荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

干鰛(ほしか)場跡に出遭った。

2022年01月12日 | 散文

こんな石碑が有りました。自転車を停めます。

 

説明を読みます。隣家の壁が迫っていて読みづらいです。「干鰛はいわしを乾燥したもので江戸時代重要な肥料であった  寛永のころ関西地方の漁民か銚子付近の海岸で干鰛をつくり江戸へ輸送するようになった  江戸の干鰛取

 

引きははじめ中央区方面であったが元禄十三年から小名木川にそった白河小学校付近に干鰛の荷揚場がおかれこれを干鰛場といった  またここを銚子場ともいった干鰛場

 

はこのほかに永代に永代場  深川二丁目に江川場があった  昭和四十三年十月一日  江東区第二十六号」  最後の二十六号の意味が不明ではあるが、後世に遺したい文化の地です。

 

こんな場所です。学校のような建物の入り口です。

 

小学校だろうか?と思ったら、門柱に「ケイ・インターナショナルスクール」とあります。キラキラのプレートです。

 

鏡の名板に先程の石柱を映します。私のスマホが写ってしまうので苦労しました。

 

さて、校舎をよく見ると、そこにも同じ文字が書かれています。

 

建築計画の告知にも同じ記載です。

「干鰛場」の重要性は理解しましたが、学校の「ケイ」って何だろう?

調べたらこんな学校でした。

 

世界の難関大学に入学させる学校が、その昔は魚臭い干鰛場だったとは、イメージが一致しません。歴史の面白さですね。

 

前面道路はこんな場所です。

どういう歴史の綾があったのだろう?


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