荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

第5福竜丸展示館

2024年03月07日 | 散文

第5福竜丸がアメリカによるビキニ水爆実験で被爆してから70年になると知って、久しぶりにやって来ました。

細く高い屋根です。中に入ると理由が分かります。

展示館に入ります。

先ず大漁旗が出迎えます。

大きな木造の漁船です。

舵も木製です。

複数の見学者が居ます。数は少ないですが、見学者が途切れません。何度か訪問していますが、私以外の訪問者が居たのは初めてです。皆さん被爆70年を知ってやって来たのだと思います。展示パネルを見ます。

内容はずっと変わっていません。被爆の酷さを伝えています。

第5福竜丸の横に展示されています。

第5福竜丸の乗組員は、地元焼津の人から差別され、補償金を妬まれたそうです。他所でも被爆者は同様の扱いを受け続けているのではないかと思います。

アメリカの水爆実験は992回に及びました。第5福竜丸だけでなく、多くの人々が被害に遭いました。今だに日本各地で補償裁判が続いているそうです。

大きな船体が語りかけて来る気がします。

この話、続きます。

コメント (2)
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第5福竜丸のエンジン

2024年03月07日 | 散文

新聞で、第5福竜丸がビキニ環礁で被爆して70年になったと知りました。広島に投下した原爆の1000倍の威力があったらしいです。当時のアメリカでは核兵器は正義の剣だとの世論を形成し、核保有への国民の賛意は絶大なもので、キノコ雲の絵や玩具が流行したそうです。そして、核兵器は素晴らしい物との認識のもと、この実験での爆弾は「ブラボー」と名付けられていたらしい。67回もの実験を行いました。そして、ビキニ環礁や周辺の島民が今だに被爆症で苦しんでいること、日本でも今だに被爆補償の裁判が続いていることを知りました。

やって来たのは第5福竜丸が廃棄されていたゴミ捨て場であった元「夢の島」、現在の「夢の島公園」です。屋外の展示場に、「第5福竜丸」のエンジンが展示されています。

28年ぶりに海中から引き上げられ、更に24年間経っています。

ボロボロのエンジンです。

ボロボロだけど、無言で訴えるものがあります。

背後に大きな建物が在ります。

行ってみます。

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