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映画、読書などのメモ

長江にいきる

2017-08-21 | chinema(アジア系映画)

映画を観た。

★『長江にいきる 秉愛(ビンアイ)の物語』
監督:フォン・イェン(馮艶)
音響設計:菊池信之、
2008/中国

中国の一大事業である三峡ダムの建設を背景にしたドキュメンタリー。
今年2009年に完成予定の世界最大のダム建設に際し、140万人の人の住居と田畑が水没するという。この作品は、7年間ほどかけて取材しながら、一人の既婚女性、秉愛(ビンアイ)の生き方を通して、中国社会の急激な変貌を浮き彫りにし、「生きること」の意味を感情込めて描いている。

女性監督フォン・イェン(馮艶)の視線にブレはなく、初めから「女性である」個人の生き方にこだわっているように思う。一人の女性の表情、感情、を豊かにカメラに収めている。
監督と秉愛(ビンアイ」の強い信頼関係から生まれた映像だ。

山峡ダム建設を題材にした作品としては、ジャ・ジャンクー監督の「長江哀歌」を思い出すが、物語ではなく、徹底的に個人の内面に深くこだわり、中国女性の感情のひだまで描いたことで感動的ドキュメンタリー作品になった。
中国内陸部農村社会の急激な変化の様子もよく解る。

この作品は、07年山形国際ドキュメンタリー映画祭で、小川紳介賞(アジア部門最高賞)に輝いている。その後、プロの音響設計者である菊池信之さんが加わり、より完成度の高い作品に仕上げて、劇場公開となった。

フォン・イェン(馮艶)監督の言葉。
芸術でもそうだし、映画でもそうだけど、レベルが高いというのは決しておしゃれであるとか手法が洗練されているとかではない。
感情がどれくらいあるのか、というのが私はとても大切だと思うんですね。

公式サイト にブログが設置されていた。
長江にいきる 秉愛と仲間たち
http://bingai.exblog.jp/
その中から、素晴らしい言葉を見つけた。

音響設計の菊池信之です。
現実社会に氾濫する音の中で、その人が置かれている状況、意識、感情によって聞こえてくる音も聞こえない音もある。そうした感情や状況にどう寄り添うかが映画をリアルへと導く。音の選び方によって、写されている人物や物との関係は形成される。これを「まなざし」と言ってもいいと思う。

撮影者が現実を見つめる場合に、風景でも人物でも、どの距離感でそれを見ているのか、その「距離」の取り方はまた大事だ。それによって音の選び方も変わってくる。説明が難しいのだが、一台の車が走る。道路を含む風景の一つとして見るのか、その走る車に何らかの感情があって、その感情で見るのかによって音も変わる。いわば、映画(の意識)が何処に位置しているのか、映画の「立ち位置」によって、音のあり方が違ってくるのだ。(音の在り方によって映画の立ち位置が変わるともいえる)

コメント
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