荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

法華寺の桜/2017年

2017年04月12日 | 散文
ずっと雨が降り続いています。
小中学校脇の踏切を渡ると法華寺の参道です。


通り掛かったので、入口だけ撮りました。


ここは我が家の菩提寺でもあります。

前回の帰省時に母の七回忌の法要を済ませました。

その時、参道の山腹にあった見事な椿林を伐採していました。
疎らになった山肌が目に入ります。
住職曰く、ここは元々「紅葉寺」と言われた、見事な紅葉林があった寺だったとのことです。
檀家会議で「紅葉寺」を復活させる決議がなされたそうで、椿の代わりに紅葉を植えるそうです。

頭上に椿が咲いて、石段に真っ赤な花が落ちている、お寺らしい情緒ある参道だったのに残念です。
紅葉と椿と両方植える方法は検討しなかったのでしょうか?
この桜を見上げながら思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「桜井の史跡と伝説」ー1の補足

2017年04月12日 | 散文
<筆者>
桜井には、前述の志島ヶ原の他に、もう一つの場所にも綱敷天満宮があります。

浜桜井の古い街の北外れです。

ここは「古天神(ふるてんじん)」と呼ばれており(この地域の地名にもなっています)、年表では942年に建立されて現在に至っています。

菅原道真公がこの地に漂着したのが、太宰府に左遷(901年)された折です。
従って、菅公をお助けしてから41年後、ここに最初の綱敷天満宮が建てられた訳です。


広大な境内に長くて真っ直ぐな参道を持っており、往時は厳かな雰囲気の神社だったと想像できます。


境内には多くの松の大木が生えていましたが、数十年前四国に大量発生した松食い虫の被害に遭って、見る影もありません。


本書の年表によると、前述現在の志島ヶ原に在る天満宮は1720年に建立されています。


志島ヶ原へ移転するまでの778年間、菅原道真公に関する祭祀の中心地でした。






現在の祭祀の中心は志島ヶ原の天満宮ですが、この天満宮も地元民の信仰が厚く、よく管理されています。


近くに同級生の家があって、ここも子供の頃によく遊んだ場所です。


やはり天神様らしく、広い梅林が在ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする