有田芳生の『酔醒漫録』

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「とくダネ!」テレサ特集の誤報

2007-10-23 10:07:45 | 立腹

10月23日(火)いまフジテレビの「とくダネ!」でテレサ・テンを取り上げていた。ノンフィクションの成果が何の断りもなく「事実」として取り上げられる。私が香港を歩き回り、カナダに連絡を取ってはじめて発掘した事実に対して何の配慮もないことに驚いた。中国の学生運動を支援する集会に出る前、テレサはある楽器店で3回だけ小さな声で歌う。この事実経過を発掘して書いたのは『私の家は山の向こう』(文春文庫)だ。この番組を作った担当者には筆者に対する敬意というものはいっさいないのだろう。普通なら小さくとも参照文献として紹介すべきことだ。番組はテレサが北京に招かれたが、台湾の軍隊に協力したから実現しなかったと語っていた。完全な間違いであり、歴史的経過も違う。前田忠明氏が香港のハッピーヴァレーで歌ったテレサの映像が日本に入らないなどと、さも「わけあり」のように語っていたが、そんなことはない。私でも持っているぐらいだ。いい加減なコメントにも驚いてしまった。細かい問題は多々あるが、歴史的事実を歪める報道には怒りを覚える。またフジテレビなのだ!(2004年2月6日に放送された「人に言えない裏人生」はテレサの日記なるものを捏造。文庫263ページ参照)。                        


中島みゆきの「響く」言葉

2007-10-23 09:13:11 | 随感

 10月22日(月)足にいささか疲れを感じるのは、昨日6時間ほど歩いたからだろう。原稿を切り上げて平河町へ。新党日本の東京第一支部でこれからの打ち合わせ。明日は田中康夫代表が参議院総務委員会で初質問。対する相手は岩手県知事だった増田寛也総務大臣。長野県知事として借金を6年連続減らしたうえで福祉や教育を充実させた成果は、きっと質問でも生かされることだろう。平山誠総務局長と簡単な打ち合わせ。防衛省疑惑で「山田洋行」元専務が防衛庁からの天下りだったことが、ほとんど報じられないマスコミのおかしさを語る。ジムで軽く泳いで日本橋の「丸善」。書籍売り場で勢古浩爾さんの『会社員の父から息子へ』(ちくま新書)と長島一由さんの『浮動票の時代』(講談社α新書)を購入。大手町から池袋。「週刊ポスト」のIさんと原稿の打ち合わせ。兵庫県加古川で起きた小学生殺害事件について、いささか驚く情報を聞く。雑談のなかで編集者と筆者の関係が話題となった。私がフリーランスになって「朝日ジャーナル」に原稿を書くようになった86年には、経済的にファクスを買う余裕がなかった。パソコンどころかワープロもないときだから、原稿を書き上げると、電車に乗って築地の朝日新聞まで届けていたものだ。そこから編集者と打ち合わせをして、訂正をしていたら、たいてい夜中になる。タクシー券をもらって帰宅するか、編集部や社員食堂でビールなどを飲んで、夜明けの築地場外市場を歩くこともしばしばだった。そこにあるのは濃密な人間関係だった。ところが最近ではメールで原稿依頼が来るから、編集者とは会ったこともなければ、声も聞かずに仕事が終ってしまうこともある。これでは編集者の面白さは半減以下ではないか。中島みゆきが新しいアルバム「I LOVE YOU、答えてくれ」について語ってる「東京新聞」(10月22日付夕刊)が眼に入った。メールのような「相手の見えないコミュニケーションは、楽しくないなあ」とあり、「言葉は、音を伴っていないと駄目なの。いくら美辞麗句を並べられても、声が私の心に響かなければ、その人のことは信じられない」と続く。「届く」言葉から「響く」言葉へ。さてどう語ろうか。


石神井公園で〈過去〉に出会う

2007-10-22 08:59:47 | 随感

 10月21日(日)ソファーに横になって本を読みはじめたときに思い立った。うだうだとした惑いはこんなことをしていても解決しない、歩いて考えよう。そう判断して石神井公園に行くことにした。練馬駅までの商店街も、まさにシャッター通り。店主が病気で閉店したと張り紙のあるクリーニング屋があった。家族の生活を推測すれば気持ちが重くなる。都市と地方の格差どころか、都内でもこうした偏在がある。西武新宿線で石神井公園。すでに存在しないことを知っていながら20歳代に通った「升一」があった場所まで歩く。深夜の電車で戻ってきて、道を右折した向こうに赤提灯が見えたときにはうれしかったものだ。この発作的な放浪は20歳代、30歳代の〈私〉に出会うためのものであった。公園を歩いていると、そこに独身時代の〈私〉や30歳代で長男や長女を連れた家族連れの〈私〉の「後ろ姿」が見えるようだった。ふと涙腺がいささか緩む。「おい、これでいいのか」と20歳代と30歳代の〈私〉がいまの私に問いかける。ところが意見が違うのだ。20歳代半ばの威勢がいい。批判的でもある。30歳代の〈私〉は少しだけ理屈が勝っている。そんな意見を前に、いまの私は黙するだけだ。2時間ばかり歩いたところで独身時代の日曜日ごとに通っていた「珈路」でグアテマラを飲みながら店主と昔話。

071021_14450001  向かい側にある靴屋「ふみや」で愛用のヤコフォームを買った。靴ひもはつま先のあたりをきつく結ぶことと教えられた。確かに歩きやすくなった。西武線で富士見台。駅前を歩き長男と長女が生まれたアパートへ。とても不思議な感覚で「あのころ」が蘇る。近所のSさん夫妻に挨拶。私たちが暮らした部屋にはいまでは80歳代の女性が一人で住んでいると聞いた。中村橋まで歩く。キムチの店「とうがらし」で白菜キムチを買い、さらに中村橋書店へ。あっと驚く品揃えだ。『藤田省三対話集成』(みすず書房)や東大出版会の書籍なども揃えているからだ。坂口義弘さんの『もの書き貧乏物語』(論創社)を買う。電車のなかで読みはじめてある文章に出会い、ハッとする。そこに惑いへの解答があったからだ。すーっと気持ちが楽になった。豊島園で家人と待ち合せ。「清寿司」へ。長男も合流して日本酒を飲む。締切りの迫る原稿は書けなくてももっと大事なことがある。やはり城山三郎さんのエッセイからの言葉だ。「今朝酒あらば 今朝酒を楽しみ 明日憂来らば 明日憂えん」。今日だけで道行く人たち
数十人から挨拶、激励されたのだった。


政治家をターゲットに据えた東京地検

2007-10-21 10:58:01 | 政談

 10月20日(土)夕方まで断続的に新書の原稿を書く。テレビ機能が子供たちに「催眠的」あるいは「トランス(脱魂)」状態を生じさせるとフランク・W・パトナムは指摘する。そうした分析を行っている『解離』(みすず書房)を読んでいたら、すぐに時間は過ぎていく。池袋に出かけた二女からメールが来た。新党日本の宣伝カーから私の声が聞こえてきたという。木曜日に続き、録音した主張を流しながらスタッフが都内を走ってくれている。スポーツカーがずっと付いてくるので「何だろうか」と思っていたら、追い越しざまに「頑張ってください」と激励されたり、手を振ってくれる方々も少なくないと報告があった。参議院選挙で私は惜敗したが、党としては次につながる成果を得た。東京だけではなく、名古屋、京都、大阪、神戸という政令指定都市では組織型選挙を行う社民党を超える得票を獲得した。国民新党より50万票多い得票でもあった。来週からは私も街頭に立つ。短時間に伝わる言葉、届く構成を考えている。守屋武晶防衛事務次官と「山田洋行」との癒着について、いっせいに報道が行われるようになった。この問題の背景に旧住友銀行(現在の三井住友銀行)の不良債権処理にまで広がる深い問題があることを5か月前にスクープしたのは「FACTA」誌であった。新聞各紙はいまだ匿名にしている「山田洋行」から離れた宮崎元伸前専務(防衛庁OBで「日本ミライズ」社長)のインタビューも掲載されている。フリージャーナリストの二瓶絵夢が関わった詐欺事件でも政界に捜査が伸びるとも言われている。当初は2億5000万円と報じられた行方不明金も実は4億円だったことも明らかにされた。週刊誌で二瓶とツーショット写真を報じられた議員周辺などが注目されている。


俗世を離れて思う

2007-10-20 10:58:21 | 随感

 10月18日(金)テレビ、インターネット、携帯電話(これはほぼ)と無縁の一日を福島の中ノ沢温泉で過ごした。発端は『はり100本』(新潮新書)の竹村文近さんからのお誘いだった。身体の疲れを取るために、温泉に入っては眠るという繰り返しの休息はいかがですかというのだった。17日の夕方にお弟子さんの運転で東北自動車道を走る。明治19年開業の扇屋旅館に着いたのは午後10時すぎ。すでに滞在している竹村さんと会って部屋へ。荷物を置いてすぐ温泉に入った。湯船の奥から源泉があふれ出ている。口にするとレモンを濃縮したような味だ。部屋に戻り、ねじめ正一さんの『荒地の恋』(文藝春秋)を読みはじめる。「荒地」同人で詩人の北村太郎が、幼なじみでもある田村隆一の妻と53歳で恋に落ち、やがていっしょに暮らすようになる。鮎川信夫など、面識はないけれど詩を読んだことのある人々の物語に引き込まれる。繊細な人間の心が的確に描かれ、シーンが屹立する。小説の面白さを久々に感じる。いつしか夜も更けていたので、灯を消す。物音さえしない静けさだ。朝起きてすぐに温泉へ。露天風呂に行くとそこから紅葉が見えた。いつしかもう秋だ。部屋に戻り読書。そしてまどろむ。昼前に旅館前の「みやもり」へ。日本酒の「飛露喜」で馬刺しなどを食べる。

071019_15000001  食事を終えた足で五葉荘へ。温泉に入る。古びた廊下には1961年にここで松竹映画が撮影されたときの写真が掲示されていた。そこにいるのはまだデビューしたころの鰐淵晴子さんだった。当時は中ノ沢温泉は日本一の温泉といわれていた。スキー客や湯治客で賑わったのは往時のこと。バブル時代をピークに1995年ごろからめっきり客が減っていった。最近ではスキー客そのものが少なくなっているという。扇屋旅館のご主人によれば、ゲームやパソコンの普及とともに余暇の過ごし方が変わっていったのではないかという。五葉荘から戻るとき、商いをやめたスナックが何軒も眼に入る。ある店ではすでに使われていないカウンターの近くで鎖につながれた犬が眠っていた。部屋に戻り再び温泉へ。そして読書、まどろみ。目が覚めて最後の温泉。旅館を出たのは午後5時前だった。お土産に高原トマト、白菜、大根、手作りの納豆などをいただく。近所の日乃出屋で天麩羅饅頭などを買って東京へ。これほど貴重な観光地が廃れていくのを何とかしなければならないと思う。全国にはこうした土地がまだまだ残っているはずだ。観光立地の工夫をすれば少しは改善するのだろうか。竹村文近さんの鍼治療を組み込んだ定期的なツアーなども一案だ。そんな話をする。


ロンドン再訪に惑う

2007-10-19 09:23:00 | 単行本『X』

 10月18日(木)単行本『X』の執筆が滞って久しい。日常生活のなかでふと木村久夫さんの姿が脳裏に蘇ることはしばしばだ。気になっていても手に付かないのは、ロンドン取材に逡巡しているからだ。参議院選挙に出る前にロンドンにある公文書館を訪れ、裁判史料などを閲覧してきた。ところが選挙が終ったあとで、今度は戦争博物館に行く必要が出てきた。戦犯を処刑する映像が残っていることがわかったからだ。あるシーンはすでに見たのだが、全体像をつかみたい。なぜそれほど残酷なシーンを、しかも三方向からのカメラで記録したのか。その理由も調べなければならない。10月か11月に再訪するつもりだった。しかし総選挙がいつあるかわからない。そのための準備活動も必要だ。もし衆議院選挙に出るとしたら、おそらく「最後の闘い」になるだろう。悔いを残したくない。したがってロンドン行きを躊躇している。そんな気持ちでいるときに本屋で山折哲雄さんの『幸福と成功だけが人生か』(PHP研究所)を見つけた。都はるみさんファンの山折さんだ。何か書かれているかもしれないと手にしたところ、最終章の「敗北を抱きしめた日本人」で木村久夫さんについて触れていた。細かい事実誤認はある。しかし、ジョン?ダワーが『敗北を抱きしめて』(岩波書店)で木村久夫さんを取り上げたものの、処刑された原因に触れていないから「青年学徒の苦悩の深みを汲みつくすことはできない」と書いている。そのとおりなのだ。BC級戦犯とされた事件の全体像と遺書全文を明らかにしなければならない。内側から突きつけてくる衝動がある。人間は誰でも「一生」しかないのであって「二生」はない。当面する政治課題を終えたなら……。そう思うばかりだ。


亀田問題と謝罪の自由

2007-10-18 09:14:22 | 立腹

 10月17日(水)京橋のメディアボックスで「ここに幸あり」の試写を見る。楽しい映画だった。大臣の職を突然に罷免されたのが主人公。無職となり、妻も去っていった。いきなり生活環境が変わったことで、自由に行動できるようになった。豊かさとは肩書きや金などではなく、どれだけ友人たちがいるかである。移民や占拠などの現実的問題を交えながらも、そうしたテーマがユーモラスに描かれている。監督はグルジア出身のオタール・イオセリアーニ、73歳。「月曜日に乾杯!」が公開されたのが4年前だから寡作だ。祖国で映画を公開できない情況に置かれ、やむなくフランスで暮らすことになったという。自身の人生航路が作品の背景にはある。人間にとって自由や行動とは何かといったテーマだ。試写室を出て歩いているとき、城山三郎さんのエッセイを思い出した。ブータンに行くかどうかを迷ったとき、結局諦めた。それを知った堀田善衛さんがこう言ったという。

 
あれこれ考えずに行けばよかったのに。これからの世の中は、明日どう変わるかわからない。いまやりたいことを自由にやることだと、ぼくは思うな。

 この自由にも欺瞞がある。たとえばボクシング協会から処分を受けた亀田一家の問題。亀田父と大毅選手が記者会見を開いた。意気消沈していることは画面から伝わってくる。それが謝罪になっているのかとワイドショーは話題にする。不快なのは居丈高になってここぞとばかりに亀田一家を攻撃するコメンテーターだ。Oという女性が「こんなのは謝罪になっていません」と声高に語るのを聞いていると、とても違和感を覚えた。安全圏にいて「銃眼から敵を撃つ」。謝罪は自発的なものでなければならない。そこに問題があると思えば指摘すればいい。しかしあくまでも自分は部外者であることの自覚は必要だ。それがあるかどうかは言語表現に現れる。亀田一家が土下座をして謝ったとしても「いや本当の謝罪とは……」といった流れになるんだろう。誘導される世論はモンスターとして誕生する。群衆という問題である。


亀田問題はTBSに最大の責任あり

2007-10-17 09:24:23 | 立腹

 10月16日(火)「東京スポーツ」から亀田問題についてコメントを求められた。あのひどい試合に対して厳しい処分が下されたのは当然のこと。問題の所在は父親とTBSにあると語った。亀田兄弟を取材したジャーナリストやテレビ関係者に聞いたところ、記者会見や画面上では偽悪的な態度を取っているが、その前後は比較的丁寧なのだという。そのように演じることが「好ましい」と思い込んでいるのだろう。セコンドでもある父親が社会的マナーをきっちりと教えていたならば、こんどのように見にくい醜態をさらすことはなかっただろう。もっとも責任があるのはTBSだ。モラルもマナーもない乱暴者を持ち上げて最悪の錯覚を増幅させた罪は深い。とくに強調したのはテレビの機能が子供たちに及ぼす深い影響力への配慮がまったくないことだ。子供たちにとってテレビは特別な世界に映っている。そこで報じられることがストレートに認識に入り込んでいく場合がある。神戸で事件を起した少年が、オウム事件報道を見て「あの程度なら許される」と思ったことは象徴的だ。亀田一家の乱暴ぶりは見えないところで肯定的に影響を与えている。そこにTBSの最大の罪がある。彼らを増長させてきたTBS(とくに編成や番組プロデューサー)が、こんどの問題についてだんまりを決め込んでいることは、社会的責任をまったく果していないことを示している。家人とともに紀尾井町で雑用を済ませ、シネカノン有楽町。「パンズ・ラビリンス」を見た。1944年のスペインでは、フランコ独裁政権とゲリラとの闘いが続いていた。そこに生きる少女のファンタジーと現実が交錯して描かれた不思議な作品だった。銀座まで歩き「うち田」で夕食。バー「ジンクス」に寄る。


取材源を守れなかったノンフィクション手法(2)

2007-10-16 08:14:18 | 事件

 10月15日(月)いくつかの新聞社からコメントを求められたので、もう少し草薙厚子さんにかかわる事件について書いておく。少年を鑑定した精神科医が供述調書を草薙さんサイドに渡したことで逮捕されたことがニュースになっているが、そこには重層的な問題がある。まずは取材プロセス。草薙さんがこれまでと同じく少年事件の再発防止のために取材を行ったことは、いささかも疑わない。鑑定医から話を聞き、可能ならば供述調書にも目を通したいと思うのは当然のこと。そして医師から調書を見せてもらうことに成功した。はじめはボイスレコーダーに録音したがとても間尺に合わなかった。そこでカメラで撮影したという。3000枚もの調書をカメラで撮影したとはとても思えないが、草薙さんはそう記者会見で語っている。問題はそこからだ。調書を読めば事件の背景に父親による異常な暴力行為があったことが推測できる。しかし父親から取材することはかなわなかった。その段階で講談社の法務部と相談をしていたならば取材源逮捕とはならなかった。単行本の主要部分が供述調書で成立していることで、取材源が特定されるからだ。そこにはノンフィクションの叙述方法とともに、編集体制の問題がある。

 253ページのなかでポイントを絞って調書の一部が何か所か引用されているぐらいならここまで大きな問題とはならなかっただろう。あるいは調書を利用しつつ、たとえば「そのときの会話を再現しよう」と書いて、記録されたやりとりを紹介するのはよく取られる手法だ。少年直筆の「殺人カレンダー」を裏表紙に刷り込んだことも刺激的だった。そこで権力の発動となった。長勢甚遠法相(当時)は6月5日の会見で「司法秩序を乱し、少年法の趣旨に反する」と批判し、流出元の調査を省内に指示、最高検も動かざるをえなくなる。大阪高検は消極的だったと聞くが、捜査が開始された。調書から草薙さんや編集者、さらに第三者の指紋も検出された。ライターだという。そこで嫌がらせのような噂話が流される。さらに事件周辺から意外な人物が浮上した。法務省が研究を依頼している京大医学部教授(逮捕された鑑定医とは別人)である。家宅捜索が行われたけれど、マスコミには名前も出てはいない。「落とし所」が検討され、精神科医が逮捕となった。草薙さんがこの問題をリポートした「週刊現代」はこれまで音無しだ。こうした事態にあってこれから報じることはあるのだろうか。


取材源を守れなかったノンフィクション手法

2007-10-14 15:27:43 | 事件

 10月14日(日)草薙厚子さんに供述調書を漏洩したとして医師が奈良地検に逮捕された。草薙さんへの捜査は引き続き行われるが、焦点は在宅起訴されるかどうかだ。『僕はパパを殺すことに決めた』(講談社)は、奈良で起きた放火事件を加害者の少年や虐待を続けていた父親の供述調書を「そのまま」引用して構成の核心部分とした著作だ。私はいまでも事件の再発の背景にあった父子関係を明らかにしたことは正しかったと思っている。ただし、そのこととノンフィクションの手法上で問題がなかったかといえば、明確に「ある」と言わざるをえない。最大の問題点は、調書の裏付けとなる父親本人から取材できていないことだ。調書は物語(ストーリー)として作成される。そこには「作為」が入り込む余地がある。したがって取材者は調書の内容が正しいかどうかを確かめる作業を必要とする。そこが欠けているのだ。結果的に情報源を逮捕させてしまったことは取材者として致命的だ。もはや闇に消えるのみだが、草薙さんと逮捕された医師をつなぐ「第三者」がいる。法務省ともつながるその人物がポイントだと私は判断している。しかし直接に調書を見せた医師を逮捕することで、この問題に幕が引かれようとしている。医師の逮捕で少年事件をこれから取材する者も、取材される者も精神的に「腰が引ける」ことを危惧する。

 フランシス・ウィーンの『マルクスの「資本論」』(ポプラ社)はとても面白く刺激的な入門書だった。とくに「死後の生」(第3章)では、「マルクスは、21世紀でもっとも影響力のある思想家となるかもしれない」と結んでいる。ソ連崩壊の理由などを分析する学者などは、意識せずとも『資本論』の論理を使っているからだ。グラムシが新しい大衆教育システムを通じて「反ヘゲモニー」文化を発展させる必要を説いたこと、『マルクスを読む』を書いたアルチュセールがほとんどマルクスを読んでいなかったことなど、興味深い記述にあふれている。面白かったのは、マルクスの人間性だ。エンゲルスが経済学批判を早く印刷屋に渡せと言ったのが1842年。マルクスは「わかった」「ほぼ仕上がっている」と答えつつ、借金、何度もの病気(ときに仮病)、さらには実践に没入することなどで、結局印刷屋に第1巻の原稿を渡したのは25年後の1867年のことだった。初版は1000部。それが売りきれるまでには4年もかかった。資本主義が続くかぎり、『資本論』には生命力があることを再確認した。劇作家で演出家でもある宮沢章夫さんの『「資本論」も読む』(WAVE出版)を読みはじめる。