堀切の路地に迷い込みました。散策を始めた当初は迷うことが不安でしたが、今はその状況を楽しんでいます。家の向うに首都高速中央環状線が見えます。
この路地からも高速道路が見えます。
東京に暮らすというのはこういうことです。都心でも下町でも、いつも高速道路を見上げています。
この路地の正面にも高速道路が横たわります。
新築住宅の向こうに銭湯の煙突が現れました!
近寄ると、煙突に蔦が巻き付いています。廃業した銭湯だろうか?
ここが銭湯の入り口のようです。
廃業したのだろうか?
毎週金曜日が定休のようです。今日は金曜日です。休んでいるだけだろうか?
銭湯に付きものの自販機が壊れています。自販機の囲いのブロック塀が傾いでいます。・・・やっぱり廃業した銭湯のようです。
そんな私の行動を胡散臭く見ていた人がいました。この人です。「かくかくしかじかで銭湯を訪ねています」と挨拶したら、この銭湯の経営者でした。以下、彼の話を要約します。 東京の銭湯は減る一方だよ。そうかい「時間ですよ」を学生時代に観ていたか。じゃあ同年代だ。あの頃も銭湯は減っていたけど、今から考えればまだマシな時代だったよ。昔は銭湯と蕎麦と豆腐が同じ値段だったよ。
今の湯代は540円とのことです。私の認識では、東京の入浴料は一般的に480円です。経営が苦しいので値上げして、値段が上がったら客が来なくなる、のスパイラルでしょうか? うん、儂で終わりだね。親父が富山から出て来て丁稚奉公から独立して造った銭湯だよ。儂が二代目よ。
東京の銭湯は新潟、富山、石川の出身者が多いんだよ。銭湯に丁稚奉公して、独立して田舎から従業員を呼び寄せて広がったんだよ。一番働いていたのは新潟出身だよ。仲間内で本人が居ない所では「新潟モン」 って 呼ばれていたくらい働いていたよ。「新潟モンが歩いた跡はぺんぺん草も生えない」って言われていたよ。
屋号かい?別に由緒なんて無いよ。親父が付けたんだよ。銭湯に多い名前だよね。勢いが良いしで付けたんじゃないの。 銭湯を探すんだったら足立区へ行きなよ。あそこにはまだ多くの銭湯が残っている よ。葛飾区の組合員はもう28人しかいないよ。
・・・こんな話をしてくれた彼にお礼を言って見送りました。彼は自宅に入って行きました。
彼の居なくなった後、湯舟の大きさを見上げます。
煙突が見たくなりました。銭湯を見付けたら必ずできるだけ近くで見たくなります。玄関脇に蔦が絡まった煙突が立っていました。庭に煙突です。好いです!
見上げます。残秋の空です。
冬が近い空です。