

 残念ながら、マスコミで言われているような完全復調とは程遠い状態だ。身体の突っ込みも開きも早く、ヒットになったのは彼のバッティング・スピードの速さとバランスのお陰だ。昨日の打ち方では単打は出ても、いい角度で打球が上がらず、長打の量産は望むべくもない。

 良い結果を出し続けていると、打ち方自体に余裕が出てきて大幅に良化されることもあるが、それは稀な例だ。

 彼の理想的な構え方や打ち方は、一昨年のオールスター直前に見せたものだ。これまで彼が日米で見せた中で最高のレヴェルのものであったが、残念なことにそれは短命に終わってしまった。オールスター明けには「元の木阿弥」になってしまっていたのだ。

 いずれにしても、松井選手が昨日の打ち方をしている限り、これからも連日、マスコミを賑わすことにはならない。

 余談だが、5打席目の最後の一球は完全に振っている。日本球界では微妙だが、米球界の厳しい審判基準では間違いなくスイングを取られるバットの止め方だ。恐らく復帰第一線で4打数4安打という快挙を見せた松井選手に、三塁塁審は見とれていたのだろう。これも、だが、実力の内?

おじいちゃんと日本とどちらが大事?

2006-09-13 01:21:52 | Weblog
 自民党総裁選に立候補している安倍晋三官房長官、谷垣禎一財務相、麻生太郎外相は11日、日本記者クラブ主催の公開討論会で、憲法改正や日中関係について議論した。

 その中で幾つか気になる発言があったが、中でも日中関係に対する安倍氏の考え方は今後の両国間の不協和音を示唆するもので、今反対の声を上げないと取り返しの付かないことになるのではとの思いに至った。
 
 それは、靖国神社のA級戦犯合祀についての発言で、谷垣氏が「A級戦犯合祀問題があるなら(首相の公式参拝は)控えるべきだ」と強調したことに対して安倍氏が反論したものだ。谷垣氏は、中国が日中国交回復の際に「日本の戦争責任は指導者層にあり、国民にない」と位置づけたことを評価したが、安倍氏は「日本国民を2つの層に分けるのはやや階級史観ふうだという議論もある」と、表現に棘はないものの、きっぱりと言いきった。

 これは、安倍氏の母方の祖父の岸信介元首相が太平洋戦争開戦時の東條内閣の商工大臣で、その責任を問われて敗戦後、一度はA級戦犯容疑者として巣鴨拘置所に収監されたことと無関係ではなかろう。岸氏は最近言われているように、“無罪放免”されたわけではなく、当時東アジアで勢力を伸長させようとしていた共産圏に対抗するために占領軍が方針転換、旧体制派の実力者で利用価値のある者を不起訴にしただけの話で決して「無罪」と認定されたわけではない。

 だが、安倍氏は“おじいちゃん”の名誉回復のためにも中国側の色分けが許せないのだろう。故周恩来首相が日中国交回復に納得しない国内世論を抑えるために考え出した「二種類の日本人論」を否定してかかった。だが、この部分を壊してしまえばどうなるか、中国国内でどのような反応が起きるか想像するのは簡単だ。

 今どの書店をのぞいても安倍氏の顔写真とともに彼の著書『美しい日本』が積まれている。だが、「美しい日本」などという他の政治家の受け売り本を出して悦に入っている場合ではない。日本が美しいことに異論はないが、美しくもない汚点に蓋をしたり、すり替えをしたりして「美しい日本」などと言い張っても世界の人たちの目はごまかせるものではない。日本の指導者たるもの、もしアジアの指導的立場に立ちたいのであるのなら(実際には不可能だが)その辺りから改める必要がある。

 いずれにしても、安倍さんはこれから一国一城の主となる人だ。自分の親族の名誉などにこだわるあまり、中国との関係をますます悪化させることだけは避けていただきたい。

 

9.11とマスコミ報道 その1

2006-09-12 12:28:28 | Weblog
 5年前、私は帰宅してつけたTV画面に釘付けとなった。WTC(世界貿易センタービル)に飛行機が衝突、その模様が実況中継されていたのだ。私は、ロス・アンジェルスに住むパイロットの友人に連絡を入れ、テロの可能性についてたずねようとしていた。その友人は、私に飛行機の操縦を教えてくれた、いわば「先生」だ。

 その時、画面の端からもう一機の飛行機が突入、そのままWTCに突っ込んだ。信じられぬ光景であった。それまで、多くの事件や戦争を目撃してきたが、このような出来事はそれまで同じ類いのものを見たことがない。

 友人の「オー・マイ・ゴッド」という叫びが電話口で響いた。私も思わず、「オー・マイ・グッドゥネス」と同様の叫びを上げていた。

 これは事故ではなく事件であることは間違いない。考えられるのは、アメリカに対する政治が絡んだテロだ。だとすると、最初に聞こうとしていた「素人が操縦桿を握って標的に的中できるか」は是が非でも聞かなければならない。彼女の気持ちが収まるのを待って問いかけをしてみた。

 彼女の話では、素人でも少し訓練を受ければ離着陸は無理だが、あのような大型機の滑空操縦も可能だということであった。

 翌日、私の元にTBSから特別番組の出演依頼が飛び込んできた。TBS報道部は事件後、私に連絡を取ろうとしていたが、私がちょうどその少し前に離婚をして自宅を出ていたため連絡が取れず、探し回っていたという。

 急遽出演が決まり、迎えの車に乗ろうとした時、携帯電話が立て続けに鳴った。電話の主は、TBS同様出演依頼をする他のTV局と、私のことを心配するマスコミの先輩であった。

 マスコミの先輩は、TBS報道局が異様な空気に包まれているから発言に気をつけるようにと助言をしてきた。それは、私に圧力をかけようという類のものではなく、純粋に私を心配してくれてのものだった。だが実を言うと、その電話を受けた時は、少々その先輩が大げさに言っているのではと感じた。

 TBSに着くといきなりスタジオ入りをした。特別番組の司会は、筑紫哲也さんだった。解説者は私を含めて4人だったように記憶している。簡単な打ち合わせをしている時、先輩の心配していたことが納得できた。スタジオの中を、報復攻撃やむなしの「いけいけムード」が充満していたのだ。普段は冷静な筑紫さんまでもが「対アフガニスタン爆撃も仕方がないかな」という発言をしている。さすがに本番になるとそういう発言はなかったが、言葉の端々にそれに近いものを感じた。

 特別番組は二部構成になっており、その両方に解説者として出演した私は、8人位いた解説者の一人を除いてほとんどが「報復賛成」に傾いていることに驚いた。確かに、ビン・ラーディンのグループが実行した可能性は高かったが、それとて確かなものではない。事件後それまでにアメリカから伝えられてきた情報と言えば、「国防総省に突っ込んだ飛行機はホワイト・ハウスに突入するつもりだったが、屋上に地対空ミサイルがあったので方向転換した」「乗り捨てられたレンタカーからコーラン(イスラーム教経典)とアラビア語の飛行機操縦マニュアルが見つかった」等といった、私から言わせれば眉唾物が多かった。

 ホワイト・ハウス説に関しても、飛行機操縦マニュアルの発見情報にしても作戦を実行するグループがその辺りを用意周到、調査や準備をしないで実行に移すはずはない。マニュアルにいたっては試験会場に参考書を持ち込んでギリギリまで手放せずにいる受験生ではあるまいし、現実にはありえない話で、冷静になって考えれば根拠に乏しい情報と思えるものが、その時は、TV局の報道部の中では、「アル・カーイダ説を裏付ける重要情報」との扱いをされていた。

 TVに出てくる専門家たちは、9.11の惨状が次々に明らかになり、ブッシュ大統領が視聴者に向けて「十字軍の再現」を誓ったり、人気絶頂の小泉首相が“ポチ宣言”をすると、右に倣えとばかりにますます冷静さを欠くようになり、対アフガン攻撃に傾く論調を強めた。

 私も連日TV出演していた。だが、私が、どんなに対アフガン攻撃が非人道的というばかりでなく、西側社会にとっても不利益をもたらす可能性が高いと強調しようが、威勢の良い「アメリカ追随外交」を支持するコメンテイターの声の前では多勢に無勢であった。

 番組作りに問題があるものも少なくなかった。緊急報道番組の場合、一人又は二人の解説者だから大きな問題は生じにくいが、これが討論番組になると、コメンテイターの数は倍増する。中には10人近くの「論客」が集められる。それも、その人選基準が面白さだったりすることが多いから、意見がかみ合わず「子供のけんか」のようにただの不毛の論議状態となる。

 「朝までテレビ」を観ていて不快感を持っていたため討論番組への出演は避けて来た私だが、一度だけスタッフの熱意に押されて出演を承諾した。TV朝日の討論番組だった。

 そこには7,8人のコメンテイターが呼ばれていたが、その顔ぶれは、軍事評論家の志方氏、小池百合子氏、米人弁護士のケント・ギルバート氏などブッシュ寄りと思われる人たちばかり。企画の趣旨はすぐに察しが付いた。みんなで寄ってたかって私をいたぶるつもりに違いない。私がそういう状況でも筋を曲げることなく、感情的にならずに持論を貫けるから良かった(スタジオに主婦数十名が呼ばれ、討論前と討論後に対アフガン攻撃の賛否を聞く企画で、討論後に行なったアンケイトで私への支持が集まった)が、そうでなければ悲惨な結果になった可能性がある。結果的に私にとって良い結果で、番組スタッフから「これからもぜひよろしくお願いします」と賛辞をもらってが、それから私がその種の討論番組に出演することはない。

 9.11から1ヶ月も経たない内に米軍のアフガニスタンへの空爆が始められた。マスコミ各社は、米軍の最新鋭兵器の精度や破壊力を過度に強調して、湾岸戦争から続く「TVゲイム」的な映像を多用して報道し続けた。そこからは、爆弾の落とされる先の悲惨な状況は見るものに伝わってこなかった。アフガニスタンに入った報道陣から映像が送られてきたが、そのほとんどは北部同盟(親米勢力)側に入った特派員の「立ちレポ(カメラの前に立った特派員が報告する)」で、戦争の実態を伝えるものとは言いがたかった。

 それらの特派員は、現地でもほとんど情報を取れず、国際情勢からも取り残されていたため、テレビ局から特派員の元にニュース原稿を送り、それを読ませるようなことが続いていた。それに疑問を呈した私に対して、TV局幹部は「目をつぶってくださいよ」と片目をつぶった。その“返答”に首を傾げると、彼は私を避けるようになった。

9.11の再来?

2006-09-09 08:47:33 | Weblog
 8日の米TV各局は、オサマ・ビン・ラーディンのヴィデオ映像が2年ぶりに発表されたというので大はしゃぎ。「9.11」5周年を間近に控えた時期だけに、ビン・ラーディンからのテロ予告(9.11の再来)かと色めきたっていた。

 だが、映像を見れば分かるように、撮影時期は9.11以前で、彼の近影ではない。1時間半にも及ぶヴィデオは、中東の衛星TV局「アル・ジャズィーラ」によって1分半ほどに編集され、放映された。

 すると、TV各社は9.11の実行犯2人が写っている貴重な証拠映像と切り口を変えて“速報”を続けた。それを見ていて、どこかの国のTVと大差ないなと苦笑い。

 それにしてもビン・ラーディンは今、どこにどんな状態で生息しているのか。ジャーナリストの取材対象としては、“一級品”だ。また、中東ウオッチャーにとっては機会があればどんなことをしても話を聞きたい相手だ。

私の視点 いつまで謝り続けるのか

2006-09-08 01:37:20 | Weblog
 「何回謝れば済むというのか」

 日本政府や首脳達がアジア諸国に対して何度も頭を下げてきたのにアジア諸国、特に中国や韓国、北朝鮮がいつまでも、何度も謝罪を要求することに対して、昨年あたりから日本社会にこんな声が上がってきている。

 その声は、時間の経過と日本のアジア外交のつまずきに注目が集まるにつれて大きくなってきた。そして、いつの間にか「正論」の響きさえ持つようになったきた。と言うか、私の周りでも、同調する声が聞かれるようになって来た。

 「何回XXX」には2つの誤りがある。一つは、謝罪の程度について。もう一つは、謝罪の仕方だ。

 謝罪の程度については、日本がアジア諸国に対して行なった事実に真摯に向き合わねば理解できない。それは、日本がやったことは人類として最低の愚行であったと認められるか認められないかで大きな差が出てくる。

 最近、日本の戦死者への哀悼ばかりに関心が集まる傾向があるが、その前に我々が常に大前提として考えねばならぬのが、日本が加害者であった事実だ。それも、今残されている資料によってその数字に差はあるが、最低でも1,500万人、もしかしたら3,000万人ものアジアの人たちの命を奪ったのだ。その行為に対する責任は、計り知れないほど大きいものだ。「何度謝れば済むのか」などと言える筋のものではない。

 これがたとえ個人の殺人行為であったとしても、加害者は被害者や遺族に対して相手からどんな罵声を浴びせられようと、平身低頭、全身全霊を使って頭を下げ続けなければならないはず。国家で犯した罪となれば、何代にもわたって国を挙げて罪を償い続けるのが人の道というものではなかろうか。それを、我々日本人は、学校でも家庭でも教育の現場で次世代に語り継ぐことすら怠り、挙句の果ては、戦争の正当化を謀ろうとしている。

 もう一つの謝罪の仕方だが、これまで確かに日本の指導者達が折に触れ、謝罪をしてきた。だが、その一方で、有力大臣や政治家が戦争を美化する発言をしてアジアの人たちの気持ちを逆なでしてきた事実もある。戦後史を見ると、これら「謝罪」と「暴言」の繰り返しだ。これで、心の底から罪を悔いて何度も謝ってきたなどとどうして言えようか。

 こういう発言をすると、とかく亡国論者と言われがちだ。私の元に売国奴呼ばわりする指摘が何度も届けられる。だが、私はそういった人たちに逆に問いかけたい。何故に自分達や家族、先達がやってしまった過ちを素直に認められないのかと。指導者から市井まで全体に言えることだが、この国には自らの過ちを認められない輩が多すぎる。それは、そういう発言をする輩が好む武士道の精神にも反するものだ。“日本人の心”である「和の重視」「謙譲の美徳」は、そんな責任回避の姿勢と対極にあるものだが、そんなことにも気付かぬようだ。

 今からでも遅くはない。我々日本人は自らの過ちについては素直に認め、被害者から何を言われようと謝り続けるのだ。戦争の犠牲者の追悼についても、官民を問わず、指導者達は自国ばかりでなく、被害を与えた国々の追悼式典にも積極的に足を運び罪を償うべきだ。そうして初めて、世界の人たちの信頼と、やがては尊敬を得られる様になる。 

 

飯能市長 「飲んで運転した職員はクビ」 

2006-09-05 10:27:57 | Weblog
 3人の子どもが亡くなった福岡市職員の飲酒運転による事故を受けて、飲酒運転をした職員の処分について見直しを検討する地方自治体が続出する中、先陣を切って埼玉県の飯能市が4日、酒酔い運転をして警察の取締りを受けたり、事故を起こした職員を、すべて懲戒免職する、と発表した。

 これまでは、たとえ事故を起こしても軽微なら停職に止まるという処分基準であったが、今後は事故の有無に関係なく、交通取り締まりで摘発されても、即、免職となる。沢辺瀞壱(せいいち)市長は「これだけ飲酒運転について言われているのに、もしやったのなら、人格的に駄目だ。そういう人には公務を任せられない」と説明している。

 同市職員課の話では、これまでに飲酒運転による免職処分を受けた事例はなく、10年前に酒気帯び運転で事故(被害者は軽傷)を起こした職員が1ヶ月の停職になったのが直近の記録にある程度だという。

 冒頭に紹介した事故を受けて、福岡市は、職員が飲酒運転で摘発された場合、例外なく免職にする方向だという。

 飯能市が地方自治体で初めての「英断」かと思いきや、調べてみると、高知、秋田、青森などの県がすでに「飲酒運転で摘発は原則免職処分」を何年か前から実施しており、これまでに数十名が免職されている。

 飲酒運転に厳しい私とすれば、この動きが今後全国に波及し、民間レヴェルでも実施されることを祈念する。とにかく、車は「文明の利器」であると同時に「走る凶器」だという自覚をドライヴァーが持つべきだ。

いつまで続くの?

2006-09-04 10:41:48 | Weblog
 子供たちの夏休みが始まって間もない頃、一人の中学一年生が親に連れられてきた。都内の有名私立中学に入学したものの、英語の勉強についていけないので何とかしたいというのが親の相談内容であった。

 部屋に入ってから面接の途中まで、その子はうつむいたまま。私の方を見ることはなかった。私のところに来たのが、自分の意思でないことはその姿を見れば明らかであった。

 私の英会話スクールでは、子供にその意思がない場合、子供のことを考えて入学を見合わせるように親に言うことがままある。

 こういった子に共通することだが、私の質問のほとんどに親が答えていた。そこで、母親に事情を説明して理解してもらい、子供に直接幾つかの問いかけをして彼の答えを待つことにした。夏休み明けのテストに向けての勉強をしたいから短期間勉強を見て欲しいとのことだった。

 その他にもいくつかの問答をしたが、気になったのは彼のずっと伏せたままの視線と固まった態度だった。そこで、私はいくつかの自分の失敗談などをまじえながら自分の考え方を話した。そしてその後、「僕の目を見て話せるかな?」と“難題”を吹っかけてみた。すると、彼はきちんと私の目を見てきた。そしてハッキリと自分の意思を伝えてきた。私はそこで彼なら大丈夫、と踏んで依頼を受けることにした。

 小一時間の面談の後、スタッフがその変わり様に驚くほど、彼ははきはきとした挨拶を我々にして帰って行った。

 夏休みの間、幾つか気になる言動は見られたが、きちんと通ってきた。そして、急速とまではいかないが、それなりの進歩は見せた。8月の末、母親から二学期に入ってからもお願いしたいという連絡が入った。

 ところが、それは彼の意思とは関係なく決められたことのようであった。最後のレッスンの時、付き添ってきた母親の陰に隠れるようにしている彼を見て私は話を中断して彼に「君は続けたいのかな?」と水を向けた。彼は力なく首を横に振った。

 ならば話は別である。私は母親に、彼に考える時間を与えましょう、と提案した。

 その後で彼と二人だけで30分ほど話をして彼の本音の一部を聞くことができた。

 彼の本音を要約すると、「『この中学に入れば、その後は受験勉強をせずに大学まで行ける』という親の言葉を真に受けて小学生の時に何年も塾通いをして苦しい思いをしてきた。合格すれば好きなことをさせてもらえるとも言われた。でも、いざ入学してみれば全然話が違って勉強漬けの毎日ではないか。こんな生活がいつまで続くのか。こんなの嫌だ」ということだ。

 彼の言うことはもっともだ。後で彼が「あの時やっておけば良かった」と悔やむことになるであろうことは容易に想像が付いたが、引き留めることはしなかった。

 

 

 

ブッシュ大統領への残暑見舞い

2006-09-02 23:07:37 | Weblog
米合州国大統領 ジョージ・ブッシュ様

 蝉の声も心なしか勢いが感じられぬ今日この頃、ブッシュ様におかれましては、○○○のこととXXX(読者の感性で字を当ててください)申し上げます。

 マスコミの方たちから漏れ伝わってくるところでは、あなた様はこの夏も相変わらず精力的に(?)夏を過ごしておられたとのこと。一部マスコミは、長期休暇を取って何を考えているんだ、などと訳の分からぬことを言っているようですが、ブッシュ様に限って遊び呆けていたなどということはないはず。恐らく、ハンティングをしながら対イラク戦争の想定訓練をして作戦を練られ、釣り船に乗って大物を釣り上げるのを「ビン・ラーディン拘束」に見立てるなど、24時間、「テロとの戦い」を念じながらお過ごしになられた御様子、尊敬こそすれ、揶揄するなどもってのほかと考えます。

 世界の人たちを苦しめて、いや失礼、世界平和のために日夜頑張っているお姿を見ると、頭がおかしく、失礼、頭が下がります。あなた様の側近の話では、夏期休暇中も、世界情勢の把握と今後の世界戦略の構想に余念がなかったとのこと。ということは、「Non-Proliferation Treaty(核拡散防止条約)」が記者団の前でも言えるように頑張ったということでしょう。また、イランの大統領の名前をメモなしで言えるようになったことまで含むかもしれません。近い内にその成果が記者会見なり、演説の時に見せていただけるのではと期待してお待ち申し上げております。

 前口上が長くなり申し訳ありませんでした。実は遅くなりましたが、残暑見舞いを申し上げようと思い立った次第でございます。残暑見舞いは確か8月中に出すものですが、時差もありますからその点は御容赦ください。

 私が残暑見舞いを書こうと思ったのは、あなたの8月31日にユタ州ソルトレイク・スィティで行なった演説を聞いたからです。あなた様は、「テロとの戦い」への国民の支持を訴えておられました。私はそれを聞いていたく感動いたしました。

 演説では、いつものように雄雄しく、世界が恐れるイラクやレバノンの武装組織を「20世紀全体主義者の末裔(まつえい)」と分かりやすくたとえ、イスラーム急進派組織との戦いを「21世紀を決するイデオロギー闘争」と高らかに宣言されました。

 演説の中で、あなたは御自分が主導されるイスラーム組織との戦いを「自由」対「ファシズム」という枠組みで説明されました。これは非常に分かりやすい例えだと思います。イスラームの自由の戦士に対して力を誇示する超大国アメリカはファシズムそのものですものね。マスコミの意地悪な下衆どもは、あなた様のお顔が猿に似ているからというだけで、知能程度も「猿と大して変わらない」などとするものもあります。また、常に主観的で余裕がないと言ったりもします。しかし、今回の発言を聞けば分かるように、ブッシュ様、あなたはそのような低レヴェルの政治家ではありません。どのような時でも冷静さを失わず、御自分のお立場をきちんと俯瞰なされています。だからアフガニスタンやイラクに対して兵を送り、多くの無辜の市民の命を奪ってしまった御自分を潔くファシストであるとお認めになり……ん?いや、失礼、よく読むと、なんとなくこの部分は私の勘違いのようでした。

 気を取り直して書き進めます。

 そう、あなた様こそが自由の戦士と呼ばれるのに相応しいお方であることは、世界の誰もが認めることでございます。あんなビン・ラーディンのような虫けら同然の連中は、ファシストと呼ぶのももったいない存在ですよね。彼らをファシストと呼んだのは、あなた様の優しさです。

 あなたの優しさは他にも演説の随所に見られます。私共に分かりやすく説明するために学生時代にその言葉を聞いただけで蕁麻疹が出るほど嫌いであったという「政治学」を引き合いに出されました。さらに、政治学の授業で聞き漏らしてしまったイデオロギーという言葉さえも、その何たるかも分からずに使われています。「イデオロギー闘争」というキーワードを使えと恐らくラムズフェルド国防長官様辺りから助言されたからでしょう。英語では、アイデオロジーと発音しますが、恐らくあなた様はこれまでにほとんど使ったことがなかった言葉なのでしょう。Non-Proliferation同様、かんでいました。そして、首筋にはうっすらと蕁麻疹が出ていました。

 そんな、御自分の健康が阻害されるのを構わずに「テロとの戦い」を実践されるあなた様は、まさに21世紀の救世主でございます。これからもますます多くの難局に直面されるとは思いますが、御自分の台所が火の車になろうと気にしないというこれまでの高潔な姿勢を続けられていくことを祈念して止みません。あなた様のお陰で「米帝国の凋落」「一大帝国の支配の崩壊」は予想外に早く訪れることになるかもしれませんが、歴史家は後にその功労者としてあなた様を称えることでしょう。

 残暑厳しき折、健康にくれぐれも留意され、あ、それと、あなたが落とした爆弾で亡くなられた方たちのことも留意され、忙しい毎日をお過ごしになられるよう最後に付け加えさせていただきます。また、文中の不適切な表現は、どうぞ切り抜いて台所の冷蔵庫のドアに貼り、「座右の銘」にしていただければ幸いです。

2006年

浅井久仁臣

防災と国防

2006-09-02 01:05:41 | Weblog
 9月1日の「防災の日」、全国各地で防災訓練が行なわれた。

 「東海大地震」を想定した訓練では、60万人を超える人たちが参加、「首都直下型地震」が対象の首都圏でも約7万人が参加したという。東京を中心とした8都県市の訓練には、今回初めて在日米軍や韓国の救助隊が参加した。

 参加者の中には、そういった「迷彩色」の参加を心強いとする人もいるようだが、かつてヴォランティアの立場でこの訓練に参加していた私には、強い違和感がある。11年前に起きた阪神大震災の時、自衛隊はマスコミや世論に気兼ねして、恐る恐る出動したものだ。それからすれば、隔世の感がある。

 この10年の流れを見ていると、国や自衛隊は、防災にかこつけて自衛隊を街に出し、「自衛隊アレルギー」を払拭させようとしているように思えてならない。この流れをどこかで止めないと、防災をお先棒担ぎにした「愛国心」作りが始まりそうな勢いだ。もっと多くの優秀な人材をこの分野に引きずりこむことが緊急の課題だ。