「自殺の連鎖」「履修漏れ」「タウン・ミーティングのやらせ」
教育界を揺るがす大きな問題の原因究明が充分になされないまま15日夕、衆院特別委員会は、教育基本法の改正案を野党議員の欠席する中、単独採決した。
子供の心の内を、教育の持つ意味を、そして愛国心とはどのようなものかも分からぬ連中が、「教育基本法が出来て来年で60年だから古くなった。変える必要がある」「学校が荒れるのは徳育、愛国心教育を充分していないからだ」と法律を変えようとしている。
よく言われることだが、子供は大人社会の鏡である。周りの子供たちをいじめたり、受験戦争に勝つために狡賢く立ち回るのは、周囲の大人たちが“手本”を示しているからだ。そんな本質も分からぬまま、教育の根幹に立ち入るのは、それこそ「聖域」に土足で踏み込むようなものだ。
愛国心など、これもよく言われることだが、心の奥底からにじみ出てくるものだ。日の丸を崇めたり、君が代に声を張り上げることで国を愛する心が生まれるはずがない。愛国心は、家族を、周囲の人たちを、そして自分の住む街を、さらに他の国の人たちをいつくしむ気持ちがあって初めて生まれるものだ。それらの想いが充分に育まれないままに愛国心など芽生えるはずがない。逆に、それらの想いが身体全体からにじみ出てくる大人は、「愛国心」「徳育」など言葉にせずとも、充分理解していることを言動からうかがわせるものだ。
今、「子供たちに愛国心を!」と、ヒステリックに声を張り上げている連中を見てみると、どうだろう?
石原都知事は確かに家族愛にかけては、他を寄せ付けない異常とも思える高レヴェルを保持している。石原氏がまだ国会議員だった頃、弟の裕次郎を入院させるために自衛隊のヘリか輸送機だったか忘れたが、救急車代わりに使った話は有名だ。そして、安倍首相と共に、「美しい日本」の復活を訴えるのに、英語やドイツ語を随所にまじえていきまいている。外国語が苦手な人たちは、それだけで尊敬すると勘違いしているのかもしれないが、「『美しい日本』と言うのであれば、まず『美しい日本語』をお使いください」と提言したい。さらに、石原氏も安倍氏も頻繁に英語の単語を羅列するのに英会話能力はあまりないということだから、小学校から英会話を必修させる前に御自分が英会話を勉強しなさいと苦言を呈したい。
また、保守系言論機関などで論陣を張っている評論家やジャーナリストで、人も羨むような家庭を築いたり、友人に囲まれている人を見た事がないのも、彼らの発言に説得力を感じない原因だろう。
いずれにしても今やらねばならないのは、法律をいじったりすることではない。「原因究明を」という声もあるが、もう原因は誰の目にも明らかだ。文部科学省の役人と話していても、「君が代・日の丸の強制」「小学校の英語必修化」に無理があることなど、その辺りは充分理解している。彼らを無能呼ばわりする人もいるが、そんなことはない。教育に情熱を持ち、優れた考え方をしているものも少なくない。だから、政治家が一切口出しせずに、一度は好きなように役人にやらせてみたらどうかと思う。意外や意外、好結果を出す可能性は少なくない。
しかし、考えてみれば彼らに頑張ってもらうのは当然のことではないか。我々が税金を出しているのは、その仕事をしてもらうためなのだから。
教育界を揺るがす大きな問題の原因究明が充分になされないまま15日夕、衆院特別委員会は、教育基本法の改正案を野党議員の欠席する中、単独採決した。
子供の心の内を、教育の持つ意味を、そして愛国心とはどのようなものかも分からぬ連中が、「教育基本法が出来て来年で60年だから古くなった。変える必要がある」「学校が荒れるのは徳育、愛国心教育を充分していないからだ」と法律を変えようとしている。
よく言われることだが、子供は大人社会の鏡である。周りの子供たちをいじめたり、受験戦争に勝つために狡賢く立ち回るのは、周囲の大人たちが“手本”を示しているからだ。そんな本質も分からぬまま、教育の根幹に立ち入るのは、それこそ「聖域」に土足で踏み込むようなものだ。
愛国心など、これもよく言われることだが、心の奥底からにじみ出てくるものだ。日の丸を崇めたり、君が代に声を張り上げることで国を愛する心が生まれるはずがない。愛国心は、家族を、周囲の人たちを、そして自分の住む街を、さらに他の国の人たちをいつくしむ気持ちがあって初めて生まれるものだ。それらの想いが充分に育まれないままに愛国心など芽生えるはずがない。逆に、それらの想いが身体全体からにじみ出てくる大人は、「愛国心」「徳育」など言葉にせずとも、充分理解していることを言動からうかがわせるものだ。
今、「子供たちに愛国心を!」と、ヒステリックに声を張り上げている連中を見てみると、どうだろう?
石原都知事は確かに家族愛にかけては、他を寄せ付けない異常とも思える高レヴェルを保持している。石原氏がまだ国会議員だった頃、弟の裕次郎を入院させるために自衛隊のヘリか輸送機だったか忘れたが、救急車代わりに使った話は有名だ。そして、安倍首相と共に、「美しい日本」の復活を訴えるのに、英語やドイツ語を随所にまじえていきまいている。外国語が苦手な人たちは、それだけで尊敬すると勘違いしているのかもしれないが、「『美しい日本』と言うのであれば、まず『美しい日本語』をお使いください」と提言したい。さらに、石原氏も安倍氏も頻繁に英語の単語を羅列するのに英会話能力はあまりないということだから、小学校から英会話を必修させる前に御自分が英会話を勉強しなさいと苦言を呈したい。
また、保守系言論機関などで論陣を張っている評論家やジャーナリストで、人も羨むような家庭を築いたり、友人に囲まれている人を見た事がないのも、彼らの発言に説得力を感じない原因だろう。
いずれにしても今やらねばならないのは、法律をいじったりすることではない。「原因究明を」という声もあるが、もう原因は誰の目にも明らかだ。文部科学省の役人と話していても、「君が代・日の丸の強制」「小学校の英語必修化」に無理があることなど、その辺りは充分理解している。彼らを無能呼ばわりする人もいるが、そんなことはない。教育に情熱を持ち、優れた考え方をしているものも少なくない。だから、政治家が一切口出しせずに、一度は好きなように役人にやらせてみたらどうかと思う。意外や意外、好結果を出す可能性は少なくない。
しかし、考えてみれば彼らに頑張ってもらうのは当然のことではないか。我々が税金を出しているのは、その仕事をしてもらうためなのだから。