ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

S事務局長の通夜に出席(3/1の日記)

2020-03-03 21:00:17 | 日記

新型コロナせウイルスで世間が騒がしくなっているさなかに古道連協の事務局長が亡くなったという知らせを昨晩聞いた訳だが1時は持ち直すかに思えたが体力の衰えが支えきれなかったということである。

昨晩の知らせで今日の夜7時30分から通夜を執り行うということで古道連協の主たるメンバー(私を含めて4名)が参列することになった。

それまでの日中は洗濯と共にトイレのタンクの水洩れが大きくなっているので大家さんが直しに来てくれたり、高大の方も23日までの高大の授業や行事が一切中止になったため修学旅行の費用をクラスで集めてバス会社と折衝していたK氏から私に送金されて来たのでその返金問題でもう一人のCDやクラス会計とメール交換したりでゆっくりも出来ない状態であった。

慌ただしい一日となったがブログの記述についてはごく簡単にしたい。

同じ市内に住む古道連協の事務局長であったが会場は葬儀屋さんであるが、市内に引っ越してきて20年を超えたが市内で通夜を迎えるのは初めてである。

S氏は私より1歳年下であるが、歴史に関しての造詣が深く私なんかは足元にも及ばない存在で、古道連協も彼無しには夜も日も繰れなかったと言ってもいい程であった。

私は他所から来た流れ者で元々歴史に関しては何も知らない状態であったがたまたま居住している区内に古道がいろいろ通っているというところから興味をもつようになったものである。

最初はたまたま今はなくなった公共の施設で行われた講座に参加したが、その当時は当区には歴史に関するガイドの会がなく北隣区の歴史の会のメンバーが多く来ていたことからそのうちの一人と親しくなりその北隣区のガイドの会に入会したのが最初である。

北隣区の歴史の会に入会して3年ほど経った時に当区の広報で養成講座の参加者を募集していたので応募したのだが、その時も北隣区のガイドの会のメンバーも多く参加していたのである。

1か月に1回だけある勉強会に参加しているうちに段々参加者も減って3年後に当区ガイドの会を立ち上げたころには最初60名ほどいた参加者が3年後には半減したが、私は当区のメンバーだから立ち上げた一員となった所からボランティアガイドに関わるようになったものである。

当区ガイドの会もなんとか動き出した訳だが、私は北隣区と当区のいどの両方のガイドの会に所属していた訳である。

ところがしばらくして北隣区のガイドの会の会長が奥さんの実家の関係で問題があったようで急遽移転することになり、その後も続けるかどうかで北隣区のガイドの会の役員会議を開いた結果解散ということになったのである。

私にすれば続けたかった気持ちがあったが私のその北隣区の住人ではないので役員でもなかったし口を挟むことすら出来ず年を越した春に解散となった訳だが、解散となることなんか思いもしなかった少し前に移転していった会長が別の会(古道連協)も運営していてその事務局を担当していたのが今日の通夜の対象の人物のS氏でその当時から現在まで数年経って居るが、大きなガイドの会と違ってアットホーム的なこじんまりとした会だがそれなりに手作り感のある組織である。

会長が移転で去った後は事務局長であるS氏が会の運営を束ねて行い我々はそれに従って実行していたという感じがするが、今となってはS氏が1昨年前の忘年会の時に体の調子が悪いと言って中座してからが闘病の始まりであったような気がする。

事務局がS氏の自宅の住所になっているので入退院を繰り返していた最近はもっぱら奥さんと電話でやり取りしていた当会の女性メンバーが通夜の席で初めて顔を合わせたことになる。

明日の葬式に出ることを約して退席した。

 

 


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