南太平洋海戦における大日本帝国海軍機動部隊司令長官は、例によって例の如く南雲忠一。そして当然のように参謀長は草鹿龍之介。つまり所詮は勝ち戦でしか勢いに乗れないポンコツ共です。此処まで多少場数を踏んでも所詮は付け焼き刃、生兵法は怪我の元と言いますけれどもそれ以前の問題で、臆病極まりない用兵が目に付く輩となり果てていました。
ちなみにこの南太平洋海戦、両軍の戦力を比較すれば大日本帝国海軍機動部隊は翔鶴・瑞鶴・瑞鳳・隼鷹の4空母、金剛・榛名・比叡・霧島の4高速戦艦、愛宕・高雄・摩耶・妙高・利根・筑摩・鈴谷の7重巡、五十鈴・長良の2軽巡、そして駆逐艦25隻の計42隻。対するアメリカ海軍機動部隊はエンタープライズ・ホーネットの2空母、戦艦はサウスダコタのみ、ポートランド・ノーザンプトン・ペンサコラの3重巡、サンジュアン・サンディエゴ・ジュノーの3軽巡、そして駆逐艦14隻の計23隻。つまり数的戦力においては大日本帝国海軍が大きく上回っていました。
さて1942年11月24日。本隊の60海里前方にて重巡筑摩がアメリカ海軍カタリナ双発飛行艇と接触しました。この報告を受けた南雲が何をしたかと言えば、第二次ソロモン海戦に続いてお得意の選択、安全圏への転進です。連合艦隊司令部はこれに対し、「予定通リ南下セヨ」と指導電を発します。つまり、逃げるなカスが!と叱責された訳で、恥どころの話ではありません。翌日、25日に南雲機動部隊は再び敵飛行艇と接触しますが、流石は南雲忠一、悪い意味で期待を裏切りません。当然の如く北北西に転進する巫山戯た采配を行います。これには無論連合艦隊司令部から南下の命令が繰り返され、渋々ながらに進路を戻しました。そして26日の早朝、今度は南雲機動部隊は敵航空機により爆撃を受けます。南雲忠一がどういう対応をしたか?当然の如くまたもや北方転進。第二航空戦隊司令官角田覚悟などは、流石にこの転進に眉を顰めたと言います。
しかし指揮官が逃げ腰の老害であろうと、敵が襲ってきて物理的に逃げられないとなれば闘う他にありませんし、艦載機搭乗員達は喜び勇んで出撃します。己が生き残る為には敵を殺す、これは古来より不変の単純な道理なのですから。彼等は空母ホーネットを機関全停止に追い込み、エンタープライズの飛行甲板を破壊するという戦果を挙げます。その一方でアメリカ海軍の艦載機は、空母翔鶴と重巡筑摩に500�爆弾をそれぞれ4発命中させ、翔鶴を大破、筑摩を中破させました。さあ、ここからは互いの吐息と鼓動を感じ合う殴り合いです。戦士ならば血湧き肉躍り、愉悦にワクワクする瞬間です。この局面で南雲忠一は、どんな采配を見せるのでしょうか。……ま、既に大凡の予想はつきますよね。
大破したとはいえ空母翔鶴は、ミッドウェー海戦の戦訓を活かして消火対策を徹底していた為に火災を消し止め、機関部は無傷でした。翔鶴艦長は南雲忠一と草鹿龍之介に、翔鶴にはまだ推進力が生きている事を伝え、敵機動部隊に囮となって突っ込み瑞鶴と隼鷹の艦載機で叩かせようと進言しました。無駄死にはアホのする事で百害あって一利のないモノですが、南雲忠一なんていう逃げ癖のついた弱将は、囮になれるだけでも有り難く思うべきでしょう。しかしこの二人は、その進言を容れる筈もなく駆逐艦嵐に将旗を移して退艦したのです。
司令官が駆逐艦に乗り移ってさっさと退避した後に、指揮権を引き継いだのは軽空母隼鷹に座乗していた角田覚悟でした。第三次攻撃隊を発艦させた角田覚悟は、戦艦サウスダコタと軽巡サンジュアンに直撃弾を加えて小破させ、その後も第六次攻撃までも行いました。空母ホーネットにとどめを刺し、エンタープライズを中破させたのは角田覚悟の指揮によるモノです。幾度も逃げ腰になり、そして遂には本当に戦域から離脱した南雲忠一などの手柄では断じて無いと、私は認識しています。
……どちらにしても、既に以前の記事で「座礁して沈没を待つだけの船からバケツで水を掻き出す技の巧拙を比べてみた所で、どの道沈むなら詮無き事」と書きましたように、事が此処に至っては一つの海戦の勝敗などどう転んでも大局に変化は無かったでしょう。しかし南雲忠一のような輩に軍隊を預けるなんていう不適切人事を行うから、こんな事態を招くのだという事を指摘せざるをえません。
と、まぁ以上のように少なくとも私から観れば、南雲忠一という人は戦士として問題外である事は言うに及ばず、軍人としてもゴミの極みでしかありません。こんな闘争不適格者に指揮されなくてはならない兵士達は、哀れという他ないと言えましょう。同様な用兵を行う者として、これも有名な栗田健男が挙げられますが、要するにこいつらは尋常の尺度でしか物事の判断が出来ない輩なのです。何度も繰り返し述べましたように、対等以下の相手が敵ならそれでも良いでしょう。自己の戦力を温存し、ヒット&アウェイで着実に削れば宜しい。「できるだけ汗をかかず 危険を最小限にし!バクチをさけ!戦いの駒を一手一手動かす それが『真の戦闘』だッーっ!!」とカーズも言っていますが、あれはそもそもカーズが敵よりも圧倒的に優位に立っているからこその理屈。アメリカ合衆国を敵に回した日本のような、ほぼ「詰み」の状態からの起死回生には博打しかないのです。勝って勝って勝って、そして勝つ。不意を突いて殴り、そのまま敵が絶命するまで殴り続ける他はありません。それはおそらく無理な話で、万分の一にも満たない勝機ですけれども、弱者が強者と闘うというのはつまりそういう事なのです。
艦隊を温存しようだとか、敵の攻撃が激しいから帰ろうだとか、講和の道を探ろうだとか、弱者のそういった思考は強者にとってただでさえ容易な闘いを更に簡単にするだけの代物です。己の誇りの為に闘う戦士では無く、所属するコミュニティの損得の為に闘う軍人であるなら、自分と部下の身命を冷静冷徹に勝利への道具とする事が出来なくては物の役に立ちません。戦争が終わった今だから言える、当時隠されていた内情というような事ではなく、古今東西変わらない至極当然の闘争の理から観て……大日本帝国という国家は、南雲忠一に代表される「不適材」を登用していたと私は考えるのです。