「あなたが今、いじめられているのなら、今日、学校に行かなくていいのです。 あなたに、まず、してほしいのは、学校から逃げることです。逃げて、逃げて、 とことん逃げ続けることです」
「若い子が自分で命を絶ったら、あかんよ。今いじめられてる子に『頑張れっ 』て言うのも酷やけど、『人生、捨てたもんやない』って、きっと思える日が来 るから」
「どうかあと一日、生き延びてみて。それだけです。絶望や痛みを抱えたまま、 もう一日だけ生きてみてください。一日生き延びれば出会える可能性をあなたは 持っているのです」
ここのところの新聞には、有名人たちが「子供たちへのメッセージ」を書き連ねている。だが、子供たちがこういった呼びかけをどういう気持ちで読んでいるのか、新聞社の担当者は考えたことがあるだろうか、私には疑問に思えてならない。
この種の呼びかけを読んだ子供たちの多くが、「心のこもった大人からの訴え」とは取っていないはずだ。少なくとも私の周りにいる子供たちは、「キレイ事を言うんじゃない」と引き気味だ。
確かに、子供たちに「嫌なら学校に行かなくていいんだよ」「逃げることは恥ずかしいことではない」と呼びかけることは悪いことではない。と言うか、必要なメッセージの一つだ。だが、「もう少し、あと一日だけ、未知の明日を生きてみてください。誰かが、何かが必ず待っています」とどうして言えるのだろう。私には不思議で仕方がない。
こんな“分かったような”大人たちの物言いが、硬く心を閉ざした子供たちの心の奥底に届くはずはない。子供たちは、これらの大人たちを敬うどころか、「キレイ事を並べる」と、まるで信用しないのだ。
17日付の朝日新聞朝刊の一面で、「死なないで 逃げて逃げて」と題する鴻上尚史氏の呼びかけなどその際たるものだ。
「自分がどんなにひどくいじめられているか、周りにアピールしましょう」と言うが、アピールしたことによる逆効果(いじめ側からのさらなる攻撃や教師の不適切な対処)が恐くて出来ない子が多いことを知らないのだろうか。
「思い切って、『遺書』を書き、台所のテーブルにおいて、外出しましょう。学校に行かず、1日ぶらぶらして、大人に心配をかけましょう。そして、死にきれなかったと家にもどるのです」とも書いている。
これも、それだけのことをして帰宅した時、親から怒鳴りつけられたり、無視されたりしたらその子がどんな気持ちを持つか考えていない。
鴻上氏はさらに、「親があなたを無視するなら、学校あてに送りましょう。あなたをいじめている人の名前と、あなたの名前を書いて送るのです」と、親に無視された場合のことを書いているが、子供にとってそれをすることがどれだけ勇気が必要か考えているだろうか。ただでさえ、親に無視された辛さで子供は絶望の状態にあるのだ。それを克服するのでさえ大変なことなのに、何とか乗り越えて、学校(教師)に訴えたとしても、学校側がきちんとした対処が出来る保証などまるでないことは、今回の一連の不祥事で明白だ。そんなに無責任に学校に訴えろと呼びかける鴻上氏は、学校の回し者か、さもなくば、物事の本質を見抜けぬ御仁としか思えない。
鴻上氏は、呼びかけ文の中で、一貫して、「この地球上にはどこかあなたたちの安住の地がある」と言い続け、最後に「それは、小さな村か南の島かもしれませんが、きっとあります。僕は、南の島でなんとか生きのびた小学生を何人も見てきました。どうか、勇気を持って逃げてください」と言っている。
こんな雲をつかむような話をされて、「人生の淵」で行く末を迷っている子供たちが、自殺を思いとどまるとでも考えているのだろうか。この文章を一面で、それも鴻上氏のカラーの顔写真付きで掲載した朝日新聞の品性が疑われる。こんな呼びかけ文を書く鴻上氏も、それを紙面で目立つ扱いをした朝日新聞も、これは、無礼を承知で言うが、子供たちを理解していない、と言う前に、子供たちに対して失礼だ。
子供たち(大人も同様)がなぜ死を選ぶか。それは、一つに、自分の考えを死でもって周囲に分からせたいということがある。復讐に近い気持ちもあろう。だが、自殺の連鎖に関して言うと、自分が死ぬことによって社会が初めて自分を認知してくれると感じるからではないだろうか。人間なんて、どんなに強がりを言っていても弱いものだ。特に、誰からも相手にされず、社会的な認知をされていないと考えると選択肢は狭められ、自死が視野に入ってくる。その時、自殺がこれほどの社会的インパクトを持って見られるとなれば、追い詰められた者が引き込まれていったとしても不思議ではない。
だから前から言っているように、報道関係者にはこの問題を慎重に扱って欲しいと強く要望するのだ。
私は、誤解を避けるために最後に言うが、各紙が掲載する呼びかけを全面的に否定しているのではない。キャンペーンをやるのなら理想論を掲げるだけでなく、具体的に言論機関としてどのような社会参画が出来るかを示した上で呼びかけて欲しいのだ。鴻上氏の呼びかけ文を例に取ると、鴻上氏なり朝日新聞が、「死の淵」をさまよっている子供たちの受け皿(専門家を配した駆け込み避難所や相談所など)を作った上(又は緊急に創設)でメッセージを発信していれば、子供たちに与える印象はまるで違っただろう。
正論を言ったり、正義を大上段から振りかぶるのであれば、それ相当の覚悟がないと、子供や若者の鋭い感性や視線に見抜かれますよ、朝日(鴻上氏)さん。