荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

杉山和一記念館と石柱の署名

2021年05月23日 | 散文

江島杉山神社の境内に杉山和一記念館が在ります。

 

2階では今でも、和一が将軍徳川綱吉から拝領した領地に造った鍼灸師育成所を継承しています。

 

世界初の盲人教育の場であり、盲人の職業を確立させて生きる術を伝授した場です。鍼を管に入れ的確にツボを押さえると盲人でも打てるという鍼治療法です。現在でも鍼治療術の主流です。

 

拝殿には長い間お参りする人がいます。親族に目の悪い人が居るのかも知れません。ここの参拝者は、皆さんお参りが長いように思います。

 

現在は小綺麗な建物になっています。

 

(初めて訪れた時の建物)

 

 

 

さて、岩屋前の太鼓橋を渡ります。

 

改めて南側の鳥居から神社を眺めます。

 

神社には、どこにも寄附者等の名前を彫った石柱があります。境界の石塀に刻まれたものも多く見かけます。この佐久間春吉さんの名前が刻まれた石柱の、神社側を覗きます。

 

清水誠一さんと妻喜美子さんの結婚記念です。個人名や商店名・企業名以外、「結婚記念」の文字を刻んだ寺社の石柱はこれ以外に見たことがありません。昭和21年12月2日です。1と2だけが列んだ数字に何か意味があるように思えます。太平洋戦争が終わった翌年のことです。平和の到来に希望溢れた結婚だったと思います。若い二人の喜びが伝わってきます。

初めて訪れた時にこの刻印を見つけました。それ以来ずっと、ここで起こった出来事が深く心に残っています。杉山和一の努力と盲人救済事業、それに報いた将軍、生活の術を学ぶ盲人たち、そして平和を喜ぶ氏子夫婦の記録です。

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江島杉山神社

2021年05月23日 | 散文

竪川の一之橋近くに江島杉山神社はあります。

 

説明書きです。杉山和一が信仰した江ノ島弁財天と杉山の名前が由来の神社です。

 

表参道を行きます。もう7年ぶりの訪問になります。先程杉山和一の墓所に出逢ったのが今回訪問の動機です。

 

木漏れ日の説明書きです。「一つ目」とは一之橋界隈の土地です。隅田川に注ぐ竪川の橋で、隅田川から順に数えて、一之橋から五之橋まであります。

 

先程まで女性が長い間手を合わせてお参りしていました。初めて訪問したときにも女性が長い間お参りしていたのを思い出しました。

 

 

杉山和一の肖像石碑があります。

 

ここの説明書きは点字です。

 

岩屋へ行きます。

 

和一が信仰していた江ノ島弁財天を勧進して岩屋に祀っています。

 

江ノ島の岩屋を模したものです。

 

入って行きます。

 

入り口には「岩屋重修記」があります。

 

岩屋の正面には杉山和一像が祀られています。

 

その右側に祠があります。「宗像三姉妹像」です。「弁財天が主尊として祀られるようになったのは平安時代頃からと推察され、本地垂述説による神仏混合で日本古来の神と習合してからのことである。

本来宇穴神ではなく水と土地の神という観念が強いから民衆との親しみは深く希を託し易い存在の神として人気がある。特に農業神・海上神・施福・学問・音楽・弁舌等に霊験あり、又土地の鎮守とし地主神として祀られている」との説明書きがあります。姿はよく見えません。

左にまだ奥があります。その正面に祀られているのが、宇賀神です。説明書きがあります。「ウガは、ウカ、ウケ等食物を表す語で、日本古来の穀霊信仰に根差した食物神であり神道の宇迦之御魂神(稲荷神)と同一神といわれる。

音楽・学問・弁舌・福徳と幅広い御利益がある。弁財天と習合したのは、農耕に深く関係する水神信仰によるものである。弁財天の使いが白蛇といわれることから宇賀神の姿が人頭蛇身になった。」

こちらも姿はよく見えません。

 

弁財天の使いである白蛇が守っています。

 

退出します。

 

初夏の木漏れ日の中に杉多稲荷神社が佇む境内です。

 

コメント (2)
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